中村満神父様

 
 

カトリック教報、昭和59

新司祭二人誕生・助祭は五人―喜びに沸く浦上の丘―

 319日午前10時。浦上司教座聖堂の鐘が美しい音色とともに、司祭叙階式ミサの開始を告げた。長崎教区は今年に入って、すでに二人の現役の司祭を失い、大きな損失をこうむったが、この日は二人の新司祭の誕生の喜びに沸き立った。

 司祭に叙階されたのは、ミカエル中村満助祭(浜脇)とトマ岩崎靖彦助祭(浦上)の二人で、同時にノルベルト赤尾孝信(浦頭)ペトロ久志利津男(仲地)ペトロ川内和則(浦上)ドミニコ高野治(大浦)ペトロ浦川務(中町)ら5人の助祭所階も行われた。

 当日はあいにくの雨模様であったが、家族や知人などが早くから聖堂に集まり、静かに式の開始を待った。週日であったにかかわらず、一般信徒や修道会関係者も多数参列し、約2千人の人で大きな聖堂もいっぱいであった。

 式に先立ち、浦上教会主任司祭下川英利師が、司祭叙階の意味と心構えを参加者に解説し、叙階者のために祈るよう招いて次のように説教を行った。「今日まで本人の親、兄弟はもちろん、出身教会や知人、神の民が直接、間接に一致協力して、きょう叙階される人たちを育ててきました。

 たとえ司祭の召し出しが神の恵みであり、本人の自発的な応えであるとしても、私たちの兄弟の一人として、私たちが育てた人たちなのです。ですから、新司祭誕生の喜びは私たち神の民全員の喜びといえます。

 司祭はキリストの十字架を選びます。そして人びとに仕えるため、正しい意味で人びとから活用され、利用されるために召されるのです。聖パウロが言っているように、司祭は人々の中から選ばれ、兄弟たちのため、兄弟に代わって神さまに関することで役に立つため、その権能と使命を与えられたのです。

 しかし司祭は信徒の協力なしには、その使命を十分に果たせません。修道者、信徒のみなさんも洗礼によって共通司祭職にあずかり、神の国のため働くよう招かれていますが、その働きも叙階された司祭の働きと一致協力して働くとき、はじめて本来の効果をあげることができるのです。

 ですから、ただ新司祭の誕生を喜び合うだけでなく、この叙階式を通じて与えられる恵みに強められ、司祭のよき協力者として奉仕するように、神が呼びかけておられることを心にとどめるようにしてください。

 また司祭も人間の弱さと原罪の傷あと故に、司祭生活の途上において迷い、途方にくれることがあります。司祭といえども、平凡な人間の一人であり、人の世のすべての喜びと悲しみ、心の弱さと淋しさを体験するナマ身の人間であることを忘れないでください。そしてこの新司祭が、生涯、立派に司祭職を全うすることがすることができるよう、霊的な支えと、兄弟として温かい励ましをお願いいたします。

 叙階者と、里脇枢機卿を中心とする長崎の神の民一同の上に、神さまの豊かな祝福を熱心に祈りながら、この典礼にあずかりましょう」

 式は里脇枢機卿、松永司教をはじめ、教区司祭、修道者ら約百人が参加してれ行われた。叙階式の典礼は里脇枢機卿と受階者との対話形式で行われ、訓話、決意表明、諸聖人への連願という順に進められて行った。そして、先ず5人が枢機卿の按手と聖別の祈りによって助祭に叙階され、助祭の祭服を身に着けた後、聖書を手渡されてキリストの福音を伝える使命を受けた。

 つづいて、中村、岩崎の両師が参加者の見守る中、枢機卿、松永司教、それに参加全司祭のひとりひとりの按手を受け、つづいて枢機卿によって聖別の祈りが荘重に唱えられ、司祭に叙階された。二人はすぐに真新しい祭服を着用し、両手に聖香油を塗油されて、神の民を聖化する役務を行うよう強められた。

 その後、式は順調に進められ、聖体拝領では二人の新司祭と5人の新助祭から、それぞれ家族や関係者らが感激の聖体を拝領した。

センターで祝賀会

 助祭、司祭叙階式後、午後1230分より、カトリックセンターレストランを会場に、里脇枢機卿、松永司教の霊名(ヨゼフ)の祝いと、叙階の祝いが行われた。

 この祝賀会には、教区および修道会の司祭団の他に、受階者たちの両親も招かれた。全司祭団を代表して、小島栄公教神学校校長が、まず里脇枢機卿と松永司教に祝辞を述べた後、新司祭に、先輩を信頼しついてきてほしいと励ましの言葉を送った。つづいて枢機卿から、長崎教区司祭団がいつも枢機卿と一致協力して働くことへの感謝と、後輩によい模範を示すようにというおことばがありなごやかに祝賀会を終えた。

 
 

祈りに支えられて

 「司祭になるためには、少なくとの14年はかかります。しっかり、がんばりなさい」とのことばを思い出す。小神学校入学のとき、神父さまからいただいたことばである。その時「両手でもたりない年なのか、ながいなあ!」と感じたことを覚えているが、月日の経つのは早いもので、いつの間にかあれから14年が過ぎようとしている。振り返ってみれば、長いようで短い年月であった。苦しい道のりであったが、また、恵み多い道のりでもあった。今、「神のいつくしみをとこしえに歌い、そのまことを代々に告げよう」という詩編作者の心を少しだけでも味わえるような気がする。

 「司祭になりたい、司祭になれないかな」という願い、思いが、今実現しつつあるが、同時に今度は「大丈夫かな、わたしに従いなさいというイエズス様の声に日々忠実であり得るかな」という不安が起こってきている。

 しかしここに一つのことがある。今までの道のりの中で感じたことであるが、信者の皆さんが常に祈り、励まして下さることである。信者の皆さんが生きた祈りの生け垣をつくって、しっかりと守り、支えて下さることである。「お祈りしています」、このことばに支えられ、力づけられて、ここまで歩いて来ることができた。多くの人々の多くの祈りに満たされて歩き続けることができた。今叙階の恵みをいただくに際し、これらの祈りに対して、深く深く感謝せずにはおれない。多くの人々の祈りに支えられて、この道のりを歩き続けることができたことを公言せずにはおれない。ありがとうございました。

 ところで、創世記に「そのとき神ヤーウェが……いのちの息をその鼻にふき入れられると、人は生きる者となった」(創2・7)とあります。人間の生、いのちについて深く洞察した著者が聖霊に導かれて、こう記したのだと思います。人が生きるためには人が生きるためには絶えざる神のいぶき、いのちの息が必要です。司祭として生きつづけるためには絶えざる神のいぶき、いのちの息が必要です。司祭として生きつづけるためにはなおさら、日々いのちの息をふき入れられることが必要だと思います。「あなたがかれらの息を取り去るとかれらは死んでちりにもどる」(詩10429)から。

 司祭としての生を受けようとしている今、絶えず神に助けを願い求め、そのいのちの息をお送り下さるよう祈りたいと思っている。生まれて来ようとしている赤子の司祭のために、これからも、信者の皆さんのお祈りを、さらにお願いしたい。

略歴

195845日長崎県久賀島に生まれる。

19704月、長崎公教神学校に入学。長崎南山中学校に入学。

19763月、長崎公教神学校卒業。長崎南山高校卒業。同年4月福岡サン・スルピス大神学院入学。

19833月、助祭叙階。

19843月、福岡サン・スルピス大神学院卒業。

1984319日、司祭に叙階される。

 
 

カトリック教報、昭和6261

愚問愚答“生きている”神 浦上教会中村満

 「神様はいると思いますか」「はい、確かにそう信じています」「神様は生きていると思いますか」「はあ?・・・はい、そう思いますが、なにか?」。

 ある人との問答の中の一コマである。こちらが何かを聞こうと意図しているのか分からず少し面食らったようだ。

 最近、私は、この問答の後半のものに興味を持っている。「神はいる」というのと「神は生きている」というのとは、どこか違うように思われるからである。そして、この違いが神様についての私たちの理解の上で、信仰の上で、非常に大切なものを含んでいるような気がするからである。

 私たちは神がいるということは、はっきり信仰によって知り、信じている。しかし、神は生きているということは、そう分かっていながらも、どこかで忘れていたり、よく理解していなかったりするように思う。

 神について考えるとき、神はなぜか遠くにいる方として、はるか天のかなたにいる方として想像してしまう。頭のどこかで神はなにもしないで、じっとしているような方として想像してしまう。私たちと共にいる神、しかも生きている、生きて共にいる神としての理解が欠落しているように思う。

 教会の中での子供たちの姿を見ながら、この頃そういう思いを強めている。子供たちにとって神様は、あるいはイエズス様は、自分たちの前におられる方、ご聖体の秘蹟を通して現存される方ではあるようだ。

 しかし子供たちの神様は、あるいはイエズス様は、ただそこにいるだけの方、じっとしているだけの方で、悪く言うなら命のない、生きていない銅像のような方であるらしい。そんな気がしてならない。自分たちの前にいて、しかも生きている方として、今も厳然として生きて方としての「生きている」という理解がないように思う。「生きている」ということを理解しているならば、祈りにしても、典礼行為にしても、もっと生き生きとしたもの、生き生きした祈りの姿、典礼の雰囲気が出てくるはずだから。こう言いながらも、自分にもこの「生きている」という視点が少し欠けているのではないかだろうかと、反省することしきりである。ところで、聖書を見ると、この「生きている」という点が、神について、あるいはイエズスについての理解の上で重要なポイントになっているように思う。新約聖書を見ると弟子たちの生き方を180度方向転換させ、イエズスについての正しい理解をもたらしたのは復活体験であった。

 逃げ散ったはずの弟子たちが、イエズスこそキリストだ、イエズスこそ待ちわびていたキリストであり、メシアであり、救い主だと恐れなく宣べて廻り、そのために自分の命も捧げていくようになる。

 そのきっかけは、復活したイエズスとの出会い、生きているイエズスとの出会いであった。自分たちが3年の間、寝食を共にしたイエズス。敵対していたユダヤ人たちにとって十字架につけられ殺されてしまったイエズス。自分たちがよくしている、しかも殺されて死んだイエズス。そのイエズスが生きている。今、実際に私たちと共に生きている。イエズスは生きているんだ。今も、いや今、生きている。実際に私たちと共に。これが弟子たちの復活体験であったと思う。

 そして、これが同時に弟子たちの復活についての証言内容の一つであった。イエズスは生きているという復活体験は弟子たちの生涯を決定づけ、弟子たちの宣教活動を支えている。イエズスが生きている以上、イエズスが教え、行い、世にもたらしたもの、それが何であれ、決して滅びることなく、消えてしまうことなく、今も、現在のものとして、自分たちの目の前にある。

 イエズスの教えと業(わざ)が過去のものではなく、現在のものとして、現実のものとして今ここにある。イエズスは今も生きている。だから、イエズスのもたらしたものすべて、愛にしても、ゆるしにしても、それが時間の中で色あせてしまうことはないのである。時間と空間の隔たりを超えて、生き生きとした現実のものとして今もあるのである。

 このような理解、確信のもとに弟子たちは宣教に邁進していると思う。生きているイエズスと共に生きていたからこそ、弟子たちは命を捧げ得たし、弟子たちの語る、生きているイエズスと出会ったからこそ、多くの人たちはイエズスを信じ得た。

 こう考えるならば、私たちの信仰生活においても、神は生きている、イエズスは生きているという、この「生きている」ということをよく理解することが重大なことの一つであるといえると思う。

 「生きている」ということを理解できれば、神との、イエズスとの生きた交わり、生き生きとした、命の通った交わりが生じてくるし、生きている神に生かされた信仰生活、生きているイエズスと共なる生き方ができると思うからである。信仰と生活の一致のカギの一つは、こんなところにもあるのではないだろうか。

 今を生きている私たちにとって、私たちのすべての行為、生き方を受け止めることのできる方は、私たちと共に、今、生きている方しかないと思うからである。

 また、今、日本の教会の私たちが取り組んでいる福音宣教という観点から見ても、この「生きている」という視点は重要だと思う。

 福音とは、最終的には、イエズス自身のことを指す。しかも復活して今も生きているイエズス自身のことを指す。福音はイエズス・キリストの生涯、生と死、死と復活、苦しみ、すべてイエズスが語ったこと、行ったこと、イエズスが生きたすべての神秘全体を網羅しているが、それは同時にイエズスという方、その方自身に集約されている。

 従って、福音とは文章化された抽象的な教え、理論化された観念的な教えではない。実在の伴うものである。今も生きているイエズス、厳然として生きているイエズスを指している。この方自身に出会う。この方自身に至る、それが福音であり、福音宣教の中心である。福音宣教の最終目的は生きている神、生きているイエズスに出会わせること、生きている神の命に与らせることだからである。

 さて、このように考えてくると、神は、あるいはイエズスは生きているという現実は、それほどたやすく片づけられてはいけないことのように思われる。この「生きている」という現実をどう捉えるかが、私たちの神理解において、私たちの信仰生活において重大なウエイトを占めると思うのだが。私たちの信仰生活を左右するぐらい大切なことだと思うのだが、弟子たちがそうであったから。

 しかし、これは皆すでに理解していた愚答であったかもしれない。お許しを……。
 
 



  
   
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