中村満神父様

 

−聖書に親しむ−きずな  黒島教会主任司祭・中村 満

 ここ23年、日曜日の福音を読み黙想し考える際に、一つのことを付け加えことにしている。今日の福音のポイントはこういうことだろうと、註解書、説教集などを読んで結論を出すが、その結論を一旦横に置いて、ある考えの下にもう一度福音を読み直して見るのである。それは、「神は父、私たちはその子供たち」である。なんだそんなことかと思われるかもしれないが、これはけっこう大切なことだと考えている。私自身もそんなことは分かり切ったことだと思っていたのだが、福音を読み直す際の一助にすると福音がまた違った響きで聞こえてくる。その響きが楽しくて今はできるだけ「神は父、私たちはその子供たち」を基本線にして再度読み直してみることにしている。

 父と言うことばは福音書の中で、マタイに56回、マルコに14回、ルカに33回、ヨハネに127回使われている。これ程頻繁に使われているということは、父ということばはイエズスにとって特別の意味を持っていたと考えられる。また回数もさることながら、イエズスの教え自体が「神は父」ということを土台として語られているとさえ言えよう。なぜならイエズスが神を指すのに用いたのは、そのほとんどが「父」ということばであり、イエズス自身の自己理解も父から遣わされた者という立場に立っているからである。「父」ぬきにして

 私たちは本来「父」ということばは「自分の」父親を指すときにしか使わない。血縁に基づく自分の父親を指して 「私の父」という。どんなに優しくしてくれる親代わりの人がいたとしてもそれは「自分の」父親ではない。親切に

してくれる「おじさん」でしかない。私たちはやはり切っても切れない血縁の絆に基づいて「父」と言っている。イエズスもこのような絆を基に神を「父」と語っていると考えられる。そうでなければ神を指して「私の父」とは言え

ないし、「父よ」という神への呼びかけのことばも出て来ないはずである。父と子という絆に基づいていたからこそ堂々と神を[父]と呼べたのである。

 またイエズスは「私の父」というだけではなく「私たち(人間)の父」としても神を知らせた。神を指して「あなたがたの父」と言った表現は福音では15回もある。しかも大切なことはイエズス白身が「私の父」という時と同じ意味合いで私たちが神を「父」と呼べることである。イエズスと父との親子の絆はそっくりそのまま私たちにも当てはまる。私たちと父との間にも切っても切れない親子の絆が存在するのである。父と子というこの絆こそイエズスが説き

教えたことの根幹だといってもおかしくない。「父」という言葉を使った頻度からしても、語った教えの内容からしてもそう考えられよう。

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父と子の絆を認め受け入れるならば当然その父の 「子供たち」との関わりが生じてくる。普通子供達は自分たちのことを「〜の子、〜の息子」と言う。私の父がいるから私は「〜の子」であり、私の親がいるから私は「〜の息子」である。「子」も「息子」も「父」と「親」との関わりの中で言われる。両親との関わりがなければ何も言えない。またそれと同特に子供たちは[兄弟]という言葉も使う。おもしろいもので「兄弟」であるということは本人たちの好き嫌い、気が合う、合わないなどはまったく関係ない。同じ親から生まれてきたかどうかだけである。同じ親の子だということだけに基づいて「兄弟」だということが生じてくる。親を親として一亘認めるならば兄弟がどんなに嫌いでも、どんなに憎くても「兄弟」ということは消えはしない。兄弟ということも親との関わりのなかで言われるのである。イエズスが「人は神の子供たち」という時 まさしく神が父であるということに基づいて、『子供たち、兄弟』と言っているのである。神を父と認めるならば人間同士が互いにどうであれ皆兄弟になってしまう。人間同士のいざこざや争いなどは完全に空中分解してしまうのである。父と子の絆が否応なしに子供たちの間の絆になる、ここにイエズスの教えの凄さがあると思う。好き嫌いといった人間の感情、有益無益といった人間の打算など、この絆は全く受け付けないのだ。

 イエズスが語った「放蕩息子の話」などはその最たるものだろう。登場する父親と二人の息子の会話を注意深く読んで見ると上記のことがよく理解できる。物語の中の父親はもちろん神自身を指す。息子たちは人間。父親はいなくなった息子の帰りを切に願っている。息子を見つけ先に走り寄って行ったのは父親である。息子が父親を見つけたのではない。しかも父親はそくざに我が子として受け入れている。どうしてこういうことをしたのかとその理由を聞くわけでもない。こんこんと説教するわけでもない。息子のおわびのことばさえも途中でさえぎっている。喜びのあまり祝宴まで開く。「この子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった。」このことばは二度もくりかえされている。親の子に対する切ない思いがひしひしと伝わってくる。ここに我が子への親の愚かしい程の愛が親子の絆が明確に語られていないだろうか。この物語の父親の姿こそが父である神の姿を、神の人間への愛を、その絆を雄弁に語っていると言えよう。

 このような親をもち、親子の絆の下にその愛を注がれている息子たちは当然兄弟としてふるまうはずである。親子の絆の有り難さを悟ったならば喜んで兄弟としてふるまうはずである。しかし息子たちは時にわがままになる。物語の中で兄が一度も「弟」ということばを使っていないのは興味深い。「お父さんのあの息子」と言って弟を認めようとしない。逆に父親は「私の息子」と言わずわざわざ「お前の弟」と言う。父親にとっては二人とも我が子であり、二人は兄弟である。行いの善し悪しはあれ、父の子であることも、兄弟であることも何ら変わらない兄はこのことに気付かない。親子の絆、兄弟の絆は何ものによっても切れないのだ。兄が弟を認めないということは、よく考えてみると兄自身の立場をも損なってしまう。弟を否定すればそれは必然的に父を否定することになる。父を否定すれば当然自分自身を否定することになる。兄も父とともに喜んで弟を迎えるべきだったのだ。親子の絆、兄弟の絆の妙味を兄は理解できなかったのだ。

 イエズスの愛の教えもこの絆の線上にある。イエズスが「敵をも愛せよ」と教えている箇所を読むだけでもそれがよく分かる。「『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられたのを、あなたがたは聞いている。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、あなたがたを迫害する者のために折りなさい。それは、あなたがたが天におられる父の子であることを示すためである。天の父は、悪人の上にも善人の上にも太陽を上らせ、また、正しい者の上にも正しくない者の上にも雨を降らせてくださるからである。](マタイ54345)。「わかしは、耳を傾けているあなたがたに言う。敵を愛し、あなたがたを憎む者に善を行いなさい。(中略)そうすれば、あなたがたの報いは大きく、あなたがたは、いと高き者の子らとなるであろう。いと高き者は、恩を知らない者にも悪い人にも、情け深いかただからである。あなたがたの父が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となりなさい。」(ルカ6・2736)イエズスは「掟だから、教えだから敵を愛せよ」と言わずに、天におられる父の子だから、いと高き者の子らとなるためにと語っている。敵をも愛する本当の理由は神の子だから、兄弟

だからである。父と子の絆、兄弟の絆が根拠なのである。父を知り、父の愛を受け、子であることを悟った者はすべての人を兄弟として愛するようになる。そこでは敵は消え、敵さえも兄弟になる。父の愛する者を敵だなどと誰が言えようか。敵、味方の区別は完全に廃止されている。イエズスの語る愛の教えの核心はここらへんにあるのではないだろうか。敵さえも兄弟に、いや最初から敵などいないのだ。

 イエズスの語る「赦し」も同様、父子、兄弟の絆の線上にある。「そのとき、ペトロはイテススに近寄って、『主よ、兄弟がわたくしに対して罪を犯したならば、何回までゆるしたらよいのでしょうか。7回までですか』と尋ねた。イエズスは答えられた。『わたしはあなたに言う。7回どころか、7の70倍までと。(中略)わたしの天の父も、もしあなたたちI人ひとりが、自分の兄弟を心からゆるさないならば、あなたたちに同じようになさるであろう」(マタイ182135)。ペトロは7回もゆるせばそれで充分だろうと考えている。しかしイエズスはそうは考えない、7の70倍(無制限)と言う。この違いはとこにあるのか。ゆるしについての捉え方の違いにあると言えるだろう。ペトロはゆるすことを一種の犠牲、我慢することと考えている。そうであれば当然我慢には限界があり、ゆるしにも限界があることになる、7回までと。イエズスはそうではない。ゆるしは犠性でも我慢でもない。兄弟を得ること、兄弟との交わり、絆を得ることを考えている。だから限界がない。7の70倍までもと言える、ゆるすことによって兄弟との大切な絆を回復でき、兄弟との親しい交わりを取り戻せるから喜んで無限子にゆるせる。被った損害や被害よりも兄弟を失うことの方が大きな痛手なのである。絆を回復させ、兄弟を取り戻せるなら、ゆるしは無限に繰り返されるであろう。イエズスにとっては絆こそ最優先されるべきことなのだ。神は父、私たちはその子供たち、兄第!               

巻頭言 「天国の神」黒島教会主任司祭・中村満

 

640分、ごミサを終え大急ぎで祭服を脱ぐ。教会から司祭館への階段を駆け上がり、カバンを取って車に走る。エンジンをかけ車庫を出る。残り時間あと4分。なりふりかまわず飛ばす。ああ間に合った、残り30秒。ポケットに手を入れ百円玉と十円玉をさがす。急いでポッカの缶コーヒーを買い、走りながら船に乗り込む。「ドアを上げてください」の船長の指令。650分、アンカーを巻き上げ船は港を離れる。荷物を適当なところに置き、甲板に行く。買ったばかりの缶コーヒーを開ける。一口飲む、うまい。今度は胸のポケットからたばこを取り出し火を付ける。まずは一服。うまいなあー。コーヒーとたばこを交互に飲み、吸う。一缶飲む間にタバコを2,3本。そして最後にとどめの一本を吸う。ああ、やっと落ち着いた、朝食終了。やおら船室に入る。船旅50分、目的地の相の浦港到着。これが私の「よそ行きする」時の生活パターンである。

 この数年間でタバコとポッカの缶コーヒーが船上の友となった。タバコだけでは何かものさみしく、飲み物もほしい。いろいろ試したが、ポッカの缶コーヒーが一番合う。桟橋にある自動販売機の前を通ると、いつもポッカのお兄さんがにっこり微笑んでヽおいでおいでをしている。つい百十円入れる。ボタンを押すと、やあと言いながらお兄さんが出てくる。今日も変わらない笑顔、変わらない味。友人としてはもってこいだ。

 自動販売機はすばらしい。誰が発明したかは知らないが実に良いものを作ってくれたものだ。電気を食べさせ、指定の金額を入れると必ず応えてくれる。裏切ることはなく、間違えることもなく、正確に人間の要求に応えてくれる。四六時中同じ場所にいて、人間の指示する通りの役目を果たす。自販機は機械だと知りつつも、ふと本物の神にさえ思える時がある。機械以外の何者でもないと分かっていても、要求にちゃんと応え、必ず返事をしてくれるものには弱い。天の父なる神には申し訳ないが、凡人はつい偽物の神に騙されやすいものだ。

 神様は本当にいるんですかと、これまで何度も問われた。生活の中で出会うさまざまの困難に打ちのめされた時、人間だれもそう問いかける。しかしこの問いには、どこかで本物の神を自動販売機のように思っているふしがあると常々考えている。本物の神を無視して、機械の神を勝手に造り上げている人間の我が見え隠れするのである。お父さんと呼びかけたキリストの言葉の中には自動販売機の要素は何も入っていないはずだ。

 偽物を本物と思う入開のおろかしさをコーヒーと共に味わっている。それにしても、ポッカのお兄さんににっこり微笑まれると、悲しいかな、愚人はすぐ手をポケットに入れ、ボタンを押す。 

特集「宣教聖体大会」長崎大司教区信徒使途職評議会総指導司祭・中村 満

 「時は満ち、神の国は近づいた」、マルコによれば、この世におけるキリストの第一声である。時が来たという宣言は、時の到来の告知と共に時にふさわしい対応を求めるものである。歴史は時の訪れが変動をもたらすことを記している。

 使徒的書簡「紀元2000年の到来」(1994年)の中で「大聖年」の宣言がなされ、反省と回心、祈りと学びによって大聖年を準備していくよう呼びかけられた。大聖年に向けての教区の具体的な取組が始まったのは、1998年からである。大聖年を迎えるに当たって、教区長は全員参加型の大聖年をつくり上げていこうと教区報を通して呼びかけられ、「真に宣教する長崎教区」を新しい世紀のビジョンとして提示された。この展望の下、紙面を通して教区民へのアイデア募集の一石を投じられた。

 寄せられた波紋は種々であった(詳しくは『大聖年資料集』参照…大聖年長崎教区実行委員会・信仰教育部発行)が、提案の多くは宣教と聖体に関するものであった。両者に焦点が合っていたことは提案の共通した視点であった。視線がそこに向かうということは、その背後には提案者の現状が反映されていると言える。

 
 

 宣教する教区と全員参加という大聖年の教区の理念、宣教と聖体という教区民の視点、これらの具体化として宣教聖体犬会が提案され、大聖年実行委員会の中に宣教聖体大会部が設けられた。大会部は宣教と聖体の融合を目的として大会を開くよう企画し、また全員参加型の大聖年にするためにも、大聖年の主行事の一つとして、各地区でも開催することとした。宣教と聖体というキーワードは新世紀のいわば指針となるものであろう。宣教と聖体を結び付けた大会はこれまで開催されたことはなかったし、宣教は聖体に生かされ、聖体は宣教に向かい、両者の循環によって宣教する教区へと変貌することができると言えるだろう。

 各地区の宣教聖体大会は、上五島、平戸、長崎の3地区は625目の聖体の生日に、佐世保地区は815日の被昇天の祭日に、下五島地区は1022日の世界宣教の日に開催された。犬会内容は大会ミサを中心としたものであったが宣教と聖体を支点として、講演、アニメ、聖体行列など各地区独自の企画もあり、大聖年にふさわしい大会であったと言える。上下五島地区は約4000人、平戸地区は約1500人、佐世保地区は約1000人が大会に参加したことになる。長崎地区は、約3500人の参加があり、延べ、約10000人が犬会に参加したことになる。会場の都合もあったであろうが、地区によっては相当の割合で参加したことになる。また、大会の準備、実施のため多くの方々の参画、協力があったことも見逃せない。

 大会参加者数をどう見るかは意見の分かれるところであるが、全員参加型の大聖年にという当初の目的には沿うものであったと言えよう。また、同大会の教区内全体での開催は、宣教に向かう教区全体の動きに寄与したと言えよう。ただ、大会の趣旨、ねらいが教区内に浸透したのかと問われれば、答えは否定的である。また、大会参加の呼びかけ、動きが積極的であったのかと問われれ

ば、地区によっては消極的であったと言わざるを得ない。

 総じて、宣教聖体大会部の準備、力量不足の故であったのは当然であり、大会を一過性のものにしないためにも、不備を検証し、今後に生かさなければならない。

主日のミサ参加者調査

 宣教する教区への変貌は一朝一タにできるものでないことは当然であるが、宣教する教区を目指すための起点にならないだろうかと提案されたのが主日のミサ参加者調査である。宣教する教区となるためには宣教する小教区とならなければならない。ミサ参加者の調査によって小教区の現状、教区の現状が浮かび上がって来るだろうし、また、具体的に調査することによって現状を踏まえ

た論議ができ、宣教への意識の高揚にもつながる。そしてこれを契機にして、宣教について小教区で具体的に取り組む何かの動きが生じるようにならないだろうかということで参加者の調査が実施されることとなった。

 実務は教区信徒使徒職評議会にお願いし、主任司祭、評議員の協力を得て調査された。調査結果の報告は教区全体に関しては「よきおとずれ」20008月号に掲載されている。

 地区別の結果は随時「よきおとずれ」に掲載して頂く予定である。参加者数のほか、問題点、提言等のアンケートも寄せて頂いたが、その資料、簡単な分析は、すでに主任司祭、評議員には郵送済みである。

 因みに、調査日(3日間)に限ってであるが、教区全体のミサ参加者の一日平均人数は18982人である。年齢別で見ると小人〈15歳まで〉が3965人、青年男女(30歳まで)が1824人、大人(31歳以上)の男女が13193人である。これを各小数区回答の在往者を基準にして算出すると、教区全体のミサ参加率は389%である。年齢別に見ると小人の男女平均で508%、青年男女の平均で190%、大人の男女平均で424%である。

 地区別のミサ参加率は、長崎地区が319%、佐世保地区が451%、平戸地区が555‰、上五島地区が508%、下五島地区が614%となっている。

 日曜日のミサ参加率が教区平均で389%(一部小教区未調査)であるということをどう判断するかは大いに議論されるべきであろう。調査月は5月、調査日もわずか3日曜日であったし、教区全体を完全に把握しているとも言いがたい。調査資料としては完全なものではないと言える。しかし、少なくともこのような資料はこれまで手にしていなかったのも事実である。

 現状を踏まえた上で、宣教する小教区、教区となるためにどうすべきかを論ずる重要な参考資料となるものであろう。この調査を単なる調査で終わらせないためにも今後の取組に大いに生かしてもらいたいものだ。

 「わたしの父は今もなお働いておられる。わたしも働く」(ヨハ517)。

 今も生きて、救いの業を行われているキリストとの真の出会いをもたらすために、一人ひとりがキリストと共に働くことができれば実りは大きいだろう。



  
   
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