野原 清師

 
 

キリスト教的完徳とは何か

キリスト教的完徳とは、恩恵によって神の生命と聖性とに参与することである。ここでの課題は、完徳の構成的要素についてである。

一 完徳のおもな本質的要素

1 完徳のおもな本質的要素は愛である

この意味は、完徳だけにあるというのではない。それは愛が完徳のおもな、本質的要素、完徳のいっそうすぐれた要素、完徳を構成するために必要な他のすべての要素の源泉のようなものであるということである。信、望、愛の三つの対神徳のうちで、愛徳はもっともすぐれたものである。ところで、愛徳の対象はふたつある。第一の対象は神であり、第二の対象は神のために、神において愛する隣人である。神への愛と隣人への愛とのこの深い関係について、聖ヨハネは次のように言っている。「私は神を愛するといいながら兄弟を憎む者は、いつわり者である。目で見ている兄弟を愛さない者には、見えない神を愛することができない。神を愛する者は、自分の兄弟も愛せよ。これはわれわれが神から受けた掟である」(一ヨハネ4.20-21)。「イエズスがキリストであることを信じる人は、神から生まれた者である。生んでくださった神を愛する人は、また神から生まれた者をも愛する。神を愛してその掟を行なえば、それによって、私たちが神の子らを愛していることがわかる」(一ヨハネ5.1-2)。

霊的生活において、愛がいちばん大切であることは、聖書と聖伝によって明らかである。すなわち、神の啓示は、キリスト教的生活における愛の首位性を示している。第二バチカン公会議も教会憲章の中で言っている。「どのような身分と地位にあっても、すべてのキリスト信者が、キリスト教的生活の完成と完全な愛に至るように召されていることは、だれの目にも明らかである」

 

 

キリスト教的完徳とは何か

キリスト教的完徳とは、恩恵によって神の生命と聖性とに参与することである。ここでの課題は、完徳の構成的要素についてである。

一 完徳のおもな本質的要素

1 完徳のおもな本質的要素は愛である

この意味は、完徳だけにあるというのではない。それは愛が完徳のおもな、本質的要素、完徳のいっそうすぐれた要素、完徳を構成するために必要な他のすべての要素の源泉のようなものであるということである。信、望、愛の三つの対神徳のうちで、愛徳はもっともすぐれたものである。ところで、愛徳の対象はふたつある。第一の対象は神であり、第二の対象は神のために、神において愛する隣人である。神への愛と隣人への愛とのこの深い関係について、聖ヨハネは次のように言っている。「私は神を愛するといいながら兄弟を憎む者は、いつわり者である。目で見ている兄弟を愛さない者には、見えない神を愛することができない。神を愛する者は、自分の兄弟も愛せよ。これはわれわれが神から受けた掟である」(一ヨハネ4.20-21)。「イエズスがキリストであることを信じる人は、神から生まれた者である。生んでくださった神を愛する人は、また神から生まれた者をも愛する。神を愛してその掟を行なえば、それによって、私たちが神の子らを愛していることがわかる」(一ヨハネ5.1-2)。

霊的生活において、愛がいちばん大切であることは、聖書と聖伝によって明らかである。すなわち、神の啓示は、キリスト教的生活における愛の首位性を示している。第二バチカン公会議も教会憲章の中で言っている。「どのような身分と地位にあっても、すべてのキリスト信者が、キリスト教的生活の完成と完全な愛に至るように召されていることは、だれの目にも明らかである」

 

4.キリスト信者の聖性

キリスト信者の聖性は、ただ外的なものだけでも。精神的なものでだけでもない。それは神の聖性への真の、実際的参与である。洗礼のとき、三位一体の神は、成聖の恩恵によってキリスト信者の霊魂を義化し、そこにお住まいになる。「私を愛する人は、私の言葉を守る。また父もその人を愛される。そして、私たちはその人のところにいって、そこに住む」(ヨハネ14.23)。この義化によって、キリスト信者は神格化され、新しい人、すなわち、神の子となるのである。「かんがえよ、私たちは神の子と称されるほど、おん父から、はかりがたい愛を与えられた。私たちは神の子である」(ヨハネ3.1)。このように、聖化は神の無しょうのたまものであり、成聖の恩恵による人間の内的再生である。」

 

キリスト信者の真の聖性は、暮らしの中に生きた信仰生活のうちに、具体的にあらわされなければならない。「そこで私は、主においてあなたたちにせつに望んで言う。その心のむなしさにしたがう異邦人のように生活するな。かれらは、知恵がくらみ、そのもっている無知と心のかたくなさによって、神のいのちをはなれたものとなった。かれらの道徳観はうすれ、すべてのけがれと情欲を行なって淫乱の生活にふけった。しかしあなたたちは、キリストからそんなことをならったのではない。あなたたちがこれに聞き、イエズスにある真理に従って、かれにおいて教えられたのなら、人をあざむく欲にくさった、前の生活の古い人を脱ぎすて、霊的な思いによって自分を新たにし、正義とまことの聖徳において、神にかたどってつくられた新しい人を着なければならない」(エフェソ4.17-24)。

 

それゆえ、洗礼によって神に奉献され、新しい生命に保証されたキリスト信者たちは、聖徒と呼ばれる。聖徒という言葉は、初代教会の共同体において、キリスト信者たちをあらわすものとして使われていた。最初、パレスチナの教会に始まり、あとでは、聖パウロがその手紙のはじめに書いているように、すべての教会で用いられた。「神のみ旨によるイエズス・キリストの使徒パウロと兄弟ティモテオより、コリントにある神の教会、ならびに、全アカヤのすべての聖徒に手紙をおくる。私たちの父なる神と、主イエズス・キリストから、あなたたちに、恩恵と平和がくださるように」(二コリント1.1-2)。
 
 
 

4.キリスト信者の聖性

キリスト信者の聖性は、ただ外的なものだけでも。精神的なものでだけでもない。それは神の聖性への真の、実際的参与である。洗礼のとき、三位一体の神は、成聖の恩恵によってキリスト信者の霊魂を義化し、そこにお住まいになる。「私を愛する人は、私の言葉を守る。また父もその人を愛される。そして、私たちはその人のところにいって、そこに住む」(ヨハネ14.23)。この義化によって、キリスト信者は神格化され、新しい人、すなわち、神の子となるのである。「かんがえよ、私たちは神の子と称されるほど、おん父から、はかりがたい愛を与えられた。私たちは神の子である」(ヨハネ3.1)。このように、聖化は神の無しょうのたまものであり、成聖の恩恵による人間の内的再生である。」

 

キリスト信者の真の聖性は、暮らしの中に生きた信仰生活のうちに、具体的にあらわされなければならない。「そこで私は、主においてあなたたちにせつに望んで言う。その心のむなしさにしたがう異邦人のように生活するな。かれらは、知恵がくらみ、そのもっている無知と心のかたくなさによって、神のいのちをはなれたものとなった。かれらの道徳観はうすれ、すべてのけがれと情欲を行なって淫乱の生活にふけった。しかしあなたたちは、キリストからそんなことをならったのではない。あなたたちがこれに聞き、イエズスにある真理に従って、かれにおいて教えられたのなら、人をあざむく欲にくさった、前の生活の古い人を脱ぎすて、霊的な思いによって自分を新たにし、正義とまことの聖徳において、神にかたどってつくられた新しい人を着なければならない」(エフェソ4.17-24)。

 

それゆえ、洗礼によって神に奉献され、新しい生命に保証されたキリスト信者たちは、聖徒と呼ばれる。聖徒という言葉は、初代教会の共同体において、キリスト信者たちをあらわすものとして使われていた。最初、パレスチナの教会に始まり、あとでは、聖パウロがその手紙のはじめに書いているように、すべての教会で用いられた。「神のみ旨によるイエズス・キリストの使徒パウロと兄弟ティモテオより、コリントにある神の教会、ならびに、全アカヤのすべての聖徒に手紙をおくる。私たちの父なる神と、主イエズス・キリストから、あなたたちに、恩恵と平和がくださるように」(二コリント1.1-2)。

 
 

神との一致

聖 体

聖体は神とのわれわれの秘跡的一致の源泉である。洗礼によって、キリスト信者の霊魂は、キリストの受難と死(浄化による古い人の死)の神秘に参与するだけでなく、キリストの復活と生命(浄化による新しい人のへの復活)の神秘にも参与する。キリストにおける新しい生命の神秘へのこの参与こそ、キリスト教的聖性の完全な実現がある。さて、神との一致は、秘跡的方法と秘跡外の方法によって行なわれる。秘跡的方法は、聖体拝領によって行なわれる。秘跡外の方法は、信、望、愛の対神徳の実践、特に神への愛と兄弟たちへの愛によって行なわれる。

1.霊的生活の中心である聖体拝領

聖体は霊的生活の完成であり、目的である。聖トマスはそれについて言っている。「洗礼が秘跡の門であり、われわれの中に、永遠の生命の芽を生ぜしめるがごとく、聖体は永遠の生命を完成させる。それは、聖体が他の秘跡の目的であるからである」。実際、聖体は他の秘跡の目的であり、他の秘跡を受けるのは、聖体拝領のためである。聖体拝領は成聖の恩恵や他の秘跡的恩恵に、非常に大きな力を与える。なぜなら、聖体拝領は神との直接的な一致を実現するからである。すなわち、あらゆる善の与え主である神と、直接に一致することによって、霊的生活は非常に大きな力を受けるからである。「聖体の秘跡によって恩恵は増大し、霊的生活は完成する。なぜなら、人間は神との一致によって完成するからである。」

 

聖体の秘跡は愛を非常に増大させる。なぜなら、聖体は愛の秘跡だからである。聖トマスはそれについて言っている。「聖体の秘跡によって、愛による人間のキリストへの変容が起こる」。特に、聖体の秘跡は助力の恩恵を強める。そして、それによって愛はいっそう生き生きとなり、他の徳も強く実践されるようになる。この愛の実践は聖体の秘跡のいちじるしい効果である。愛の実践は小罪と罪の有限の罰とをゆるし、情欲をおさえ、将来の罪を防ぐものである。この意味で、聖体の秘跡の恩恵は、秘跡外での神との一致の生活の源泉である。聖体の秘跡は、完徳と聖性への霊的歩みのすべての段階を通じて、霊魂の進歩の源泉である。徳、特に愛徳を深め、強めることは、聖体の秘跡の固有の効果である。こうして、聖体の秘跡は、その働きに従順な者に、神秘的経験の広い、深い分野を開くものである。

 
 

兄弟愛と使徒職

霊的生活は、特に祈りにおける神との親密で、完全な一致に向かう神愛のダイナミズムだけによって構成されるものではない。さらに、兄弟愛によって、キリストにおける兄弟たちとの一致に向かっていくものである。実際、神への愛は、第一に神との友情の愛、好意の愛であり、第二に、神のために、神においてなされる兄弟たちへの愛である。すなわち、神への愛は、キリストにおいて兄弟である隣人をも愛させるものである。

 

さて、この兄弟愛は、肉体的、精神的あわれみのわざである善業によって表わされる。この善業は、種々の形式の使徒職を構成し、それは真のキリスト教的愛の証明である。第二バチカン公会議は、使徒職に関する教会の中で、使徒職がなんであるかを説明して、次のように言っている。「父なる神の栄光のために、キリストの王国を全地に広めて、すべての人をあがないによる救いにあずからせ、その人びとをとおして全世界を実際にキリストへと秩序づけるために、教会が立てられたのである。

 

この目的に向けられた神秘体の活動は、すべて『使徒職』と呼ばれるのであって、教会はこの使徒職を全構成員を通じて、それぞれ異なった方法によって実行する。事実、キリスト信者としての召し出しは、その本性上、使徒職への召し出しである。

 

生きたからだの組織において、どの部分もただ単に受動的にあるのではなく、むしろからだの生命と活動に参与しているように、キリストのからだ、すなわち教会においても、全体は『おのおのの部分に応じる働きによって成長する』(エフェソ4.16)。しかも、からだの各部分の結合と相互の関係は密接であって、その能力に応じて教会の発展に寄与しない構成員は、教会にとっても、また自分自身にとっても、無益な構成員と言わなければならない。

 

教会の中には、種々の役職があるが、使命はひとつである。使徒とその後継者は、王の名によって教え、聖化し、治める任務をキリストから受けた。しかし、キリストの祭司職、予言職、王職にあずかる者となった信徒もまた、教会と世間において、神の民全体の使命における自分の役割を果たすのである。

 

信徒は福音の宣布や人びとの聖化に尽くすとき、また福音の精神を世間に浸透させ、その秩序を完成するよう働くとき、使徒職を行なう。こうして、その働きはキリストの明らかなあかしとなり、人びととの救いに奉仕するものとなる。この世の中に住み、世俗の仕事にたずさわるのが、信徒の固有の身分であるから、かれらはキリスト教的精神に燃えて、パン種としてこの世において、使徒職を果たすように神から召されている」。それゆえ、使徒職には、位階的使徒職と信徒使徒職とがあることがわかる。

 
 

二 信徒使徒職

以前、使徒職とは、司祭や修道者やカトリック・アクションの団体に属する人たちだけが行なうもの、と考えられがちであった。しかし、信徒使徒職は、洗礼を受けたすべてのキリスト信者がそれを行なう権利をもち、その使徒職を行なう義務は、信者一人ひとりに課せられているのである。老人も、青年も、男も女も、身分、職業、教養、環境のいかんを問わず、すべてのキリスト信者は、洗礼をうけたその瞬間から、神によって使徒、すなわち宣教者となるように召されている。したがって、キリスト信者であることと使徒職とは、いわば同じものである。洗礼によって、キリストをかしらとする有機体の肢体となったキリスト信者は、イエズス・キリストの手や足となって、教会の発展のために働かなければならない義務と責任とをもつものである。

 

ローマで勉強していたある年の夏、私は西ドイツのニュールンベルグという町に行ったことがある。この町は、第二次世界大戦のとき、連合軍からものすごい爆撃をうけ、壊滅的打撃をうけたところである。また、戦後ドイツの戦犯の裁判があったところとしても有名である。しかし、今ではすっかり復興し、おもちゃや化学薬品の町として生まれかわっている。このニュールンベルグの町の教会を見て回っていたとき、ある教会の中に、両手のない古い大きなキリストのご像が立っているのを見つけた。その台石には、「キリストは両手をもっていない。しかし、キリストはわれわれの手をもっている」と書かれてあった。私は不審に思い、そのいわれを案内の神父に尋ねると次のような話をしてくれた。

 

 

「戦後、この町の信者たちは、爆弾でめちゃめちゃにこわれた教会を建てなおそうとして、教会の壁や瓦やガラスの破片などをかたづけていました。すると下のほうから、キリストのご像が見えてきました。急いで掘り起こしてみると、両手はむざんにももぎとられていました。

やがて、新しい教会ができあがったとき、キリストのご像をどうするかということが問題になりました、ある人は『新しいご像を造って立てたほうがよい』と言い、他の人は、『折れた両手を修理して立てたほうがよい』と言いました。いろいろと議論しましたが、最後にきまったのは、両手のないままご像を立てるということでした。そして、その台石に『キリストは両手をもっていない。しかし、キリストはわれわれの手をもっている』ときざみつけたのです」。

この話のように、信徒使徒職とは、われわれがキリストの手となり足となって働くことである。もっとはっきり言えば、われわれがそれぞれ属する教会の主任司祭を中心として、キリストの手や足となって、福音の宣布と人びととの聖化、キリストの精神によるこの世の秩序の刷新のため働くことである。

 

第二バチカン公会議は言っている。「信徒は使徒職を行なう権利と義務を、かしらであるキリストとの一致から得ている。信徒は洗礼によってキリストの神秘体の一部分となり、堅信によって聖霊の力に強められ、主自身から使徒職へ任命される。信徒が王的祭司職および聖なる民として聖別されているのは、すべての行動を霊的な供え物としてささげ、いたるところにおいてキリストにあかしを立てるためである。

 

諸秘跡、特に、特に至聖なる聖体によって、全使徒職の魂ともいうべき愛が授けられ、養われる。使徒職は、聖霊が教会の全構成員の心に注ぐ信仰、希望、愛において実行される。特に主の最大の命令である愛のおきてによって、すべてのキリスト信者は、神の国を広めて、神の栄光を増し、唯一のまことの神と、神が派遣したイエズス・キリストを知らせて、万人に永遠の生命を得させるように努力しなければならない。したがって、いたるところにおいて、神の救いの知らせがすべての人によって知られ、受け入れられるように尽くすべきすぐれた役割が、キリスト信者に課せられている。」

 
 
 
 

1962年(昭和37年)49

お告げの聖母カテキスタ学院

「お告げの聖母カテキスタ学院」開設。

場 所:南山手町5ノ3 大浦天主堂の上

当時の聖碑姉妹会の指導司祭野原清師によって開設。

目 的:長崎教区各地で働くカテキスタを養成する。教区内に呼びかけたが、入学したのは土井の浦出身1名だけで、他はお告げのマリア会の会員(聖碑姉妹会)たちであった。

運 営:西ドイツの「外国布教援助会」からの寄付金で、カテキスタ学院の運営費(宿泊・食事など)はすべてまかなわれた。

講 師:野原 清師   修徳神秘神学・秘跡論

松永久次郎司教 教理神学・聖書

 
 

木鉢教会

〜新聖堂祝別〜

去る531日(ご昇天)、午前10時、木鉢教会(長崎市小瀬戸町、主任・野原清師)は、里脇枢機卿を迎えて新聖堂の祝別献堂式典を行った。まず、新聖堂の祝別から始まり、里脇枢機卿及び多数の司祭による共同ミサで式典に入り、祝賀会と続いた。

建設経過

木鉢教会の旧聖堂(木造)は、昭和136月に建築されたが、原爆によって倒壊寸前の被害を受け、修復工事を行った。なお年代の経過にともない、補修に補修を重ねて来た。しかし、特に屋根のいたみがひどく、最初屋根だけの補修を思い立ったが、細部にわたって調査した結果、その他の部分もいたみがひどいことがわかった。度々補修を繰り返すよりも、思い切って百年ももつような聖堂を建てることができないものかという声もしだいに聞かれるようになった。再三の信徒総会が開かれ、昨年4月信徒一戸当たり負担額62万円を供出金として新聖堂を建てることが決定された。そこで、設計監理を青山建築設計事務所に、工事施工を今井相互建設に祭壇と石造り部門を高木石材に願って、昭和5510月から旧聖堂の解体を始めて建築に取りかかり、今日の完成を見るに至ったのである。

建物の概要

新聖堂の主要構造は鉄筋コンクリート造りで、面積は454.87平方メートル、塔屋の高さは16メートル、工事費は8500万円である。

トップ・ライトの屋根からそそがれる光線で明るく、調和した色彩の聖堂の中に、大理石の祭壇がひときわ光っている。正面の塔屋には、銀色の十字架が輝き、白の外壁は木鉢の緑の丘に映えて、長崎の港口にそびえたっている姿は、行き来する船人の目をひいている。

 
 

トマス・アクィナス

野原 清神父帰天

トマス・アクィナス野原清神父(木鉢教会主任)が、去る1月1日朝、司祭館で急逝された。60歳。

故野原神父は、この数年とくに体調がすぐれず、危篤状態になったこともあったが、帰天直前の昨年暮れごろは、通常の司牧生活をしておられたそうで、危険な状態にあるという風でもなかったようである。それだけに同師の帰天のニュースは、小教区の信者をはじめ人びとに大きな衝撃と驚きを与えた。

霊性神学を専門とし、人一倍信心の面で熱心だったその信仰と、まじめで普段の絶えまない努力の生活は、だれもが認めるところであった。

また小教区だけでなく、お告げのマリア修道会の指導司祭や、福岡聖スルピス大神学院で教授として働かれたこともあり、その他、教区レベルの仕事においても協力を惜しまれなかった。

同師の手になる著書や訳書もあり、師の勉強好きな一面を表している(本紙4面下段参照)。

葬儀は12日、午後2時より木鉢教会で松永司教司式により行われた。正月2日であったが、司祭約60人のほか、約300人が故野原師との別れを惜しみ、一人ひとり花をささげて同師の永遠の安息を祈った。

この後、遺体は赤城聖職者墓地まで運ばれ、教区司祭団の手により葬られた。

略歴

192395日、福江市久賀町に生まれる。

1950629日、大浦天主堂にて司祭叙階。

19507月、川棚教会助任、同年9月、福江教会助任、同年11月、生月教会助任。

195411月、お告げのマリア修道会指導司祭。

196410月より19676月までローマへ留学。

19679月、田平教会主任。

19724月、福岡聖スルピス大神学院教授。

1976年、木鉢教会主任。

198411日、木鉢教会司祭館にて帰天。

198412日午後2時、木鉢教会にて教区葬。赤城聖職者墓地にて埋葬。

 
 

故野原神父を偲んで

トマス・アクィナス野原神父様が、新年早々に帰天されました。

元日の朝、ごミサ後、教会の新年会を始めたばかりの時に、その時に接し大きなショックを受けました。

今にして思えば、神父様は私に「死にそうだった」ということを幾度か話してくれたことがありましたが、それが現実になろうとは。

私達20名の同期生は、昭和114月、東山手の丘にあった当時の小神学校に入学したのでした。

昭和11年といえば、2.26事件が起きた年であったのです。世はまさに激動期に入ろうとしていたのです。戦争へ戦争へと突き進んでいた時代だったのです。

神父様は、五島の久賀島より出て来られ、素朴で、柔和な人でありながら、強い精神力を秘められていました。

その頃の彼に、私が最も感じていたのは、子ども用の和服を着ながら、上手に、かつ熱心に、スポーツに励んでおられたことでした。子どもの私には、それがとてもすばらしく印象づけられていました。

“祈る人”としては、ごく自然に、生まれながらにして身についた本当に祈る人としての感が深かった。また勉学については、与えられた課題と、まじめに素直に全精神を傾けて努力される姿が、常にみられました。いわゆる神学校で教えられる「よく祈り、よく学び、よく遊ぶ」典型的な人であったのです。

その後日本は、大東亜戦争に突入し、彼もフィリピンでの激戦に参加し、ほとんどの戦友が戦死した中にあって、彼は奇跡的に生還しました。そのことについて彼は、しばしば感慨深そうに話していました。神の特別の摂理として、生来のファイトにさらにファイトが加わって、それは相当なものでした。

ローマ留学では、特に霊性について勉強されたようですが、そのためにか、女子修道会から霊的指導を依頼されることが多かったようです。そうして与えられた宝を、充分に活かしていたようでした。

ある日、私が彼を訪れたとき、今日の教会では活動が、特に若人の活動が必要だという私に対して、彼は、霊性がより必要だと強調していました。

一般に情熱というと、外面的な活動を思わせるのですが、彼の場合、それは多分に内面的なものでありました。それだけに精神的な強さを感じさせる人でした。

人びとの前に自分というものを、よりよく見せたいとあせる世の中にあって、ただ真実だけを追うことで満足していた彼は、実に世の光であり、真に貴重な存在でありました。

彼の死は惜しみ切れない。

主よ私達の安息を彼に与え給え。

(西木場・原塚神父)

   
   
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