母と子 中山利喜太郎
昭和45年(1970)5月1日
1、母だから 或る日のことであった。ナポレオン大帝がお付武官を引き具して、散策を楽しみながら橋のたもとに差し掛かった。折しも橋の向側では物乞いの女が子供連れで同じ橋を渡ろうとしていた。お付の者はいやに緊張した。だがナポレオンは極めて穏やかな表情で物乞いの女に目配せして、まず橋を渡るようにと差し招いた。女は応じた。武官たちの心は穏やかではない。ややあって皇帝に尋ねた。「皇帝陛下でいらっしゃるお方が、ただの物乞いに道をお譲りになるとは?」ナポレオンは
即座に答えた。「彼女は母だからね!」ナポレオンは母を慕った皇帝として有名である。
皇帝の母レチシアは名もない家庭に成長して、ボナパルト言う18歳の青年に嫁いだ。夫が他界した時、レチシアは32歳、すでに13人の子女を抱えていた。夫の遺産は数匹の羊と牛と僅かなブドウ畑だけだった。このような頼りない身でありながら艱難辛苦して女の手一つで13人の子供を養育し、数年後には一足飛びに天下の第1位にのぼった。その子供の中ナポレオンはフランスの皇帝となり、他の3人の兄弟も列国の皇帝となり、4人の娘は皆侯爵夫人となった。ナポレオンは常に母に対する
畏敬と慕情の念に燃え、母である女は誰でも崇め尊びたい心に満たされていたという。
2、子の道 母がいたからこそ私たちには生命が伝えられた。私の母がいなかったらこの私は存在しなかったであろうと思うと、存在の神秘は母を巡って、果てしない床しさを醸し出してくる。 さて、母ほどの母であっても子供の安産を祈ると言われる。之は弱い人間が強力なものに頼って子供を守ろうとする心情に由来している。裏を返せば人間は生まれ出る前から神聖なものに託される運命を持っていたともいえる。子供は誕生以前に[神]に奉献される幸せを恵まれたことになる。母は生まれた子供の養育と教育を始める。
養育の面で母は子供を餓えと渇きと病気と痛みから守る。昼も夜も子供の体の敵に対して戦うのである。幾度かの徹夜もあったであろう。その結果、私達は母親に対して永遠の負債を負うことになる。アメリカの社会学者が言うとおり、子供の生後2ヶ年間にわたって、母が果たし終えた仕事に対しては、その子は一生かかってもご恩返しは出来ない。時間的には可能であろうが、心理的には不可能と言うのである。教育は子供がアダムの子孫として原罪をもって生まれてきているために必要である。子供の瞳は見た目には失った楽園を思い出させるほど澄み切って魅力あるものであるが、それでも奥を探れば罪悪の濁りを秘めている。
子供の精神は生まれながら錆びついているから、叩き直さなければならない。その最初の教育を母がやり出すのである。私たちの精神は無知の暗黒に取り残されることが出来たのに、その精神の暗闇に灯をともしてくれた人がいた。母である。「母!私が胸の上に憩ったあの母!あの母の乳房に縋りながら私はイエズスのあの優しくもうましいみ名を吸い取った!」とはアフリカの聖なる哲学者の言葉である。私たちの良心も母によって守られた。母から「それはいけない」と一こと言われれば、私たちの良心は打ち震えていたではなかったか。私たちの唇は、人と物語る道を母から教えられたと同様、神と物語る道もまた母から教えられた。
母の愛は子供へ伸びてゆく、自己の延長である子供への愛は、報酬を願わず、死よりも強く、寛大で、半ば全能力的なものとなり、慈悲に溢れ万事を見抜く性質を伴っている。子供の心理生活が目覚めだすと、子供は自分の母は自分の為だけであるという経験を持つようになる。「母と世界を天秤にかけると母が重い」と言う心理体験は子供だけの体験である。
子供は成長するにつれて、なぜ母がそのようなものであるかが分り、この本能と理性から孝愛と言う名称のもとに締めくくられるある種の感情が生まれてくる。従属、尊敬、従順、率直、愛情、信頼、感謝、模倣などの芽生えがそれである。人間は生涯において孝愛よりも強烈な感情を戴くことがあるのであろうが、しかし孝愛ほど純で利害関係を離れ、永続的で平和に満ちた高尚な感情は持ち得ないであろう。真の愛はすべて神から生まれると言われるが、母性愛と孝愛ぐらいその起原において神から生まれたという性質を持つ愛はない。
3、五月の聖母 バチカン公会議はマリアを「神の母」、「キリストの母」として又「人々特に信者の母」として崇めることを人々に勧めている。(教会憲章54)「教会が許可した神の母に対する信心の種々の形式は、母がたたえられることによって、子キリストが正しく知られ、愛されるようにするためである。」(同上66)従って、マリアへの信心はただマリアに留まる信心ではない。常にキリスト中心の信心でなければならない。五月の聖母月中、「聖霊の教えの下に最も愛すべき母として孝愛の心をもってマリアを慕う」(同上53)のは疑いなく公会議の時からマリアに対する神の民の崇敬は素晴らしい発展を遂げ、尊敬と愛と祈りと模倣となって表れるようになった(同上66)ことはまことに喜ばしい限りである。万事が花やかに進歩する時代に聖母信心のみを後世へ取り残すことになれば残念である。
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