迫害と殉教

 
 
 

殉教者

殉教者を意味するギリシャ語は、語源的にいえば、歴史・法律・宗教のいずれの分野を問わず、証人を意味する。しかし、キリスト教の伝統の中で確立された用法に従えば、もっぱら血による証(あかし)を立てたものだけをさす言葉である。

このような用法は、既に新約聖書のなかでも実証することができる。つまり殉教者とは、正確にいえば、イエス・キリストを忠実に証明するために命をささげた者の謂(いい)である。1.イエス・キリスト イエス自身、殉教者の名を受けるにもっともふさわしい神の証人である。

 

したがって、殉教者の典型といえる。彼は、自発的に自らをいけにえとしてささげることにより、父からゆだねられた使命を忠実に果たしたことを最高度に証する。ヨハネによるとイエスは、自分の死を前もって知っていただけでなく、父に完全な栄光を帰するために自由にそれを受諾し刑の宣告にあたっては、「わたしは真理について証をするために生まれ、そのためにこの世に来た」と宣言している。

 

ルカは、イエスの受難のなかに、以後殉教者の基準となるべき特徴を浮き彫りにする。それはイエスが、死の苦しみのさなかにありながらも神の恵みに慰められ力づけられていたこと、告訴や侮辱を受けながらも沈黙し忍従したこと、ピラトもヘロデもその身に罪を認めえなかったこと、自分自身の苦しみを忘れてかえりみなかったこと、悔い改めた盗賊を迎え入れ、ペトロや迫害者さえも赦したことなどの諸点である。

 

さらにふかく探れば、新約聖書はその全体を通じて、イエスが第二イザヤ書に告知されている苦難の僕であることを教えている。この観点からながめると、彼の受難は使命遂行のための必須条件であったと考えられる。ヤーウェの僕が「多くの人が正しい者とされるために」苦しんで死ぬことになっていたように、イエスは「多くの人の身代金として」自分の命をささげなければならないのである。そのためにイエス自身、“・・しなければならない”という言い方を何回もくり返している。

 
 

この表現は、彼が神の証人として苦しみかつ死ぬことによってはじめて、神の救いの計画は成就するものであったことを指摘している。他方、かつて預言者たちもみな、新約のイエスやその弟子たちのように、迫害されたり殺されたりしているが、このことは単に偶然の一致ではない。イエスは、この預言者たちの殉教も神の計画に属するものであり、その系譜は自分のなかで完成することに言及しているからである。

 

だからこそ彼は、「預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ」といって、決然とエルサレムに上がるのである。イエスは受難によって自分の償いのいけにえとしてささげたものであり、それは旧約のすべてのいけにえにとって替わる価値をもつている。信仰者はここに、「血を流すことなしに罪の赦しはありえないのである」という、殉教の法則ともよぶべきものを発見する。また、この受難にふかく一致していたマリアが、後世、殉教者の聖母と呼ばれるようになる経緯も理解されるであろう。

2.信仰者 教会は、イエスの光栄ある殉教によって創設される。「私は地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう」と、イエスは在世中、約束しているが、いまや“キリストの体”なる教会が、人類の救いのために神に血の証を立てるよう要求されている。

 

既に旧約時代にも、とりわけマカバイ時代には多くの殉教者が輩出している。教会時代における殉教は、イエス自身が啓示した新しい意味を帯びることになる。すなわち殉教とは、キリストの完全な模倣であり、キリストの証と救いの業への最上の参与なのである。

「『僕は主人に勝りはしない』と、わたしが言った言葉を思い出しなさい。人々が私を迫害したのであれば、あなたがたも迫害するだろう」とイエスが言ったのは、そのためである。彼はさらに、3人の愛弟子に自分と同じような受難を受けることを告知する一方、すべての人に向かって、地に落ちて死ぬ麦だけが多くの実を結ぶことを教える。したがってステファノの殉教は、イエスの受難を強く想起させるものであり、これが教会の初期の発展とパウロの回心に決定的影響を与える。
 
 そして黙示録は、文字どおり、「誠実で真実な証人」であるキリストに倣って教会と世に地の証をした殉教者の書といえる。この書は全体にわたって、彼らが受けた試練と栄光をたたえている。その典型的なものが主の「二人の証人」の受難と光栄である。
 
 

大聖年をよりよく迎えるために

―――― 殉教者の意味を考える ――――

 

使徒的書簡『紀元2000年の到来』は殉教者について度々言及しています。日本のカトリック司教団もイエス・キリスト生誕2000年に備えて、各地で日本の殉教者崇敬の行事を盛り上げるよう勧めています。特に、ザビエル渡来四百五十年祭と、豊臣秀吉によって長崎西坂の丘で処刑された日本二十六聖人殉教者四百年祭を意義ある祝典にするように具体的提案を行っています。しかし、殉教者のお祝いをすることが大聖年の目的ではありません。今、私たちに問われているのは、殉教者の生き方に倣って殉教の精神を生きることです。そこで、今回は殉教の精神とは何かをご一緒に深め、更に日本の教会の信者が殉教者に倣って現代に生きるように、呼びかけたいと思います。

 

 

 殉教者とは、一般的に『証人』の意味を表しています。キリスト教の用語としては【イエス・キリストを忠実に証明するために生命をささげた人】という意味で使われています。イエス・キリストは父のみ旨を果すために自らをいけにえとしてささげました。そのためにあらゆる侮辱や苦しみ、嘲笑を忍び、沈黙を貫かれました。そしてついに十字架の死によってご自分の生命をささげました。また、自分を死に追いやった人々を赦し、彼らのために祈りました。この態度こそ後に続く殉教者の模範であり、原型でした。殉教者たちはイエスの模範に励まされて、自分の苦しみと生命をささげて、イエス・キリストの忠実な証人となったのです。
 私たち信仰者も、イエスの模範と殉教者の行き方に励まされて、自分の苦しみ、自分の生命そのものをささげるように招かれています。侮辱、孤独、嘲笑、人生の苦しみなどを信仰の精神を持って受け入れ、ゆるし、孤独に耐え、他人のために祈り、他人を助ける生き方を目指すことが大切です。殉教者を敬うとは、自ら殉教の精神を生きることを表しています。

 
 

 

 「血を流すことなしに罪がゆるされることはない」(ヘブライ9・22)。イエスが流された血は、すべての人々の救いの原因でした。イエスが死の苦しみを味わったことによって、初めて人類に救いがもたらされました。マリアはイエスの殉教に深くかかわっていることから、『殉教者の母』として尊ばれました。殉教者は自分の苦しみを通してイエスとともに人類の救いに参加した人たちです。彼らは愛する主イエスとともにこの世界の人々のために自分をささげました。私たち信仰者にもイエスは「自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」(マルコ8・34)と言われて、ご自分とともにこの世界の救いに参加するよう招いておられます。

 それでは、主イエスの招きに、私たちはどのように応えることができるのでしょうか。まず、主イエスは私たち信仰者が教会と共に生きることを教えています。なぜなら、教会はイエス・キリストが始められた救いの業を続ける務めをいただいているからです。その主な務めは、みことばを宣布することと、秘跡によって信仰者の生活を高めることです。私たち信仰者には教会生活、特に秘跡を大切にすることが勧められます。聖体祭儀はイエス・キリストとともに、人々の救いのために自分を捧げることを求め、悔い改めの秘跡は神と和解し、自分を清めることを通してよりよい社会をつくることを求めています。このように、秘跡にあずかることで、主イエスの血による救いの業に参加することができます。同様に、福音のことばを大切にすることが強調されています。みことばは信仰者を内より変えていく力をもっており、私たちにはみことばを聴き、それを伝える務めがあるのです。

 日本の殉教者は何よりも教会の生活、特に聖体祭儀と悔い改めの秘跡を大切にしました。殉教者に倣うとは、教会の秘跡を大切にし、それを自分の生活に活かすことにあります。また、日本の教会は、どのようにキリスト教を日本の文化に根づかせるかに苦労してきました。その中で、みことばこそ信者を励ます大切な手段であると感じています。

 以上のようなことから、殉教者を崇敬するにあたっては、まず、自分と教会とのかかわりを振り返ってみることをお勧めします。

 
 

 

 『わたしは真理について証しをするためにこの世に生まれ、そのためにこの世に来た』(ヨハネ18・37)。イエスは弟子たちに、将来自分と同じように迫害されると予言しました。その時は、聖霊が話してくれるので心配するなとも言っています(マタイ10・16〜21参照)。殉教者とは、カトリック教会の中で信仰を守り通した偉い人程度の意味ではありません。彼らはこの世界で『真理のあかし』するために遣わされ、そのことのために受難しました。聖霊の語るままに自分の信仰、信念に基づいた生き方を宣言したのです。それが当時の為政者、見識者の心証を悪くしたことも否めません。また、政治的思想や人間的思惑を乗り越えた非常識、頑固といった印象も多くもたれていました。多くの場合、彼らのもつ人生に対する信念、モラル観念は当時の通常観念に強い警鐘となったのです。彼らは決して譲れない何かがあると宣言し、そのためにあえて死を選んだのでした。

 殉教者はまた愛をあかしした人たちです。「友のために自分の生命を捨てる、これにまさる大きな愛はない」(ヨハネ15・13)。教皇ヨハネ・パウロ二世は日本の殉教者を『愛の証人』と宣言しておられます。愛さないで殉教することはできません。殉教とは神を愛し、人を愛し、そのために死を選ぶ行為です。

 殉教とは、真理をあかしし、決して譲れないと心に決めたことから起こっています。しかし、殉教の大切な要因はこれを公言することにあります。『わたしはキリスト教徒です』とロ−マの殉教者たちは公言しました。『わたしは教えを捨てることができません』と日本の殉教者は公言して死刑に処せられています。そしてさらに、殉教者は現代社会にも警鐘を鳴らし続けているのです。彼らは高いモラル観念、譲ることのできない信念、超自然の価値観などなどを通して現代社会に反省を求めています。殉教者の遺徳を称える私たちは、彼らのもつ価値観を現代社会に投げかけていく務めがあります。なぜなら、私たちは彼らの後継者だからです。私たちに必要なことは、自分の信仰を公言していく勇気をもつことです。それは、自分だけの信仰を個人的に守っていくこと事でもなければ、殉教者をすばらしいと称えるだけでもない、もっと積極的な生き方なのです。

 
 

 

 初代教会の信仰者は殉教者への崇敬をもっていました。また、殉教へのあこがれを抱いていました。彼らこそ、イエスの模範に完全に倣った聖人として考えていたからです。日本の教会でも歴史の始めより、殉教者は聖人として崇めていました。一粒の麦が地に落ちて死ねば何倍の実を結ぶとイエスは言います。実際、ステファノの殉教はパウロの回心を生み、その結果何倍もの霊的実りを結びます。殉教者を生んだ土地は、多くの霊的実りを産み、新しい信仰の種が芽生えました。

 迫害の終ったロ−マ時代、信者はより高いキリスト教生活の理想を求めて砂漠に退きました。砂漠は殉教に代わる神の完全な一致の場と考えたからです、そこでは苦行と節制、労働、祈りの日々を過ごしました。これが修道生活の起源となったのです。さらに時が経つにつれて、人々が住む社会の中にこそ神との一致があると信じ、社会の間でキリストをあかしして生きる理想を求める信仰者が出てきました。殉教も、砂漠の生活も、社会の中の生活も、すべてイエスに倣って聖人になる道を歩むことを意味しています。殉教者の遺徳を偲ぶとは、自ら神に向って成聖の道を歩むことを意味しています。

 現代社会の矛盾の中でも真面目に人生の意味を探し、弱い人々の立場に立って自分を忘れて献身している人々がいることは大きな慰めですが、反面、日本の社会には安楽な生活、遊興を求めるあまり、人生の意味を見失う危険にさらされている人々が多くいることも事実です。大切なことは信仰者一人ひとりが、召されたそれぞれの道に従ってイエスに倣い、よりよい社会の建設のために最善をつくすことなのです。

 
 

 

 日本の殉教者は最後のお別れに、『パライソ(天国)で会いましょう』と挨拶しています。彼らは、見えないあの世のことよりも、今の生活が大切であると何度も諭されました。その結果、うつけとか、狂気の沙汰呼ばわりされました。

 永遠という観点に立って、殉教者は現世の出来事を解釈します。その観点から、譲れないものを譲れないと彼らは宣言します。その視点に立つとき、血縁関係が壊れても仕方がないとさえ考えます(マタイ10・21参照)。現代社会は刹那的なもの、今の世のことのみを追う傾向がありますが、殉教者は永遠で不変の価値がこの世にあることを私たちに告げています。『イエス・キリスト』が、私たちに与えられた何物にもまさる恵みであるように、『イエスに倣った殉教者たちの群れ』も私たち信仰者にとって最高の賜物です。永遠の生命を信じて神にすがって生きることにより、弱い私たちも殉教者の強い生き方を自分のものとして生きることができるのです。

 

 

 今回はカトリック教会の中での殉教のみを挙げましたが、一つの信念のために生命をささげた他の多くの人々が存在していることも認めなければなりません。教皇ヨハネ・パウロ二世はカトリック教会外の聖人殉教者のことにも言及しておられます。「教皇ヨハネ・パウロ六世がウガンダの殉教者の列聖式の説教の中で指摘したように、血を流すことも辞さないキリストに対するあかしは、カトリック、正教会、聖公会、プロテスタント共通の遺産となっています。」(教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的書簡『紀元2000年の到来』37)

 殉教者を過去の偉人にしてはいけません。また、政治上の必然的な犠牲者にしてもなりません。自らの生と死を『イエスの名』のために選んだ聖人であることを留意しましょう。そして、特にわが身を振り返って、襟を正す生活に向っていくことにより、大聖年の準備と祝典の中で殉教者を祝う意義をはっきり意識するように務めましょう。

 

1996年11月9日 ラテラン教会の献堂の日に

 

日本カトリック司教協議会

大聖年準備特別委員会

 
 

大聖年と殉教U

高松司教 溝部脩

1.           確固とした信念を持つ

「わたしは真理についてあかしするためにこの世に生まれ、そのためにこの世に来た」(jo18,37)。イエスは弟子たちも自分と同じように迫害されると話した。その時は聖霊が話してくれるので心配するなとも言っています。(10,16-21)殉教者とはカトリック教会の中で、信仰を守り通した、偉い人という程度のとらえ方ではありません。彼らは、この世界で“真理を証し”するために遣わされ、そのことのために受難しました。聖霊の語るままに、自分の信仰、信念に基づいた生き方を宣言したのです。それが当時の為政者、見識者の心証を悪くしたことは否めません。

 

また政治的思想や、人間的思惑を乗り越えた、非常識、頑固といった印象が多くもたれていました。彼らは決して譲れない何ものかがあると宣言し、そのためにあえて死を選んだのでした。・1995[TIME]誌は《年の人》としてヨハネ・パウロ二世をあげています。「TIME」は決して、カトリック教会に好意的な雑誌ではありませんが、頑固、分からず屋とか叩かれ、批判されても、ガンとして出来ないものは出来ないと、譲らない厳しさが、彼が選ばれた理由である。現代が求めていることが何であるかを端的に表している。「父性の復権」(林道義)という本がよく売れています。

 

その中でオスゴリラの話が載っています。メスゴリラは子供を24時間抱いて離さないが、ある年になるとオスゴリラが来て、メスゴリラより子どもを奪って群れのなかに入れて、仲間と狩をしたり、遊んだりすることを学ばせるという。武蔵野市のアンケートによると、1年生の担任に、しっかりしたベテランをつけると6年間、安泰だという。優しいだけの担任は、高学年になり、難しくなる。ある保育園で子どもたちに積木で遊ばせると、並列型と風景型の二つのグループに分かれるという。積木をただ横に並べるだけの子供と、積木を使って何かの形を作っていく子供とに分かれるということです。

 

家庭を調べていくと、並列型は母子家庭、または父親不在の家庭が多く、風景型は父親がよく子供と遊んだり、何かとつながりが多いということである。いずれも若い世代に自分のメッセージ、信念を伝えることができない現代の大人世代への大きな警鐘です。マニュアル族、指示待ち人間、考えてみれば、きちんとしたルールを教えていない大人の方に問題があるのです。
 
 

昨年、頼まれて川崎、鷺沼教会の壮年会の集まりに参りました。「どうして若者の教会離れがあるのか」という問題でした。「大人が本物の信仰を伝えず、ごまかしの価値観を押しつけているから」と、ある人が答えたのを聞いて、本当だなと思いました。それ塾、それクラブ、一流会社だと常々口うるさく言っていて、教会に行きなさいと言っていたのでは、決して信仰は伝わりません。

 

自分が本当にそうだと信じているものは伝わります。最近神父への批判を多く聞くのもこんなところにあるようです。ガンとして自分の信じることを伝える神父がいなくなったからでしょうか。断固として価値観を伝えていく人として岐部神父を挙げたい。彼は、どんなことがあっても譲れない何かがあると信じ、そのためにどんな苦労も、死さえもあえて選んでいきます。たぶん現代に欠けている一番大きな欠点でしょう。

 

譲って譲って、自分さえなくしてしまいます。岐部神父はヨーロッパに留まり、それなりの人生をおくることが出来たはずです。しかし、あえて死の待つ国へと帰っていきます。断固とした意志がそこにうかがえます。フィリッピンを出るとき、「神の摂理に信頼して帆を張って出発する」と書き送っています。妥協に、妥協を重ねて、自信を失い自分の価値観を持たない現代人である、私たちへの大いなる警鐘です。同様のことは、例えば加賀山隼人とか、小笠原玄也についても言えます。

 

「私は教えを捨てることができません」と隼人は主君の忠興に答えています。「大御所様、公方様、御意として伴天連、宗門御改め成らせ候、たとひ上意あるとしても頼み奉り候。忠興様、何と仰せ出され候とも此上はころびまじく候。後日のためにかくの如く申上候」とは玄也のまさに不退転の意思表示です。

2.信仰を公言する

 

 

イエス・キリストは、父のみ旨を果たすために自らをいけにえとして捧げました。そのためにあらゆる侮辱と苦しみ、嘲笑を忍び、沈黙を貫かれました。そして遂に十字架の死によって、ご自分の生命を捧げました。また自分を死に追いやった人々を許し、彼らのために祈りました。

 

この態度こそ、後に続く殉教者の模範であり、原型でした。殉教者たちは、イエスの模範に励まされて、自分の苦しみと生命を捧げてイエス・キリストの忠実な証人となりました。私たち信仰者も、イエスの模範と殉教者の生き方に励まされて、自分の苦しみ、自分の生命そのものを捧げるように招かれています。侮辱、孤独、嘲笑、人生の苦しみなどを信仰の精神を以って受け入れ、ゆるし、孤独に耐え、他人のために祈り、他人を助け、生きることを表しています。大聖年にあたって、私のキリストを求める祈りが必要です。

 
 

殉教とは真理をあかしし、決して譲れないと心に決めたことから起こる。しかし殉教の大切な要因は、これを公言することである。「私はキリスト教徒です」とローマの殉教者公言して処刑されます。「私は教えを捨てることはできません」と、日本の殉教者は公言します。

 

彼らは高いモラル観念、譲ることの出来ない信念、超自然の価値観などを通して、現代社会に反省を求めています。殉教者の遺徳を称える私たちは、彼らがもつ価値観を現代社会に投げかけていく務めがあります。私たちに必要なのは自分の信仰を公言していく勇気をもつことです。どのように公言するのでしょう。ア、各々、おかれた場所によって異なっています。大切なことは自分が一番大切だと思っている信条を持つことと、それによって生きることです。「優しい司祭は凡庸である」とはベルナノスのことばです。本当の優しさには背骨が一本しっかりと通っていなければいけません。

 

この背骨とは、自分の確かなメッセージを持つことである。司牧者として、貴方の信条は、伝えたいメッセージとは・・イ.司祭の基本はことばと秘蹟であることを銘記する。ウ.消化したメッセージを伝える。本当にキリストのことばを深く理解し、消化していくことが必要です。

 

黙想の大切さがあります。教区司祭は在俗であり、在俗を生きることが大切です。それだからこそ、祈りと活動の調和が必要です。それに仕事を重視することです。仕事をしないで、なまじ観想生活のような真似をする教区司祭はいただけません。祈りは仕事の中に十分に行えます。しかし、仕事をより良くするために祈らないといけません。私たち司祭の背骨はキリストです。背骨をしっかりさせることが大切です。

 

信仰者にとって背骨とは、キリストです。キリスト者として、司祭として、一本背骨がしっかりとした生き方、即ちキリストを背骨とした、生活の建て直しが必要です。「キリスト―先生」の背骨をもっていなければ、私たちは骨抜きです。これなくしては人におもねるか、自分勝手な理論のみを押しつけるかでしかありません。世間並みの倫理観にどっぷり浸かり、世間並みの出世欲に、付け足しの信仰になってしまう。あるいは、およそ人間の世界とかけはなれた、どうでもよい信心主義になり、周辺のことばかりを後生大事にしまっている。

 

現代、キリストを伝えないで周辺のことばかりを伝える聖職者や、周辺のことばかり気にして右往左往している信者がとても目に付きます。殉教の時代に何が伝えられていったか、後で話す材料です。遠藤周作についてとやかく言われていますが、私は、彼は一生涯キリストを求めた求道者であると思っています。

 

「沈黙」「侍」「黄金の国」「イエスの愛した女性たち」「わたしのイエス」そのいずれも滑稽なほど、みじめで哀しい人間を登場させて、その彼を見つめるイエスの姿がいつもそこにあります。大友宗麟や支倉常長について書く時も、哀しい性をもち、苦悩しながらその向うに十字架につけられたキリストを見つめる人々として描きます。人の哀しみにかかわるイエスの姿に重点をおくのです。彼は借り着のキリスト教から、本物のキリスト教には何が必要なのかを求めていました。

 
                     
                     
                     
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