殉教と迫害

 
 殉教の霊性
 

わたしの記念として

 旧約のイスラエルの民は「伝えること」を最大の掟にしました。「過越のできごと」を繰り返し伝えることで、民の自己認識を新たにし、生きるべき方向を確認したのです。「これをわたしの記念として行いなさい」。イエスは救いの神秘を聖体の秘跡に託しました。「わたしに記念として」と訳されるギリシャ語の「アナムネーシス」(記憶、想起、記念)は、「伝える」「思い出す」といった「単なる記念」よりももっと豊かで、生命力にあふれた内容をもったことばです。あの晩さんの儀式の中で、何をイエスが教え、どのような生き方をし、そのためにどのような苦しみを引き受けたのか、そのことをいつも目の前に置き、忘れないようにこころに刻みなさいと、イエスは命じられたのです。イエスが命じられた「記念する」には、三つの内容と働きが宿っています。「イエスの十字架と復活のできごとを想起し」(過去)、「いまのわたしたちの生活に照らし」(現在)、「あすに向けて宣言する」(未来)。キリスト者の生き生きとした信仰生活は「イエスを記念する」ことから生まれてきます。初代教会の時代から大事だったことは、共同体としてイエスの信仰をどのように保っていくか、どのようにしたら共同体がイエスの記憶を「共通の記憶」(アナムネーシス)として保つことができるかということでした。教会の信仰は、個人の記憶ではなく「共同体の記憶」の上に成り立っているからです。福音書の編集も、主の日の集まりとミサも、共同体の「共通の記憶」を生きるためでした。やがてイエスの福音が広まっていく中で、それぞれの教会の信仰の歴史も、この「共通の記憶」の中に含まれるようになります。現在使われているローマ・ミサ典礼の第一奉献文(ローマ典文)は、殉教の時代のローマ教会を背景とした記憶です。「イエスの福音」と「この地で起こされた神の不思議なみわざ」を「共通の記憶」として、各時代の教会とぞれぞれの地域の共同体に独自の霊性が生まれ、信仰者はその霊性に支えられて生きたのです。

日本の教会の「共通の記憶」を求めて

 2001331日、教皇ヨハネ・パウロ二世は、日本の司教たちに向けて次のように語っています。「日本の教会の最初の世紀は、殉教者たちが示した勇気と神への忠実さという信仰の消えないしるしによって飾られました。彼らの英雄的なあかしは、日本の教会の過去を、十字架につけられた主の輝きで飾るだけではなく、いまの日本の教会の歩むべき道と、将来の使命と約束をも示しています」。教皇はこの預言的なことばをもって、日本の教会が「記念して」生きる「共通の記憶」を明示されました。混迷する時代に日本人としてイエスの福音を受け止め、その福音を支えに社会の苦しみと悲しみに寄り添って生き、やがてゆずることのできない神への思いを貫いて殉教した多くのキリシタンたち。なぜそのことを選び、そのように生き、そしてそのために死んでいったのでしょうか。それは、イエスの福音がそうさせたからです。ここに霊性があります。過酷な歴史のふるいにかけられ、それでもなお残ったものが次代の核となります。真理は普遍的であり、いつも新しく、創造的です。殉教者たちの信仰は、過去の話ではなく、いまを照らし、あすへの道を示します。そのことを思い起こすと力がわいてくる話、そのできごとなら日本のすべてのキリスト者が知っている、そのことから出発し、そしてまたそこへ帰る話。いま「共通の記憶」をまとめ、確認し、記念して生きるときがきました。この手引きは、ペトロ岐部と187殉教者の列福を控えて、日本の教会の「共通の記憶」を求め、その独自の「霊性」を深めるための一助として準備されたものです。

 
 

わたしの記念として

 旧約のイスラエルの民は「伝えること」を最大の掟にしました。「過越のできごと」を繰り返し伝えることで、民の自己認識を新たにし、生きるべき方向を確認したのです。「これをわたしの記念として行いなさい」。イエスは救いの神秘を聖体の秘跡に託しました。「わたしに記念として」と訳されるギリシャ語の「アナムネーシス」(記憶、想起、記念)は、「伝える」「思い出す」といった「単なる記念」よりももっと豊かで、生命力にあふれた内容をもったことばです。あの晩さんの儀式の中で、何をイエスが教え、どのような生き方をし、そのためにどのような苦しみを引き受けたのか、そのことをいつも目の前に置き、忘れないようにこころに刻みなさいと、イエスは命じられたのです。イエスが命じられた「記念する」には、三つの内容と働きが宿っています。「イエスの十字架と復活のできごとを想起し」(過去)、「いまのわたしたちの生活に照らし」(現在)、「あすに向けて宣言する」(未来)。キリスト者の生き生きとした信仰生活は「イエスを記念する」ことから生まれてきます。初代教会の時代から大事だったことは、共同体としてイエスの信仰をどのように保っていくか、どのようにしたら共同体がイエスの記憶を「共通の記憶」(アナムネーシス)として保つことができるかということでした。教会の信仰は、個人の記憶ではなく「共同体の記憶」の上に成り立っているからです。福音書の編集も、主の日の集まりとミサも、共同体の「共通の記憶」を生きるためでした。やがてイエスの福音が広まっていく中で、それぞれの教会の信仰の歴史も、この「共通の記憶」の中に含まれるようになります。現在使われているローマ・ミサ典礼の第一奉献文(ローマ典文)は、殉教の時代のローマ教会を背景とした記憶です。「イエスの福音」と「この地で起こされた神の不思議なみわざ」を「共通の記憶」として、各時代の教会とぞれぞれの地域の共同体に独自の霊性が生まれ、信仰者はその霊性に支えられて生きたのです。

日本の教会の「共通の記憶」を求めて

 2001331日、教皇ヨハネ・パウロ二世は、日本の司教たちに向けて次のように語っています。「日本の教会の最初の世紀は、殉教者たちが示した勇気と神への忠実さという信仰の消えないしるしによって飾られました。彼らの英雄的なあかしは、日本の教会の過去を、十字架につけられた主の輝きで飾るだけではなく、いまの日本の教会の歩むべき道と、将来の使命と約束をも示しています」。教皇はこの預言的なことばをもって、日本の教会が「記念して」生きる「共通の記憶」を明示されました。混迷する時代に日本人としてイエスの福音を受け止め、その福音を支えに社会の苦しみと悲しみに寄り添って生き、やがてゆずることのできない神への思いを貫いて殉教した多くのキリシタンたち。なぜそのことを選び、そのように生き、そしてそのために死んでいったのでしょうか。それは、イエスの福音がそうさせたからです。ここに霊性があります。過酷な歴史のふるいにかけられ、それでもなお残ったものが次代の核となります。真理は普遍的であり、いつも新しく、創造的です。殉教者たちの信仰は、過去の話ではなく、いまを照らし、あすへの道を示します。そのことを思い起こすと力がわいてくる話、そのできごとなら日本のすべてのキリスト者が知っている、そのことから出発し、そしてまたそこへ帰る話。いま「共通の記憶」をまとめ、確認し、記念して生きるときがきました。この手引きは、ペトロ岐部と187殉教者の列福を控えて、日本の教会の「共通の記憶」を求め、その独自の「霊性」を深めるための一助として準備されたものです。

 
 
  
   
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