キリシタン時代

 

五島氏キリシタン関係系譜

18代 宇久純定 天文18年(1549)承統 キリシタンに理解を示し保護

         1586年60歳没

19代 宇久純尭 1567年受洗(ドン・ルイス)

         1589年没

20代 五島純玄 天正15年(1587)承統 キリシタン迫害、純尭の甥、叔父(純定の弟)と共謀して純尭には異教を迫る。朝鮮役出陣したが疱瘡のため陣中で、1594年死亡。共に出陣していた玄雅が陣中で後を継ぐ。

21代 五島玄雅 文禄3年(1594年)承統 純尭の弟、1568年受洗(ドン・ルイス) 1607年棄教 1612年64歳没

         キリシタン武士200人と教会の境内に立てこもって純玄と戦うも敗れ、長崎に亡命。領主となるべき権利を叔父の策謀にて奪われたことがその原因。純尭の弟、島津義久の調停で五島に帰る。

22代 五島盛利 キリシタン迫害、1642年没

 

五島キリシタン史

資料1

 

18代領主、純定に宣教師の派遣を依頼されたトーレスは、アルメイダとロレンソを派遣することにした。1566113日、二人のイルマンは口之津を出て福田港へ行き、8日間の船旅の後、福江に着き、純定に挨拶した。

数日後、純定は家来たちを集めて初めて説教を聞いたが、翌日急に発熱した。アルメイダの治療で純定は回復し、また説教が始められたが、今度は大火災が発生した。キリシタンの祟りと吹聴するものがあって、説教を聞きに来る人もいなくなり、一旦は帰ろうとしたが、純定の熱心な説得に留まることにした。こうして重臣たち25人を受洗させ、奥浦でもお寺を教会に改造して布教を続け信者は増えていった。翌年には、純尭(ドン・ルイス、19代領主)(資料1)と舅(パプチスタ)、その翌年は夫人(ドナ・マリア)と、家臣、侍女などが洗礼を授かった。特に純尭とその夫人は、キリシタン嫌いの盛重(叔父)の圧力に負けた純定の度重なる説得にも耳を貸さず、最後まで棄教せず、命を張ってキリシタン信者を守りぬいた。その信仰の強さは私たち五島の信者の誇りである。

彼らの墓は、五島の領主の菩提寺である大円寺でなく、福江の龍之口城の下にあった教会の跡地に建てられた清浄寺の墓地にある。

純尭の後、20代純玄(純尭の兄の子)は叔父盛重と共に弾圧を行った。21代玄雅(純尭の弟)は参勤交代後、棄教して教会を仏寺にかえ、また宣教師を追放して、迫害を行った。1566年以降五島には、数多くの神父、修道士が訪れて活躍したが、その後、迫害はますます強化され、踏絵、宗門改めなどが毎年行われるようになって、18世紀中頃までに絶滅したといわれる。

 
 

ドン・ルイス純尭

 18代領主純定の庶子として1546年(天文15年)に生まれ、1567年21歳の時にモンチ神父洗礼を受け、ルイスの霊名を戴く。

 ロレンソの説教を聞きキリシタンへの希望強く、ある夜舅と共にロレンソを訪れ受洗を懇願、然し父純定の承諾がないことと、領民の向背を気遣い待機させるも、願望強く洗礼を受ける。その後復活祭時にキリシタンたることを公にする。

 洗礼を受けてからは島民の改宗をはかり熱心に活動し、ドン・ジュアンの娘と結婚し、直ちに夫人と家臣の改宗に努力、その結果夫人と侍女15人、家臣100人が洗礼を受ける。夫人はドナ・マリアの霊名を戴く。そのため宣教活動は着々と進むも、殿の弟を首領として猛烈なキリスト教反対運動が起こる。然しそれに屈することなく「魂のたすかりと真のデウスにかかわる大問題になる故、何ものにも代えられない」と信念を貫き通す。

 それでも反対運動は止まらず、叔父は殿(純定)に向い「若殿(純尭)に命じてキリシタン宗門を捨てさせず、宣教師をも追放しないならば自分をはじめ、すべて旧束の宗教に心を寄せているものは、以後兄を以って領主とも認めないであろう」と威嚇する。

 そのため父(純定)も若殿(純尭)を18回も呼び「棄教するか、それができなければ表面だけでも異教徒として」と諭すも全く受け付けない。逆に父を説得するように「父上、私を圧迫しうる不幸の中で、父上のそのご心配ほどに私の心を動揺せしめうるものはないのです。私は父上のお命を全うするがためとあらば、できれ千の命でも投げ出したいくらいでございます。もし父上の御位を強固ならしめるがため、私が死ぬのが必要でしたら私は喜んで死にます。然しご存知の通り、私は天にも別の父を持っています。父上に従わねばならぬ如く、天の御父にも従わねばなりません。父上の御意志と天の御父の御意志とが相反するような場合には、公正なる父上のことでございますから、その天の御父のご命令を軽んじてまで父上のご命令を軽んじてまで父上のご命令を重んじさせようとはなさいませんでございましょう。

 ところで天の御父はご自分以外のものをデウスとして礼拝すべからずと戒め、救いをえたいと思はば、御自分の掟を公然と遵奉するように命じ、もし私が生前に御自分を否認するならば、御自分も死後私を否認すべしと宣言し給うています。そして私がまごころを持ちませず、ありのままを外に表すことを憚るような臆病な人間でしたら、父上の子と称せられるにも足りますまい。父上が私をお愛し下さることは少しも疑いませんが、しかし私はただ今父上の御意に背くか、デウスの思召しに反するか、この世の位を失うか。後の世の終わりなき位を棒にふるか、二つに一つを選ばねばならぬ羽目に追い詰められているのです。でございますから、この点については、どうぞ私を脅迫しないで下さいませ。

 天地の創造主なるデウスは、父上のためにも、私のためにも君主でいらっしゃいますから、私はこのデウスに従う決心をしています。もし国を失うまいと思はば信仰を捨てねばならぬならば私は信仰を捨てるよりも国を棄てます。キリシタンであることをよすよりも、殿であることよします。私を殿に戴かないだけでは満足しておれない、生命までも奪いたいという腹ならば、デウスの御掟を守るがために死んでいく人に約束された終りなき命を得んがため、私はいさぎよくこの生命を投げ捨てます」と。

 純尭父の棄教への何回もの手段に対しても、常にキリシタンの急先鋒になり、「我こそ神の前に血祭りにさるべき第一犠牲者だ」と宣言し、聖堂の門外に立って、キリシタンたちを迎え「誰にしても、この私の腹の上をふみ越えないではお前たちに手をかけ得ないのだ。私はこの身をなげうってお前たちの危難を救ってやるから安心せい」と激励する。このように非常に信仰心の強いキリシタン大名だった。

 また、敬虔な態度で神父の救霊上の話をいつも跪いて聞き、聖堂内では、一般信者との差別を設けることを許さない。正義感の強い大名でもあった。

 「私たちは皆デウスに造られた者で、その御家では互いに差別など設くべきはずではない。人間の間に階級があるのは、デウスの立て給うた秩序ではあるが、しかしこの階級に対する尊敬も、聖堂内においてだけは除外しなければならぬ。ついに私はどこにおいても領主である。領主の資格に対して、相当の礼をつくさしめることは十分わきまえている。ただイエズス・キリストが肉体的にもこもり在すその御家の内では、私も一個のキリシタンに過ぎない。私の庶民もすべて私の兄弟であり、私と同等であるのです」と。

 さらに日本の教会の将来を案じた大名でもあった。ヴァラレッジオ神父が五島を去らねばならなくなった時、泣きながら「ああ日本の憐れな教会よ、孤児になったのであるかな!神父ガスパル・ウレイスはインドへ行き、神父コスモはなくなり、神父アレクサンドロはヨーロッパへ帰る。孤児なる日本の教会よ、
誰が汝のために世話を焼き働いてくれるのだろうか」と叫んだ。                    
「まるちれす」抜粋

                     
                     
                     


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