下五島地区年表



下五島地区教会史(カトリック再宣教時代 長崎教区資料編)(
1)      

西暦

元 号

出来事

1940

昭和15

115

 

115

18

 

 

 

 

125

 

 

211

 

 

 

 

314

 

 

 

 

318

 

 

 

3

 

 

 

 

324

 

 

 

424

 

512

 

 

526

 

 

 

526

 

 

 

 

長崎公神学校、大浦へ移転

 

紀元2千6百年を記念して、下五島全教会連合会主宰の信徒総代黙想会および時局対策講習会が、3日間に亘って玉之浦天主堂で開催された。プログラムにしたがいミサ、黙想、説教は、切江、西田、中島、岩永の5師が交代で行い修養の指導につとめられた。この他2日目には、下五島教会功労者、司祭、宿労の合同追悼祭、3日目には、町当局参列の下に皇軍の武運長久祭及び恒久平和祈願祭が執行された。(教報)

 

東京において全国教区長会議が開催された。4月から実施される宗教団体法により日本天主公教教団規則を制定するための審議が行われた。(教報)

 

皇紀2千6百年の紀元節は、日本26聖人大祝日の公式にもあたるので、各教会では、2千6百年式典として感謝のミサを執行、聖体降福式を行なった。また日本26聖人大祝日の公式行事として1時から西坂殉教地跡に大浦、西中町、飽の浦連合順拝、4時から浦上教会で巡拝が行なわれた。(教報)

 

ドミニコ中村長八師は、ブラジルにおいて逝去された。師は奥浦生まれ、明治13年長崎神学校入学、明治302月7日叙品、鹿児島県大島郡名瀬町及び赤尾木村で聖務を執られること25年、大正119月ブラジルに赴任、サン・ポーロ州を根拠地として巡回し、ブラジル移民の父とあがめられた。ブラジル在留19年、本年76才であった。(教報)

 

長崎教区は財団法人東陵中学校を設立し、4月から開校することとなった。同校は東山手町長崎公教神学校校舎を使用する関係上、神学生は、大浦天主堂の旧校舎に移し、ここから東陵中学校に通学させて一般生徒と同じく高等普通教育を施すことになる。(教報)

 

長崎教区出身の4師がめでたく司祭に叙品された。長崎教区司祭、浦上出身の今村留市師と五島仲知出身で大阪教区の前田朴師は3月23日、ローマで叙品、316日、東京公教大神学校で浦上出身大阪教区の野口秀吉師と南田平出身大阪教区濱崎傳師が叙品された。他教区からも4名が叙品され8名の邦人司祭が誕生した。(教報)

 

信徒発見75周年記念式典が324日から31日まで挙行された。その間26聖人を記念する場所、西坂殉教地、大浦天主堂などに巡礼するなどの条件を満たす者には全贖宥が与えられることになった。(教報)

 

福江教会主任中島万利師4月24日から約20日の予定で任地を離れ転地療養。

 

信徒発見75周年を記念して、プチジャン司教の等身大胸像が覆うラテン主導前庭園内、大十字架の左傍らに建立され、除幕式が厳粛に行なわれた。(教報)

 

福江教会は、御聖体への信心をこめて、皇軍の武運長久の祈願祭を行った。ミサ後永久礼拝、午後2時半から聖体降福式が行なわれた後、多数の来賓有志は司祭館に集まり時局を偲ぶ座談会を催した。(教報)

 

玉之浦教会は海と陸の聖体行列を行った。三井楽教会から西田師、水の浦教会より切江師。聖体は西田師に捧持され、立谷教会を出発、井持ちルルドに向かった。行列船が波止場に着くと、千余名の信徒は楽隊の聖歌奉奏のうちに御上陸の御主を奉迎した。(教報)

 

 

63

 

 

615

 

630

 

7

8

 

 

8

 

 

8

 

 

911

 〜12

 

 

 

 

 

925

 〜26

 

 

1122

 

堂崎天主堂では、皇軍武運長久祈願祭を執行、引き続いて司祭館でカトリック婦人会の定期総会を開催、講演会と帰還将兵を囲んでの座談会が催された。(教報)

 

長崎市飽之浦教会主任出口市太郎師(前福江教会主任)は、鹿児島教区長に任命された。

 

出口市太郎師、鹿児島教区長に任命された。

 

「元帳」の集団受洗で教界注目の的となっている五島桐の浦教会では玉之浦ルルドに2回の団体参詣を行って戦没者勇士の野冥福を祈願した。第1回は田原神父引率のもと85名が発動汽船2艘に分譲し、2回目は主任山口神父引率で90名が参詣した。(教報)

 

五島桐の浦教会山口福太郎師の多大な努力によって実現した「元帳」の集団帰正に対し、ローマ布教省フマゾーニ・ビオンディ枢機卿は「ミサ聖器」一揃いを福見教会に贈った。(教報)

 

鹿児島市郡元町の聖名高等女学校は、創設以来地元の女子教育界に多大の貢献をなしているが、同女学校の経営が双葉財団から長崎教区の純心財団に委譲されることになった。(教報)

 

臨時教区長協議会が東京で開催された。日本天主公教教壇の認可申請のため、文部省に正式提出する教団規則草案の最終討議を行い、新体制について協議した。(教報)

 

新体制協議の中で教会関係書新聞雑誌の統制についても協議がなされ、中央の1・2のものを除き廃刊されることに決定したため、長崎教区報「カトリック教報」は101日、第287号をもって廃刊することになった。(教報)

 

長崎教区では、臨時教区長会議において決定を見た新体制即応の具体的方針に添い、今後教区としてとるべき方策の細目を決定するため、大浦司教館において顧問会を開き審議を行なった。(教報)

 

「聖母の騎士」誌11月号をもって廃刊

1941

昭和16

53

 

618

 

6

 

810

 

814

 

826

 

916

 

924

 

1010

 

 

 

日本天主公教教団結成

 

台湾教区長 里脇浅次郎師任命(3・20管理者)

 

5代)イグナチオ浜田朝松師着任(19416月〜194211月)

 

陸軍参謀本部は日本天主公教教団に対し、宣撫班の派遣を要請(司祭50名、信徒150名)

 

コンベツァル・フランシスコ会は、アウシュビッツ収容所で死去

 

日本天主公教教団は長崎にて緊急顧問会を開く(8月11日、13日、22日大阪で開いた)

 

法王ピオ12世は「厳正中立」を表明

 

日本天主公教教団統括者、土井辰雄大司教、田口芳五郎師、古屋義之師、伊勢皇太神宮参拝

 

幼きイエズス会日本管区本部は長崎市より神戸市に移転(長崎要塞司令部が近くに所在したため)

 

 

 

112

 

 

121

 

128

 

129

 

 

1222

 

 

 

1226

 

日本国天皇は陸海郡統帥部長に、時局収集について、ローマ法王庁の仲介を要望する旨を伝える。

 

長崎教区信徒1300名護国神社造営に奉仕

 

日本米英に宣戦布告(大東亜戦争)

 

米・英系カトリック宣教師、修道女ら抑留、軟禁される。教会、修道院、学校施設等接収始まる。

 

カトリック宗教部隊の先遣隊フィリッピン・ルソン島上陸(1224全員上陸)

 

改訂公教要理の「神」を「天主」とさせられる(現天皇の現人神と混同するためといわれる)

 

長崎要塞司令部、コンベンツァル聖フランシスコ会修道院を検分

 

 

 

 

1942

 

昭和17

1

 

6

 

829

 

1011

 

 

12

 

大阪教区長、田口芳五郎師フィリピンへ徴用される。

 

長崎教区勤労報告隊を結成。長崎の神学生10名佐世保中里炭鉱で採炭に従事

 

朝鮮大邱教区長、早坂久兵衛師就任

 

福岡教区、深堀仙右衛門師、東京教区、小松茂師、グアム島海軍民政部宗教係りとして徴用、横浜を出港

 

6代)イグナチオ今村悦夫師着任(194212月〜19452月)

 

 

 

1943

昭和18

126

 

216

 

326

 

331

 

418

 

622

 

85

 

910

 

1012

 

1013

 

 

長崎教区神学校を幼きイエズス会跡に移転

 

政府は「言論、出版、集会、結社等臨時取締法」改正を公布

 

仏、加人、シスターを軟禁、強制収容または聖母の騎士社にて抑留生活

 

本河内神学校、軍の接収による閉鎖

 

政府は「すべての婦人はモンペ着用」を命令(修道女にも適用)

 

従軍宗教家報国会結成

 

長崎教区山口愛次郎司教、広島教区萩原晃師、海軍に徴用(インドネシア・フローレス島へ)

 

ドイツ軍ローマ占領

 

カトリック中外親善会長崎地方協議会(大東亜神学校設立を決定)

 

大日本天主公教教団第2回教師練成会を長崎市で17日まで開催

 

1944

 

昭和19

12

 

14

 

 

 

 

 

 

7

 

12

 

 

 

日本カトリック新聞隔日発行

 

大本営陸軍部、和平斡旋にローマ法王庁との接触強化を望む

この頃45歳未満の日本人司祭、修道士、徴用対象となる。

 

南山手修道院(幼きイエズス会)は兵舎として接収、神学生と同居

 

長崎教区神学校に福岡教区中神学校閉鎖のため中神学校併設(2か年課程)

 

文部省、昭和19,20年度の宗教家の動員計画(キリスト教関係 2300名)

 

長崎教区大浦に新学校を移転

 

1945

 

昭和20

1

 

225

 

3

 

 

4

 

4

 

59

 

81

 

86

 

87

 

89

 

 

 

 

 

815

 

818

 

922

 

1121

 

1228

 

1231

 

東京大神学校の一部、陸軍通信隊に接収

 

日本カトリック新聞休刊

 

7代)今村留市師(19453月〜19465月)

今村悦夫師の転任に伴い久賀から今村留市師の巡廻となる。

 

福江教会堂の一部、軍の倉庫になる(4月〜10月)

 

長崎公教神学生、大橋兵器工場への勤労動員

 

大阪・四国教区長、田口芳五郎司教、海軍に召集

 

飽の浦教会爆撃により焼失

 

米軍、広島に原爆投下

 

法王ピオ12世、原子爆弾投下を非難

 

米軍、長崎浦上に原子爆弾投下。浦上・中町・本原・木鉢の各教会、聖フランシスコ修道院及び病院、常清実践女、純心高女など全焼。

浦上天主堂主任 西田三郎師、助任 玉屋房吉師の両師は信徒の告白を聞きつつ殉死。他に焼死者、神学生 10名、修道女 31名、信徒 8500名余り、常清女関係 修道女志願者27名、純心高女関係 職員・生徒214名。

 

日本国政府 無条件降伏

 

横浜教区長、戸田帯刀師、保土ヶ谷教会仮教区館にて射殺される。

 

GHQ「降伏後における米軍初期の対日政策(新教の自由)」を宣告

 

法王庁使節パウロ・マレラ大司教は在日鮮米軍従軍司祭総代理に任命される。

 

宗教法人令を公布(信教の自由を保証)旧宗教団体法及び関係条例の廃止

 

マレラ大司教、日本公使館閉鎖。戦後処理を行う。

 

 

1946

昭和21

510

 

6

 

623

 

121

 

121

 

12

 

 

浦上カトリック連合青年・姉妹会発会式

 

8代)主任司祭、ペトロ古川重吉師着座(19466月〜194711月)

 

浦上教会では焼け跡の中の聖体行列を行う。

 

聖母の騎士誌再刊第1号を出版

 

浦上教会仮聖堂完成。ギルドイ枢機卿祝別

 

カトリック新聞、長崎版を発行

 

1947

昭和22

41

 

89

 

12

 

福岡サンスルピス神学校開校

 

被爆2周年追悼タイマツ行列を行う

 

(9代)主任司祭、使徒トマス松下佐吉師着任(194712月〜19698月)

 

1948

昭和23

41

 

 

418

 

429

 

 

 

530

 

 

819

20

 

 

11

 

 

 

113

 

12

 

 

 

サン・スルピス大神学校開校。大村市葛城の長崎公教神学校は閉校し、教区神学生28名が福岡に転向した。

 

カトリック連合少年団結成式を浦上教会で行う。

 

聖ビンセンシオ会教区特別理事会が司教館で開かれた。山口司教、フリン師、プルダン師および教区7協議会代表が集まり、役員を選出した。会長深堀福市、副会長深堀保郎、書記片岡弥吉、会計田川初治を任命した。

 

世界平和を祈る聖体行列が、長崎市と近郊教会連合で行われ、約7千名が中町教会から聖母の騎士園まで聖体を奉挙して祈った

 

カトリック教育者連盟五島地区大会は、堂崎教会で開催された。前夜から司祭館で合宿、指導司祭里脇師の「教育の本質について」の6回にわたる説教、福江教会主任松下師の「山上の垂訓」の説教があった。(教報)

 

長崎教区カトリック教勢

信者総数 6万6百24 (うち福江2182 久賀島1282 奈留島1253 水の浦1499 玉之浦2828)(教報)

 

カトリック学生連盟全国大会(京都)に浜口師と杉山氏が出席。

 

カトリック教報復刊(288号再刊)

長崎教区の機関紙カトリック教報は、昭和15101日、政府の出版統政令によって第287号を持って廃刊となっていたが、昭和2312月、第288号が再刊された。(教報)

 

 

1949

昭和24

220

 

528

 

 

 

 

529

 

 

 

 

83

 

 

 

814

 

 

1010

 

 

121

 

長崎カトリック学生連盟発会式が大浦天主堂で行われた。会員23名、指導司祭浜口庄八師。

 

教皇特使ギルドイ枢機卿を中心とする巡礼団72名を迎えて聖フランシスコ・ザベリオ日本渡来400年記念祭が始まった。ギルドイ枢機卿は、駅前広場を埋めた群集に向かい「皆さまのご厚意ある出迎えに心から感謝します。私と共に聖フランシスコの右腕も参りました」と挨拶された。(教報)

 

聖フランシスコ・ザベリオ渡来400年祭

浦上天主堂廃墟の壁に大祭壇をつくり、司教荘厳ミサが献げられ、約3万人が与かった。午後2時から聖腕奉持行列が大浦教会から西坂聖地まで行われた。西坂についてもなお後尾は大浦を動き出す情況でであった。(教報)

 

井持浦ルルド創設50年祭

50年前、ペルー師によって造られ、長崎教区の巡礼地として有名な玉之浦町井持浦教会では、「ルルドの聖母」像安置50年祭司式を、山口司教を迎え盛大に行った。(教報)

 

下五島カトリック連合青年会結成大会が福江教会で行われ、福江、久賀、堂崎、楠原、三井楽の6地区代表60名参加した。(教報)

 

カトリックセンターをもとの市公会堂跡に建築(3階建て・1390平方メートル)、カトリック教報社、アクション団体本部、善きサマリア人修道女による診療所を設置した。

 

教皇ピオ12世は、今年は「祈りと贖罪の聖年の年」と宣言された。

聖年式は、教皇が荘厳な儀式の中、象牙の柄のついた銀の槌で「聖年の扉を」を3度たたき、扉が開かれ「聖年」が始まる。最初に扉を打つとき「正義の扉よ我がために開け」2回目に「主よ御身の家に入らん」3回目は「天主は我と共に在す。故に扉よ開け」と唱えられる。

 

1950

昭和25

14

 

14

 

 

59

 

 

 

5.14

 

 

517

 

61

 

725

85

 

 

 

727

 

 

 

727

 

 

カトリック教育者全国協議会発足、指導司祭教区連盟教学部長、ロゲンドルフ師

 

長崎ビンセンシオ・ア・ポーロ会は協議会が30余箇所となったため、長崎教区中央理事会を設置した。

 

駐日教皇使節ド・フルステンベルグ大司教は教区内各教会施設視察のため来崎した。

 

長崎教区の信者総数、6万7千328名序々ではあるが布教の効果をあげつつある。

 

長崎市内教会連合大聖体行列が、教皇使節フルステンベルク大司教奉持で、浦上教会から西坂聖地まで行われた。

 

五島奈留教会の桜愛児園開園式。

 

永井博士が天皇御下賜の銀盃と総理大臣表彰を受けた。

 

長崎学連男子部員10名は、大浦教会少年団合流合計18名が始動司祭浜口庄八師に引率され

五島福江島で移動キャンプ修練を行った。大泊、浦頭、堂崎、水の浦、楠原、打折、岳、玉之浦、山の田、富江、福江の順でキャンプを張り、毎朝土地の教会でミサ拝聴、心霊修業から日課を始めた。(教報)

 

奥浦慈恵院、新病院落成。山口司教さまによって祝別された。新病院は、採光通風は勿論、病院としての間取りや、設備などもすこぶる近代的の立派なもので、親切な診療と共に、五島の僻村にもったいないほど充実している。(教報)

 

福江の支教会である浦頭教会は、主任松下師の指導のもと信者たちの犠牲的奉仕の結果、建築中であった教会が完成し、山口司教様の手で祝別式が行われた。(教報)

 

1951

昭和26

328

 

 

 

 

 

51

 

 

 

 

513

 

 

527

 

 

613

 

 

 

 

71

 

 

 

 

823

 

 

1013

 

 

1020

 

 

1117

 

 

 

1127

 

 

 

1221

 

 

 

山口司教を始め多数の司祭、修道者、信徒が参列して司祭叙品式が浦上天主堂で行われ、4名の司祭と、2名の助祭が山口司教の手で叙品された。叙品されたのはペトロ濱崎渡(田平)、ペトロ松本長太郎(三井楽)、ラウレンチオ竹山涼(三井楽)、洗者ヨハネ深堀政美(浦上)の4助祭とトマス・アキナス高谷義光(浦上)、ミカエル濱崎数男(出津)の2神学生である。(教報)

 

パウロ永井隆博士は午後950分長崎医大病院でご逝去、43歳だった。「祈ってください」といいながら、ひったくるように十字架を受け取り、「イエズス、マリア、ヨゼフ」の聖名を叫ぶようにとなえてそのまま息を引き取った。14日浦上天主堂で市葬が行われ約2万人が参列した。(教報)

 

山口県津和野の乙女峠に浦上信者流配記念聖堂が建てられ祝別式が行なわれた。明治元年、高木仙右衛門、守山甚三郎ら、浦上信者154名が流されたところである。(教報)

 

奥浦慈恵院は昨年をもって、創立70周年を迎えた。記念式典は都合によって今年に延ばされていたが山口司教を始め、司祭その他関係者多数参列して記念式典が催された。(教報)

 

奥浦小学校で、里脇浅次郎師を招き「米国の教育事情」についての講演会を開いた。小中学校教官、村長など百名内外の有識者たちが熱心に聴講盛会であった。里脇師は1年間市カトリック大学に在学、米国の哲学思想、社会思潮を研究され、教育者にとって得がたい講演であった。(教報)

 

浦上教会で聖職者、信徒多数が参列して叙品式が行なわれた。トマス高谷義光(浦上)、ミカエル濱崎数男(出津)の両師が山口司教によって叙品された。(教報)

 

長崎市内教会連合の聖体行列が約1万人の参列で純心学園から浦上天主堂まで行われた。

 

教育者連盟が五島奥浦中学校で教員講習会を開いた。30名が聴講、道徳教育について学習した。(教報)

 

「聖年」は1224日まで延長されていたが、ファチマの聖母出現にあわせ公式閉年式が行われた。なお個人的な「聖年」は12月24まで続けられる。

 

ルース台風が教会に与えた被害は、改築中の奈留島教会司祭館が倒壊、葛島司祭館が高波に洗い流された。(教報)

 

教区カトリック医師会発足式がカトリックセンターであげられた。山口司教および指導司祭里脇浅次郎師は、医師に与えられた天職の尊さと、物心両面における愛の事業に尽くすべきことを説いて激励した。(教報)

 

松下神父の発案で、五島地区各教会の公教要理コンクールが福江教会で行われた。堅信組みから20歳まで、20歳から30歳まで、30歳以上のグループにわけ、各教会から選抜された各組5名のグループはいずれも素晴らしい成績だった。(教報)

 

ローマのプロパガンダ大学留学中の川口藤吉師(青砂ケ浦)は同大学付属聖堂において、澤田和夫師(東京教区)と共に司祭に叙品された。(教報)

 

 

1952

昭和27

18

 

1

 

 

25

 

422

29

 

 

 

 

723

 

 

8

 

 

98

 

 

 

 

 

1014

 

 

1114

 

 

 

1122

 

 

 

 

12

 

1216

 

1223

 

 

 

1227

 

 

 

 

第1回神学講座が山口司教ご臨席の下に袋町カトリックセンターで開講した。(教報)

 

水の浦小教区の巡回地である山の田教会は、教会(15坪)、司祭館(9坪)が完成した。わずか12戸の信者の苦心が実を結んだ。(教報)

 

26聖人殉教、350年祭は、山口司教の司式のもとに、中町教会で献げられた。

 

全国教区長会議は東京大司教館で開かれ、次のことが決定された。

1、 バロセロナ万国聖体大会に合わせて、日本でも各教区で一つの教会を選び、3月31日から6月1日まで聖体を顕示して礼拝を行う。

2、 カトリック教区連盟をカトリック教区中央協議会として再発足する。

3、 高山右近列福運動を推進するために、東京で準備調査を実施する。

 

カトリック学生連盟第5回全国大会はカトリックセンターで開かれ、参加学連33、学生280名、県内学生50名計330名が参加した。

 

水の浦教会(主任濱口貞一師)の巡回地である山の田教会は、1月完成した。教会15坪、司祭館9坪、わずか12戸の信者の努力が実を結んだ。祝別式は8月に行われた。(教報)

 

フランシスコ会浦和大神学校卒業生7師の司祭叙品式が、教皇行使フルステンベルグ大司教司式の下に浦和上区長座教会で挙げられた。7名はかつて長崎市浦上のフランシスコ会小神学校で勉強した人々で6名は長崎教区出身である。ラウレンチオ野口進(浦上)、レオ松山秀光(相浦)、ボナベンツラ山本善次郎(三井楽)、ステファノ桜井豊(千葉県)、ベルナルド冷水義美(折島)、ヨアキム前川登(浦上)、アウグスチノ片岡哲夫(浦上)。(教報)

 

長崎公神学校が教皇庁公使フルステンベルグ大司教によって祝別された。

鉄筋コンクリート造、3F建、延面積約550

 

三井楽町岳教会(主任・岩永静夫師)はかねて拡張工事中であったが完成し、山口司教様の手で祝別された。総坪150坪、ほとんど新築と変わらないような、みずみずしい美しさと堅ろうな教会となった。(教報)

 

アウグスチノ会は山口司教の招きにより、教区内で布教するため、クルパー、ロビンソン、ブルセルの3師が来崎した。アウグスチノ会は1602年、マニラからはじめて来崎、聖堂は本古川町にあったが1614年破壊された。同会のトマス・デ・アウグスチノ神父は1637年に穴吊り刑で殉教して以来、約300年ぶりに活動開始。

 

JOC長崎発足

 

神学講座第1回終了式が行なわれた。17名に終了証、9名に精勤証が授与された。(教報)

 

水の浦教会の巡回地楠原教会の光幼児園は、落成式を行った。戦時中、田川栄一師が戦時託児所として設置され、司祭館を仮園舎として使用していたもので、昭和24年児童福祉法による保育所となった。(教報)

 

ステファノ岩永尚志(横浜教区)は横浜市山手教会で荒井横浜司教から司祭の聖位に上げられた。同師は岩永静夫師の令弟である。(教報)

1953

昭和28

11

 

 

 

 

 

 

16

 

 

331

 

628

 

 

727

 

 

81

 

 

8

 

 

108

1017

 

1012

 18

 

123

131

 

 

128

 

 

 

山口司教年頭教書

世界人口に対するカトリックの割合は約6人に1人で、わが国では510人余に1人です。更に私共の教区では24人に1人、南松では6人に1人だそうです。私たちは救い主イエス・キリストの御精神を体して、自己の聖化に努力し、隣人への愛の業を励み、地の塩となり、灯火となることは決して自惚れではない。私たちは永遠の救いのみならず、地上の国家民族にも貢献できると思います。

 

教皇ピオ12世は教皇制令を発布

「聖体拝領の断食の緩和。夜のミサ挙式について」

 

大浦天主堂が国宝指定を受けた。

 

長崎連合青年会が「社会主義政治が実現した場合、果たして勤労者の生活は向上するだろうか」というテーマで討論会を開いた。

 

SVP中央理事会が中島川の出水のための家を流された長崎マリアの町の人々54家庭に救援物資を配布した。

 

教区統計公表。日本カトリック教勢は、15教区、信徒数 185284名、長崎教区は、信徒数69740名。(教報)

 

12代福江教会主任で現大浦教会主任濱口庄八神父様は今夏東京で開かれた第6回全日本カトリック学連大会で同学連副総裁に推戴された。

水の浦教会信者や白百合保育園が岐宿町公民科主催の大運動会に参加した。

 

五島貝津小教区を新設、初代主任浜口貞一師。

 

教区聖職者の黙想会は大浦天主堂で行なわれた。説教師はメルシエ師、黙想期間中特に、信者一同が神父様方のために祈るよう希望されている。(教報)

 

 

聖体永久礼拝教会第1回目は、123日・浦上教会、1220日・黒島教会、1227日・水の浦教会、13日・三浦教会、110日・楠原・鯛の浦教会、117日・小神学校教会 124日・紐差教会、131日・浜脇・真手の浦教会

 

聖母の年はじまる。聖母無原罪の御孕り教義宣言百周年にあたり、教皇ピオ12世は、128日より1年間を「聖母の年」と定められた。長崎教区では特に、元帳の帰正を祈る。

 

1954

昭和29

125

 

325

 

51

 

 

 

 

54

5

 

 

529

 

 

 

62

 

 

6

 

 

 

919

 

926

 

1011

 

 

1017

 

 

111

 

 

125

 

五島岐宿町楠原保育園火災。

 

教皇ピオ12世は「聖なる童貞生活」の回勅を令した。

 

ローマ聖母年間実行委員会会長アロイジオ・トラリオ大司教は世界各地の教区長に書簡を送り、本年の聖母月の務めを一層盛んに行うよう要望した。特に回勅「フルゼンス・コローナ(聖母の無原罪御孕淋協議宣言)」に含まれる教皇ピオ12世の意向を体して一般信者が祈るよう求めた。

 

下五島各教会連合聖母大会は、玉之浦ルルドで行われた。4日午後7時からローソク行列。5日一週間前に取り付けられたばかりの聖鍾の音に下五島各小教区より船をしたてて、約3千の信者が参加した。(教報)

 

ピオ10世教皇の列聖式は聖ペトロ大聖堂において盛大に挙行された。教皇は「聖母無原罪の御孕りの教義宣言」50周年に当たる1904年教皇位にあり、特別の回勅を発し、同宣言100周年の今年、聖人の光栄に挙げられ、格別の尊敬を受けることになった。

 

全国教区長会議で布教委員会が設立された。この委員会の目的は布教方法を研究史、その成果を宣教師に提供することである。(教報)

 

全国教区長会議において、カトリック教育特別委員会が構成され、教区長会議に直属されることになった。これはカトリック教育精神と教会法の趣旨にしたがって教育の使命をまっとうするための研究と推進を目的とするものである。

 

三井楽岳教会が淵之元海岸から教会まで1里の道を聖母行列をした。

 

貝津教会が嵯峨の島の「聖きロザリオ」教会まで海上パレードの聖母行列をした。

 

教皇ピオ12世は回勅「アド・チェリ・レジナム(天の元后へ)」によって5月31日を新祝日とすることを宣告。

 

教区聖母行列が浦上天主堂から純心女子学園校庭まで1万人の参列で行った。上智大学大泉孝学長の説教。聖母マリアに長崎教区を奉献する祈願分を献げた。(教報)

 

水の浦小教区が水の浦、楠原、打折の各教会でローソク行列による墓地参拝をして死者のために祈った。

 

山口司教が聖母年の終わりにあたって、無原罪の祝日前9日の修業を勧め、ミサ中に迫害下にある教会のために祈ることをすすめられた。

1955

昭和30

23

 

315

 

 

419

22

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

53

 

 

527

 

629

 

7

 

1116

 

1124

 

1225

 

 

 

幼児教育協議会の発会式がセンターで行われた。教区内13幼稚園で構成。委員長は田中師。

 

8代福江教会主任で現中町協会主任古川重吉師は、長崎司教総代理里脇浅次郎師の鹿児島司教任命に伴い、その後任として、長崎司教総代理に任命された。

 

教区長会議は4月19日〜22日までカトリック中央協議会で開催され、フルステンベルグ大司教、土井東京大司教、山口司教をはじめ各司教、教区長、修道会長ら70余名が出席され協議が行われた。次の決議事項がなされた。

1.    共同指針が完成したので、その解釈、同問題等の処理のために大阪、札幌、新潟3教区長を持って常設委員会を設ける。

2.    公教要理、祈祷文の改善のため、京都、横浜、仙台、鹿児島、広島の各教区長なり委員会を設ける。

3.    カトリック諸施設従業員の保険問題解決のため、委員会をもうける。大阪、札幌の両教区長がその顧問に当たる。

4.    学校におけるカトリック教育のため、大阪、札幌、新潟の3教区長により常設委員会を設ける。

5.    最近写真撮影が信心を妨げ、敬虔を損なうことがあるので、その乱用を防ぐため、規定を設け、実践を要望する。

 

里脇浅次郎鹿児島被選司教の祝賀式が西中町教会で行われ、駐日教皇庁行使フルステンベルグ大司教によって祝聖された。

 

福江聖マリア病院開設。

 

福江聖マリア病院付属聖堂祝別。

 

SVP長崎中央理事会下記総会はカトリックセンターでおこなわれた。

 

山口司教が全国社会教育功労者として社会教育協会から表彰された。

 

前仙台教区長浦川和三郎司教が仙台市のナザレト病院でご逝去。

 

長崎教区は、長崎市の城山、油木及び小江原、式見一帯の布教と司牧を「聖アウグスチノ修道会」の城山教会に委ねることを決定した。アウグスチノ会教会区が長崎に設置されたのは1612(慶長17)年で中島川東岸地域に古川町教会があり、1万人の信者を司牧した。

1956

昭和31

211

 

 

314

 

 

317

 

410

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7

 

 

920

 

 

 

1028

 

 

 

 

 

 

 

1115

 

 

 

1117

 

山口司教は、「浦上教会再建事業資金募金」のためアメリカで10ヶ月もの間アメリカに滞在して活動していたが、漸くアメリカからご帰国された。

 

長崎教区は、愛宕教会を設立。長崎市の愛宕、小島、高平、油屋、八坂、今篭及び茂木の一帯の司牧と布教をレデンプトール会に委ねた。

 

教皇ピオ12世の戴冠17周年記念式典はペトロ大聖堂でおこなわれた。

 

全国教区長、修道会長、宣教会長会議は10日〜13日まで、東京カトリック中央協議会で行われ、次のことが決定された。

1.    日本カトリック移民協会を設立。田口大阪、深堀福岡、フルや京都3司教

2.    汎太平洋カトリック社会運動協会設立の提案は受理。日本カトリック中央協議会代表、プライソン師任命。

3.    カトリック中央協議会教学部の援助機関として、カトリック教育協議会設置。

4.    求道者のための公教要理(広島発行)自動のための公教要理(鹿児島で準備)が試験的に使用許可。

5.    カリタス会はカトリック中央協議会の社会福祉部となる。

6.    カトリック映画倫理委員会を設置。

7.    新しい歌集の編纂委員会を設置。

8.    12月第1日曜日を召命増加のための邦人司祭養成デーとする。

9.    828日〜30日まで、大神学校にて、仔細の為の公教要理教授法の講習会を開く。

 

大斎、小斎日は待降節の四季の金曜日となることがロ〜マ聖庁から許可された。従来は御降誕の大祝日の前日となっていたが免除される。

 

台風9号、12号、ことに12号が北松、五島地区に与えた被害は甚大で15教会は相当な被害を受け、7箇所の司祭館と信者の家屋167戸が全壊もしくは半壊した。貝津教会で1名の死者がでた。

 

教区聖体行列は、神学校、上野町、橋口町、山里町を通り、浦上教会で14時ベネヂクショで終了した。

 

日本カトリック教会教勢

全国15教区 信徒数 227578

長崎教区  司祭 85(教区、修道会)

       信徒数 73235

 

教区内無誓願修道院は「聖脾姉妹会」として発足。各所の院長(60歳以上は代理)22名は1115日から大浦修練所にて、山口司教司式修練期間4ヶ月後の翌315日に初誓願を立てた。   

 

教区カトリック医師会はカトリックセンターで例会を開く。

 

 

1957

昭和32

11

 

 

 

 

 

25

 

 

33

 

317

 

 

 

 

 

 

319

 

 

 

 

 

 

 

430

 

 

823

 

 

 

 

828

 

 

105

 

1020

 

 

 

 

 

 

92

128

 

 

 

 

山口司教年頭のことば

今年は信者の大会がローマで開かれ、布教活動が昂揚される年でもあります。ヴィセンシオ会、レヂオマリエ、祈祷の使徒会など、アクション・カトリックがもっと盛んになって欲しいものです。また今年は踏絵が安政5(1858)年に廃止されてより100年目に当たり、二百数十年に亘る切支丹迫害中止の前触れとなった年です。

 

日本26聖人殉教360周年記念祭が中町教会で行われ、山口司教によって記念ミサがささげられ、終わって西坂殉教地へ団体参詣した。

 

水の浦小教区の楠原教会の聖鍾は戦時中供出されたので、新たに求めて祝別した。

 

山口司教は旧信徒発見記念日に「司教教書」を出された。

1.    救霊のために先祖たる殉教者の信仰を学ぶ。

2.    数世紀に亘る教会の伝統と信仰の遺産を守りぬく。

3.    子女の教育に不敬が特に心を配る

4.    積極的に布教活動に協力するため、アクション団体に加入する。

5.    神学生の召命に協力する。

 

教皇ピオ12世が、聖体拝領前の断食規則の緩和を拡大する教皇自発教書を発布された。

1.    固形食物とアルコール飲料は聖体拝領3時間前にとってはならない。

2.    アルコール分を含まない飲料(流動物)も1時間前からとってはならない。

3.    水はいつ飲んでも聖体拝領の妨げにならない。

4.    病弱者は時間の制限がなくアルコール分を含まない飲料をとることができる。また適正な薬としてなら固形物でもアルコール分を含む飲料でも時間の制限なしでとることができる。

 

全国教区長、修道会長、宣教会長の定例会議が、5月3日まで、東京カトリック中央協議会で開かれ、カトリック移住協議会を設立することとなった。

 

久賀島の「牢屋の窄」で、殉教90年祭が行われた。信者500名が集まり、追悼祭の後、迫害当時の生存者2名に記念品が贈呈された。一人は文久元年生まれの宮本タキ(97歳)さん、8愛のときにこの牢で苦しめられた。一人は明治元年生まれの浜村ツワ(90歳)サンである。入牢当時1歳の赤ちゃんだった。

 

教区主催第1回公教要理コンクールが司教館の旧神学校教室で行われた。長崎、佐世保、平戸、上中五島、下五島から選ばれた小・中・高生が参集した。(教報)

 

長崎教区信徒使徒職協議会が発足した。

 

教区信徒使徒職第1回大会がセンターで行われ、山口司教、司祭70名、修道者60名、小神学生50名、信徒850名が参集し、浜口庄八師「使徒職について」の講演ののち、テーマ「長崎の現状と信者の使徒的使命」について討議した。教区信徒使徒職委員会を発足させ、総指導司祭に古川重吉師、補佐に深堀栄市氏を推戴し、組織図を検討・承認した。

 

貝津小教区、三井楽小教区から分離独立

 

福江教会は古い病院を改造したもので、よる年月にくたびれ朽ちかかっていた。青年会員たちの発意により、主任司祭松下神父さまの同意を得て、補修を92日から日曜日毎に奉仕活動を行い、このほど完了した。途中1010日の竜巻によって、救援活動などもあり、12月8日迄の出動人員は170人、教会は見違えるように美しくなった。

 

 

1110

 

 

 

 

121

 

 

 

1226

突如として福江市を襲った竜巻のため、多数の被災者を出した。聖マリア病院は福江病院と共に負傷者を収容して救護にあたった。福江教会所属信者の被災者は、家屋全壊9戸、半壊9戸、被災者延人員77名、そのうち死者3名、負傷者4名。山口司教さまは直ちに救援金を急送された。

 

10月20日の信徒使徒職教区大会で各小教区統合組織である地区別協議会の結成が準備され、カトリックセンターで集会が開かれた。協議会では地区協議会役員の選出、活動奉保が討議された。

 

奈留小教区の巡回教会、水の浦教会は民家を改造した仮聖堂であったが725日の台風で倒壊したが、再建され奈留教会主任丸尾武雄師の手で祝別された。

 

1958

昭和33

11

 

 

 

 

 

 

211

 

 

 

215

 

414

 

 

429

 

 

 

720

 

 

723

 

 

726

 

 

728

 

81

 

 

山口司教、年頭のことば

イエズスのことばに「神の国とその義を求めよ」と仰せになりました。新年に適したことばと思います。現代は原子力時代だとか人工衛星の時代とか言って非常に学問が進歩してまいりました。しかしその裏には不幸な信仰が強くなっています。学問が進んだら信仰はいらない、今の世界のことも人生の問題も解決されてくると勘違いする人がいるのです。ところが本当の学者や考えの深い人々はそんなことに目をくらまされません。

 

井持浦教会では、ルルド御出現100周年記念祭が行われた。司教総代理古川重吉師をはじめ、下五島小教区の司祭、信徒、遠くは福岡、長崎から信者1000名が参集。団体ごとのルルド参詣の後、松下師の歌ミサとベネジクシオンが行われた。

 

前鹿児島教区長出口市太郎師ご逝去。

 

勤労者連盟(NCR)第1回大会がカトリックセンターで開かれ、「職場における勤労者の使命とあり方」について討議された。

 

使徒職教区協議会の結成集会がカトリックセンターで開かれ、山口司教、古川総指導司祭、各教区と各種団体指導司祭、地区と小教区・各種団体の代表ら参集し、役員に会長片岡弥吉、副会長本山初見、杉山末吉、書記井手利雄、吉野保、会計森山一男を選任した。

 

SVPはカトリックセンターで「家庭の聖化についてのSVP」のテーマで、中央理事会の総会を開いた。

 

聖フランシスコ会日本管区長ブルダン師を団長とするフランシスコ会司祭6名、カリタス会修道女2名、東京田園調布教会を主とする信徒21名が玉の浦ルルドに団体参詣した。

 

聖母御出現100周年にあたり、鶴田師を団長とする長崎市内教会の信徒490名は、九州商船「藤丸」をチャーターして、玉の浦ルルドへ団体参詣した。

 

北松地区CA協議会が主催して、玉の浦ルルドに100名団体参詣した。

 

教区教勢 信徒総数 76,447名  全国カトリック総数  254,114

 

 

99

 

928

 

105

 

109

 

 

1016

 

 

 

1026

 

114

 

 

 

1127

 

 

 

1129

 

127

 

128

 

1212

 

 

 

12

教皇ピオ12世ご逝去。

 

新ローマ教皇にロンカツリ枢機卿が選ばれ、ヨハネ23世誕生。

 

信徒使徒職教区協が第2回教区大会をセンターで開き「家庭の聖化」について協議した。

 

教皇ピオ12世は1552(日本時間1152)脳出血と心臓衰弱により、カステンドルフォの別荘で薨去された。

 

教皇ピオ12世追悼荘厳ミサが山口司教によって、大浦天主堂でささげられた。山口司教は「教皇は敗戦後の日本に経済に特に意を注がれた。また昨年の水害に寄せられた温情に感謝の旨の追悼説教をされた。

 

下五島地区の聖母行列が三井楽岳教会を中心に2千名の参加で行われた。

 

262代教皇ヨハネ23世の戴冠式は聖ペトロ大聖堂で行われた。グレゴリオ大聖堂で、枢機卿、大司教、司教、大修道院長らの服従の礼を受けられた後中央大祭壇にて教皇着座荘厳ミサがささげられた。

 

使徒職教区協が第2回総会を中町教会で開き32名出席、次年度の活動テーマを「家庭の聖化」の継続と決め、指針として@信者家庭から人の悪口、そしりなどの悪風を追放A教報を読む運動の展開B会合やけいこの出席を促すことにした。

 

新教皇ヨハネ23世に長崎教区全聖職者と信者の名をもって祝電を電送。

 

楠原教会は墓地から教会まで、600余名の信者たちで聖母行列を行った。

 

五島水の浦教会は教会から墓地を経て教会まで200余名の信者たちで聖母行列を行った。

 

ローマ政庁国務長官タルディエ枢機卿より、新教皇への祝電に対し返電があった。

「新教皇聖下は長崎教区信徒及び聖職者の孝愛の祝詞を嘉納されされ、ここに願望を込めた励ましの祝電を送る」

 

長崎教区信徒使徒職機関紙第2号「ウニオ」を第2回大会記念号として発行。

 

 

1959

昭和34

11

 

 

 

 

18

11

12

 

31

 

 

315

 

 

47

 

 

429

 

520

 

 

525

 

 

 

 

5

 

 

5

 

 

 

531

 

65

 

 

 

 

821

 

825

 

917

 

1011

 

 

 

司教年頭のことば

心をつくして神を愛されるなら、信徒使徒職を強化してもらいたい。教区の各種の事業を授け貧しい人々を助け、迷える人を導き、幼きイエズスのお側に案内するよう務めてもらいたい。

 

使徒使徒職教区教議会の研修会が中町教会で開かれ、「使徒職とは何か」「真の信仰とは何か」「カトリック家庭の美しさ」「聖寵の力と聖寵をうる道」と題して、浜口庄八師、深堀栄市師の講演があった。

 

山口司教 1959年教皇「潔白の徳について」

節制、罪の機会を避ける、秘蹟を受けること、確信を持つこと

 

ローマ布教聖省長官代行グレゴリオ・ペトロ・アガジニアン枢機卿は長崎を公式訪問され大浦天主堂でミサをささげられた。

 

全国教区長会議で12月第1日曜日を「邦人司祭養成日」と決め、また、聖霊降臨祭を「病者の布教日」とした。

 

奥浦慈恵院に全国優良社会事業施設として天皇誕生日に御下賜金が送られた。

 

信徒使徒職教区協議会が総会をセンターで開き、組織変更と経費分担(一人年額1円)を決定し、また、毎年秋に大会を開くことにした。

 

長崎教区が九州の首都大司教座に昇格し、山口司教が大司教に任命された。

長崎首都大司教区は、長崎、福岡、鹿児島、宮崎、広島も所属教区となる。

 

教区統計が発表され、長崎教区信徒総数、7万8千196人

 

長崎カトリック学連は、今年の4月から毎月第1、第3日曜日の1030分からカトリックセンターで浜口師の指導で聖書研究を続けている。

 

教皇ヨハネ23世は聖体拝領の規定を緩和された。今後各地の定住司教は、小教区聖堂及び日小教区聖堂病院や監獄等の礼拝堂で聖体を授ける許可を与えることができる。従来はこれまで午後の聖体拝領はミサか、ミサの直前に限られていた。

 

カトリック教職員協議会は第14回大会を純心女子短大で開いた。

 

山口大司教は聖霊降臨の大祝日に大浦天主堂にて荘厳ミサをささげられ、「聖霊降臨はキリスト教の創立と継続と拡張の記念日である。我々人間にとって信仰の自由は最も重大なお恵みである。聖霊のお助けを祈り求めると共に決意を固めて努力しなければならない。」と説教された。

 

JOC全国研究会は、23日までの3日間上智学園で開かれた。

 

全国司祭大会は上智会館で3日間開かれた。

 

奈留教会が台風14号で使用不能となった。

 

長崎本河内聖母の騎士教会の境内にあるルルドに対し、ローマ聖庁から授けられた恩典によって、参詣するものに讀宥が与えられることになった。

 

 

 

1026

 

 

1026

 

 

 

 

1210

 

 

 

 

 

127

 

 

1213

 〜14

 

使徒職教区協が第3回大会をセンターで開催、浜崎数雄師が「JOCの方法による布教活動について」講演した。テーマ「カトリック的親子関係について」シンポジュウムを行う。

 

初代邦人長崎教区長、ヤヌワリオ早坂久之助司教が1121分、仙台市光が丘スペルマン病院でご逝去、76歳だった。27日に仙台、29日は東京で追悼ミサの後30日に大浦天主堂、その後純心聖母会に移り通夜。

 

 

教皇ヨハネ23世は布教に関する回勅「プリンチェプス・パストールム(牧者の王)を発布された。12部布教地の司教と司祭に関し、3部は布教地の信徒、4部は布教地の信徒使徒職の指針について述べられた。

 

福江教会の松下師が五島小中学校長会で講演をした。

 

楠原教会では西楠原墓地から教会まで、水の浦教会では教会から墓地を経て教会までそれぞれ聖母行列が行われた。参列者は楠原教会600人、水の浦教会200人。

 

長崎教区内のJOC全組合では、総副指導司祭アルトゥス師、総会長猪原英雄氏、九州駐在員光本レイ子さんを迎えて浦上教会において結成会を開き、山口司教ご臨席の許に地方連合会が結成された。

 

1960

昭和35

11

 

15

 

128

 

 

 

328

 

511

 

 

511

 

 

山口大司教 年頭のことば

 

駐日ローマ法王庁特命全権公使ドミニコ・エンリッチ大司教任命

 

ヨハネ23世は25日までの恒例の祈祷週間に「信仰一致のために、フランシスコ贖罪会総長に、きたるべき第2回ヴァチカン公会議、成功のために祈祷週間」を強化するよう要請。山口司教はご意向にそい教区内で実施するよう指令された。

 

東京教区長土井辰雄大司教が枢機卿に任命された。アジアで3人目である。

 

使徒職教区協が第5回総会をセンターで開き、「けいこによく出席し、それを相互教育の場にしよう(特に親として)の具体化を検討した。

 

使徒職教区委員会(指導司祭会議)で、@ラジオ布教への信徒の協力を今年度目標に追加、A要理教授に関する問題を研究、B青少年指導上の問題の研究のため鶴田師を責任者に委員会設置を決めた。

 

 

5

 

 

 

65

 

 

 

 

619

 

 

71

 

728

 

 

86

 

 

8.

 

 

 

1012

 

1026

 

 

 

1113

 

1211

 

 

1214

これまで午後の聖体拝領はミサか、ミサの直前に限られていたが、「定住司教は、小教区聖堂及び非小教区病院や牢獄等の礼拝堂で聖体を授ける許可を与えることができる」と聖体拝領の規定が緩和された。   3551  423号

 

山口司教は聖霊降臨の大祝日に大浦天主堂で荘厳ミサをささげられ、「聖霊降臨はキリスト教会の創立と継続と拡張の記念日である。人間にとって信仰の自由は最も重大な恵である。聖霊の御助けを祈り求めると共に、決意を固めて努力しなければならない」と説教された。

   3571  425

 

教理教授委員会第1回準備委員会を城山教会で開き、小学校児童を対象とする要理教育について話し合った。

 

教区統計発表、信者総数78,296名。

 

カトリック学生連盟、第13回全国大会(札幌)に長崎から10名が参加し、ゼミナー「日本人の宗教観とカトリシズム」を担当した。

 

聖ヴィセンチオ会第6回全国総会は横浜市で開催され、次回は全国大会は長崎で開催と決めた。

 

島根県浜田市曙缶詰工場に長崎教区信者の集団雇用先を招請により、黒島教会田川師が視察した。同社には黒島、相浦、五島方面より100名が就職シ、ミカエル浜口五郎八の献身的な努力がはらわれていることがわかった。

 

ファチマの聖母御出現43周年百万人の信心行事で、長崎教区が徹夜の聖体礼拝を行った。

 

在ジュネーブ国際カトリック移住委員会東京駐在代表ペリトン博士と日本移住協会常任理事坂本龍起が来崎。県海外移住長崎商工会議所の関係者及び長崎教区移住担当司祭糸永師らと県庁で会合し、上記委員会や協議会の趣旨の理解を求め、今後の協力について協議した。

 

信徒使徒職第4回教会大会はカトリックセンターで開かれた。テーマは「家庭人の教育」

 

SVP教区総会は「SVP活動の拡大強化の方法」をテーマとして、カトリックセンターで開かれた。

 

使徒職教区協が第6回総会をセンターで開き、教会との密接な一致のもとに使徒職活動に励むことを確認し、来年度活動テーマを「未信者の人とより親しくし、社会の中に入り込む運動」、具体的方針「隣人に対して先ず挨拶を」と決定した。

 


  
   


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