フレノー師

 

フレノー師年譜

1847(弘化4)年1010日 フランス、ラ・ロシェル教区。ジョンザクに生

まれる。

1858(安政56月      日米修好通商条約、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同様の条約を結ぶ(安政の5カ国条約)。外国人が時刻の宗教を信仰すること、居留地内であれば教会を建てることも自由、外国人に対しては信教の自由を保証する。ただし、明治政府は早々に五傍の掲示で「キリシタン宗門の儀は是まで御制禁の通り固く可相守事」キリスト教禁止の継続を明確にしていた。遊歩規定が定められていた。

1870(明治3)年      教皇ピオ9世は第1バチカン公会議召集

1872(明治4)年7月2日  24歳で司祭叙階、モンリーユで学院教師。

1872(明治5)年102日 パリ外国宣教会入会。

1873(明治6)年4月    キリスト教禁制高札撤廃。黙許(黙認)へ

禁教令が撤廃され、プチジャン司教、早速宣教会本部へ大阪から次の電報を打つ。「禁教令撤廃、囚徒釈放。ローマ、信仰弘布会、幼きイエズス会へ伝達頼む。宣教師15至急必要」宣教師11名が派遣される。

1873(明治6)年57日  他の10師とともに日本に向け出発。明治2年にスエズ運河が開通していたため2ヵ月足らずの7月末、長崎着。26歳。居住制限(遊歩規定で決められた地域内だけ自由に往来できた)、長崎市街地とその周辺の浦上村山里および淵村とを含む幕領地まで。

1874(明治7)年531日 「外国人内地旅行充準条例」病気保養と学術研究に限り外国人の内地旅行を認める。

1874(明治7)年      浦上の病者係りとなる。

1877(明治10)年     幼きイエズス会、渡来、長崎と大阪で福祉および教育面の事業を始める。

1877(明治10)年     フレノー師五島列島での司牧の任命を受ける。

1879(明治12)年12月   外人遊歩地域は長崎港を中心にして10里(40キロ)まで広げられる。しかし五島列島はまだ禁止区域内であった。五島へ渡のは両師の小舟を利用するしかなかった。

1880(明治13)年1月   長崎神学校校長となる。

1880(明治13)年1115日 イエズス会長崎南山手に修練室開設。

1883(明治15)年9月   九州一円の布教任命を受ける。

1883(明治15)年1231日 深堀達右ヱ門、高木源太郎、有安浪造司祭叙階。

1884(明治17)年107日 午後130分、プチジャン司教、帰天。55歳日本在留20年、司教在任18

1885(明治18)年117日 補佐司教ロカニュー師大阪で帰天。

1885(明治18)年416日 ブレル師長崎から五島へ渡る途中で突風にあい、信徒13名とともに海上で消息をたつ。

1885(明治18)年4月   フレノー師再び上五島地区の信徒の司牧を命じられる。

1888(明治21)年9月   浦上教会主任となる。

1890(明治23)年913日 幼きイエズス会、浦上山里村裏中野に修道院設立。同所に私立女子「三成小学校」創立。

1894(明治27)年81日 日清戦争

1895(明治28)年417日 日清講和条約

1895(明治28)年     浦上天主堂新築工事始まる。

1899(明治32)年717日 外国人の内地雑居が許される。

1904(明治37)年21日 日露戦争

1911(明治44)年124日 浦上教会司祭館にて帰天。64歳。心臓麻痺と診断された。

                  (浦上の使徒  山口 正 師著) 
 



  
   
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