山口武主任司祭

 

ミカエル山口武(御厨)

1939年(昭和14年)917、日松浦市御厨町に生まれる。

1966年(昭和41年)12月6日、ローマで叙階。


昭和4211日 阿野、山口両師が、司祭の聖位に

ミカエル山口〔西木場教会出身〕、ペトロ阿野武仁〔中町教会出身〕両師は昨年1116日、ローマのプロパガンダ大学チャペルでアガジニアン枢機卿から、めでたく司祭の聖位にあげられた。両師共、長崎神学校から東京大神学校に進み哲学を了えてから、19618月、プロパガンダ大学に留学して神学を勉強、昨年815日副助祭、10月4日助祭に叙階されていた。なを山口師は西木場小教区出身の司祭としては最初の人である。

1968年(昭和43年)9月、青砂ケ浦教会助任。

1969年(昭和44年)4月、俵町教会助任。

1969年(昭和44年)5月、俵町教会主任。

1971年(昭和46年)10月、浜脇教会主任。

1973年(昭和48年)3月、東京真生会館勤務。

1979年(昭和54年)6月、八幡町教会主任。

1983年(昭和58年)3月、島原教会主任。

1988年(昭和63年)3月、神崎教会主任。

1992年(平成4年)5月、時津教会主任。

2001年(平成13年)4月、川棚教会主任。

2003年(平成15年)1118日、国立川棚病院で帰天。64歳。

 

あそび

日頃なにげなく使っていることばでもあらためてその意味を問うてみると答えに窮することがしばしばある.
本号のテーマのあそびもそのひとつであろう.あそびは余暇を楽しむことであるとわたしなりに定義しておいてつらつらと考えることを楽しもうと思った.もしわたしがこの原稿の依頼をうけてそれを義務的に考えているのであればもう遊びではなくなるからだ余暇という時を持ち得ることもそれを楽しむことも自由人にしかできないことである.

今日かつてのような奴隷制度はないと思うが,本当の奴隷には余暇もそれを楽しむこともないはずだ余暇を楽しむ行為は自分自身の自由な決断によって選ばれた目標に向かっているという条件が満たされないところに存在し得ないからだ目標のない人間がいるとすればかれは本当の奴隷でありかれにとって余暇は退屈な時であり楽しむどころかしらじらと空しいのみであろう.

そこには救いはない学校と訳されるスコラという語には余暇という意味があると聞いた真理を深求することの条件は余暇をたのしめるということだろうか.いわば余暇を自分の時として楽しむことのできる自由な人に心理到達への道は開けるのであって強制や制約によって動かされる奴隷的な人にはその道は閉ざされているというのであるそれなら駄馬も競走馬もいっせいに同じ距離を競わせて序列を決めてゆく.
今日の社会にあって本当の学問真理探求はどうなっているのだろうか聖書にはこう記してあるもしあなたがたがわたしにとどまるならばあなたがたはまことにわたしの弟子であるあなたがたは真理を知り真理はあなたがたを自由にするだろう
(ヨハネ8・3132)

一時的な感激ではなくイエスに対する不断の忠誠つまりイエスが実生活のすべての動機となる生き方が弟子の条件でありイエスを知ることが自由への道であるという知るという語は情報によっての経過抜きの結論知識ではない.これはイエスとの交わりという体験からくる生きた知識であり信仰である信じる人は真理イエスによって自由な人にされるというのである.


こう考えてみるとあそびと信仰と自由とには深い関連性があることに気づく.イエスを信じるということはイエスをすべての行動の動機とする努力ある生き方であり信じる生き方のあるところでは我―わがままな自分に捕われることから解放されてゆくだろうイエスという目標に向かって複雑な生活を秩序づけようとする人は心を亡ぼすと書く忙しさから解放されすべての行為に充実感を味わうことだろう.
すべての行為がイエスによって意味づけられているのだからイエスを信じる人は真理と呼ばれるかれによってほんとうにあそぶことの意味をも見い出すだろう

(八幡町教会・主任司祭)

 
 

イエスさまの受難と死と復活の物語

これから、マルコによる福音書の順序を追いながら、イエスさまの受難と十字架の死に至る物語を読んでいきましょう。なぜなら、マルコは、このイエス様の受難物語を提示しているからです。

イエス様殺害の策略から逮捕まで(14章142)

マルコは受難の物語の章の始めに「過越と種なしパンの祭りは、2日後に追っていた」と言って、過越祭について触れています。過越祭というのは、昔モ―セの時代、エジプトの国の奴隷だった民が、それから解放されたことを記念して、毎年行われる祭りです。そこで規定されているこの祭りの祝い方は、7日の間種なしパンを食べなければならない。過越の小羊をとってほふり、その血を鉢に取り、1束のヒソプを血に浸し、かもいと入口の2本の柱につけなければならない、ということです。しかし、後になって、この過越の記念の規定は少し変ったようです。祭司によって、神殿でこの儀式が再現された後、再びそれぞれの家庭において、今度はパンとぶどう酒によって家長が主催するお祝いの夕食がなされるようになりました。(1)

 
 

(1)ミシュナ・ペサヒ―ムは、紀元70年まで行われていたユダヤの慣習を保持した(ロ伝を解説したユダヤ教の教えの本)で、イエス時代の過越祭を最もよく反映していると言われている。

この祭りは、また、いつかメシアによってイスラエルの民が決定的に解放されるという信仰と希望を新にするときでもあります。マルコにとって、この年の過越の祭りは特別の意味があるのです。イエスさまと弟子たちも、形の上では、ユダヤの人々がするのと同じように夕食を取るのですが、しかし、イエスさまの最後の晩餐(ばんさん・夕食)となるこのときの夕食には、十字架につけられるメシア・イエスさまが「死を過ぎ越す」という意味がこめられているからです。

 

ベタニヤで香油を注がれる

14章から受難物語が始まります。その始まりの部分を見ると、12節で、大祭司や律法学者たちが、人に知られないように、イエスさまを殺害する計画の記事があります。そして、その記事は、1011節のユダの裏切りの記事に続いている文書に見えます。ユダはイエスさまを指導者たちに引き渡す約束をし、かれらはユダにお金を渡す約束をしています。しかし、この二つの物語の間に、香油を注がれるイエスさまの記事(39)が入っています。イエスさまがシモンの家におられたとき、ある女の人が非常に高価な香油をもって来て、イエスさまの頭にその香油を注いだというお話です。そこに居合わせた幾人かの人は、この女の行為に憤りを覚え、不平を言っています。


―マルコは、どうして、塗油の記事をここに入れ込んだのでしょうか。この疑問についても心に秘めておいて、これからのマルコによるイエスさまの行動に注目していきましょう。―「油を注ぐこと」には、だんな意味があるのでしょうか。この婦人は、どんな気持ちでイエスさまの頭に香油を注いだのでしょうか。それについては何も書いてありません。でもきっと、イエスさまに対する心からの尊敬のしるしだったのでしょう。頭に油を注ぐことは、王の即位の時に行われる行為です。この婦人が、「イエスさまは王さまです。メシアです」象徴的に「イエスは王、メシア
(キリスト)です」と証言していることになります。ところが、イエスさまはこの行為について、「この婦人は埋葬にそなえて、あらかじめわたしのからだに油を注いだのである」と、ご自分の遺体への塗油と理解しておられます。

そして、「世界中どこでも、福音が宣べ伝えられるところでは、この婦人のしたこともまた。その記念として語られるであろう」と言われます。イエスさまがこのように言われるのは、婦人が、―自分ではそれとしらなかったにしれも―、象徴的に証ししたことが「福音」だからです。つまり「福音」は十字架上で亡くなられ、復活した「王であるイエス・キリスト」を証しし、告知することなどです。ですから、マルコは、十字架上で亡くなり3日目に復活させられたイエス・キリストを―
(ガリラヤから活動を始められたイエスさまのことを伝記物語のように書いて)―「福音」として、私たちに告げ知らせているのです。そして、その福音は、これまでもそうであったように、これからも絶えず宣べ伝えられるでしょう。

 
 

イエスさまは、指導者たちの陰謀を知っておられた

香油を注がれたイエスさまが、「この婦人は、埋葬の準備のために、わたしのからだに油を注いだ」と言われたことは今読みました。マルコによると、指導者たちが隠れたところで進めているイエス殺害のはかりごとを、「イエスさまは、すでに予知しておられたので」と言いたいようです。その陰謀はイエスさまによってすでに見破られていたのです。それゆえに、ご自分のイニシァティブによって、ご自分の死を準備するために、この婦人の塗油を受けたのです。―「イニシァティブ」によるというのは、ここでは、イエスさまが「死ぬ」ということに対しても、ご自分の主導権をもって行動される、ということを意味します。

受難物語の部分に入るときに、「ご自分が出来事の主人のようにふるまわれる」と言ったことと同じ意味です。―このように、マルコはイエスさまのイニシァティブをはっきりとさせることによって、イエスさまの苦難と十字架の死が、殺す側の一方的な力としてイエスさまに追ってくる出来事としてではなくて、イエスさまの側でも、その最初から準備がなされていたのだと、福音書の読者に知らせているのです。このことは、これからの物語のなかにもはっきりと出てきます。

ユダの裏切りの物語

陰謀がイエスさまに知られているのを確認するかのように、塗油物語に続いて、ユダがイエスさまを裏切る物語をかいています。この物語は、「あなたがたの陰謀はもうすでに明らかにされています」と言っているようです。その裏切り行為については、すぐ後(14・1821)に、イエスさまによって、はっきりと予告されます。
 
 

最後の晩餐の準備(14章1216)

この部分の物語では、弟子たちが過越の食事を準備する場所をたずねる前に、イエスさまがその手はずを整えておられたことがわかります。というのは、かれらの習慣では、男の人は皮袋で水を運び、水がめをかついで水を運ぶのは、ふつう女の人がすることでしたのに、イエスさまが次のように言われているからです。「水がめをかついでいる男に出会うであろう」。その人が入って行く家の主人に「先生が言っておられます。わたしが弟子たちといっしょに、過越の食事をする部屋はどこですか」とたずねなさい。その主人は2階の準備の整った部屋を示してくれるだろう、と。このことは、イエスさまが前もって打ち合わせをしていたことを示していますし。ここでも、イエスさまのイニシァティブが強調されています。

裏切りの予告(14章1721)

夕方になって、イエスさまは12人といっしょに。この準備された部屋にやって来ます。ここでは、特別に使徒と呼ばれた「12人」だけです。これから行われる最後の夕食は、この後にすぐつづいて起こる出来事と深い関係があります。どのような関係があるかは、あとで少し詳しく学ぶことになります。この席で、イエスさまは「裏切り者が、「わたしといっしょに食事している者」(詩編41・10)の中にいる」と嘆かれます。弟子たちが心配して「わたしではないでしょう」とたずねると、イエスさまは、わたしといっしょに、鉢に食べ物を浸している者が、それである」といわれます。ユダヤ人たちは、干した果物や香料に、お酒や酢などを混ぜて作ったドレッシングのようなものに、パンを浸して食べたそうです。そして、1鉢を数人で使っていました。

ですから、イエスさまは「それはユダです」と名指ししたのではなくて、わたしの身近にいる1人であると、その人をほのめかしたのです。「まことに人の子は、自分について「書き記されたとおりに」去って行く」と言って、これから何が起こるかを目覚しておられることを表明されます。「書き記されたとおり」とは「聖書に書かれたとおり」ということですが、具体的に聖書に書かれていることというよりも、聖書全体を通して示されている「神のご計画に従って」ということを意味していると、ふつう理解されています。詩篇の41編
10節の引用によって、イエスさまは、裏切りの悲しさや恐ろしさを強調されています。食事をいっしょにする者とは、本当に信頼し合っている間柄なのです。「裏切る人は不幸である。その人は生まれなかったほうがよかったろうに」。

この稿は時津教会主任司祭

山口武師編・著による―マルコによる福音書を中心とする―

信仰への手引〔カテケージス〕よりの抜粋です。
 
 

「この時」「この杯」

イエスさまのゲッセマネでの祈りと「主の祈り」

ゲッセマネでのイエスさまのお祈りに目を向けてみたいと思います。マルコ福音書14章によれば、イエスは悲嘆にくれもだえ始めた、と33節に書かれているように異常に逼迫した中でイエスさまは人から離れたところで地にひれ伏して、もしできることならばこの時が自分を過ぎ越すようにと祈られます。アバ父よ、あなたにはできないことはありません。わたしからこの杯を取りのけてください、しかし私の思いのままではなく、あなたのおぼしめしのままに。36節。

人から離れたところで地にひれ伏して祈る姿は苦しむ詩篇作家たちが祈るときによくとった姿だと言われます。イエスさまは今、かれらと同じ苦しみを経験されておられるのです。この時とかこの杯というのはみんなから拒絶され弟子たちからさえ置いてきぼりにされる時を指しているのでしょう。また人々から見棄てられ侮辱され十字架上で殺されるという耐えられないような苦しみが、この杯という言葉で表現されています。

その時はもう目の前まで追っているのですどうにも自分の手に負えない出来事に直面しておられる。イエスさまの姿を悲嘆にくれもだえ始められたとマルコは表現しているのだと思います。この時とこの杯とは人間の理解を超えた神さまのご計画であり、それを飲まないようにもおできになる神さまから与えられる時と杯であることを意味しています。祈りを通してこの時と杯が人を救うために計画されている神さまのみ旨であることを示された。

イエスさまは人の目には不条理な出来事を受け入れ父である神さまのご意志にご自分を委ねられるのです。このようにイエスさまの信仰と祈り神さまに聞き神さまのみ旨にご自分を委ねることによって、罪深い私たちの世界は、神さまのみ旨が行われる新しい世界に変えられました。イエスキリストによって神の国がこの世に到来しているのです。ただまだ未完成のまま残されていることは私たちが完全にイエスキリストに身を委ねきることだけです。

ですからイエスさまが言葉に言い表せないほどの苦しみの中でも父である神さまのみ旨を受け入れそのみ旨と一致されたように、私たちもイエスキリストに自分を委ねキリストと一つにされ神の国を受け継ぐことができるようにと父なる神に祈るのです。

イエスさまはゲッセマネの園におけるご自分のお祈りと主の祈りとを通して私たちに祈りが何であるのか、そしてどのように祈ったらいいのかを示してくださいました。父よみ名が尊まれますようにみ国が来ますようにみ旨が行われますように、主の祈りはマルコによる福音書には報告されていませんが、マタイ
6913節とルカ1124節がそれを伝えています

ゲッセマネでのイエスさまの祈り〔14章32−42節〕

マルコによる福音書のイエスさまを眺めていますといつも落ち着いた態度で神さまのご計画を実現するために働かれておられるご様子です。ところがそれとは対照的な姿に見える箇所が二箇所あります。その一つがゲッセマネで祈られるイエスさまです。

もう一個所は十字架上から最後のお言葉を発せられるイエスさまの姿です。15・34。イエスはペトロヤコブヨハネだけを連れて行かれた。イエスは悲嘆にくれもだえはじめた。かれらにわたしの魂は悲しみのあまり死ぬほどであるここにいて目を覚ましていなさいと仰せになった。そしいて少し離れたところに進み地にひれ伏してもしできることならばこの時が自分を過ぎ去るようにと祈りこう仰せになった。アバ父よ、あなたにはできないことはありません。

わたしからこの杯を取りのけてください。しかしわたしの思いのままにではなくおぼしめしのままに。14,33−36。わたしの魂はかなしみのあまり死ぬほどであるという言葉は追放された者の嘆きを歌う詩篇42編5−6節43編5節詩篇22編15節などが考えられているように思われます。またマルコはイエスさまにイザヤの苦難のしもべ特に52章13節ー54章12節を見ているのでしょうか、みなから拒絶され捨てられ孤独のうちに十字架上で殺されて行く。

この時この杯というところだけが神さまとの出会いの場なのでしょうか。神さまのみ旨に反抗するという人間の罪はイエスさまを神さまに準備させた不条理な苦しみに真っ向から直面させるのです。イエスさまのこのような死ぬほどの悲しみを人間の弱さのゆえであると説明する専門家はたくさんいます。

確かにヘブライ人への手紙の記者は、キリストはこの地上での生活の間大きな叫び声と涙とをもって祈られた、(5,7)と言っています。パウロも神は罪とかかわりのない方を私たちのために罪となさいました、(第2コリント5,21)と言っていますがイエスさまは確かに人間の弱さから来る苦しみを受け死ぬほどに悲しまれたのだと思います。

神への反逆という人間の罪の代償はイエスさまを挫折させ死ぬほど悲しませる不条理な神さまのご計画を受け取らなければならないほど甚大だったのだとわたしは思うのです。マルコが考えていることから少し離れるかもしれませんが、でもそのように考えるとき十字架上で亡くなられた方をメシアとしてつまづくことなく信じることができるように思えます。

挫折と不条理の中で救いを実現させられる神さまの奇抜なやり方、表現がふさわしくなかったらご免なさいに驚き、ただどうにかして感謝をおささげすることだけがわたしのために残されているただ一つの可能性であると気づかされるのです。目を覚ましていなさいというイエスさまの願いも空しく弟子たちは眠りこけています。神さまのご計画の実現の時の前にはそれを実現される同じ神さまの力なしには弟子たちだけでなくだれでも決して立ち向かうことはできないということを証明しているようです

 

この稿は時津教会主任司祭山口武師編著による

‐マルコによる福音書を中心とする信仰への手引きカテケージス‐ よりの抜粋です



  
   
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