ミカエル山口武(御厨) 1939年(昭和14年)9月17、日松浦市御厨町に生まれる。 1966年(昭和41年)12月6日、ローマで叙階。 昭和42年1月1日 阿野、山口両師が、司祭の聖位に
ミカエル山口〔西木場教会出身〕、ペトロ阿野武仁〔中町教会出身〕両師は昨年11月16日、ローマのプロパガンダ大学チャペルでアガジニアン枢機卿から、めでたく司祭の聖位にあげられた。両師共、長崎神学校から東京大神学校に進み哲学を了えてから、1961年8月、プロパガンダ大学に留学して神学を勉強、昨年8月15日副助祭、10月4日助祭に叙階されていた。なを山口師は西木場小教区出身の司祭としては最初の人である。 1968年(昭和43年)9月、青砂ケ浦教会助任。 1969年(昭和44年)4月、俵町教会助任。 1969年(昭和44年)5月、俵町教会主任。 1971年(昭和46年)10月、浜脇教会主任。 1973年(昭和48年)3月、東京真生会館勤務。 1979年(昭和54年)6月、八幡町教会主任。 1983年(昭和58年)3月、島原教会主任。 1988年(昭和63年)3月、神崎教会主任。 1992年(平成4年)5月、時津教会主任。 2001年(平成13年)4月、川棚教会主任。
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あそび 日頃なにげなく使っていることばでもあらためてその意味を問うてみると答えに窮することがしばしばある. (八幡町教会・主任司祭) |
イエスさまの受難と死と復活の物語 これから、マルコによる福音書の順序を追いながら、イエスさまの受難と十字架の死に至る物語を読んでいきましょう。なぜなら、マルコは、このイエス様の受難物語を提示しているからです。 イエス様殺害の策略から逮捕まで(14章1―42節) マルコは受難の物語の章の始めに「過越と種なしパンの祭りは、2日後に追っていた」と言って、過越祭について触れています。過越祭というのは、昔モ―セの時代、エジプトの国の奴隷だった民が、それから解放されたことを記念して、毎年行われる祭りです。そこで規定されているこの祭りの祝い方は、7日の間種なしパンを食べなければならない。過越の小羊をとってほふり、その血を鉢に取り、1束のヒソプを血に浸し、かもいと入口の2本の柱につけなければならない、ということです。しかし、後になって、この過越の記念の規定は少し変ったようです。祭司によって、神殿でこの儀式が再現された後、再びそれぞれの家庭において、今度はパンとぶどう酒によって家長が主催するお祝いの夕食がなされるようになりました。(1) |
(1)ミシュナ・ペサヒ―ムは、紀元70年まで行われていたユダヤの慣習を保持した(ロ伝を解説したユダヤ教の教えの本)で、イエス時代の過越祭を最もよく反映していると言われている。 この祭りは、また、いつかメシアによってイスラエルの民が決定的に解放されるという信仰と希望を新にするときでもあります。マルコにとって、この年の過越の祭りは特別の意味があるのです。イエスさまと弟子たちも、形の上では、ユダヤの人々がするのと同じように夕食を取るのですが、しかし、イエスさまの最後の晩餐(ばんさん・夕食)となるこのときの夕食には、十字架につけられるメシア・イエスさまが「死を過ぎ越す」という意味がこめられているからです。 ベタニヤで香油を注がれる 14章から受難物語が始まります。その始まりの部分を見ると、1〜2節で、大祭司や律法学者たちが、人に知られないように、イエスさまを殺害する計画の記事があります。そして、その記事は、10〜11節のユダの裏切りの記事に続いている文書に見えます。ユダはイエスさまを指導者たちに引き渡す約束をし、かれらはユダにお金を渡す約束をしています。しかし、この二つの物語の間に、香油を注がれるイエスさまの記事(3〜9節)が入っています。イエスさまがシモンの家におられたとき、ある女の人が非常に高価な香油をもって来て、イエスさまの頭にその香油を注いだというお話です。そこに居合わせた幾人かの人は、この女の行為に憤りを覚え、不平を言っています。 |
イエスさまは、指導者たちの陰謀を知っておられた 香油を注がれたイエスさまが、「この婦人は、埋葬の準備のために、わたしのからだに油を注いだ」と言われたことは今読みました。マルコによると、指導者たちが隠れたところで進めているイエス殺害のはかりごとを、「イエスさまは、すでに予知しておられたので」と言いたいようです。その陰謀はイエスさまによってすでに見破られていたのです。それゆえに、ご自分のイニシァティブによって、ご自分の死を準備するために、この婦人の塗油を受けたのです。―「イニシァティブ」によるというのは、ここでは、イエスさまが「死ぬ」ということに対しても、ご自分の主導権をもって行動される、ということを意味します。 ユダの裏切りの物語 |
最後の晩餐の準備(14章12〜16節) この部分の物語では、弟子たちが過越の食事を準備する場所をたずねる前に、イエスさまがその手はずを整えておられたことがわかります。というのは、かれらの習慣では、男の人は皮袋で水を運び、水がめをかついで水を運ぶのは、ふつう女の人がすることでしたのに、イエスさまが次のように言われているからです。「水がめをかついでいる男に出会うであろう」。その人が入って行く家の主人に「先生が言っておられます。わたしが弟子たちといっしょに、過越の食事をする部屋はどこですか」とたずねなさい。その主人は2階の準備の整った部屋を示してくれるだろう、と。このことは、イエスさまが前もって打ち合わせをしていたことを示していますし。ここでも、イエスさまのイニシァティブが強調されています。 裏切りの予告(14章17〜21節) 夕方になって、イエスさまは12人といっしょに。この準備された部屋にやって来ます。ここでは、特別に使徒と呼ばれた「12人」だけです。これから行われる最後の夕食は、この後にすぐつづいて起こる出来事と深い関係があります。どのような関係があるかは、あとで少し詳しく学ぶことになります。この席で、イエスさまは「裏切り者が、「わたしといっしょに食事している者」(詩編41・10)の中にいる」と嘆かれます。弟子たちが心配して「わたしではないでしょう」とたずねると、イエスさまは、わたしといっしょに、鉢に食べ物を浸している者が、それである」といわれます。ユダヤ人たちは、干した果物や香料に、お酒や酢などを混ぜて作ったドレッシングのようなものに、パンを浸して食べたそうです。そして、1鉢を数人で使っていました。 この稿は時津教会主任司祭 山口武師編・著による―マルコによる福音書を中心とする― |
「この時」「この杯」 イエスさまのゲッセマネでの祈りと「主の祈り」 ゲッセマネでのイエスさまのお祈りに目を向けてみたいと思います。マルコ福音書14章によれば、イエスは悲嘆にくれもだえ始めた、と33節に書かれているように異常に逼迫した中でイエスさまは人から離れたところで地にひれ伏して、もしできることならばこの時が自分を過ぎ越すようにと祈られます。アバ父よ、あなたにはできないことはありません。わたしからこの杯を取りのけてください、しかし私の思いのままではなく、あなたのおぼしめしのままに。36節。 イエスさまは人の目には不条理な出来事を受け入れ父である神さまのご意志にご自分を委ねられるのです。このようにイエスさまの信仰と祈り神さまに聞き神さまのみ旨にご自分を委ねることによって、罪深い私たちの世界は、神さまのみ旨が行われる新しい世界に変えられました。イエスキリストによって神の国がこの世に到来しているのです。ただまだ未完成のまま残されていることは私たちが完全にイエスキリストに身を委ねきることだけです。 ゲッセマネでのイエスさまの祈り〔14章32−42節〕 マルコによる福音書のイエスさまを眺めていますといつも落ち着いた態度で神さまのご計画を実現するために働かれておられるご様子です。ところがそれとは対照的な姿に見える箇所が二箇所あります。その一つがゲッセマネで祈られるイエスさまです。 確かにヘブライ人への手紙の記者は、キリストはこの地上での生活の間大きな叫び声と涙とをもって祈られた、(5,7)と言っています。パウロも神は罪とかかわりのない方を私たちのために罪となさいました、(第2コリント5,21)と言っていますがイエスさまは確かに人間の弱さから来る苦しみを受け死ぬほどに悲しまれたのだと思います。 この稿は時津教会主任司祭山口武師編著による |