清水佐太郎主任司祭

 

 

教報 昭和七年六月一日

 

◎下五島の堅振

 久賀島では島民一般のためカトリック講演会と音楽会とを開いた。
久賀村長藤田氏と久賀尋高小学校長森氏との厚意により、四月十六日司教様御着島早々午後三時より久賀小学校校舎に於いて全島民の思想善導のため司教様には約一時間半に亘り、日本に於ける思想悪化の原因は無宗教教育にあること、倫理道徳も国民精神も確固たる宗教信仰に其基礎を置かなければ永久性を帯び得ない事、日本に於ける武士道の頽廃も不幸にして明治以来其基礎を誤りなき宗教に置く事を敢えてせなかった罪に因る事、然るに確固たる誤りなき宗教は人為的宗教では求めて得られざる事、限りある人智以上に無限智の啓示を借らずんば真の宗教―動揺せざる信仰は求められざる事、無限智の啓示に基づいて出来あがった宗教は僅かにカトリック教あるのみなる事等を四教場、打通しの大広間約一千の聴講者の前で熱弁を振るわれた。

久賀島の教育者、久賀本校職員は勿論、蕨及び田の浦小学校職員一同も参列し、村会議員、青年団、處女団等あらゆる有志に多大の感動を興え、且つカトリック音楽団の声楽も地方人士に清爽妙地の域に恍惚たるの神境を呈した。

 
 

昭和七年二月十五日

◎久賀島通信

 一月十日、久賀島信者一同は浜脇天主堂に於いて満蒙派遣軍に対する戦争祈願及び追悼会をカトリック祭典の下に挙行した。在郷軍人分会長、役場員、警察官、郵便局長、三小学校長、その他教員数名が列席した。

 午前九時「ヴィヴァ」の教皇歌と共に、青年会、處女会一同は会旗を先頭に入堂、先ず一同規律のもとに、君が代合唱、皇国の為―日の本なる声楽、イエズ・レデムプトル、四部合唱。

 主任清水師は立って、極寒の下満蒙の野に、皇国の為戦いつつある我勇士と戦死者の為に今日の祭典を行うべき旨を述べ、村富局者が日頃カトリックを御理解下され、満蒙派遣軍に対して、カトリック側でミサ聖祭を執行する様、仰って下さった事を感謝し、次に青年處女に向って、今後の日本を背負って立つべき重任を帯びているのであるから、一旦緩急あらば、身命を惜しまず皇国の為に尽すの覚悟を忘れない様、訓戒して、然る後、ミサ聖祭を歌われた。隣席の諸有志は静粛に祭典に与られた。その態度は信者の習うべき模範であった。

 小憩後聖体降福式を行った。式中も熱心に自ら祈祷書を取り、信者と共に「日本国民の感化を求むる祈」、「皇室の為の祈」を誦えた中には感涙に咽ぶ方さえ見受けられた。

 午後司祭館にて列席者一同に粗餐を供した。皇国万歳とカトリック万歳を三唱し、盛況裡に閉会したのが午後二時半であった。
 
 

昭和八年七月十五日

長崎教区の二大慶事

          司祭叙品式と神学校移転祝

 六月二十九日聖ペトロ、聖パウロの祝日に、長崎教区では二大慶事が挙行された。其一は司祭叙品式で、他の一は長崎神学校移転祝である。

 

◎叙品式―長崎教区では五年前に叙品式が行われたばかりで、その間、島内・本田・大崎・田崎・棚原・五霊父の長逝によって極度に司祭の欠乏を来たし、浦上教会の如きは八千の信徒を一人の司祭が司牧する様な惨状を呈しているのであった。従って今回三人の司祭が叙品された事は実に干天の慈雨であり、全教区が三師に期待する所も又それだけ多大なものがあるのである。さて、イグナチオ今村悦夫、フェルヂナンド畑田善助、ヤコボ溝口正雄の三師は六月中旬、東京大神学校を目出度く卒業して、急遽長崎に帰られ、六月二十二日より東山手なる公教神学校に於いて同校々長浦川師の指導の下に司祭叙品準備の黙想に専心従事せられて居たが、六月二十九日、早坂司教閣下によって慶く司祭に叙品されたのである。

 新司祭の標語は左の如し

「神は愛にて在す。而して愛に止まる者は神に止まり奉り、神も亦之に止まり給う」(ヨハネ一四ノ一七)今村神父「人全世界を設くとも若し其生命を失はば何の益があらん。又人何物を以ってか其魂に代えん」(マテオ一六ノ二六)畑田神父誰も其友の為に生命を棄つるより大なる愛を有てる者はあらず」(ヨハネ一五ノ一三)溝口神父。叙品された三師は、正午聖職者の歓迎会に臨み、司教閣下を始め、浦川校長、三師出身の主任司祭守山・中田・出口の三師、前の神学教授ドルウエ師、マリア会のルシユ師らの祝辞やら忠言やらあり、三師は交々起って祝辞を述べられ、終わって記念撮影をなし、午後三時半東山手の神学校に於いて神学生の歓迎会に臨まれた。因みに、今村師は平戸南田平出身、頭を捻ってよく考える人、堀川直吉氏の従兄だ。畑田氏はもと五島久賀島の人、善助というその名に違わず、強健にしてしかも善意の持主。溝口氏は浦上の人、松岡師の甥さんで、松岡師に劣らず人気男となられるだろうと皆が期待して居る。

 
 

昭和九年六月十五日

◎三ケ町村カトリック青年連合総会

 福江・奥浦・久賀島三ヶ町村カトリック青年第二回連合総会が五月十三日日曜日、久賀島村長を始め、奥浦小学校長、久賀島三校長、在郷軍人分会長、神官達の来臨を仰いで浜脇丘頭に開催された。雲一つ止めない日本晴の好天気に恵まれて、福江や奥浦からも見物人がどしどし押しかけた。

 総会は連合会長浦徳市氏の開会の辞に始まり、就業前の祈りを唱えてカトリック的気分を濃厚ならしめた。君が代を歌う会員の心は勇み立ち、意気天を衝くの慨があった。

 連合会長の告辞に続いて二三来賓の訓話があり、五分間演説が始まった。若人の雄叫びは、万人の心に強い感激を興えずには措かなかった。

 演説が終わって、この日の呼物たる連合運動会が始まった。下五島健兒の意気を示すはこの時だ、見よ、筋骨隆々たる肢体を。午後の太陽は是等健兒の上に輝き渡る。若人の心臓は青春の血に興奮する。副会長濱村政右衛門氏の軍隊仕込の号令に運動会は進行し、そこそこの見物席よりは哄笑がしきりに爆発する。終りに三ケ町村リレーがあり、熱狂裡に奥浦村の選手に凱歌は上がった。

 連合会長の音頭にカトリック青年会万歳を三唱し、めでたく本日の連合総会は閉会したのであった。(久賀島通信)

 



  
   
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