井持浦ルルドの奇跡
ある晩、島田老師が私の部屋に入ってきて1冊のノ−トを参考までに見ておくようにと言って置いていった。表紙には「井持浦ルルドの洞窟における奇跡的治癒について」と書いてあり、長崎の教区本部に提出した報告書の原稿だった。急いで目を通してみると島田師の在任中に井持浦ルルドで起こった奇跡的治癒例が10件ほど書いてあった。その中の一例は今でもはっきり覚えている。 五島 五島出身の政治家、大臣にもなった故白浜仁吉先生の出生地中五島の主婦が長患いをしていたが、近くに病院もなく何年も苦しみ通しだった。
愈々耐え切れなくて、何時間も櫓を漕いで小舟で福江の病院まで運び、診察を受けたが既に手遅れだった。ひどい腹膜炎を起こしていて開腹手術も出来る状態ではなく、そのまま急いで連れて帰り善い死の覚悟をさせて上げなさいと言って匙を投げられてしまった。 船が福江の港の入口まで出た時、病人は「どうせ死ぬならルルドの洞窟にお参りして、マリア様のお側で死にたい」と言い出したのである。病人の願いは叶えられて船は南に方向を変え、久賀島の田の浦瀬戸を通り、三井楽の沖を回って玉之浦湾に入り、玉之浦湾の一番奥にあり井持浦にやっと夕方に着いた。
早速病人を戸板に乗せて参詣所に担ぎ上げ、神父に連絡して翌朝病人の善い最後のためのミサを捧げて貰うように依頼し、昔からのキリシタンの「願掛け」の「9日間の祈り」が始められた。9日間も生きているとは誰も思っていなかった。9日目の最後の日が来た。そして病人の容体は最悪となった。 ところがその日の午後、虫の息の病人が最後の我がままを言い出した。
ルルドの霊水を入れたお風呂に入りたいと言うのだった。お風呂の中で死んでも本望だろうと言って、最後の願いも叶え上げることにし、井戸のルルドの霊水を汲んで五右衛門風呂に入れて沸かし、病人を慎重に運んでお風呂に要れ、お風呂の裏では一同ロザリオのお祈りを唱えて病人の呼ぶのを待った。
お祈りが終わってもお風呂から中から病人の呼ぶ声がなかった。しまった!と言って急いで覗いて見ると、お風呂の中には五右衛門風呂の丸い底板が1枚浮いているだけで、病人の体が見えなかった。参詣部屋にもいない大騒ぎで家族の人達は手分けをして探し回った。
さては神隠しかと神父にも知らせようと聖堂横から神父館に行こうとした時、病人は神父館に上がる20段ほどの階段の一番上に神父と並んで立っていたのである。 この病人が神父館に入って来たとき、まず神父が驚いた。 「あなたは、中五島の病人でしょう。どうしてこんな所に上がって来たのですか?大人しくベッドで死の準備をしているのです。今日か、明日かの重病人ですから」 「治りました。私は治りました。私はもう病人ではありません。」
一同に迎えられ、ルルドの洞窟の前で一緒にしばらく祈り、参詣部屋に帰って全快祝いの御馳走が始まった。そして翌日からまた9日間の感謝の祈りを捧げて元気で中五島に帰っていき、そして毎年この頃になると必ずお礼詣りに来ている、と記されてあった。
病人はお風呂に入って間もなく電気にでも打たれたような気がして、驚いて風呂を飛び出したのだと言う。この外にも、失明した人の治癒の例なども記されてあったこの報告書を読んで、 改めて洞窟の前で祈り(絶対に生きて帰れる)という確信を得て我が家に帰って出征した…… 復員帰国後僅か1週間たった9月2日に、島田老師の勧めもあって、出征前に「武運長久」祈願に行った玉之浦町井持浦のルルドの洞窟の前に跪いていた。
私の両手には古い1冊の聖書があり、その開かれた箇所は、詩編ダビデ王の「詩編91章」だった。……この詩は……あの恐ろしい戦禍中から無事帰還できた私にとっても、またそのまま神に捧げることが出来る感謝の祈りである。私はルルドの洞窟に参詣し、ゆっくり熟慮した上で、生涯の進路を大きく変更することを決意した。それで、従軍中現職扱いで、直ちに復職できた町役場を去って、翌年、昭和22年4月に神父になる為に、大村の、私と同年齢の教授が三人もいる神学校に入学した。
それは、ルルドのマリア様への願を果たすためであり、帰国した晩の母への誓いを果たして、志し半ばに、まるでこの兄に交替しに来たかのように、フ−コンの密林で戦死した弟の意思を継ぐため、そして、異国の地で無念の死を遂げ、未だ弔う人もない無数の部下、戦友、上官、そして弟の魂の冥福を一生祈り続けるためである。
[著者略歴]
中田武次郎(なかた・たけじろう)
大正3年10月26日、長崎県南松浦郡有川町鯛の浦中野に生まれる。
昭和6年4月より同12年3月北海道トラピスト修道院。
昭和12〜13年有川町役場勤務(公務員)
昭和13年5月より20年8月まで広東、マレ−、ビルマ(ミャンマ−)前線に従軍(菊部隊)。
昭和20年8月15日〜昭和21年8月終戦降伏後ビルマにて捕虜収容所
昭和22年4月大村大神学校入学
昭和29年3月19日福岡サンスルピス大神学校卒業・司祭叙階。長崎教区司祭として活躍
現在外海町の「聖マルコ園」にて静養中
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