カトリック教報 1955年7月1日発行 聖堂建立25周年目にアンゼラスの鐘が鳴る −久賀島浜脇教会− 五島久賀島浜脇教会では5月3日、聖堂建立25周年を迎えたがその記念として注文していた聖鐘が出来上がったので、5月21日その洗礼式が行われた。古川副司教様始め8名の神父様や信者たち多数参集、聖鐘の祝別が行われて鐘楼につり上げられ、信者達が長年待ちこがれていた鐘の音が初めて、久賀島の山と海を越えて鳴り響いた。式後聖堂建立功労者を招いて記念祝典に移り、江頭村長ら多数の来賓があった。 下五島司祭集会 6月13日開かれた下五島地区司祭集会で、布教方法についての討議が行われた。布教の成果を上げるために、各地域、各教会区の状況に適応した方法を研究して根本方針を確立し、それに他教会区の成果を参考にして活動を展開することになった。 |
カトリック教報昭和32年5月1日発行 キリシタン史跡顕彰会結成 知事を会長に史跡を顕彰保存 4月16日県庁会議室で長崎県キリシタン史跡顕彰会の結成大会が開かれた。これは昭和29年頃から西岡知事、佐藤副知事を中心に県で計画されたいたもの、目的は県下のキリシタン史跡を調査し、県内外に顕彰すると共に、その保存整備を計り、世界文化の向上に資することにある。当日は佐藤副知事(西岡知事上京中)文書広報、社会教育、観光などの各課長以下関係職員、関係市町村の理事者、文化人代表など数十名が参集教会から山口司教様が列席された。佐藤副知事から「長崎県が日本キリシタン史上特殊の地位を占めていること」「県下に埋もれているキリシタン史跡を保存顕彰して、文化の向上に資したい」という挨拶と、顕彰会の設立趣旨の説明があって規約の審議が行われた。顕彰会は知事、副知事、出納長、県議会議員代表、県教育委員会代表者、県教育長、県関係部課長および関係市町村長および助役、関係市町村教育長、議員代表、県商工会議所代表、学識経験者、宗教団体代表など多方面の人士を会員とし、知事を会長としている。 |
昭和32年 「牢屋の窄」顕彰関係綴 久賀島村 昭和32年6月1日 長崎県文書広報課長 関係市町村殿 長崎県キリシタン史跡の顕彰について すでにご承知の通り、県では今なお残る県下五十有余にのぼるキリシタン史跡を調査し、広く県内外に顕彰するとともに、保存整備を図り、併せて文化の向上に資するため去る4月16日県庁において「長崎県キリシタン史跡顕彰会」を結成、これが顕彰事業の一つとして、去る5月25,6の両日南高南有馬町において島原の乱320年祭(原城まつり)を催し、記念碑の除幕式や慰霊祭を行ったのであります。今後も引き続きこれら史跡の顕彰を実施いたしてゆきたいと思います。つきましては、貴市町村におかれてもこれら史跡の顕彰について計画がなされ、あるいは既に計画が進められておられる向きもあろうかと存じますが、実施に当たっては県と地元市町村とが協力していくことが最も効果的ではないかと考えますので、現在貴市町村で行事計画等がございましたら折り返しご一報下さいますようお願いいたします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 昭和32年8月13日 長崎県文書広報課長 久賀島村長 殿 キリシタン史跡「牢屋の窄」の顕彰について かねてご計画の「牢屋の窄」の史跡顕彰式典をこのたび挙行せられる由心よりお喜び申し上げます。このたびは予想だにし得なかった豪雨により各地に甚大な被害をこうむり、ただいま県では全力を被害地の救援と復興対策に注ぎ、日夜不眠不休の努力を続けている次第です。このような次第で、連絡も容易にならず十分なご期待ご要望に応じきれなかったこと誠に残念至極に存じている次第でございます。本日、かねてご依頼の掲示板用文案が片岡教授を煩わしできあがりましたのでお送りいたします。なお式典での花輪、知事祝辞等につきましては南松支庁を通じて、取りはからうよう手配いたしておりますので、念のため申し添えます。また記念スタンプも目下手配いたしておりますので出来上がり次第至急お届けいたします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 啓上 大暑の候、ますますご健勝の段、およろこび申し上げます。すでにご承知の通り「長崎県キリシタン史跡顕彰会」が結成、島原の乱320年祭をはじめ、県下の史跡が顕彰されておりますことはまことに同慶に堪えません。このたび、本村におきましてはキリシタン殉教の地「牢屋の窄」が県の顕彰計画に取り上げられたのを機会に且つまた殉教して90年になりますので、この聖なる殉教者の御霊を慰め申し上げるとともに、顕彰事業の一つとして乏しい乍ら90年祭を執行したいと思います。 昭和32年8月1日 久賀島村長 江頭鉄之助様 |
式辞 1957年8月23日の佳き日を選び長崎県キリシタン史跡顕彰会御後援の下にここにキリシタン殉教の地「牢屋の窄」の顕彰式を挙行するに当たりまして、長崎県知事代理殿を始めた数の来賓各位の栄えあるご臨席を賜り、また村内信徒多数のご参列を頂きましたことは誠に感謝に堪えません。哀心より御礼申し上げます。 昭和32年8月23日 久賀島村 村長 江頭 鉄之助 |
掲示文 「牢屋の窄」殉教地 久賀島村大開松ヶ浦、俗に牢屋の窄というカトリック教徒囚獄の跡。 明治元年4月25日、長崎浦上のキリシタン処分決定に始まった明治政府のキリシタン弾圧は五島に波及、同年9月久賀島の信徒が捕らえられて激しい拷問をうけた。10月22日老幼男女二百余名が牢屋の策の假牢に収容監禁された。牢舎は奥行三間、間口二間六坪のバラック造り、男牢と女牢との二室に仕切られていた。一坪あたりの収容人員は三十余名。座ることも動くこともままならず、足は地につかず、人の体にせり上げられて宙に浮いたまま眠る者もあり。 昭和32年8月20日 「牢屋の窄」殉教九十年祭に寄せて 久賀島村長 江頭鉄之助 |
カトリック教報昭和32年10月 父祖の信仰に感激あらた 「牢屋の窄」殉教90年祭 8月23日、五島久賀島の「牢屋の窄」で、殉教90年を記念する殉教者顕彰式が行われた。式場には万国旗がはためき、五百名の信者達が外上、内上、内幸、外幸など村内8地区から集まっている。先ず、久賀教会主任竹谷音吉師の挨拶についで追悼祭が厳かに行われた。次に顕彰式。「牢屋の窄」の由来を書いた掲示文を、野原助役が朗読、少女友の会の江頭俊子さんが、花束をささげた。 |