川口 清主任司祭

 

カトリック教報 昭和4331日 (第512号)

3師が司祭に 慶びの叙階式
昭和43年度、長崎大司教区叙階式は、3199時から山口大司教の司式で大浦天主堂で行われる。

司祭 フランシスコX・川口清師 堂崎教会出身。1940年生まれ。

1953年、長崎公教神学校入学。59年同校卒業、同年福岡大神学校入学、67年同校卒業

三木パウロ浜崎靖彦師、南田平教会出身。1940515日田平町に生。田平中学校を経て1959年県立猶興館高校卒業。同年4月福岡サン・スルピス大神学校入学、683月、同卒業見込み。洗礼者聖ヨハネ長谷功師浅子教会出身。1940年佐世保市相の浦に生。1955年浅子中学校から長崎南山中学校に転校、同時に長崎公教神学校に入学、60年同卒業、福岡サン・スルピス大神学校に入学、67年同校卒業。

 
 

カトリック教報 昭和4831日 (第568号) 

ひとこと 司祭とは 

心身ともにのろいわたしは、このころやっと動きだした。貧しい信徒方の協力を得て、教会内外を整理しいまケイコ部屋を改築中である。有り金をはたいてしまい、すがすがしい気持ちでペンを走らせている。大工のふるう金づちの音が耳に快い。本と二枚のふとん、それに少々の着物で生きている私は満足している。なにごとにも無器用な身をシスター方は案じてくださる。いかに厚顔とはいえ、無償の奉仕を黙ってうけるのは偲びがたい。心の中で合掌するのみである。つとめ以外は読み、書き木剣をふってきたえる。相手がいれば般若湯をたしなむ。しみじみと歌うこともある。友と語るときがもっとも楽しい。変化のない平凡な日々を充実させようと励まし合う。真の対話が成ると知恵の分かち合いも生まれてくる。無限のファイトを内に秘め、学道を修めるため貧苦を愛し、生きがいを感じている司祭。人間味豊な司祭。時としてこういう型の司祭を見かける。ニヒルな男の顔がほころびるときである。「主任」の名のもとゆうゆうと暮らす時代は終った。大した使命もないのにあちこちかけめぐる布教も役に立たない。キッシンジャーでもあるまいに。落ちついてもう少し実力をつけよう。富と名誉と言う白蟻がこわい。(西木場主任 川口 清)

 
 

カトリック教報   昭和5311日 (第620号) 

ひとこと 西海のはてで

5年前のこの「ひとこと」欄に一文を呈した記憶がある。以来さして変化のないわが生き様を少し書いてみたい。地元の信徒から頂く野菜、果物、米と魚介類、これが主食である。身につけたカルダンのシャツにデニムのズボンも凡そもらいものが多い。朝のつとめを終えて2キロほど走る。知る人ぞ知る、スピードはなく、走る格好もよくない。

「知識は広く、知恵は深く」をモットーに和洋書を乱読するのが日課となった。本から得るものは結局かりものにすぎないので、思索し直す。著者の思想に抗するか、それを越えるかしないと気がすまない。止揚の精神でもって対峠すると、読む楽しみが増すようだ。日毎の体験に加え、この読書の結果が、話や説教に出てくると思う。御老人たちとの会話も教養を深めてくれる。人間のすべてを語る聖書は、真の自己になりきれと教える。バイブルをひもとき読めば心満 わが幸のもと 司牧の基 

 

一人よがりの優雅な気分にひたってばかりはおられない。ふと私のそばにある小さな世界に目を向ける。どこからともなく飛んでくる不思議な飛行機、島かげに突如として現れる巨大な船。すべてが平和に見える西海も不気味さがただよう昨今である(井持浦・川口 清)

 
 

カトリック教報   平成3111日  (第771号)  シンガポール派遣

東南アジア司牧  川口神父  

日本カトリック司教協議会(白柳誠一大司教)では、日本の司教がアジア各国を訪問した際、「現地の在留邦人信徒のための司祭を派遣してほしい」という強い要望のでていた「東南アジア在住日本信徒司牧司祭派遣制度」について慎重に検討してきたが、その第一次司祭派遣として東京、大阪、長崎の各教会管区から10月と11月に3人の司祭をインドネシア、シンガポール、タイへとそれぞれ送ることになった。長崎教会管区からは川口清神父(高島教会)が、114日から10日までシンガポールを司牧訪問することが決まっている。今回の意図することは、一つには在留邦人信徒グループ、特に子供たちの信仰教育がおろそかになりがちな点を考慮し、「子供の信仰教育は家庭から」とまず親たちの指導に力を入れる。川口神父によれば、40人あまりの信徒で1日ごとに子供、父親そして母親と分けての場を設け、家庭訪問、最後は黙想会という形でまずは的確な現地の事情把握を目的としている。同協議会では今後定期的に司祭を派遣することにしており、日本の教会も海外の教会共同体に奉仕する時代を迎えたことを意識するとともに、この任務を快くひきうけた川口神父の活躍を心からお祈りしたい。

カトリック教報   平成4121日   (第783号)

シンガポールの教会は勢いがあった    

再度の訪星を感謝して 

 

川口 清

日本カトリック司教協議会は昨年から「東南アジア在住日本人信徒司牧司祭派遣制度」を実践している。長崎教区からも、川口清神父(稲佐教会)が昨年に続いてシンガポールに派遣された。帰国した川口神父から次のような報告がよせられた。 

102日から21日まで、シンガポールの日本人カトリック信者の司牧訪問に恵まれました。約80人の信者たちとの出会い、2人の男児の洗礼、5人の小学生の初聖体が心に染み残っています。明るい子供たちは国際人の顔をしていました。シンガポールの教会は勢いがあったことを皆さんに報告します。宿泊所となった「聖十字架教会」の生き生きした3人の司祭を忘れることはでません。

 

朝のミサと求道者の中に若者が多いことに驚きました。仕事の合間に訪れた他の教会にも若さがありました。日曜日のミサ、家庭集会でのミサ、子供たちとの集い、聖書の分かち合い、男性集会と祝宴、そのすべてが心のこもった自然な祈りで終始しました。若者たちから贈られたランの花はかぐわしい祈りの香りがして、1ヶ月近くも教会の中で咲きにおっていました。

カトリック教報  平成711日   (第805号)   

シンガポール派遣司祭   川口 清神父 (稲佐教会)

 

日本の教会も海外の共同体に奉仕する時代を迎える。日本カトリック司教協議会の東南アジア在住日本信徒の司牧司祭派遣要請に基づいて平成3年から毎年、シンガポールに出かけ(3週間)今年4回目を数える。大手企業で働く45家族、約100人の邦人が対象。現地では修道院のチャペルを借りてミサをし、聖書と祈りの分かち合い、家庭訪問などが主な司牧。「学生時に洗礼を受けた奥さん方(30代)が多いようです。カトリック者でないご主人も理解され、子供に洗礼を受けさせている家庭もめだちます。家庭訪問をしてもご主人が悟りが早いというか、非常に話しやすいですね」そのシンガポール。280万余の人口にカトリック信徒は約14万人いる。現地では出勤を前にミサにあずかる若者もめだち、昼間にご聖体訪問する姿も見る。シンガポールでは毎年約4000人の受洗者がいる。「現地司祭の情熱、信徒の生き生きした信仰を見るのが一番のみやげです」派遣地で泊まるホテルは経営者がプロテスタントの信徒で、宣教師、牧師の宿泊費は、3割引き。

 

司牧訪問は毎年10月頃だが、肉食をとらない神父には、この季節「カニ」がスリランカや上海などからはいり、とてもおいしいという。スリムな神父。特別なことがない限り、毎日約3キロのジョギングを楽しむ。走って20年、体重は昔も今も変らない。ハワイマラソンに3回出場したが、すべて4時間台で完走。「さわやかというか、走ると悩み事がすべて頭から抜けていく感じ。しかし不思議です。

 

走っている時、忘れていた大事な用件を思い出す効用があるんです。例えば、信者に電話をしないと。頼まれていた原稿の訂正箇所を・・。だから走るんです。」稲佐教会では「信者一人ひとりを大切にすること」をモットーの司牧している。両親が亡くなって20年近い。時間を調整し、毎月1回、五島の墓地を訪ね、司牧報告。54歳。

カトリック教報   西暦1999年  (第853号) 地区長に聞く④

平戸・北松地区  川口 清 神父 (平戸教会主任) 

 

今回は平戸・北松地区の地区長・川口 清神父を平戸教会に訪ね、話をうかがった。神父は五島は福江島の浦頭教会出身。司祭生活31年、油ののりきった59歳である。神父さまはこれまでたくさんの本を執筆されているようですが。そうですね。5冊ほどでしょうか。今も2つ手がけているところです。それは司祭の大切な務めとして人々に「教える」という使命があるように思うからです。例えば雑談の中にあっても実のある話をしたいと考えています。書くという行為は自分の意見をかとめる上でも非常に役立ちますね。

 

平戸・北松地区のコンベント(司祭会議)の様子はいかがでしょうか?

 

ご承知のように、この地区には8人の司祭がいます。決して大きい地区といえませんが、それぞれの司祭が役目を分担し、頑張っていますよ。平戸・北松地区の地区長として何か考えておられることはありますか?

 

今年は聖フランシスコ・ザビエルが日本に来日してから450年を迎えますが、ここ平戸はザビエルが3度も足を踏み入れたザビエル縁(ゆかり)の地でもあります。また、ザビエルはこの地で、100人以上に洗礼を授けたと伝えられており、彼らは長崎教区において初の受洗者たちでありました。その意味では、平戸はいわば長崎教区の先駆けとなった地でもあるということです。ですから、私たちはキリストの教えが最初にまかれた地に住んでいることを自覚し、神に感謝の祈りをささげるとともにザビエルの宣教の熱意に倣いたいと願っているところです。

 

一司祭としてでもけっこうですが、今、教区に望むことは何でしょうか?

 

そうですね。まずは司牧と宣教の調和。そのようなことを考えています。福音宣教とよく言いますが、福音とはキリストそのものですから、福音宣教とはつまり、キリスト自身を宣べ伝えることに他なりません。しかし、スローガンとしては確かにあるのでしょうが、もっと積極的な形となって表れてくるべきものでしょう。その意味で、今はまだ司牧と宣教の調和というものがないように思います。そのためにも司祭自身が自分をもっと磨くことが大切でしょう。祈りと学問そして体の調和。私自身、自分の司祭職を実らせる時期を迎えているのだと思っています。調和ということでもう一つ付け加えるなら、電車がちょうど2本のレールで走るように、司祭にとって体と心の調和(ハーモニー)がとても大切であると思います。この調和がなければ司祭生活は送れないでしょう。神父さまがマラソンを続けておられるのはそのためでもあったのですね。本日はお忙しい中まことにありがとうございました。 

  
   
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