川上忠秋師

 
 

 

1984年(昭和59年)7月1日

牢屋の窄殉教地 新聖堂完成

 

 5月13日(日)、下五島久賀島の牢屋の窄殉教記念聖堂が、殉教地に新築され、このほど感謝のミサが捧げられた。

 当初の予定では、里脇枢機卿の手により、献堂式及びミサが行われることになっていたが、6月3日(主の昇天の祭日)に延期されたため、主任司祭川上忠秋師を含め、4人の司祭による感謝のミサが午後1時よりささげられた。参列者は150人。

 牢屋の窄殉教記念聖堂は1969年に殉教地手前にあった発電所の建物を改造して造られたが、老朽化したため、解体して新聖堂をつくり、その古材を利用して、殉教地に殉教者たちが押し込められたと同じ大きさの小さな建物を建てる計画であった。里脇枢機卿のご厚意もあり、殉教地に記念聖堂をつくるという話しに発展し、実現したもの。

 殉教地への上り坂の左右には、十字架の道行きの十字架もつくられ、また、聖堂の他に手洗所もつくられた。

 建物はブロック鉄骨と木造で、建坪は23坪。総工費1200万円。

 また、この感謝のミサの中で辻照男さん(52)、長女陽子さん(20)、次女弘子さん(16)、長男貴光君(11)の親子が、めでたく受洗のお恵みを頂き、新しく神の民の一員に加えられ、聖堂完成はより一層、意義深いものとなった。

 また感謝のミサ後、久賀保育園(お告げのマリア修道会)で完成を祝って祝賀会も行われ、各自の出し物でにぎわった。

 

1984年(昭和59年)7月1日

三井楽、信徒運動会

 

三井楽小教区では4月22日復活祭の祝日に、信徒使徒職評議会主催による第1回信徒大運動会を教会グランドで行った。この日は晴天に恵まれ、信徒の3分の2に当たる約400人が参加した。

 種目には工夫がなされ、足の早い人も、老若男女誰でも参加できるようにレクレーション的な要素を多く取り入れて楽しく繰り広げられた。中でも老人の部では、「これでは物足りない」と意見が出て、その場で別の種目を作って行うなど大いに賑わった。

 第1回大運動会は、小教区信徒一同のつながりをさらに深め、信仰の面においても一段と強い絆で結ばれるための良い機会となった。

 
 

 

 

川上 忠秋 師2  1984年(昭和59年)7月1日  カトリック教報

牢屋の窄殉教記念聖堂  献堂式

 

 悪天候の為延期されていた下五島久賀島の牢屋の窄殉教記念聖堂の献堂式が、去る6月3日(主の昇天の祭日)午後1時半より行われた。献堂式は里脇枢機卿の司式により行われ、下五島地区の司祭5人、信徒や修道女約150人が参列し、聖堂の完成を祝うとともに、殉教に倣った信仰の証を続ける決意をささげた。久賀島では、久しぶりの里脇枢機卿の来訪とあって、全島を挙げての歓迎ムード一色で、先の513日の感謝ミサの日同様、大きな喜び満たされた1日であった。

 
 

 

 

川上 忠秋 師2  1984年(昭和59年)7月1日  カトリック教報

牢屋の窄殉教記念聖堂  献堂式

 

 悪天候の為延期されていた下五島久賀島の牢屋の窄殉教記念聖堂の献堂式が、去る6月3日(主の昇天の祭日)午後1時半より行われた。献堂式は里脇枢機卿の司式により行われ、下五島地区の司祭5人、信徒や修道女約150人が参列し、聖堂の完成を祝うとともに、殉教に倣った信仰の証を続ける決意をささげた。久賀島では、久しぶりの里脇枢機卿の来訪とあって、全島を挙げての歓迎ムード一色で、先の513日の感謝ミサの日同様、大きな喜び満たされた1日であった。

 
 

川上4 久賀島で「和会」 

長崎教区大神学生    1983年(昭和58年)81日カトリック教報      

長崎教区大神学生の和会が、630日より二泊三日で、久賀島の浜脇教会において行われた。今年は例年になく晴天に恵まれ、大自然の中で収穫多きものだった。  1日目、牢屋の窄殉教地に巡礼に赴いた。「すべての人はパライソを望まなければなりません」と言う一人の幼女の言葉に深く心を打たれた。そして、久賀島の信徒の方と接して、この殉教者たちの精神が、今もしっかりと受け継がれていることをしみじみと味わうとともに、私も彼らに習い、もっと雄々しくキリストの道を歩まねばならないことを痛感した。  2日目、船で収穫の旅に出かけた。230匹釣った人もいれば、わずか3匹しか釣れなかった人もいたが、クーラ−に入れることが出来ないほどの大漁だった。「はじめなかなか釣れなかったが、船の右側に釣糸を下してみると次から次に釣れた」と興奮気味に話してくれた人もいた、みんなの満足に浸った顔をがとてもさわやかだった。  3日目の朝の感謝のごミサをもって終わった今年の和会だったが、大自然の中で神の素晴らしい摂理と配慮を体験できたことと、神学生間の一致をさらに深めることが出来たことに心から神に感謝したいと思う。  (高野)

 

 

川上5 もえる               

1969年(昭和44年)121日 カトリック教報                プロ球界に動物的感を持った燃える男がいる。燃えることによって、自己の最高のもの最大限の実力を発揮している。それだけにファンにアッピ−ルし、人気はおとろえることを知らない。頼もしい限りだ。  食事には主食、副食、間食とがある。健康な人は先ず主食などを取り、必要に応じて間食を取るものである。  一方、仕事には、本職と副業がある様である。各人にとって、本職こそ、第一に遂行すべき使命である。「今、忙しい」「非常に疲れて、動けない」と口実を設けたり「今、休んでいる」「今、出掛けている」と断らせて、ことを済ませているという声を聞いている。確かに現代は変動が目まぐるしく落ち着く暇もないかもしれない。  しかも、自己の果たすべき使命をそっちのけにして副業とか雑用とかレジャ−などの類の第二義的意義を持つように奔走して全精力を消耗することは、褒められた生き方ではあるまい。  このような人は、主食は取らないで、間食ばかり取る人が、栄養失調とか体に異常をきたしているように、正常なメンタリティの持ち主と言えないであろう。言うならば、心が正しく燃えないで、くすぶっているのである。よりよく使命を果たすために、準備し、研究、工夫することに時間は使われるべきだ。常に前向きの姿を取って使命を追求すべく、努力することだ。  自己の持っている良きものをいつも最大限に発揮して、使命にぶつかるとき、燃える人と言えるのではなかろうか。  燃える人が求められる時代である。 (稲佐、川上)

 


  
   
inserted by FC2 system