バコロド基金

フィリッピン支援地訪問報告(2)

善きサマリア人修道会のバコロド宣教

年中、猛暑が続き、常に政情不安定で、それに極端な貧富の差が存在するフィリッピン。そのような厳しい環境にありながらカトリックの信仰を素朴に信じ、明るく生きる国民が多いフィリッピン。そのフィリピン中部・ピサヤ地方にあるネグロス島は、マニラから飛行機で1時間の距離。島の人口の70%以上が家計を「砂糖」に依存し、フィリッピンの全砂糖生産量の60以上を産出する“砂糖の島”である。1989年、この島のバコロド市を日本からの善きサマリア人修道会の会員シスター後藤圭子さんが訪問し、貧しい人々に大変心を揺り動かされた。それ以来、ネグロスの貧しい島民と連帯して共に生きるという目的で始めたフィリッピン宣教も今年で20年になりました。当初は砂糖農園の貧困家庭の子供たちへの給食プログラムをしていました。その後、支援の輪が拡大し、見渡す限り砂糖黍畑になっている山間地のタリサイーコンセプション小教区地域と海沿いの貧しい漁民が住む地域のヘンリ・エッタ聖ヨゼフ小教区地域で教育支援の奨学生プログラムをしていました。現在は支援者の援助によって、さらに成長発展し、従来の教育支援プログラムの他に、恵まれない家庭の子供たちのための幼稚園事業と司祭職を目指す神学生奨学生プルグラムも行うようになっています。

支援のきっかけ

さて、わたしがバコロド修道院のこのような援助活動とかかわるようになった年は2002年3月です。その年の5月、神学生養成に必要とされる支援金10年分を一括送金し、同年8月には、スポンサーの一人として、佐世保のシナピス会主催の現地視察に同行し、後藤圭子、鈴川良、迎衛子の日本人3人のシスターに始めた対面しました。その時の司牧体験視察で日本とフィリッピンの貧しい人々との架け橋となり、弱い側の人々の立場に立って、共に福音を生きていた日本人シスターたちとオーストラリア人のシスターに感動しました。それ以来、訪問のたび毎に温かく歓迎され、今や10年の歳月が流れています。

わたしが関わることになったプログラムは幼稚園の教育プログラムと神学生養成プログラムです。少年時代から社会福祉に関心があったわたしは20014月、長崎教区福祉委員会の担当司祭の任命を受けると、福祉委員会の基本的活動方針の一つを海外援助にし、すでにフィリッピンで援助活動をしていた信徒の団体の一つであったシナピス会の代表者広田氏に窓口になってもらい、当時バコロド市でシスター後藤の跡を継いで援助活動していたシスター景山の協力と理解をいただき、将来司祭を目指しているが、経済的に入学が困難な家庭の子供を数人サポートするという約束を取り付けました。20023月のことです。

ところが、数ヶ月もしないうちに修道院の転任によりシスター景山は佐世保の聖母幼稚園園長として転任することになり、代わってシスター後藤が再度院長として就任されました。もともとバコロド宣教の創設者として現地の状況を知り尽くしていたシスター後藤は、着任早々から善きサマリア人修道会の活動拠点となる宣教を模索していました。修道院の共同体が所属するシティー・ハイツ小教区地域(バコロド市内)の貧しい家族の子供たちにために幼稚園を聖家族教会の敷地内に建設する熱い志を持ち、開園に向けてすでに取り組みを初めていたのです。その開園にあたり相当額の費用を工面しなければならないが、どうしても資金不足であるので、わたしが神学生養成のために送金した資金の一部を幼稚園開設のための工事費用に充当させていただきたいという相談を受けたので、神学生養成はしばらく延期することにした。こうしてシスターが夢見ていた幼稚園は20046月、開園しました。バコロドに宣教開始して15年後のことです。翌年には幼稚園として国の認可も受け、また栄養不足の子供たちのためのクリニックも始まり保護者に喜ばれるようになりました。わたしも英語での日本の昔話やマジックショウなどを携えて毎年のように訪問するようになりました。

後藤圭子シスターの功績

このような事情でわたしは当初思ってもいなかった修道院のミッション(幼稚園事業)にかかわるようになった。今シスターが創設した幼稚園は、教育を中心にしながら、医療保健、給食プログラムも導入され、その結果、今までのように栄養失調や空腹からくる腹痛のためにクリニックを利用する子供たちが少なくなっています。幼稚園開設の5年後、シスター後藤圭子さんは、20096月、バコロドでの宣教の使命を終えて帰国し、福江にも立ち寄りましたが、大変悲しいことに、その後、病気になり、治療をしていましたが、同年1212日、天に召されました。シスターは、日本管区長を始め、バコロド修道院開設、現地人シスターの初期養成、修道会バコロド共同体の担当者として責任ある役割をはたされました。特に経済的に恵まれない家庭の子供に幼児教育をとの願いで、恩人の経済的な協力により、善きサマリア人幼稚園を設立しました。シスターの永遠の安息をお祈りください。

下口神父様

十主の平和

主の復活おめでとうございます。ようやく幼稚園の祝別式のご案内をお送りできるまでになりました。工事は全部済み、現在はグランドに土を入れ、カラバオ・グラスという草を全体に植えます。芝生ではないのですが、全体に広がっていくのだと思います。それと教室内や事務室、図書室などの内部、家具や小物入れなどもの準備です。祝別式の典礼の準備も含め、忙しい中にも新しくこの仕事を始めるという希望に満ちた日々です。いつもサポートしてくださっている神父様に感謝し、祈りつつこれらの準備を進めています。このたび祝別式に出席できなかったのは残念ですが、またいつか幼稚園がスタートしてから子供たちの様子を見に是非おいでてください。お待ちしています。

2004年3月

善きサマリア人修道会バコロド共同体一同、後藤圭子

下口神父様

十主の平和

聖霊降臨おめでとうございます。お元気でいらっしゃいますか。5月22日の祝別式が終わり、今は6月7日から始まるクラスための準備をしています。子供の数は現在117名(120名がリミットです。)二つの教室なので朝のクラスが二つ午後のクラスが二つになります。こどもたちも保護者もとても楽しみにしていて、わたしたちもうれしく思っています。子のたびの神父様においでいただけなかったのは残念ですが、次の機会に是非おいでてください。もし来年になるのでしたらSr.レオニー(幼稚園の園長をするフィリッピン人シスターです)からメッセージですが、終業式が2005年3月19日(土)になるのでその日に来て頂けたらうれしいとのことです。今年中でもいつでもwelcomeですので神父さまのご親切、寛大さに心から感謝しております。お礼と祈りを込めて

2004年7月14日

善きサマリア人会バコロド共同体一同、後藤圭子
 
 

バコロド視察訪問

(神学生への奨学金支援活動報告)

2010719日午後、イロイロ市での34日の視察訪問を終えたわたしは、パナイ島イロイロ市の港からジェットボートでネグロス島のバコロド市に移動。所用時間は約1時間30分。バコロド港ではシスター後藤の後任となった迎衛子シスターに迎えていただく。当日は、市内の中心部にあるペンションプラザホテルで休養することにし、翌日の行事に備える。翌日は修道院で早朝ミサ、その後に修道院の近くにある修道院経営の幼稚園を訪問し、園児との交流会。それからタクシーで砂糖黍畑が広がるコンセプション教会に移動し、今年赴任したばかりの若い主任司祭に挨拶してから、今年新しく奨学生として支援することになった神学生の母親と面談。その後、バコロド市内のホテルに戻り休憩してから、神学校を訪問し、カール神学生と面談する。

カール・アンソニー神学生(17才)

去年赴任して来られたタリサイーコンセプション小教区の若い主任司祭に推薦され、奨学生として受け入れたばかりの神学生。今年6月、バコロド教区立小神学校に入学しました。721日、わたしは、シスター迎とバコロド教区神学校で神学生の養成者として働いているオーストラリアのシスターの案内を受け、面会してきました。神学校では以外にも集団風邪が流行っていて、本人も風邪のため体調はよくない様子でした。この神学生に聞いたところによると、最初の1年間は哲学の勉強の準備期間で、英語やラテン語など語学を中心にフィリッピンの歴史、霊性学などの勉強をしているということでした。

神学生との面談の後、神学校の会計の神父様と校長神父がわたしたちを歓迎してくださり、昼食の接待だけでなく、時間をかけて校内をすみずみまで案内してくださった。かなり老朽化が目立つ神学校の4階の屋根裏は、改修工事をして図書室にしていました。財政が厳しい中でも、中古のパソコンを10台あまり揃え、神学生の勉強の環境を整えるために工夫している、バコロド教区は司祭職を希望する神学生は多くはないが、日本のように召命が少なくて悩んでいることはない。それよりも神学校の司祭方の一番の悩みは、教区の財政が厳しく、それが神学生養成の支障になっている現実があるという、という。

マーク・アンリニー神学生(22才)

バコロド教区タリサイーコンセプション小教区出身。母と弟の3人家族。父は7年前に、射殺された。その後、母は近くに町に行商して家計を守っていました。もちろん、食べるのが一生懸命で、司祭職を志す息子のため、学費の面倒をみる生活の余裕などはありませんでした。5年前、その彼を最初の神学生として受け入れ、経済的な支援をしてきましたが、今年3月、バコロド教区立神学校(哲学科)をめでたく卒業し、今年6月からは、本格的に神学の勉強をするために隣の島のパナイ教区の大神学校に在籍しました。わたしはイロイロ市訪問の最終日、神学校を訪問し彼と1年半ぶりに面談してきました。この大神学校は旧小神学校の校舎を改造した古い建物でしたが、まだ入学して2ヵ月しか立っていないにもかかわらず、早くも友達もでき、共同生活にも溶け込み神学の勉強に意欲を燃やしていました。

下口神父さま

十主の平和

お元気でいらっしゃいますか。大変遅くなりましたが、神学生の記録をお送りします。レークスの写真だけは個人のものを私は撮らなかったようなのでありませんが、他は一応貼りました。でも神父様のものと取り替えても結構です。6月第1週に神学校の新学年度のスタートのミサが神学校であり、わたしたちも皆参加しました。スタップ、学生の紹介もあり、とても恵の機会でした。こちらはあの後、まずます暑さがまし、夏休み(4~5月)は済んだのにと、みな暑い、暑いと云っています。やはり世界的に気候が変動しているのですね。ではまた どうぞお元気でお過ごしください。お礼と祈りのうちに

200676

 

善きサマリア人修道会、後藤圭子

下口神父さま

十主の平和

お元気でいらっしゃいますか。このたびはお世話になりありがとうございました。思いがけずあちこちの教会も訪問でき感謝しています。Sr、ベロニカもいい経験で喜んでいました。昨日コンセプション小教区の主任司祭Fr、レイマンに会いましたが、神学生と元神学生へのサポートにとても感謝していました。ここの神父さんたちの移動は5月末にでて6月末頃までに移ることになるそうです。新しく来られる神父さんがコーディネイターやわたしたちともうまくやっていけますようにと願っています。日本で春の気持ちよい気候を味わって再び個々の暑さに慣れるのはちょっと大変です。最初の日はあまり暑くどこを触っても熱い感じで眠るどころではありませんでした。そうそう日本も夏に向かいますね。どうぞお元気でお過ごしください。祈りのうちに

2007年5月17日

後藤圭子

 

 



  
   
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