浜崎渡師

200131日   よきおとずれ   第872

 

 今年、金祝(司祭叙階50周年)を迎える司教・司祭は日本全国で37人、長崎教区司祭では、深堀政美神父と浜崎渡神父が金祝を迎える。金祝の両司祭とも元気に司祭生活を送りつつ、現在の心境を次のように語った。「これまで多くの人に支えられ、神の恵みのうちに生かされたことを心から感謝しています」。

 

1998(平成10)51日  カトリック教報

浜崎 渡師に感謝

 1998317日付けで引退したペトロ浜崎 渡神父は教区司祭として47年間、三浦町、水の浦、馬込、仲知、神学校、大曽、青砂ケ浦、福江、相浦の各小教区主任等を歴任し、宣教司牧と神学生の育成に努めた。北松浦郡田平出身。72歳。

 現在、長崎市光ツ山町にある純心聖母会経営の「恵みの丘」老人ホームに居住。

 同師は、つねに人情味あふれた慈父の心でキリストの愛と慈しみを示した。

 浜崎師の現役引退にあたり、長い間の労苦に心からの敬意を表すとともに、今後は健康に留意され、主の恵のうちに過ごされるよう祈る。

200261日   よきおとずれ   第886

 

ペトロ浜崎 渡神父帰天

1998年4月に現役司祭生活を引退、昨年叙階50年を祝った浜崎渡神父が5月18日午後1時30分、脳出血のため大司教館で帰天した。76歳。

 浜崎神父は26年3月5日、北松浦郡田平町生まれ。51年3月28日、司祭叙階。公教神学校(現・長崎カトリック神学院)校長、上・下五島地区長の任を果たし、流暢な説教と周囲への心遣いは多くの人たちの励みとなった。

 51年5月、三浦町助任、水の浦主任。60年9月、馬込主任。71年9月、仲知主任。75年2月、公教神学校校長。83年3月、大曽主任、84年3月、青砂ケ浦主任。88年4月、福江主任。96年3月、相浦主任。98年4月、養護老人ホーム恵の丘に引退。00年1月、大司教館に転居。

 同神父の通夜は5月19日午後7時から浦上教会信徒会館で行われ、翌20日午後1時、浦上教会で島本大司教によって大司教区葬が行われた。

水の浦修道院100周年記念誌より(抜粋)

○浜崎神父と園舎の焼失

 昭和28年11月5日には佐世保三浦町助任のペトロ浜崎渡師が、17代目主任司祭として着任された。

 浜崎師は26歳の若さで最初の主任司祭司牧地水の浦小教区地「聖ヨゼフ院」の指導に着任早々から熱情を傾けられた。浜口師の時始められた「聖ヨゼフ院」独自の修練制度に賛同し、そのまま続けてご指導くださった。内面的な指導に留まらず、修道作法に至るまで厳格に指導教育を与えられた。

 修練者の養成に限らず、会員全体の養成、霊的向上を図って、毎週2回の霊的講和と一般教養の勉強の時間を設けてくださった。修道者として必要な基礎的な教養、知識に乏しく、一般的教育の機に恵まれなかった会員達、特に若い会員たちを中心とした勉強であった。「修得神秘神学」「教会史」「ラテン語」などで、一般教養科目としては、「国語」「礼儀作法」等の授業が交互に夜8時~約一時間、年間どのような季節にも時間厳守で行われた。麦たたき、田植え、芋植え、稲こぎ、芋掘り等、農業最盛期の農繁期中であってもこの授業は変更、中止されることはなかった。浜崎師の熱心な指導方針に従って、会員たちも、講和の火曜日と木曜日には8時に間に合うようにどんなに忙しくても仕事を工夫して全員が参加した。その頃の生活は農作業の仕事ばかり明け暮れていたので、特に修練者と若い会員達にとっては、こうした霊的および一般的教養、勉学は心身の活性剤となり、却って一日の疲れも忘れて熱心に励んだものである。

 神学講座、通信講座、研修会等何一つ勉学、修養のチャンスのない時代、若者たちにとっては、週2回の夜の講座は唯一の楽しみであった。浜崎師は勉強を励ますため、粗末なノートしか持たない会員たちに、その当時には全く珍しいバインダーを与え、ルーズリーフに講義を筆記させたが、こうした勉強法は聖脾姉妹会の修練の時、大いに役に立ったのである。

 浜崎師の霊的講座はその後、昭和31年10月、「聖脾姉妹会」として統合される時まで約3カ年間、修練指導と共に続けられた。

 浜崎師の会員指導の中で、「修練者の慎み」については徹底した教育をされた。昼の聖体訪問の時、たとえ作業や畑から帰っても素足で聖堂に入ることを禁じられ、真夏でも腕を出さないようにといわれた。

 いつでも、どこでも、働き着、普段着を問わず長袖を着用するよう命じられた。会員達は慎みのため忠実に実行した。浜崎時代、姉妹たちは着衣式を機に、全員が修道名をもらった。若い者も年取った者も区別なく、一生変わらない修道名は、呼ばれるたびに修道者の身分を自覚させられたものである。

 この修道名は、聖脾姉妹会時代も修道院内ではずっと使用され、お告げのマリア修道会となり、シスター○○と呼ぶ事になるまで続いた。

 

 楠原教会は教会のすぐ上に楠原光幼児園の園舎を昭和27年3月新築していたが、浜崎神父様は着任後、3ヶ月も経たない昭和29年1月25日暖房用の木製大火鉢の火の不始末のため残念ながら焼失してしまった。通報を受けた浜崎師は、楠原教会の御聖体を案じ、当時は徒歩での巡回時代だったから、水の浦から城岳峠を飛ぶようにして駆けつけられた。(水の浦から楠原への城岳峠の山越えは、人がとおるのがやっとの山道で坂が急で、めったに人は通らず、土が水に流され石がごろごろしていて難儀だったため、急がない時は、岐宿から迂回していた。夜道はなお難儀である出火の時間は何時頃だったのだろうか?)

福江小教区誌「こころ」、昭和6365

着任あいさつ

「心を新たにして」主任司祭 浜崎 渡

 本年320日付の、長崎大司教区辞令に基づく人事異動により、上中五島地区、青砂ヶ浦小教区より、下五島地区、福江小教区に、411日(月曜)に着任いたしました。福江教会は大正3年、小教区設立以来75年間、下五島地区の中心となり、今日に及んでいることは周知の通りです。この重要な地位を占める教会に、浅学非才の上に不徳の身をもって着任いたしましたが、どれほどお役に立つか、甚だ心もとない限りです

 教会経済評議会や使徒職評議会委員皆様の、お知恵を拝借し、豊かな経験に基づく御意見に支えられて、信仰道徳と、社会平和の「砦」と信頼される教会の、折目正しい運営をめざしたく、また病める人々の友となって、天国への旅路を共に進みたく、心を新たにしている次第でありますので、なにとぞ福江小教区の信者皆様、不肖な私のため、お祈りくださるとともに、絶えさる御鞭縫を賜わり、負荷大任を終戦43回記念日に寄せて全うすることができますよう、お助け下さい。

こころ、昭和6381

「終戦43回記念日に寄せて」主任司祭 浜崎 渡

 86日は広島市に、89日は長崎市に、それぞれ原子爆弾が投下された記念すべきというか、呪うべきというか、人類史上特筆すべき日であることは周知の事実であります。

 昭和1277日、日本はアジアの制覇をねらって中国大陸に戦火をひろげ、昭和16128日、中国に同情し、これを支援する米、英、蘭に対し、宣戦を布告して大東亜戦争に突人したものでありましたが、昭和20815日、天皇はラジオ放送を苦心して行い、国民に戦いの鉾をおさめ、対戦国に対し、ポツダム宣言に基づく条件の下に降伏することを伝えたのであります。『堪えがたきを耐え…しのびがたきを忍んで、国体の維持につとめ、世界平和の再建に寄与する国民としての自覚に立って、あらゆる屈辱、あらゆる困難を克服して行きたい』との天皇の決意に、国民ひとしく、涙とともに共鳴したのであります。

信仰の自由の回復

 天皇の人間宣言、神国日本の根拠なき理念の確認、天皇を頂点とする帝国主義、封建 制度の崩壊と終焉の表明は、昭和2311日を待たねばならなかったのですが、敗戦による日本は軍隊の解体、戦犯の指名、戦勝国軍の進駐など、被占頷下での政策などのもとに、あらゆる面において、塗炭の苦しみに喘ぐことになりましたが、明治天皇の歌にしのばれる、「罪あらば我をとがめよ天津神を、民は我が身の生みし子なれば」の心境をもって、率直にこれを連合軍と世間一般の前になげ出された天皇を、気の毒に思うとともに、信教の自由を束縛する教育、思想、制度からの解放を約束した、マッカーサー司令官の告示を私たちはどんなにか喜んだとでしょう。加えて、のちのちの世まで語りつがれ、また再びは起こってならぬ戦争の終結の日を、聖母マリア被昇天の祝日に迎えたことを、如何程感謝しても足りないことをキリスト信者一人残らず銘記したはずであります。

 聖母マリアと日本 

主キリストの福音を初めて日本国土にもたらしたのは、東洋の使徒、聖フランシスコ・ザヴィエルであること、誰知らぬなき歴史上の事実であります。彼は1549815日に、聖母マリア被昇天の祝日に鹿児島に上陸いたしまして、早速主の御言葉を宣教しはじめたのであります。以来聖母の御保護と御導きのもとに日本人の信仰を委ねまつることは、外国宣教師の最大の願いであり、期待の的でありました。迫害中のキリシタンまたサンタマリアによりたのみ、かつすがる他、術なしとの確信をもってそれぞれの信仰を守り、7代の子孫にこれを伝えることができたのであります。聖母の祝日に信仰の種が蒔かれ、400年の星雲を経た聖母の祝日に信仰の真の自由が回復されたといことは、単なる歴史上の偶然性によるものではありません。殉教者の子孫であり、忠実無類のキリシタンの血を継ぐわれわれは、誇りと勇気をもって、福音宣教推進の叫ばれる現代の「世の光」「知の塩」の一つとなって、神の到来のあけぼのと輝かれ、サンタマリア・日本の聖母とともに、信仰の担い手とならねば、日本キリシタンの栄誉ある子孫と呼ばれる資格はないであろうと思います。
 
 

こころ、昭和63111

「死者の月に思うこと」主任司祭 浜崎渡

生者必滅、会者定難

 生あるものすべては一度は死に、会う者はことごとく別れる運命を背負う、ということは、私共がよく承知している処です。亡くなった親、兄弟、恩人、知人をなつかしく偲び、彼らのためにしばしば祈るようにすすめ、同時に自らの死も立派に迎えるように、かねてより心がけるようにとさとす母なる教会は、主キリストのお与えくださった「愛の掟」と、人に善を施すようすすめられた「福音」を忠実に実践するよう、信者私共に命じています。教会が一年も終わりに近い11月を、「死者の月」と定め、亡き数に入ったすべての人々のため、神の御あわれみはもちろん、聖母マリアをはじめとする諸聖人諸天使の助けを求めよとさとす理由を、今一度、私共はそれぞれの胸に刻みたく思います。死後天国に迎えられることを、ひとしく、こいねがう人間ながら、死後直ちに天国の光栄に召されるとはきまっていません。むしろ、多くの霊魂が、煉獄の償いを果たすような状態で死を迎えるのではないでしょうか、蓋し、世間にあっては、人命救助の行為が、最高の愛の業とたたえられますように、死せる多くの霊魂を煉獄の苦罰から、永遠の光栄そのものの天国に救いあげる信仰の業は、至聖なる神の―み旨でもありますが―み心にかなう価値ある愛の業とたたえられるべきものであります。

 現世の生命は、たしかに短く、地上での種々の縁は、まさしく一場の夢にしか過ぎません。然しながら、信・望・愛の超自然的徳の実行によって、私共は地上の生命が永遠の生命に生かされ、現世の縁に結ばれたものが、終わりなき光栄の座につらなる聖なる禄に再び結ばれることを確信して、希望と喜びの中に、苦しみに耐え、悲しみを乗り越えることもに、死せる人々との敬虔なきずなを、さらに強めたく思うものであります。

二、諸聖人の通功

 天国の諸聖人、諸天使に対し、地上にあって、罪や苦しみとかたかっている私共信者を助けてくださるよう祈ること、および、煉獄の償いを余儀なくされている霊魂を助けるために、現世にある私共が神の御あわれみを祈り、聖人たちのとりなしを求めることを[諸聖人の通功]というのです。母なる教会はこの「諸聖人の通功」を、信仰箇条の中に加え、万人の救いを望まれる主キリストのみ旨に従う姿勢を、世の終わりまで保ち続けるのです。教会共同体の一員である私共信者が主とともに、また教会とともに、万人の救いのみ業に、積極的に参加する使命に生きることは当然のことであります。

毎月第一日曜日は要理講座の日

毎月第一日曜日は要理講座の日 昨年までの聖書講座を今年から要理講座として、七つの秘蹟について講座が開かれていますが、信者の出席者が少ないようです。 従来、聖書のお話は難しいということでしたが、要理のお話はわかりやすく、私たちの日常生活に最も大切なことばかりです。日曜日の午后の二時間をなんとかして要理の勉強に使ってほしいものです。
 
 

平成元年115

「新春を迎えて」主任司祭 浜崎 渡

 めでたい正月

 新しいものに対しては、誰もが、そこはかとなき魅力を覚えるものであります、新しい年を迎えてこの一年、何かよいことかあり、しあわせが訪れるに違いないとの期待を抱かされるとしても、それはあながち無意味ではありません。ただ『棚からボタ餅』式の、漠然とした期待に終わらないようにするために、一定の計画をたて、機会来たらばというよりも、積極的にチャンスをつくるように、注意と努力を重ねる気構えが大切であります。病気の人は健康の回復をめざして、節制、勤勉の生活に一層の工夫をこらし、忍耐強く控え目のあけくれに専念すべきでありましょうし、健康に恵まれている人は、更に健康の増進に励み、毎日の仕事に精進するとともに、飲食物の摂取に適量を超過しないように、心掛けることが肝要であります。 古来いわれているように、『一年の計は元旦にあり』との格言の実行も、三日坊主にならぬように、きびしく己れを律することは、絶対不可欠の条件ですが、あまりにも自己本位となるために、周囲に対する義理、奉仕、協力などの大切な事柄が、おろそかにならぬよう、配慮することを忘れては画竜点晴を欠く決意となりましょう。苦しみをともに凌ぎ合い、喜びをともに分かち合う心意気で、首途を祝うことこそ、めでたいお正月、希望あふれる新年を意味するものと存じます。

 時の流れを注意深く過ごそう

 『始めよければ終りよし』

 『終りよければすべてよし』などの教訓にもられたことばの意味は、一朝一夕に味わいつくせるものではありません。『最初が肝心である』

 『有終の美を飾る』ことの必要なことは、誰しもが聞かされている処でありますし、幾多の経験を重ねることによって常識の一つとなっている処でありましょう。にもかかわらず、貯蓄といい、借金の返済といい、時の流れの中に達成されるものでありまして、半年や一年の短い区切りの内でけりのつくものではありません。毎月、毎週、毎日を大切に過ごすことを、ゆるがせにすべきではありません。

 『塵も積もれば山となる』如く、一日、一日の努力が、やがて実を結ぶものであり、一生の誠実な努力が天国の宝の蓄積となるものであります。漫然とした一日、一年とならぬために、一月とか一年とかの目標達成の区切りをもうけてあるに過ぎないことを知る私共にとって、正月はまさに決意を新たにする外に、反省の時でもあることを自覚して、徒らな空さわぎにすぎない正月とならぬよう自戒を深めましょう。
 
 

カトリック教法、昭和63111

敬老会

福江教会の土台は今も健在である。

 915日午後10時から恒例の敬老の集いが聞かれ、福江教会の土台となっている70才以上114名のうち50名の方が参加した。     ー

 感謝のごミサにつづいて、お祝の宴に入り、主任司祭、信者代表昔のねぎらいの言葉に、歩いた道のりを思い浮かべながら、共に語り合いなごやかな一時をすごした。

こころ、平成元年716

「真の宝」主任司祭 浜崎 渡

「あなたたちの宝のあるところに心もある』(マタイ・6)

一人の旅人があった。ところはさびしい砂漠である。携帯の水も底をついて早や2日、足取りは重く、あちこちに見出せるであろうと、たかをくくっていたオアシスを見出さぬままに、心は暗かった。

 さんさんとふり注ぐ砂漠の太陽は暑く、まぶしい限りであった。見渡す限り、はてしなく打ち続く砂丘の外に、旅人は己が足下から何も見出すことはできない。にもかかわらず、かれは生きて砂漠をよぎってしまわなければならない。

 努力は最後まで続けることが肝要である。ついに彼は何物かを発見した。まさに獲物をねらう飢えた野獣が、その獲物にとびかかるように、彼が身をかがめて手にしたものは、世にも稀な美しい箱であった。もどかしげにその箱の蓋が取り去られた時に、輝くものは見事なダイヤモンドであった。まことに高価な宝石である。然るにくだんの旅人は、「ダイヤか」とつぶやくや否や、そのダイヤモンドを箱もろともに、役げ捨てたのであった。彼にとって、今必要なものはさかずきいっぱいの水であった。喉をうるほす一個の果物であった。一杯の水にも価せぬダイヤモンド、一個の果物にもおよばない宝石、こんなことが普通考えられるだろうか。思うに、万葉の歌人、山上憶良の幼児をなくし、これを悲しく葬る時の歌がある。

 白銀も黄金も玉もなにせむに まされる宝 子にしかめやも

 『金銀財宝、これは結構なものである。然しこの貴重と思われている宝も、これを受け継ぐ子供に先立たれては、一体どれほどの値打ちがあるか、子供こそ、真の宝であることよ』と……

 私共はここにおいて考えねばならぬことがある。「需要と供給」の問題である。絶体絶命の場合はもとより、緊急を要する時には、生命の危険及ぶ一切のものを排除し、生命をつなぐ唯一のものを求めねばならぬ。一本の注射か、一包みの投薬か、かかる場合世にも稀な宝石や、山をなすほどの財貨はいらぬものである。私共の限りある人生において、天国を目指して旅をする神の民として、何よりも大事なものは信仰である。信仰の導く処に、常におもむかなければならぬ私共は、地上的現世的な宝は、これを失っても、永遠に朽ちない天上の宝を探求し、これを蓄積するよう迫られている。天上の宝を得るためには、神の聖旨を仰ぎ、これが実行に孜々(しし)としてつとめる外に方法はないが、神の聖旨、即ち神の教えと、その掟に忠実に従って生きるものは、人生の終りまで、諸種の恵みを加えられ、その目的を達成するに必要な、すベての条件を充たされるのである。『あなたたちは、ます神の国とその義を求めなさい。そうすれば、これらのもの(衣、食、住など)も皆加えて、あなたたちに与えられる であろう』(マタイ633)『多くのことに心を配り、思いを煩っても、必要なことは、ただ一つだけである』(ルカ104142)。主キリストのみことばを服用して、真の宝を見出したいものである。
 
 

こころ、平成元年1022

「彼岸に想う」主任司祭 浜崎 渡

1、此岸(しがん)と彼岸(ひがん)

 此岸はこちら側の世界のことで、生身の人間の住む処、即ち現世ということになりますが、[灯台下暗らし]のたとえの如く、地上の生活、浮世の生命を営みながら、此世の相(すがた)を正確にとらえていないことをはじめとして、現世がいかなる性質のものであるかを、十分に把握していないことが、人それぞれの悩みや苦しみの一因をなしていることに、聞違いはありません。仏教界では、煩悩の世界と観じる此世から、脱却することを「さとりをひらく=涅槃(ねはん)=」と申しますが、この『さとり』の境地に到達することは、なかなかに容易なことではありません。なぜなら、人生には、四苦(生、老、病、死の苦しみ)八苦(愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦)があり、これより脱出することの可能な人は、きわめて少ないからであります。キリスト教界では、此世を、地上とか限りある世とか申しますが、またさらに、試練の場、たたかい(苦しみ、罪、悪魔などとの)の庭、涙の谷、逐謫(ちくたく)の身のおきどころなどと称し、浮世が安易な生活の場所でないことを訴えるとともに、むしろきびしい覚悟で、未来に備える生涯を貫かなければならぬものといましめています。世間一般においても、此世を瑕(かり)の宿と申すことは、今や常識であります。従って、此岸といえば彼岸の対辞であり、彼岸にいたる準備の時の間、彼岸に到達することを目標として、種々の努力を致すべき前提条件の場所と申すことができましょう。此岸に終の住家を整えることは、かかる意味において無駄であり、魂を除いて、人も我も、また我をとりまくすべて

のものも、移り行くかりそめのものであり、彼岸にあるところのものの、一時の影ということができるのであります。されば「此世の態(すがた)は過ぎ行くものである」(コリント前・731)と聖パウロも断じ、浮世と浮世のものを利用するとしてもこれを利用せざるが如くに、執着しないことが肝要であるといましめています。

二、彼岸をめざすこと

 彼岸は向こう岸の意味でありますが、単に対岸というにとどまらず、此岸(現世)とは全く異なる世界で有り、俗にいう「あの世」であり死後の世界のことであります。仏教の法要(教えの要旨)によれば、彼岸は、此世の三界(欲界、色界、無色界)より脱して、無上の正しいさとりを得る涅槃の状態のことでありますが、これをキリスト教的要理によって申しますと、彼岸はまさに天国、救いの国、神のみ旨の常に行われる永遠の世界、善人の魂が終りなく安らぐ神の愛の宴というところでありましょう。天国は、涙の旅路を終えた善人の魂が、辿りつくべき目的地であって、地上の生活を営んでいた時とは、うってかわって、罪や悪霊の勢力の及ばぬ処、死も苦しみも支配することのできぬ安住の場、神のみ前に喜びあふるる生命を楽しむ状態であるとは、主キリストの福音書にみたされる思想であり、主キリスト御自身、忠実に一生を終えた信者に約束され、用意して下さる光栄の座があるところであります。

三、天国への旅路の道連れ

仏教における彼岸の行事は、彼岸会(ひがんえ)といわれ、死者のための追善供養を行うものであります。即ち、お墓の清掃や墓参りをはじめ、僧侶を招いての読径を霊前に手向(たむ)けることや、人々に対する施しをもって、死者の代りに善をなすのであります。このことは生前、人の一生において、各々なすべきことの足らざるところを、遺族や友人によって補ってもらわねばならぬとの、切実な願いがこめられているものであります。下世話(げせわ)にも、「旅は道連れ、世は情け」「袖振り合うも他生の縁」といわれる通り、わたしたちもお互いのために折り、善を行い、天国への旅の道連れとしての、嬉しいつとめに励みたいものであります。
 
 

平成元年716

「神の民を救いの道に導く司祭」主任司祭 浜崎 渡

 今年、福江小教区から二人の司祭が誕生した。福島光明師と本□片孝師である。

 思うに、司祭職に限らず、学問、修徳、研究の課程において必要なことは、信念と忍耐であろう。目的達成をはかる時に種々の困難や、精神的また内体的に多くの試練にさらされることは、常識となっているが、常識を常識として率直に受けとめ、初志を貫くことに全力を注ぐことが肝要である。

 もとより司祭職は、主キリストの本来的な御使命であるばかりでなく、カトリック教会の本質的な役務である。人類を罪より贖い永遠の生命を与える主のみ業を継承するもので、その聖なる職務は己一人の力で、達成できるものではない。司祭職に達するまでが然りであった如く、叙階後こそが、多くの人々の祈りと協力を仰がなければならない。

 戦前、戦中、戦後という波瀾と動乱にみちた昭和の、62年間に及ぶ時代を過ごした今、さまざまな思い出に迫られるものがある。つらい反省があり、戦後の平和の到来にもかかわらず、衣食住に事欠いた悲しみもあるが、種々の体験を通して得た教訓もまた少なくない。

 こうした事柄を基とした、平成という新しい時代に、若さと情熱を傾けて、時代と世相を超越する、永遠の真理を宣教し、神の民を救いの道に導く司祭の存在ほどたのもしいものはない。福江教会信徒挙って、福島、木□両新司祭の心身の健康を心よりお祈りし、幾久しく、今後活躍されるよう、切に念じたく思う次第である。

平成元年1022

教会の宝(今年の初聖体(男子20名、女子15名、計35名)

 福江教会では、820日、浜崎主任司祭の司式により、初聖体の式が行われた。35名のうち、男子20名女子15名であった。

 毎年、初聖体を受ける子どもたちは、少なくなっているが、今年は少し増えている。これは福江小教区に若い家族が増えているからだと思う。

 どこの教会でも初聖体の子どもが少なくなっているのをなげいている。初聖体の数でその教会の活力を知ることができるからである。

 初聖体は、家族の最も大きい喜びであることは勿論のこと、教会にとっても信仰の後継者を頂く大祝日ということができよう。

平成元年716

「行く年、来る年に想う」主任司祭 浜崎 渡

1、反省

 人は善事や喜ばしいことは、さらにこれを伸ばし、しあわせの上積みをしたいと願う反面、苦痛や悲しいことは、一刻も早くそれと訣別し、失った分や、失敗したところは、ただちにこれを回復し、劣勢を挽回したく思うものであります。

 過客となる一年を省みると、多幸を求め、不幸を退けようと、必死の努力を重ね、数えもあえぬばかりの、試行、錯誤を繰り返していることに気付くものでありますが、これらが果して神の聖旨に副うものであったか、また短い人生において、蓄積すべき永遠の功徳に、如何ほど役立つたかは、甚だ疑問とせねばなりません。

 神の聖旨に副わぬもの、それは罪であり、また忘恩に外なりませんが、神の恵みである心身を、罪によって汚し、貴重この上なき時間を浪費して、怠慢を重ね、自由を濫用して、俗的欲望の達成をはかるなど、これら人間的弱点から開放されて、時間や生命はもとより、家庭生活や職業も、すべては神の恩恵であるとの信仰的思いに強められて、旧き一年を送り、新しい一年の歩みを、如何にすすめるべきか、つぶさに創意、工夫をこらしたいものであります。

2、回顧

 145年前までは、国内、海外、わが家それぞれの十大ニュースが云々され、年末、年始における一種の回顧記事が、紙上をにげわせましたし、大方の国民の歓心を買っていたように思われましたが、最近は新聞に取り上げられこそすれ、人々の心には、最早や魅力はうすれ、懐旧の情をそそるほどのものはないように思われます。

 それというのも、経済不振、企業の倒産、政治の汚職、架空の会社設立に伴う詐欺横領事件、青少年の非行犯罪、家庭崩壊の件数増加など、暗く、痛ましく、憤慨に堪えない事態が、あまりにも多く発生しているからであります。

 幸いにして私共は、ありがたい神のみ摂理のもと、善意あり、信仰ある人々の模範や奉仕に支えられて、日々の衣食住に事欠くことなく、学び、働く喜びをかみしめながら、無事に一年を過ごすことができるのであります。心をこめて神に感謝し、その御いつくしみを賛美しなければなりません。あわせて私共は、職場における人々の協力、学校における先生方の指導、病院における医師、看護婦諸氏の救助活動、周囲の人々に対して、心からの感謝をささげねばならぬものであります。 

それは、人生の旅、すなわち天国への旅路にある私共は、万民の罪のあがないと、永遠のいのちを与えるために、御自らを死にわたされた主キリストのお心を、各々の心として、日々を生きて行かなければならないからであります。

3、決意

 地震や噴火、津波、洪水などの天災が、地球上に種々の変動をもたらすことはあっても、天地自体に新しい変化の生ずることはありません。彼を旧とし、是を新とすることは、ただ人間の発想によるものであります。別言すれば、人間の心、人間の考えが物事にけじめをつけ、自らの運命を開きなおしたいとの意欲と、ある種の行動開始によって、ある物事や、ある機会を、旧とし、新とするまでのことであります。

 もとより、喜ばしきことや好ましいことを、年の新旧入れかえによって、捨て去らねばならぬということや、悪しきことや好ましからぬことを継続せねばならぬということもありません。常に幸福を願う人間にとっては、古いも新しいもないわけであります。

 ただ考え方、心のもちよう、意志のかためようによって、己れを常に新しい気持ちでふるいたたせるまでであります。したがって一年をおくり、さらに一年を迎えんとするものは、厳正な反省から、確固たる決意を産み出すことが肝要であります。

 
 

こころ、平成2年1月1日

年頭の辞 主任司祭 浜崎 渡

1、新年のあいさつ 

福江小教区の信者皆様、お告げのマリア修道会・福江修道院のシスター皆様、明けましておめでとうございます。

旧年中、かたじけのういたしました御厚情や、教会に対する御協力、御奉仕に対し、深く感謝申しあげます。皆様のお祈りと犠牲に支えられて、教会は維持、運営を続けていますが、明日をになう子供たちは、心身ともにすくすく育ち、召命に応じた学生たちの中から、2名の司祭か誕生し、数名のシスターが、初誓願や終生誓願の恩恵に浴しました。

 昭和628月の台風による被害からの立ち直りも早く、教会、信徒会館、司祭館の修理も終えて、面目を一新し、余勢を駆って、井持浦教会の再建にも、若干の援助金を献納いたしましたが、長崎大司教区立の神学校が、10年来の宿願でありました再建を見事に果たし、召命に応しる若人の、希望の学舎が、キリシタン復活に、ゆかりも深い浦上の丘に、美しい姿を見せました。

これらすべては、神の御いつくしみの著しいしるしであるとともに、信者皆様の忠実な信仰のあかしに外ならぬものであり、感激のきわみであります。重ねて御礼を申しあげますとともに、今年も一層の御鞭撻を賜りますよう、ひとえにお願い申しあげます。

2、新年の決意

 『鋤に手をかけてから、うしろを向く者は、神の国にふさわしくない』 (ルカ902)と、主はおおせになりましたが、これは、神のみ旨にかなうこととして、何かをしよう、何か一つのことをしなければならない、と一度は心にきめながら、あれこれ思い悩んだり、ためらいを繰りかえしたりするときの、御いましめに外なりません。

 平成2年の初春を迎えたわたしたちは、過客となった1年をかえりみて、間違った考えのもとに行動したり、誤った思いこみのために、周囲にまで迷惑を及ぼす結果を招いたりしたことはなかったかと、回顧と反省を重ねた上で、真理にかない、また倫理にもとらぬ、確固たる決意をもって新しい一年の歩みをはじめたいものであります、

 家庭生活において、あるいは社会人としてのつとめを果たす立場において、最初の決意に誤認や偏見に気付くとか、あるいは、よりよき方針を見出した場合を除き、万難を排して、初志を貫徹するようつとめることが、主キリストの御さとしに副う所以でありますが、現世の生活と未来の生命とを常に、結びかためねばならないわたしたちは、主キリストを頭とする神秘体(教会)の一員としての立場から、『あなたがたは、まず、神の国とそのみ旨を行う生活を求めなさい。そうすればこれらのもの(衣食住などの基本的条件)も、みな与えられるであろう。

 だから、あすのことは、あす思い煩えばよい、その日の苫労は、その日だけで十分である』(マタイ63334)との、主のみことばを、たのもしく信じ、また力強いささえとした上で、年頭の決意をそれぞれに自覚したいものであります。
 
 

平成元年1210

「ともに喜びをもって生きよう」下五島地区信徒使徒職評議会

 下五島地区信徒使徒職評議会は、「ともに喜びをもって生きよう」をテーマにして、1119日、福江教会信徒会館で研修会をひらいた。8小教区の代表者180名が参加した。

 その一部を紹介する。

1、指導司祭、片岡久司師 あいさつ

 第一回福音推進全国会議において、全国の代表者から提案された三つの柱、すなわち1、日本の社会とともに歩む教全。2、生活をとおして育てられる信仰。3、福音宣教をする小教区について、日本カトリック司教団は、その審議結果を「ともに喜びをしって生きよう」と小冊子にまとめた。

 これに基づいて私たちは、「どかんすればよいか」本日研修することにした。各小教区の実情報告を分かちあい話しあいを進めて行きたい。

2、長崎教区評議会副会長 石橋氏あいさつ

 長崎教区では、福言宣教について、各地区でいろいろと研修会が行われている。

 私たちは、信仰の喜びをどうして他の人々に伝えることができるか、ということで「どがんすれば」というユニークな冊子を作り研修の資料としていただいている。十分とはいえないが、どうすれば提案に沿った行動が取れるか、「こ

がんすればよかじゃないか」と言えるよき研修会にしてほしい。

3、基調講話 浜崎地区長司祭

 福音宣教が叫ばれて20年余の間、歴代の教皇さまか全世界に向けて、平和と一致を呼びかけた歴史的背景と、第二バチカン公会議からの日本カトリック教会の福音宣教についてのお話。

 つづいて、現在歩いている信仰生活を反省し、わたしたちの福音宣教が何か社会によき影響を与えたいものであると結ばれた。

4、各小教区実情報告

 小教区の代表者により、それぞれの実情報告があったが、総括するとつぎのとおりであった。

1、「ともに喜びをもって生きよう」「どがんすれば」は、むずかしい、もっとわかるようにして欲しい。

2、下五烏地区では、外に向かっての活動はまだまだである

3、各小教区の信者の数によってまちまちであるが、おおむねの教会は委員会を作り活動の体制はできている。

4、信者の信仰に帯する見なおしや、混宗結婚者に対し教会に近づきやすい方法はないか。

5、各小教区の実情報告を話題にした協議の時間がないので、「こがんすればよかたい」

 
 

こころ、平成2年1月1日

聖書講座(5)―結 婚― 浜崎 渡師

1、結婚(婚姻)の起源

 人間の始祖(人祖)が、神に似せて創造されたことは旧約聖書の創世記(126)に明らかです。然しエデンの園(楽園」におかれたアダムは、まだ一人身(独身)でした。

エデンの園を耕し、これを守るように命じられた神は、すてに創造しておられた鳥獣や草木をも支配する権利を、人祖に付与されましたが、人祖は、自分に合う助手というか、協力者というか、そのような者を見出すことはできませんでした。(2・20)、主なる神はこれを見て、『人か独りでいるのはよくない、彼に合う助けるものを造ろう』(21821)と仰せられ、アダムを深い眠りに誘い、彼のあばら骨の一部を抜き取り、それで女をつくられたのでした(222)。眠りからさめたアダムは、かたわらに立つに女を見て『これこそわたしの骨の骨、肉の肉、男から取られたものだから女と呼ぼう』ということになったのですが、『男は父母をはなれて女と結ばれ、二人は一体となるべきである』(224)との、神のみ旨により、アダムとエワは夫婦となり、相互の一生の伴侶となり配偶者となり、生涯の協力者となったのであります。同時にこのことは、生命の源におわします神の本質的みわざの協力者として、人間は創造され、神の恵みの豊かさの証人としてたてられたことを意味するものであります。

2、結婚の目的

教会法旧法によれば第1の目的は、子女の出産と教育。第2の目的は、夫婦相互の扶助と、情欲の制禦と明記されたものでした。教会法新法によれば、旧法の如き、第1、第2目的といった序列的見方をさけ、目的について直接、『生活全体に及ぶべき、夫婦の親密な共同体』として、定義しています。換言すれば、結婚は子女の出産を目的として、夫婦のまじわりを行う権利を相互に与え合うためにのみするのではありません。なによりもまず、二人がむつましく生活しながら、相互の協力を通して、愛の共同体を建設していくことにより、夫婦の善、すなわち、お互いの人格形成と、救いの幸せをめざして、なされるものです。子女の出産は、こうした夫婦の相互の、親密で、排他的な愛の実りである

のです(聖会法10551

3、結婚の秘跡

 教合法新法においては、旧法に見られなかった『婚姻の誓約』という表現を用いていますが、これは婚姻が、単なる自然的、また、法的契約にとどまることなく、神の制定に基づく制度であり、神のみ前で交わされる神聖な誓約であると、いっています。

 さらに、洗礼によって、主キリストに合体された信者同士の有効な結婚は、そのまま秘跡に高められることを教えているものです。(1055S1S2

 実に、受洗者同士の結婚(夫婦愛、家庭)は自らの生命を役げ出して教会を建て、絶えず愛し守り続けられる主キリストが、教会に対しもち続けられる誠実な愛の写しとなるという使命を、与えており、この使命に必要な恵みを伴う秘跡が結婚の秘跡というわけです。秘跡のゆえに、結婚の絆の不解消性と単一性(一夫一婦制)は、とくべつに堅固にされるのであります。



  
   
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