ペトロ 平野 勇師

主任司祭 平野 勇        1997年(平成9年)928日こころ 

 

ふくれ饅頭、思い出すのは、815日のマリアさまのお祝い日にはいつもふくれ饅頭を作っていただき、マリアさまのお祝い日を、ふくれ饅頭のお祝い日と思った幼い頃の楽しい想い出がよみがえります。めったに食べることのない、甘い、おいしい饅頭をマリアさまが届けてくれると信じて、その日を待ったのが懐かしい想い出です。815日はマリアさまが天国にお帰りになった被昇天のお祝い日です。しかし、この日は日本人にとっては忘れられない戦争が終わった日でもあります。考えてみると人間が人間を殺し合う、むごたらしく、悲惨な戦争、どんな理由があったにせよ決して許されてはなりません。数えきれない多くの尊い生命が無惨にも奪われ、未だに後遺症に苦しむ多くの人々の苦しみを考える時、決して戦争は繰り返されてはなりません。

この戦争が図らずもマリアさまの被昇天のお祝い日に終結したことは何か深い、特別な意義があるように思えてなりません。何故に、どうしてと問いかけてみたくなります。開戦は128日、この日はマリアさまの無原罪のお祝い日です。このめぐり合いは、一体何を意味するするのか、ふと立ち止まって考えてみたくなります。私たちはマリアさまに特別の愛情を持ち、心から信頼し、親しみ、何時もマリアさまにお祈りし続けています。マリアさまは苦しみに満ちたこの世の生活を終えて、天の栄光にあげられたと信じ、取次を求めてお祈りいたしております。この信仰の真理についてピオ十二世教皇様は195011月に次のように発布されました。

「……無原罪の神の母、終生おとめであるマリアはこの世の生活を終えて後、お身体もご霊魂も共に天の栄光に与かるようになされたことは神によって啓示された真理であると宣言し布告し、定義する。」教皇様の言葉を待つまでもなく教会は古い時代からマリアさまの被昇天の喜びをお祝いし続けていたのです。ピオ十二世教皇様はこの年にはっきり信仰箇条として全世界に布告されまた、それはあらためてマリアさまのお姿をより美しく、マリアさまと共に生きる者、マリア様に祈る者に、天国への道を示すためです。マリアさまと共に祈る者にマリアさまはいつも共にいて下さり、とりなしてくださることを教えています。

福江小教区では毎日ささげられるごミサの前に心を一つにしてロザリオを唱えています。

日本二十六聖人殉教四〇〇年祭が始まった日から、この信心は始められました。小教区共同体の一人ひとりによって小教区全体にマリアさまを通してお恵みが与えられるようにと信じ、願って唱えられています。今少しずつですが早く教会に来て一緒にロザリオを唱える者も多くなっています。マリアさまへの信心が拡がり、深まっていくこと事は本当に嬉しいことです。これからも私たち一人ひとりが少し早めに教会に来て、マリアさまとお祈りしつつ、心を清め、静かな心で、ミサ聖祭を捧げることができれば幸いです。祈る共同体には必ずマリアさまのお恵みがあります。この世の生活を終わって天に上げられたマリアさまはいつも私たち一人ひとりを見守って下さっていると教会は教えています。

 

平野  小さな兄弟に、愛の手を  

主任司祭 平野 勇        1998年(平成10年)927日こころ 

 

福江小教区では毎月第1日曜日に、愛の献金のご協力をお願いしています。

この7月中旬、福江小教区の青年7名が嘉松神父様と一緒に今フィリピンで恵まれない子供たちのための施設を経営している烏山さんの「歓びの家」を訪問いたしました。青年たちが恵まれない子供達の施設に、しかもフィリピンまで訪問して、直接体験したということは大きな意義があると考えます。青年たちの体験を聞きますと、大変厳しい状況の中に生きている子供達が沢山いて、その中でも特に恵まれない、生きていることがやっとという子供達の世話をしているのがこの烏山さんの「歓びの家」だということです。国からの補助もなく、善意の支援と烏山さん自身の力で運営されているとのこと、運営は生易しいものではないけれども、この子供達のために歯を食いしばって頑張っているとのことです。

そこで、私たちも目に見える形でこの「歓びの家」を支えることが出来ればと考えまして『「歓びの家」を支える会』を設立することにいたしました。

恵まれない子供達のため、すべてを投げ出して奉仕している「歓びの家」烏山さんにご協力くださいますようお願いいたします。

趣意書を作りましたので、お読みいただければ幸いです。

平野 スロ−ガンによせて  

主任司祭 平野 勇

2001年(平成13年)617日こころ 

 

「家族そろって恵みを祈り、日曜日のごミサに与かりましょう」

モミジのような可愛い手を合わせ、お父さんお母さんの前を歩き、祭壇の前で、にっこり微笑んで頭を下げる幼い子供、本当に愛くるしい。お父さんお母さんに温かく見守られ、無邪気に微笑む子供、静かに祈りつつ見守る家族の絆がとても美しく輝いて見えます。日曜日、子供と一緒にごミサに与かり、ご聖体のイエズス様に近ずき、子供と一緒に神様の祝福を頂く、こんな家族に出会うと幸せを感じます。神様もマリアさまもきっと温かく見守り、恵みと祝福を与えてくださるに違いありません。このような家族に生まれ、育つ子供はこの上ない幸せでは無いでしょうか。私たちの福江小教区にもこのような家族があります。嬉しいことです。もっともっと多くの家族が神様に喜ばれる家族でありますように祈っています。

聖堂の正面に「家族そろって恵みを祈り、日曜日のごミサに与かりましょう」と掲げさせていただきました。色々と理論は言いません。日曜日のごミサは私たちにとってとても大切なものです。1週間のすべてを神に感謝し、新しい恵みを願う、尊い聖なる日です。どのような家族も家族の幸せを祈らない家族はないでしょう。日曜日家族そろってごミサに与かる時、神様はその家族をしっかり見つめて下さり、必要な恵みを与えて下さることは確かです。

日曜日を大切に祈ること、当然のことのようですがなかなか難しいものです。だからこそ価値があるし、神様もこのことを受け止めて下さるのです。日曜日を大切にして家族そろってごミサに与かる家族には神様は必ず恵みと祝福を与えて下さいます。

平野  希望の年に  主任司祭 平野 勇

2001年(平成13年)114日こころ 

 

恵みの年、大聖年も終わり、第3の千年期の最初の年が始まりました。

2000年は人類にとって大きな節目の年、教会は大聖年の恵みを年として意義ある年としました。この大きな節目の年に生きていてよかったと実感しております。時と共になお実感は深まるであろうと予感しています。この節目の年を迎えるためには様々な事が山ほどあった。第二の千年期、最後の年は本当に意義ある年であった。この第二の千年期は歴史をひもどくまでもなく、不幸なことが起こり、悲惨な歴史が繰り返されたことか。でも人類はそれなりに進歩発展して、第3の千年期バトンを渡した。

さて、第3の千年期はどのような千年期になるだろうかと、想像する時、預言者めいたことを考えます。人類の知恵は世界の絆が固く結び合わされて人類家族としての意識が強まるような希望に向かって歩く世界が生まれるのではと思われてなりません。現状を見廻せばほど遠く、悲しい事が次々に起こっています。倫理が欠落し、本能と欲望が乱舞しているのが実態です。神の御計画はこのような世界を描いているとは考えられません。永い沈黙の時が終わり、ご計画が実現される時が来るであろうと期待しています。

このことは神との縦の線をしっかり結び、人間同士の横の線を密にし、和を求める絆を強めることの大切さを意識し、強まっていくことだと考え得ます。縦の線がいかに大切か。神の望み、ご計画を知ること、このことこそ第一である。そのためには祈る心を育てることだ。でなければ、神の知恵、計画を知ることは出来なません。神からの恵みは平和であり、愛である。この平和と愛こそ人間同士の横の線を密接にする絆の源泉である。私はこのような思いと願いを込めて二十一世紀を受け止めたい。

福江小教区が縦の線である神との絆を強め、祈る共同体として神に強く、深く結ばれた共同体でありたい。このことは信者同士の仲間意識を深め、強める絆の結びつきを生み出す和を育てることができれればと願っています。

世代を越え、明るく労苦を共生する和の福江小教区を共に育てるため、力を合わせ、希望を持って歩きたい。

平野 祈る小教区共同体へ 主任司祭 平野勇      こころ 

1999年(平成)117月4日

 

5月は聖母月、今年は例年になく子供がたくさん集まってマリア様へのロザリオのお祈りを捧げました。今までは多くても40名でしたが今年は多い日には90名近くの子供達が集まってロザリオを捧げることは本当にかわいいものです。マリア様もきっと微笑んで見守って下さっているに違いありません。行儀は良いとは言えません。でも子供達はそれぞれに集まり、ロザリオを捧げることは幼い心に少しでもロザリオを捧げる、マリア様と共にお祈りする心が育つでしょう。40分もがまんしてお祈りすることは大変です。でも信仰の心を育てる価値からすれば必要で、大切なことです。大人の方も10名ほど一緒にお祈りしていました。今までは、外で子供を待っていたのが教会の中に入る子供達と一緒にロザリオを捧げる雰囲気に変わったことは今年の特徴であります。

このような雰囲気も日本二十六聖人殉教四百年記念の年から始まった。ごミサの前のロザリオを捧げることで、祈りの心が少しずつ福江小教区共同体に生まれてきた証しでしょう。

福江小教区共同体が少しずつでも祈る共同体に育つことはうれしいことであり、大切なことです。お祈りがなくては信仰は育ちません。お祈りする心こそ信仰の心の現れです。お祈りは神様とお話しすることです。お祈りするとき神様と相対しているのです。神様の方に関心が向いていますから、邪念が解放されます。

誰かが小教区共同体の中で祈り、誰かのために祈り合う共同体が生まれる事こそ大切です。今新しい動きが起こりつつあります。それは祈りの分かち合い、祈りあう仲間作り、祈りを大切にする、このような集いが生まれつつあります。毎朝340名の方々が530分からロザリオを捧げています。この祈りこそ福江小教区共同体の祈りです。お互いに必要としていることを祈り合うことによって、神の助けと、ご保護、力添えを求めている共同体のお祈りです。とても美しく、神に認められ、聖母の喜ばれる行為です。

ある人は床の中かもしれません。ある人は病気の苦しみを耐えているかもしれません。ある人は悩み苦しんでいるかもしれません。人間の弱さのため互いに傷つけ合っているこの世の中、せめてもの、祈る人がいて、神の助けと力添えを求め合うことは、支えとなると信じています。ある人は言うかもしれません。祈りなんて何の力もない。祈っても一緒、何の恵みもいただけない。そうなんでしょうか。心ある人は祈り続けて恵みと力を頂いています。教会の2000年の歴史は祈りがどんなに力強く、大切で、確かなものかを証明しております。イエズス様ご自身、お祈りしなさい。神さまに願いなさい、と何度も繰り返し教えています。イエズス様の教えは間違いありません。共同体が祈ることは、祈ることをしない、知らない人のためにも合わせて共に祈って、分かち合っているのです。あなたの祈りを、私の祈りを、必要としている人が沢山います。だからこそ、心を込めて今日も共に祈り合いましょう。

 
 

平野  輝く子供達へ  主任司祭 平野 勇こころ 

1999年(平成)117月4日

 

この夏休み、毎朝ごミサに子供達が眠そうな顔だが、元気な笑顔で何時もの夏休みより多く集まった。子供達がいるだけで活気がわく、時には80名ほどもいた。大聖年子供大会に参加する準備のためもあった。2000811日、長崎教区大聖年子供大会のため、教区全体から「シーハットおおむら」に2000名以上の子供が集まった。日本のどこの教区でも、これほど多くの子供が集まって子供大会を開くことはなかったであろう。

島本大司教様と60名の神父様、そして2000名の子供たち、共に捧げるごミサ、子供たちの元気な祈りと賛美の歌声は天に向かって会場いっぱいに響き渡った。それは素晴らしい感動の渦潮、次の時代を生きる子供達の力強いパワ−が爆発した。ドッチボールに全力投球、クイズに頭をひねり、一喜一憂する躍動溢れる姿はすごかった。福江小教区からも80名の小中学生が参加した。参加した教会では地元を除いて一番多かったとか。青少年委員会、シスタ−方の積極的な協力があったから多くの子供達が参加できました。お礼と感謝を申し上げます。

参加することに大きな意義と価値がある。一人でも多くの子供を体験させたい願いがあった。この大会の輪に一つに溶け込み、2000名の信者の仲間の存在を体全体で実感した。この感動は決して忘れることなく歳月と共に大きく育つであろう。自分たちの教会の仲間が一緒に海を渡り、一緒に寝泊まりし、遊び、語り、共に食べ、行動した二泊三日の体験は貴重なものとなるであろう。

疲れたろう、だが輝く子供たち、もっともっと輝いてと願いつつ、惜しみない拍手を送りたい。

 
 

平野  ご復活の卵 主任司祭 

平野 勇 1997(平成9)615日こころ

 

小学校の頃だった。ゆで卵をときこどき食べさせていただいた。おいしい。なんておいしいのだろう。よし大きくなったらぜったいお腹いっぱい食べてやるぞと幼い願いを込めたものだ。ある時、黄色い卵を頂いた。おどろいたのは赤い字でアレルヤと書いてあった。これはなんですかと尋ねると、ご復活の卵だよ。割ってごらん、中から綺麗な球がはじけでるよ。みんなでご復活の喜びをお祝いするんだよ、おいしいから食べてごらん。もったいような気がしたが割るときれいな黄身が出てきた。本当においしいなと感心していると、みんなで一緒に喜ぶから神様が特別においしい卵をくださったんだと教えていただいてなるほどと無邪気に喜んだ幼い頃のご復活の卵を思い出します。私たちはご復活の喜びを迎えました。

イエス様が悪人どもに散々苦しめられ、打ちたたかれ、いばらの冠をかぶせられ、遂には十字架を背負ってゴルゴタの丘にのぼらせられ、遂には十字架の上で最後の一滴まで血を流し尽くされてお亡くなりになりました。私たち一人一人のためにすべてを捨ててしまい、最後にはご自分の生命までさえも捧げ尽くされました。私のため、私の犯した罪をすべてあがなってくださるため、痛ましい、非道な十字架の苦しみを受けてくださった。イエズス様の愛に満ちた温かい心を想うとき、本当にありがたい、申し訳ない、どうしたらイエズス様の真心にお返しできるのかと戸惑いを深く感じます。イエズス様は十字架の上で亡くなられた後、墓に葬られましたが、三日目によみがえられた。どうしてそんなことができるんだ。死んだ者が生き返るのです。墓の番をしていた番人たちはよみがえられたイエズス様のお姿に目もくらみ、驚き、気絶するほどで上司のもとに走り、事の次第を申し上げる。誰もが驚き、混乱し、口もきけないほど大変な出来事が起こったのです。

イエズス様の弟子も墓に来てみるとお身体はなく、側にいた神様の使いがイエズス様がよみがえられたと告げました。彼等も信じることが出来ず、ただ驚き、戸惑うばかりです。イエズス様は本当にご復活なされたのです。光り輝く勝利、栄光のお姿で罪と死に打ち勝ってよみがえられたのです。

この真理を素直な心で認め信じたい。イエズス様のご復活は、素晴らしく、有難く、聖いものです。私たち一人一人のために天の父は計りがたいご計画をおたてになって、私たち人間をご自分のもとにお呼び下さったのです。イエズス様のご復活は私たちの復活の前表です。私たちはこのイエズス様の温かい愛の温もりの中に包まれるのです。ご復活されたイエズス様はいつも私たちと共にいてくださいます。イエズスさまが照らして下さる道を素直に歩き続ける事こそ大切です

 
 

 

平野  地区長に聞く 下五島地区 平野 勇 神父 (福江教会主任)   1998年(平成10年)12月1日 カトリック教報 

地区長の役割は何ですか

 「地区長の役割といえば、教会法に基づくことを基本として、下五島地区教会の地域性を認識し、情報を集め、調整と活性化を図ることが第一儀目的です。月1回の司祭会議には情報を持ちより、地区的立場で意見を出し合い、悩み事があれば遠慮なく吐き出してもらっています。意見の疎通を図ることを旨として、教会の使命を地域社会とのかかわりの中に密接にしながら、福音宣教のしやすい土壌作りを大切にしたいと考えています。」

下五島地区の問題は何ですか

 「地域的な問題ですか……。やはり離島であること、高齢化がことのほか激しいこと、若者の島外流出は深刻な問題です。しかし、時のしるしを見失うことなく、真剣に皆で取り組んでいます」

地区の方針は何でしょうか

 「小教区の活性化のためにも信徒の『要理講座』『聖書の勉強』に力を入れています。また、この地区の一致した行動として『歓(よろこ)びの家を支える会』を発足いたしました。

 最近、青年会は、フィリピン・ミンダナオ島の養護施設『歓びの家』を訪問しました。施設を運営する烏山逸雄氏(三井楽教会烏山邦夫神父の実弟)の協力で実現しました。『海外』『ボランティア』と言う興味のある企画に自発的に挑戦したことで、『カトリック』とか『教会』『愛』というものの力を体験することにもなりました。

 青年会の企画が地区教会共同体の全面的な応援を受けたのは初めてで、海外で同じ神様を信じる人と出会い、ミサを共にし、自分たちの信仰が世界とつながっているという、新しい体験をして帰国したメンバーは、生き生きとして次のステップを踏み出しています。

 10月4日、司牧訪問の駐日教皇大使を迎えての『牢屋の窄、百三十年記念ミサ』は司祭団、信徒の全面的な協力で、内外に信仰の伝承を大きくアピールしました」

外海町黒埼出身。61歳

 
 

平野 スロ−ガンによせて  

主任司祭 平野 勇

2001年(平成13年)617日こころ 

 

「家族そろって恵みを祈り、日曜日のごミサに与かりましょう」

モミジのような可愛い手を合わせ、お父さんお母さんの前を歩き、祭壇の前で、にっこり微笑んで頭を下げる幼い子供、本当に愛くるしい。お父さんお母さんに温かく見守られ、無邪気に微笑む子供、静かに祈りつつ見守る家族の絆がとても美しく輝いて見えます。日曜日、子供と一緒にごミサに与かり、ご聖体のイエズス様に近ずき、子供と一緒に神様の祝福を頂く、こんな家族に出会うと幸せを感じます。神様もマリアさまもきっと温かく見守り、恵みと祝福を与えてくださるに違いありません。このような家族に生まれ、育つ子供はこの上ない幸せでは無いでしょうか。私たちの福江小教区にもこのような家族があります。嬉しいことです。もっともっと多くの家族が神様に喜ばれる家族でありますように祈っています。

聖堂の正面に「家族そろって恵みを祈り、日曜日のごミサに与かりましょう」と掲げさせていただきました。色々と理論は言いません。日曜日のごミサは私たちにとってとても大切なものです。1週間のすべてを神に感謝し、新しい恵みを願う、尊い聖なる日です。どのような家族も家族の幸せを祈らない家族はないでしょう。日曜日家族そろってごミサに与かる時、神様はその家族をしっかり見つめて下さり、必要な恵みを与えて下さることは確かです。

日曜日を大切に祈ること、当然のことのようですがなかなか難しいものです。だからこそ価値があるし、神様もこのことを受け止めて下さるのです。日曜日を大切にして家族そろってごミサに与かる家族には神様は必ず恵みと祝福を与えて下さいます。
 
 

新しい犠牲を  主任司祭 平野 勇

2002年(平成14年)113日こころ 

 

年のはじめに、あなたとあなたの家庭の上に神の祝福がありますように心より申し上げます。昨年は大変厳しい社会状勢でした。不安と経済の厳しい中にお互い努力して参りました。今年はどのような年になるのかと不安を感じます。

経済の厳しい中、20年ぶりの教会大改修が一人ひとりの温かい協力と大きな犠牲に支えられて立派に果たされました。先祖が残してくれた教会が新しく生まれ変わり、新たな気持ちで今年を迎えることができました。心から共に喜びを分かち合い、新しい決意で小教区の交わりを深め、時代の求めに応えられるよう福江小教区づくりに共に努力したいと念じています。

1、日曜日を大切にして、家族そろってごミサをささげよう。日曜日のごミサこそ家庭の絆を深め、良い家庭を築き上げる源泉です。

1、子供の宗教教育を大切にしよう。「けいこ]に必ず出席して、神の教え、教会の教えを学ぼう。今日の子供を取り巻く社会現状は大変悪化しています。豊かな心を育てる教育こそ最も大切です。

長崎大司教区は72小教区からなり、宣教、司牧活動を通して、イエズス・キリストから与えられた教会の使命をより総合的に果たしております。信徒一人ひとりがメンバ−であり、信徒の協力なしには教会の使命を果たすことは出来ません。大司教区を支えているのは信徒一人ひとりなのです。

今般、経済情勢の大きな変化に伴い、長崎大司教区の経済状況は大変悪化し、緊迫した状況となりました。この問題を是正するため、やむを得ず長崎大司教区教区長は改定に踏み切りました。今年度まで各世帯月額300円の教区費を、200241日より、教会法の規定通り収入のある人が各自その分に応じて教区費を献金して下さるようお願いすることになりました。年収入の0.3パ−セントを月割りにして献金していただくようお願いするものです。福江小教区の信徒の皆さんに長崎大司教区の現状を踏まえて、できる限りのご協力をお願いします。大変厳しい経済状況の折、本当にお願いするのは心苦しいのですが、長崎大司教区の現状を受け止めてお願いする次第です。
 
 

平野 感謝  主任司祭 平野 勇

2002年(平成14年)47日こころ 

 

わが心は喜び 聖なるみ名により頼む 主よ、あなたの慈しみが われらの上にあるように (詩編33)尊敬する松下神父様が長年司牧された、福江小教区への転任は私にとって大きな魅力でした。未だ、この地に匂いが残る小教区での6ヶ年、本当にあっという間もないほどでした。

充実した歳月を過ごさせていただきました。たくさんの出会いがあり、別れもありました。一つひとつの出会いは何時も大きな喜びを生み出してくれました。出来る限り顔の見える司牧をしたいと心がけつつ、出会いを大切に一人でもたくさんの方と言葉を交わし、同じ目線でお話しできればと思いつつ、日々を重ねて参りました。祈る小教区、祈りを大切にする小教区、日曜日のごミサを家族そろってささげる……日本二十六聖人四百年祭から始まった、ごミサの前のロザリオの祈り、1連づつ先唱し合い、一つ心で共に祈り合える小教区共同体をと願って、聖母マリアさまと共にロザリオをささげることができたのは本当に喜びでした。

世知辛い世の中、混沌とした世相、人気不信が織りなす人間模様の中に潤いをもたらすのはお祈りだと信じます。日本二十六聖人四百年祭、久賀殉教百三十年祭。井持浦ルルド百年祭、大聖年を迎えて宣教聖体大会での本町通りの聖体行列など想い出すことは本当に楽しく、その度ごとに天からの恵みを肌で直感し、心の豊かさを育てることができたのもこの地でした。

信徒の心のこもった協力で本堂改修が立派に出来たのはこの上ない喜びでした。聖霊こそ心の支え、我が魂の家なのだと大切に受け入れ、改修に取り組む皆さんの熱意は大きな力となり、飛躍のエネルギーとなった。とめどない想いが大きな源泉となって湧き出てきます。きっと福江小教区がこれからますます五島の中心として大きく飛躍するであろうと予感します。

福江小教区で司牧させていただいて神と信徒の皆さんに心から感謝いたします。私もこれからマンモス小教区浦上に参ります。福江の皆さんとの交わりの延長線上で折り合い、肌で温もりを感じられる小教区作りに全能力を結集したいと考えています。どうかお祈り下さい。長崎にお出での時にはどうぞ浦上教会にもお立ち寄りくだされば大変うれしいのです。尽きぬ想いをこめて 神と皆さんに感謝! 神からの恵みを祈って!



  
   
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