浜口末雄師

 

パウロ 浜口末雄

経歴

1948年(昭和23年)81日生まれ、出津小教区出身

1975年(昭和50年)319日、叙階

1975年(昭和50年)326日、大浦教会助任

1978年(昭和53年)313日、出津教会主任

1984年(昭和59年)324日、大曽教会主任

1992年(平成4年)33日、神学院

2002年(平成14年)41日、福江教会主任

2005年(平成11日、高松教会主任

 

□ 質問   日曜日のごミサの中で、子供に洗礼を授けていただけるとかと伺ったのですが、本当なのでしょうか。

□ 解答者  浜口末雄(大浦教会・協働司祭)

 

 とくに幼児洗礼の場合、これまでは、一日も早く、しかも聖堂の最後部入口(ほとんどの教会ではそこに洗礼盤がある)で秘かに授かるのが普通でしたが、新しい典礼(「幼児洗礼式」1975年12月発行)では、日曜日のごミサの中で、しかも合同洗礼式を行うことが勧められています。典礼が変っていくのは、ご存知のとおり、その典礼文と儀式とが示す“聖なるもの”あるいは見えないキリストさまの働きが、より明白に表現され、人びとに理解され、信者たちが共同体として行動的に参加できるようにという配慮からなのです。新しい洗礼式もこの秘跡の神秘の豊かさをより明白に示すために、いろいろな工夫がこらされています。その中から、ごミサの中で行うことがなぜ許され、あるいはむしろ勧められているかという点をとりあげて、説明いたしましょう。

洗礼の秘跡は、幼児(未信者)をキリストに結びつけて、神の民に加えるものであり、幼児は、水と聖霊とによって、神の民が有する新しい生命に生まれ変ります。ごミサの間に行なわれる洗礼についての問題は、“神の民に加えられる”という点と、“新生”という2点から説明できるのではないかとおもいます。第1に、ご存知のとおり、洗礼には代父母が必要ですが、この代父母は、神の民、つまり地域教会、さらには神の子らを生む母なる教会全体を代表しています。しかし、この神秘をより明白にし、“この子(人)”を自分たちの兄弟として迎え、自分たちの信仰を伝えていくのだという、神の民としての使命を、地域教会の各々のメンバーがはっきりと理解することができるためには、洗礼式において、単に代父母のみではなく、両親、近親者、さらに友人、知人、その他の信者が、それぞれの役割を果たしながら、同じ信仰を宣言し、新しい受洗者を教会に迎える喜びと感謝とを共にするのが、相応しいことなのです。

さらに、神の働きかけは共同体全体へのものなので、全共同体が、信仰のうちに、その働きかけに応えねばなりません。だから典礼を行なうのは、司祭一人ではなく、神の民全体なのであって、その中に、それぞれの役割の分担があり、これを積極的に果たすことによって、神の民は、新しい受洗者を通して働かれる神と出会い、新にされ、成長するのです。ですから洗礼式は、信者の集まりやすい時間に、つまり日曜日の聖なる集会の場で行われるのが相応しいわけです。第2に、洗礼は、受洗者を新しい生命、つまりキリストさまの死と復活とに与からせ、復活の生命に生まれ変らせるという、“過ぎ越し”の性格を持っています。私たちは、この主の過ぎ越しを1年に1回、聖なる3日間をもって記念し、お祝いするのですが、毎日曜日のごミサも、同じく主の過ぎ越しを記念するものに他なりません。ですから、洗礼のもつ過ぎ越しの性格を明らかにするために、復活徹夜祭、あるいは日曜日のごミサの中で秘跡を授かることは、極めて望ましいことなのです。

ついでに、“両親の役割”についても少しつけ加えることにいたしましょう。

実際問題として、子供を教育するのは両親なのですから、洗礼式においても、大きな役割を果たす必要があります。両親は国有の役割(幼児を招く、信仰表明を行なう等)を果たし、親のための特別な祝福を受け、洗礼の後には、神に感謝をささげ、自分たちの重大な責任を自覚しながら子供に信仰を伝え、神の子として成長させるためのお恵みを祈り求めるのです。もちろん、洗礼は早い時期に授けるのが望ましいのですが、両親が式に参加できなければ何の意味もありませんので、母親の健康状態、親としての洗礼に対する心の準備などを考慮しながら、それに相応しい時期を選ぶことが大切なのです。

 
 

「五島の男たち」 浜口末雄

わたしが“ミスター大曽”と命名した男がいた。酒豪で、豪快で心やさしく、しかし船の上では鬼みたいに働く青年だったそうだ。ミスター大曽の妹に結婚話が持ち上がった。相手は未信者で、町内有数の資産家だ。当然、宗教問題が持ち上がる。お嬢さんはダンナの宗教を守るべきだという。そこで長男であるミスター大曽の登場である。

「あなたは、たいへんな資産家ですね。」「確かに。…下手に謙遜するものナンですから。」

「あなたはその財産を全部捨てることができますか。」「…正直言って、できません。」

「ご覧の通り、私たちには、目に見える財産は何もありません。しかし目に見えない財産を持っています。それが信仰です。あなたは、財産を大切にしていますが、私たちはそれ以上に信仰を大切にしています。捨てることはできません。」

この一言で若い2人は無事結婚することができた。ミスター大曽君は、3年程前、北海道のイカ漁からの帰り、シケの金沢沖で、船もろとも消息を絶った。

出津の兄から電話があった。三重の漁港で新鮮な魚をドラム缶に一杯頂いたという。名前も教えずに、ただ浜口神父を知っている者だとだけ告げて、忙しく出港したという。捜し当てて、お礼を言ってくれとのことだった。

カッコいいことをする男がいるものだ。

確か、信徒会館の建設のときだった。評議会で、年配の方の経済評議員が、資金問題で説明をしていた。私が横から口を出して、献金がこれこれありますよ、と言ってもとり合ってくれない。いや私の話を遮って、私にしゃべらせない。このおじさんは耳が悪いのかな、と思っていたら、会議の後、司祭館に乗り込んで来て、叱られた。神さまにいったん捧げたものを当てにしてはいけないのだと言う。どうしても力が及ばないときはお願いします、ということだった。

5年程前から始めたナイター・ソフトのメンバーたちも、数名結婚して、家庭を持った。結婚準備のとき語ってくれた家庭設計も、1年も経たないうちに見事に崩れ、奥さんに弱味を握られて、頭の上がらない現実を面白おかしく話してくれる。子供が生まれたとき、ことばで表現できない喜びを体中で教えて頂いた。神さまが与えて下さるお恵みがこれ程すばらしいものだったのかと、司祭の私も初めて知った。

“要理教師の友”は、スタッフのご努力で、要理教師の私たちにいろいろなことを教えてくれるすばらしい “友”だ。五島の方々も、福音を教えてくれるすばらしい “要理教師の友”であった。

(長崎カトリック神学院長)

 

「自己への旅」 浜口末雄

私は歌が苦手だ。以前みたいに、ラテン語の歌ミサ全盛の時代だったら、おそらく司祭になれなかったろう。苦手といっても、へただとは認めたくない、そういうプライドもちゃんと持ち合わせている。数年前、教会に青年たちを集めて、町のナイター・ソフトに加わった。チーム名は「びゃークルス」(「出しゃばり」の五島弁)。試合はもちろん。教会奉仕でも、なかなかの力を発揮する。グランド外の集まりもままある。準備会、反省会は言うに及ばず、祭日だといっては集まり、誰かが魚を挙げたといっては集まる。たまにカラオケが出る。これが問題だ。長いこと、かかってやっと憶えた歌を歌ったら、古いと言って笑われた。若者たちの歌にはついて行けない。なぜ歌が苦手なのか。やっとわかった。リズム感がないのだ。昔の歌はゆっくりとしていて、何とか私にもついていける。最近の歌はリズムが早すぎて激しすぎてもうついて行けない。いわゆる世代間の断絶の経験であり、一種のカルチャーショックであった。

感性は時代が醸し出すものであろう。若者は、それとは気付かず、今の時代を生きている私は今、そこから一歩二歩後退したところを生きている。同じペースで走ったところで、時代は加速度を増して進むのだ、だんだん後退していく一方だ。人間社会はまるでスイ星だ。先頭はまぶしい輝きを放って、ものすごいスピードで走って行く。その後方には、徐々に光度を落とした長い尾が伸びている。私は今、どの辺りにいるのだろうか。先頭の光はしかし、本物ではない。核はその少し後方に、しかもこれまた輝きに身を覆って進んでいる。スイ星はどこに向かって驀進しているのだろうか。一見疲れてスピードを止めているように見えても、逆戻りしたかのように見えても、あるいは他の星に衝突しそうに見えても、確実に、何かに向かって、しかも予め定められた軌道を走り続けているように思えてならない。

―1990年 正月―

ヨハネ福音書によると、ユダヤ人の訴えにより、イエズスを裁いたピラトは、彼が無実であることを知りながら、鞭打たせ、茨の冠をかぶらせ、紫の服を着せて群衆の前に連れ出す。そしてこう言う。

「見よ、この人を。」

ピラトのこのことばにはどんな意味があるのだろうか。「苦しみにあえいでいるこの哀れな男を見なさい。この人は死ななければならないような悪人ではありませんよ。何とかならないのですか」と群衆を説得しているかもしれない。しかし天下のローマ帝国の総督が、ユダヤ人に対して、非情さで名を売ったあのピラトが、こんな意志簿弱な態度を果たして執っただろうか。むしろいつもの通り、高圧的に「この哀れな男を見よ、天下のローマ帝国に逆らうような者は、たとえ事実はそうでなくても、少しでもその疑いのある者はこのようになるのだぞ。よく見ておけ」と言っているように聞こえる。

強烈な印象を残したイエズスの受難物語を、繰り返し黙想しながら、福音記者はいつしかピラトのことばの中に、神の叫びを聞くようになったにちがいない。「全人類は、十字架に付けられて、苦しみの極みにあるキリストに注目すべきである。見よ、この人を!」

無実の「人の子」を十字架の刑に追いやったピラトの姿に、無数の名も知れない人々を虐殺した世の権威者たちの姿が重くなる。ねたみのため、或いは自己を正当化するために「人の子」に死を要求したユダヤ人たちの姿は、わたしたちの回りに、いや自分自身の中にある。お金のために渡したユダ、弱さのために逃げ出した弟子たちの姿も同様である。エルサレムのほとんどの住民たちは、罪のない人の処刑のニュースを聞いても、その日の生活に追われて、無関心を装ったにちがいない。哀れな十字架上のキリストは、人間の罪を告発する。人間性の闇の部分を暴き出す。人間はどこまで残酷になれるだろうか。アウシュビッツ・731部隊…。幼女連続殺人事件の犯人は、その肉を食ったという。考えられないことだ。しかしいずれも人間がやったこと。私自身の人間性の中にもその潜在力があることを、十字架は暴き出す。

非道な仕打ちに、何の抵抗も示さないキリスト、何の抵抗もできない方の、みじめな姿を眺めていると、悲痛な叫びの中で生き、死んで行った人々の姿が重なる。そして自分自身無力さ、貧弱さ、哀れな状況を思い知らされる。この哀れな自分の現実に気付くとき、「この方は復活された」という神のみことばが、真に、福音として追ってくる。日本の最高裁の裁判記録には、「人の生命は宇宙よりも尊い」とあるそうだ。人類は人間性の尊さに、何となく気付いている。十字架のキリストは、人間性の闇の部分と光の部分を照らし出す。その両部分は我々の理解を超える。闇の部分は暗すぎてわからないし、光の部分はまぶしすぎてわからない。理解を超える故に、その闇の部分と光の部分を切り捨てようとする人間どもに神は今も十字架のキリストを示して「見よ、この人を!」と叫び続けられる。

−1990年 聖週間−

「その日、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエズスが来て真ん中に立ち、『あなた方に平和があるように』と言われた。」弟子たちの不安、恐れの実体は何だったのだろうか。主の仕事を続けなければ、という考えなど毛頭ない彼らにとって、指導者を失くしたことなど問題ではない。主と同じように、自分たちも捕らえられて処刑されるかもしれない。何と言っても、正常な人間であれば死ぬのは怖い。

他にも不安材料はあった。

今まで信頼していた仲間の1人が裏切った。また誰かが裏切って、自分たちの居場所を密告するのではないか。そういえばトマスがいない。

トマスといえば熱心党のメンバーだ。大体が男気を看板にする右翼だ。「エルサレムへ上ろう」という主を、「危険ですから止めて下さい。ついこの前も石殺しにされそうになって、逃げてきたばかりではないですか」と言って制止する弟子たちに、「いっしょに行って我々も死のう」と、活を入れたのがこのトマスだった。たぶんその意気込みにうそはなかったのであるが、イエズス逮捕の折には、他の弟子たちと共に逃げてしまっていた。そんな自分にホトホト嫌気がさしていた。自己嫌悪に陥っていたのは、ペトロをはじめとする10人も同じだった。

自己嫌悪に陥って、そこから抜け出せなかったのがユダだ。主を裏切った罪の重荷に押しつぶされて、自殺してしまった。

そして存在的とも言うべき不安があった。しばらく遠ざかって本業に還ることなど簡単だ。「神の前にも人の前にも義人であった」あの主が、なぜ非業の死を遂げなければならなかったのか。義人イエズスと盗賊どもは、並んで死んでいった。神の道をまっすぐに生きようとすることに何か意味があるのか。そもそも生きることに何かいみがあるのか。

弟子たちが鍵をかけたのは、部屋の鍵だけではなく、自分の心の鍵も固く閉ざしてしまっていた。そこはいちばん安全なようで、実は籠もれば籠もるほど不安と恐れがつのるばかりの所である。結果はユダと同じだ。そんな彼の真ん中に、主が立って、「平和があるように」とあいさつする。

復活は神秘だ。人間にあらゆる可能性を超えて、父なる神が必ず応えて下さる。死を超えた方の平和のあいさつに心を向けるとき、締め切っていた闇の世界に一条の光がさしこむ。そしてまったく新しい地平が開けてくる。やがて弟子たちは、生れ変って世界の宣教へ出発する。

―1990年 復活第2主日―

 

デカルトは最も確実な自分を哲学の出発点としたそうだが、この世でいちばんわかり難いのが自分だ。おまけに無限の神の光を受けて、いわば無限に広がり、深まる。だから編集部は「自己への旅」というタイトルを考え出したのだろう。旅人はいろいろなもの、いろいろな人と出合って、実は自分を発見していく。職務柄か、自分を最も啓発してくれるのは聖書だ。それで、人間について、自分について最近説教のために準備したところを披瀝して、1青年司祭の「自己への旅」姿といたします。

(大曽教会主任)
 
 

「悔い改めよ、天の国は近づいた」 浜口末雄

マルコとマタイは、イエスの宣教を一言にまとめて、それぞれの福音書導入部の頂点に置く。

「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」といわれた。 (マコ1の15)

「悔い改めよ、天の国は近づいた。」(マタ4の17)

マタイは、畏敬の念(ユダヤ人の習慣)から、「神」への直接の言及を避け、婉曲法を用いて、「天の国」とする。この婉曲法はしかし、不成功である。なぜなら人々を、神の国がただ天にあり、地上にはないという誤った考えに導くからである。イエスの中心的メッセージであり、目的である「神の国」は、宗教用語「天国」とは少し意味合いが違う。

1.神の国

「バジレイアという語はここでは、「領土」、「領域」「国家」など具体的意味はあまりもっていない。したがって「神の国」という表現は、「神の王的支配」、「神の統治」、「神の王権」、「神の権威」などと適当に置き換えることができる。(聖書思想辞典「神の国」参照)キリシタン時代は「御代」と訳されていたそうであるが、あるいは、この方が適切かも知れない。数世紀間にわたる、国家滅亡、捕囚、迫害の中にあったユダヤ人は、神の支配への待望のうちに生きることになる。ヤーウェはみずからその羊の群れに心を配り、これを救い、集め、そしてご自分の地に連れ還る。(ミカ2の12,13など)ダニエルは、夜の示現によって、未来の最終的救い、社会的政治的そして霊的な全人間(つまり肉体と霊魂)の救いを、神の支配 ()の実現によって表す。

見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み、権威、威光、王権、を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え彼の支配はとこしえに続きその統治は滅びることがない。(ダニ7の13,14)

新約聖書記者たちは、この神秘的人物「人の子のような者」を、栄光のうちに再び来られるイエスと同一視する。こうしてキリスト者にとって、神の支配(国)の希望は、最後の時の救い主であるキリストへの信仰を含んでいる。

2.「時は満ち、神(天)の国は近づいた」

(イ)        洗礼者ヨハネ

皇帝ティベリウスの治世第15年に、死海の北の砂漠で洗礼者ヨハネが活動を開始した。(ルカ3の1)ヨハネは決定的裁きが迫っており、その裁きの直前にあって回心し、罪を告白し、その徴として洗礼を受けるよう命じた。洗礼は、起ころうとしている裁きから免除されるための徴である。

長い間途絶えていた預言者の出現は、ユダヤ伝承によると、歴史の完遂を指す。ヨハネのメッセージはこの終末論をさらに徹底させる。差し迫った裁きを前にして、通常の宗教的方法を越えた手段、回心と水洗いを求めて叫んだ。裁きに直面して、イスラエルの選みは危うくなっていた。

「言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことができる。」(マタ3の9)。

選ばれたイスラエルが、紅海の水洗いによって救いに準備されたとすれば、裁きの淵に立っているイスラエルも同様に水洗いされ、浄化され、裁きに備えられるべきである。悔い改めるイスラエルは、納屋に収められる小麦のように集められ、悔い改めないイスラエルは籾殻のように焼かれる。

(ロ)イエス

洗礼を呼びかけるヨハネに積極的に応えた者の中に、ナザレのイエスがいた。イエスは、ヨハネの洗礼が「天からのもの」であること(マコ11の9とその平行ヵ所)、彼が「預言者以上の者」(マタ11の9)であることを認める。イエスはヨハネの出来事のなかに時の徴を読み取り、神の決定的勝利のために、イスラエルを準備させるために活動を開始する。

イエス「宣言」という様式を以て語る。とくにシナゴーグ神の約束の成就と、イスラエルの希望の成就を宣言する。ルカは、マタイの「神(天)の国は近づいた」の宣言に変えて、イザヤ書の待望(大解放年)の成就を宣言する。

「この聖書の言葉は、きょう、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」(ルカ4の22)

メッセージとして、イエスの宣言は「神の支配 ()を告げる。その宣言において最もユニークなのは、彼の宣教において、神の支配、神の最高かつ決定的救いの行為が既に始まっているとの意識である。神の勝利を象徴する神の支配は、定義することが出来ないほど豊かに表現されている。支配は「来る」、「近づいている」、「突然来る」、「あなたがたの間にある」。人はその「中に」あり、あるいは「これから遠くなく」、この「中に入り」、あるいは、これ「から捨てられる」。これらの言葉は、神の最終的かつ最高の介入が既に始まっていりという意識を表している。今は、新しいぶどう酒、新しい革袋の時代である.罪のよって死んだ若者は「再び生き」、盲人は見え、足なえは歩き、……貧しい人々に福音が告げられる。奇跡の数々は救いの確かな徴である。

3.イエスの公的活動は象徴的であり、その宣言と相関的である。

(イ)イエスは12人を選ぶ。

12は、再興のイスラエル(イスラエルの最終的希望)を象徴し、さらに和解を象徴する。イエスは彼らを派遣することによって、来るべき和解と再興において、12人がある役割を果たすよう計画する。こうして彼らは、神の国の先ぶれとなり、イエス自身の役割に参与する。

(ロ)イエスは悪魔を追い出し、病人を癒す。

もしわたしが、ベルゼブルの力で悪魔を追い出しているのなら、誰の力によってあなた方の子等は、これを追い出すのか。しかし、神の霊(ルカは「指」)によってわたしが悪魔を追い出しているのであれば、神の国はあなたがたのところに来ている。

(ハ)イエスは罪人の友となる。

イエスが非宗教的な人々と食卓を囲むのを見て、当時の人々は肝をつぶした。(マコ2の16,17など)イエスのこの態度は、見捨てられた人々にとって、喜びの応答を呼び起こす力となったが、学識ある者、敬虔な者にショックと憤慨を与えた。食事はその参加者の間に友情の絆を確立した。その違反は非常な裏切りである。食卓はしかし、「浄」、「不浄」の典礼的区分、「義人」。「罪人」の論理的区分もなされた。異邦人は不浄であり、不浄は伝染性があるため、ユダヤ人は彼らと食卓をともにしなかった。

4.「悔い改めよ」

洗礼者ヨハネの新しさは、時代が裁きの入口にあることを説いた点にある。悔い改めの構造は、伝統的である。つまり、回心して生活を改め、これに相応しい実を結んで、神との交わりを回復する。(マタイ3の7〜10)人間界の論理と同様である。しかし、犯した罪を悔やみ、償ってはじめて社会に復帰できる。しかし、古いユダイズムの世界のなかで、「罪人」たちは回心の道を断たれていた。例えば、売春婦たちの回心は、死を意味していたし、徴税人たちは自分たちが搾取した人々、そしてその額を知る術を持たなかった。彼らは「完全に返還」できず、永久に罪人である。イエスのアプローチの大胆さは、この構造の逆転にある。第1に交わりの回復(赦し)があり、第2に回心がある。彼はたとえによってご自分の方策を批判から守る。(例…ぶどう園の労働者のたとえ、2人の息子のたとえ、2人の債務者のたとえ、失われた羊、銀貨のたとえ、放蕩息子のたとえ)論理的秩序が要求する罰を正当に課したのでは、イエスラエルの終末論的再興はありえなかった。外見上不可能な手以外に、人が神のみ前に立つための根本的方策はありえない。赦しの神との出会いが回心を引き起こし、回心と生活の改善は、愛の神との出会いから花開く。イエスはこの方法を選ばれた。イエスは義人に対しても、この「罪人の食卓」に加わるよう呼びかける。放蕩息子の兄に対して父親は、「だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」(ルカ15の32)兄の答えはない。未決定のままである。それは聞き手自身が、イエスのたとえに対して為すべき応答によって決定される。

註 神の赦しと回心については、幸田和生「ゆるしの力」1996女子パウロ会をご1読くださることをぜひお勧めします。



  
   
inserted by FC2 system