ヤヌワリオ 早坂司教

 連合青年会と講演会活動

3)公開カトリック講演会

 長い迫害の歴史、外国(西洋)人の宗教、唯一の神観念、隣人愛思想、団結力の強さ等々、日本の社会では理解されにくく、秀吉の伴天連追放令以来、常にカトリック信者は、誤解、誹謗、中傷、差別等に悩まされてきた。

満州事変後、ファシズムの高まりの中で、早坂司教はカトリック教を正しく理解させるために、長崎や佐世保などで、広く一般未信者にも呼びかけて、公開大講演会を実施することを計画された。

長崎では、昭和6年1212日の大講演会が大盛況だったので、半年に一度は大講演会を行いたいと、昭和765日、昨年に引き続き長崎袋町公開堂で大講演会が実施された。今回も会場は千人以上の聴衆にあふれる中、早坂司教さまは、聴衆の満場の喝采を浴びつつ悠然として演壇の中央に進まれ、カトリックの3大特質1.一致共同の精神2.愛3.教義の絶対的権威について、とうとうと述べられた。その声、その熱、その威圧的論旨は、深く人々の心にカトリックの心理を印刻させた。(カトリック教報、昭和7年7月1日 第89号)

早坂司教さまは、背は低かったが凛として背筋が伸び、声には張りがあり、弁舌さわやか、内容には権威があって聴衆は感動し大変評判がよかった。

司教は行く先々でも公開講演会を開かれた。昭和74月、堅信を授けるために下五島を巡回された早坂司教は疲れをものともせず、久賀島と福江で講演会を開かれた。その時の様子をカトリック教報では次のように紹介されている。

 久賀島では島民一般のためカトリック講演会と音楽会とを開いた。久賀島村長藤田氏と久賀尋常高等小学校長との厚意により、416日司教さまご到着早々3時より久賀小学校校舎において全島民の思想善導のため司教さまには約一時間半にわたり、日本における思想悪化の原因は無宗教教育にあること、倫理道徳も国民精神も確固たる宗教信仰にその基礎をおかなければ永久性を帯び得ないこと、日本における武士道の退廃も不幸にして明治以来その基礎を誤りなき宗教に置くことをあえておかなかった罪によること、しかるに確固たる誤りなき宗教は人為的宗教では求めて得られるものでないこと、限りある人智以上に無限智の啓示をかろんずれば真の宗教―動揺しない信仰は求められないこと、無限智の啓示に基づいて出来上がった宗教はわずかにカトリック教あるのみなることなどなどを4教場、ぶつとうしの大広間約一千の聴講者の前で熱弁を振るわれた。久賀島の教育者久賀本校職員は勿論、蕨及び田ノ浦小学校職員一同も参列し、村会議員、青年団、処女団などあらゆる有志に多大な感動を与え、且つカトリック音楽団の声楽も地方人清爽妙地の域に恍惚たるの心境を呈した。

 426日、井持天主堂よりの帰途福江教会に立ち寄られた司教さまは午後7時より福江座において公開演説会を開かれた。福江教会創立以来初めてのカトリック講演会である。先ずは処女団の音楽会をもって始まり、7時50分より9時10分頃まで、早坂司教さまには、先ず日本の国体の精華と武士道によって体現された日本国民道徳の崇高さとを賞賛され、これに反し現代にあっては往々にして権利にはむかい社会の秩序を紊乱(びんらん)し上下貧富の差別さえも撤廃せんと、暗々裏に策動謀計やむなきからの続出を痛嘆せられなお国民道徳の影うすく武士道の今日骨董化するのを遺憾とされ、これが救済の任は忠良なる我々日本人自身にあることを力説し、正当なる権利の尊重と社会の安寧秩序の保存と上下の協力と国体の養護の急務なることを痛感せられた。

 これにはカトリック教の権利主義と博愛精神の適所なること、否唯一の救済、真正の王道なることを説破された。なお国民道徳及び武士道の衰滅は物質文明への心酔、唯物主義の産物なることを説かれ、これに対抗し得るのは、ひとり精神主義を高潮し霊によって活きることを教え且つ実行しつつあるあるこれまたカトリック教によらなければできない所以を説得された。福江は五島の都会だけあって比較的知識階級の集中しているところだが、カトリック教の初めての公開演説のことであり、宣伝よかったので、官吏、教育者、有志等ほとんど全部謹聴されたことは大いに慶すべきことであった。約一千の聴衆は何らかの収穫の先駆けであるだろうことを祈る次第である。(カトリック教報  昭和76月1日 第78号より抜粋)

 



  
   
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