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2002年3月 
十字架山巡礼
 
   
 
 
十字架山の歴史と由来

浦上切支丹の歴史を語る道標であり、信仰の遺産でもある十字架山は西暦1881年(明治14年9月)当時の浦上教会主任プト師を中心として流配から帰った生き残った信者たちによって築造された。

禁教250年、幕府の厳しい弾圧と迫害の中で生きては血を流し、生命を献げて信仰を守りぬき、死してはその功徳をもって子孫の信仰を守るために苛酷な拷問に耐え、信仰の自由を守り通したことへの神の加護を感謝し、心ならずも踏み絵を行った信者の罪と多数の信者を殺りくした為政者を赦していただくために贖罪と感謝の場所として主キリストの御受難の聖地カルワリオに似たこの丘を選んで築造された。

当時の信者たちは競って労力奉仕に出ました。大十字架の台石は4尺角もあり、3段の台石、2段の竿石の一つは3尺角の高さ、3尺5寸の大きなもので60名の屈強な男たちによって本原郷「いしがみ」の石切場から運ばれた。

また、4尺角の台石は7日間を費やして頂上まで運び上げられたといわれています。かくて3段の礎石の上に丈余の木製の十字架が建てられ、大正12年石で改造された。昭和20年原爆を被災、現状に補強された。

西暦1950(昭和25)年当時の長崎教区長・山口愛次郎司祭がローマを訪問、教皇ピオ十二世に謁見のさい、十字架山を公式巡礼地として指定された。爾来今日まで栄誉ある祖先の遺徳を偲ぶ聖地として巡礼者は絶えない。

当時、中央の十字架を中心として約10坪の地積であったこの聖地は関係地主の方々の善意で提供され、このように拡張整備され今日に至った。

昭和54年7月・記
その2


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