献堂25周年記念想い出集
ライン


婦人会役員

「深堀教会の思い出」

三和1班 三浦香夜乃
 

   私が深堀教会に来たのは25年前長男が1歳の時でした。
教会に籍を持って行った時、神父様が優しく声を掛けてくれました。そこにたまたま居合わせていたのが当時の顧問さんである山口金一さんで、この方にはそれ以降色々お世話になりましたが、ここの役員さんは親切な人ばかりだなと思いました。

 それから子供たちが初聖体を受けた後のお祝い会の席で、三人の息子は神父様に、娘はシスターになりたいと言ったので、親としてはとても嬉しい思いがしました。息子たちが侍者を始め、クリスマスや復活祭の御ミサで三人が祭壇の前に並んだ姿を見た時は涙が溢れてきました。
この25年間に神父様も8人代わられましたが、それぞれの神父様に思い出があります。

 佐藤神父様の時、黙想会の最中に子供が騒いだので神父様が怒ったのです。しかし休憩の時間になるとお菓子を持って来て怒った子供たちにあげたりしてくれたのです。その神父様は転任される時に私たちの前で涙をにじませておられたのを思い出します。

 阿野神父様には子供たちが大変お世話になりました。子供たちの初聖体や堅信式の時には、私の父が神ノ島から駆けつけて写真を撮ったりしていたのですが、阿野神父様は「カメラマンが来ているので空けてやってくれ。」と声を掛けてくれ、大笑いをした事もありました。

 竹谷神父様の時は、私が婦人会役員をさせて頂き色々お世話になりましたが、楽しい神父様でした。山村神父様が来られてからは、子供たちを可愛がって頂きました。高校生会や青年会など作って頂き、夏休みには高校生会が籐田尾でキャンプしたのを思い出します。

 中村神父様が深堀教会着任後1ヶ月目で甥が亡くなり、一週間信徒会館を借りた時に神父様が私たち身内の中に入って色々な話をして下さいました。それ以来、親近感を覚え、神父様には言いたい放題の事を言って参りました。神父様が居られる時に婦人会の役員をやって見ようと思い、現在に至っています。

 私にとって深堀教会は子供の成長と共に歩んで来たような気がします。これからも子供の結婚式や孫の洗礼や初聖体など、私にとって未だたくさんやるべき行事が待っていることを信じ、今までの楽しい思い出に感謝して、これからの深堀教会に期待したいと思います。
 

「神様ありがとう」

深堀5班 田中紀代子
 

  職場で主人と出会い、31年前に、結婚しましたが主人が「カトリック」とは知りませんでしたし、神父様から要理の勉強をしてからでないと結婚式はあげられないと言われました。田中の方は親戚の人が来ていましたけれど、私の方は私一人でちょっとびっくりしました。

 それから4年後、深堀教会に移って来て間もなくのことですが、着任されたばかりの佐藤神父様に4ヶ月間、週3回勉強させて戴きました。その間は、要理ばかりでなく、色々な話や、本もたくさん貸して貰って読みました、とても楽しい有意義な期間でした。

 でも一つ心配だったのは、今後ちゃんと毎週教会へいけるのかな・・・、信者の方はみんな感心だなーと・・・

 私もやっと1976年12月19日、子供と一緒に洗礼を受けました。洗礼式の時、忘れもしません片手で子供を抱っこして、もう片手で神父様のスータンを持って後からついて行きました。子供が重たくて祭壇までの間がとても長く感じられました。洗礼式の間、自然と涙が次から次からとあふれて来ました。自分もこれから一生涯信仰を守っていこうと決めました。

 それから何年か後、教皇様が長崎へ来られ、松山競技場での御ミサに参列致しました。私は、その時、昔の人は何百年もの間、思い続けて来られたのに、お会いされる事が出来なかったことを思うととても心苦しく感じました。教皇様をスタンド前列でお見送りしている時に、私たちの方をご覧になって手を振って下さったことが、今でもハッキリと脳裏に焼き付いています。この時、私は主人と出会い、洗礼を受けた事を神様に感謝せずにはいられませんでした。

 色々、今までの事を想いだすと、故郷の有家町には、カトリックの「セミナリヨ」や「お墓」等、遺跡がたくさんあるのに驚きました。これも何かの縁があったのではと思っています。
神様、私のような未熟者を受け入れて下さり、本当に有り難い事だと感謝せずにはいらない気持ちで一杯です。
 

「† 主の平和!」

土井の首1班 千田貞子
 
  
 私が深堀教会へ来て約18年になります。
私の教会教育はここへ来てから随分と深められました。と同時に、ここへ来た頃と比べると、私の環境は随分変わりました。上の子は小学5年生、下の子は小学1年生の春でした。その上の子は神父様やシスター、そして多くの信徒さん達の祈りと支えによって、今はシスターとして生活しています。下の子は神学校生活の経験を含め色々あった末、今は私と二人の生活をしています。

 ここへ来てから10年間の間、私はイエズス様の事を知りたくて知りたくて欠食児童のようにコレデモカ、コレデモカと学んだものでした。やれ練成会、やれ学ぼう会、やれ聖書講座と傍らから見ていた者は何であそこまで、と随分と感じておられた方もいたことと思います。今考えると自分でも説明出来ません。でもあの時は、いえあの頃は何かに取り付かれたように、食べても食べてもイエズス様のことをもっと知りたい、もっと繋がりたい、もっと深まりたいとイエズス様に関する知識を貪っていたのです。

 ここへ来た頃は阿野武仁神父様でした。阿野神父様は厳しい方でしたが、霊的なお話しをされる時はとても感動を受けたものです。ですから阿野神父様から教わったイエズス様の素晴らしさを貪っていた時だけに、私にとってたくさんの経験と知識と暖かさとを味わいました。

 その頃の私は自分が食べることに夢中で、《イエズス様を知ることの感動と喜びがあまりに大きすぎて》周りの人を知らなかったといえ随分傷つけたことも多々あったのではないかと、今は静かに黙想しています。許してください、そしてありがとうという陳謝と感謝の気持ちで一杯なのです。

 と同時に、その頃に種蒔きをした二組の隣人が10数年の年月を経て、今深堀教会の信徒の仲間入りが出来ていることは、私にとって、やはり嬉しいことの一つです。この二組の隣人が洗礼という大きな恵みに浴することが出来たのは、この10数年の間に互いに色々な環境の中で色々な事(楽しい事、苦しい事、悲しい事、歯がゆい事)を感じて、そしてイエズス様の心が育って行ったのだ、やっぱり『神様は素晴らしい!』と想ってしまうのです。

 私の好きな言葉に“神のなさることは時にかなって美しい”という言葉があります。人は時として思いがけないことにぶつかることがあります。ナゼ!ドウシテ!と祈っても、祈ってもその答えが見つかりません。苦しくて苦しくて死んでしまいたいくらいに悶えます。でも、どんな苦しみの中にあっても、必ず光が射して死にたいと思うほどの苦しみの中から大きな喜びが生まれ出ます。これこそ復活だと感じるのです。人は生きている間にも、この《死と復活》を幾度となく経験して、イエズス様の本物の《死と復活》に少しずつ近づけるのだろうと思うのです。

 だから、そう考えてくると、人が人と関わる時、わざとでない限り(利己主義でない限り)例えほんの少しそうであっても、人が傷ついたり、傷つけたり、喜んだり、笑ったり、色んな関わりの中からイエズス様の心を育んで行き、死と復活を経験していくのだと思います。だから私たち、一人一人は神様の大切な子供であり、一人として必要とされていない者はいないはずだし、私たち自身も大切に思って下さっている神様の一人一人に与えられている役割を、きちんと果たすべきだと感じるのです。

 私はこの文章の題名を“† 主の平和!”としました。とても短い言葉だけれども、とても深い多くの意味を持つ言葉だと思います。
イエズス様がお生まれになって2000年の時が流れました。その間には、随分と神様のご意志とは掛け離れた歴史や行いが繰り返されて来ました。日本の国の事だけでも間違った歴史や行いはたくさんあります。

 そんな中で殉教の中を“死”をもってイエズス様を証しし、何百年という気が遠くなりそうな時間の中を、隠れて現代の私たちにイエズス様を伝えてくれた多くの先輩たちがいます。そんな多くの人たちの《死と復活》の犠牲の中で、今私たちは誰にはばかることなく、イエズス様と仲良く出来るのに、また新たな殉教が私たちを求めています。

 何が真実なのか、何が正しいのか、何を神様は今お望みなのか、主の平和の中で、主の助けと祈りの中で、主の平和の中に取り込んで戴きたいとせつに祈ります。

 神様と、イエズス様と、これまで私自身に関わってきた全ての方たちにアリガトウ・・・そして25周年おめでとうございます。これからも深堀教会の隣人たちがイエズス様の心のとりこになり、仲間が増えて生きますように・・・
 

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