献堂25周年記念想い出集
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三:「何しろ一回だけ黙想会を受けに行ったことがあったとさ。そん時に、うん、あれ。」

ス:「そして、ここの土台がボコボコ言うて、何時崩れるか分からんからと言うて、その時、里脇枢機卿様に父ちゃんたちが交渉に行って、見に来てもらって、これはもう危なかて言うて、骨格は教区が建てましょう、中の内装だけは信者の人がね協力して、してもらうようにと。当時は新しく来た人ばかりで団地なんかの人に。未だ団地はあったかな?」

節:「団地はねー、あったよ。」

ス:「あったね、団地は。」

三:「D棟の方がね。」

節:「少しずつあった。」

三:「A棟なんか後で出来たけんね。」

ス:「新しく来た人ばっかりで若いし、無理も言われんけれども言うて1軒から6万円ずつ徴収することで月賦でしたよ。その金がなかなか集らんで大変苦労したよ。」

三:「そしたら、その説明とか何とかは、おじちゃんがしたと。」

節:「全部宿老さんたちが。」

三:「回ったよ。」

ス:「うん。」

三:「ほー。」

ス:「1軒、1軒回った。各班で回ったりして。説得して回りよったと。すごう苦労したと。」

三:「ほー。ましてや、ほら、こっちに善長から昔から居る人はそう無かけど、やっぱ、この団地やよそから来た若い人たちは納得しきれけんね。」

ス「善長谷教会も深堀教会も造ったからね。あの3万円ね、その頃出して善長谷を作ったとやけん。そう各1軒からずっと奉仕に出て、下の大篭の砂場で背中に背負って行列のごとく、毎日曜砂運びやったと。」

節:「そうそう。親が出きらん時は子供が出て。」

ス:「毎日、砂運び。日曜日はね。日曜日曜に砂。」

三:「うーん。」

ス:「しよったと。そして教会を建てよったと。」

節:「ここのマリア様の出来た時は佐藤神父様の時かね?」

ス:「うん。」

節:「ファティマの時がね。これがまた妙なものがあったね。」
 

 
ス:「うーん。そん時もお金の足らんと言うて、あの20万円か30万円か貸しとったとだけど、払い切れんので20万円は返すから10万円はもう、あの寄付してくれろと言われて、しよんなかね金の無いのに、もらう訳にもいかんものね。」

三:「佐藤神父様の時?」

ス:「うーん。」

節:「それが教会にね、御像マリア様だけはあったとわけよ。ところが、こっち(祭壇より左側)のヨゼフ様は無かったと。佐藤神父様が来た時はね。マリア様はあったと。」

ス:「渋谷神父様の時にマリア様はあったと。」

節:「だけど、こっちは佐藤神父様が来てからヨゼフ様。だって片方が何も無かったとやもん。あはっ。」

ス:「イエズス様を立てて。そして、鐘も佐藤神父様の時。」
 
 

三:「あーん。やっぱり昔の神父様たちと言うのは、やっぱ結構教会のためには、どんなに犠牲を払うとたいね。」

ス・節:「そうよ。」

三:「本当たいね!」

ス:「何かしら残して行くとね神父様たちは。」
 
 

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