想い出1
ライン


明日への呼びかけ  

長崎純心聖母会シスター 中村 メリ
 

 深堀小教区設立25周年を心よりお祝い申し上げます。この記念すべき恵みの時を感謝のうちに綴りたいと思います。

 渋谷神父様のご依頼によって1962年春、純心聖母会のシスター3名が着任いたしました。深堀陣屋跡の美しい緑に囲まれた広大な環境の場で、私共の使徒的活動がスタートしてから約36年間、今日に至るまでの故渋谷神父様、歴代の神父様方、故谷口金市様、故山口金一様、信徒役員、信徒の方々から賜りました物心両面にわたる恩恵は数え切れない程です。
 
カトリック深堀幼稚園時代の職員 写真中央が渋谷神父様

 激動する現代社会にあって、教皇様は紀元2000年の大聖年に備えて、これからの3年間を特別な準備期間と定め、すべての信者が回心への深い望み、より熱心な祈りと聖性への真の憧れを持つようにと強調され、その1年目である同年に教会の25周年を迎えた事は、私共教会共同体にとって大きなよろこびと共に、キリストを中心とした明日への歩みの呼びかけではないかと思います。

 歴代の神父様方、多くの方々の熱意と努力を思い、これからも信徒役員をはじめ信徒の皆様の惜しみないご奉仕とご協力に強められながら、日々かかわる子供達一人ひとりが、本当に神様の子供らしい、情緒豊かな心ある人間として成長することを願い、共に励んで行きたいと思います。
 

深堀教会の思い出 

旧経済評議員
三島茂男 
 
 

 当時、善長谷教会は中町教会に属しており、伊王島より深堀に渋谷神父様が赴任され、その後、中町教会より独立し深堀教会の巡回教会としてスタートした。そして、その頃、善長谷におられた古曽信臓師が神父様のご指名で教会全般の仕事を委託され(昭和35年〜36年頃)、その後、私と(故)谷口金市氏、(故)山口金一氏、そして林山宇佐男氏が加わり4人が財政顧問として任命され、初代深堀教会が産声をあげた。

 初代教会は畳の部屋で6畳と8畳の2間、神父様は奥の椿の木があった6畳の間に住んでおられ、祭壇は上の運動場の方に向かってあり、幼稚園側は廊下になっていた。また神父様は教会のあらゆる空地にじゃがいも、さつまいも畑を作り、かたや綺麗な花もたくさん栽培し、その手入れを賄いさんもよく手伝っていた。上の運動場は花畑とし、空地には大きいシェパードを飼い、運動させるため長い鎖をつけて犬をなかば自由に遊ばせていた。

 神父様は現在司祭館の在る処に(以前は竹山でした)プレハブの司祭館を造りそこで勉強されていた。また、今の幼稚園の処は田んぼだった。
教会墓地についても神父様(当時73〜74歳)は教会の敷地内を検討されていたが、近隣の反対に遭い断念し、結局5丁目の山奥に設置されました。神父様は墓地まで行くのは体力的に無理だったのでしょう、毎日大きい双眼鏡で墓地の方を覗いておられた。

 渋谷神父様が亡くなられたから一時、香焼教会の神父様、その後、西田神父様が日曜日ごと臨時で来られていました。しばらくして正式に川口神父様が赴任され、その後、佐藤神父様、西田神父様、阿野神父様の赴任と続きます。
 

小教区設立25周年記念植樹
主任司祭(当時)中村 満師 

 
25周年 祝賀会
 

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