献堂25周年記念想い出集
ライン


節:「団地の出来た時、内の30才になる息子がね、幼稚園に入る時はもう前の日から並んだよ。」

ス:「並んだよ、前の晩から。」

節:「そして、団地が出来て一杯になったしもうて、一杯になって。ほら、幼稚園が無かったのだから、ここにしか。並んだよ!何年かしか、そういうことのあったね!」

ス:「もう前の晩から並んでおったと、今は違けれど。」

節:「子供も少なくなったし。幼稚園もあちこち増えたけんね。」

ス:「幼稚園は非常に貴重なものやったと。」

三:「幼稚園は一箇所やったものね。」

ス:「そうけん、一番初めは、うちのとうちゃん達がやっぱ幼稚園にこうして入れて下さいて、幼稚園の無か時はずっと回ったとよね。」

節:「そうそう。」

ス:「協力したと。」
節「やっぱ教育からと言うてね。ほら、渋谷神父様がね、小さい時から幼児教育をせんばいかんと言うて。」

三:「ふーん。」

ス:「特に、信者の子はね。すごく信心深かったものね。途中から未信者さんに洗礼を授けたりして、すごく立派な神父様やったよ。」

三:「えらかとよね!」

ス:「上智大学の教授やったものね。」

節:「1ヶ月に1回?」

ス:「うーん。もう何週間も居らん時もあったとね。行ってたけん1ヶ月に1回は必ず。」

三:「洗礼を受けて、そのまま結局司祭の道を歩みよったとね。」

ス:「そうそう。お父さんは仏教徒ですごく熱心な人やったから、もう勘当された状態さ。そこで、お母さんが影で大分力となったさ。」

三:「今はそう言う人がおらんものね。」

ス:「教育にも熱心かったし。そいけん幼稚園もしよったとね。」

節:「しかし、前は、幼稚園も部屋が少ないし、あのシスター方も奥の狭か所で一緒になって保育していたけどね。今は、ほらあれね。」

ス:「あれは、2階を上に造ったと。」

節:「そうそう。下の裏の方にね。今は2階を造って広うなったけどね。前は2階の無かったものね。」

三:「ここは教会が建ってそうやったけど、善長の周りには幼稚園、保育所の無かったと?」

節:「いやいや、何も無かった。」

ス:「何も無かと。」

節:「ホヤホヤだったから。」

三:「そいやったら、小学校に入ってから要理の勉強を始めるとたいね、善長谷は?」

ス:「うちのあの子供たちは、未だ幼稚園無かったよ。あの小学校に行くまで。学校で1ヶ月に一辺だけ(教会学校の)ありよったね。秋ちゃんまでは。」

三:「そしたら、あれたいね、善長の時は、幼稚園とか保育所とか無かったと?」

ス・節:「うん、なあーも無かったー。」

三:「そしたら、小学校になってから要理の勉強を始めよったと。」

ス:「うん、うちの子供たちは未だ幼稚園が無かったよ。小学校に行くまで、そして学校で一ヶ月に1回はありよった。」

ス:「うん、昔はありよった。」

三:「教会の中で?」

節:「いやー、学校の中で、町がしていたのではなかと。」

三:「ああ、うんうん。」

ス:「未だ、市になっていなかったから。」

三:「うん、うん、うん。」

ス:「そいで、今日は何を書いて来たのって言えば、“や”を書いて来たって、こうぬってから。」

三:「私たちは恵まれとったとね、神ノ島だから。元からのあれだから、ほら保育所も幼稚園も。」

ス:「だって、この神父さんが、自分のお金で建てたのだから。」

三:「本当は、善長そのまんまでしたかったらしいが、そのまんまじゃ、寄らんけんね。」

ス・節:「うん、うん。善長じゃ出来ないからね。」

三:「うん、でもここではさあ、三和でも、蚊焼でも信者のおったとでしょ?やっぱ、その人たちも善長に来ていたと?」

ス:「善長に来ていたと。だって、岳路にも行ったけど、隠れキリシタンのごとなって、8家族、樫山から引っ越して来てとだけど、意見の別れて全部別れてとだから。」

節:「全部別れたとでしょう?」

ス:「その中で、岳路に残って、それからの始まり。」

三:「ふーん、岳路にもおったとね。」

ス:「その岳路は隠れキリシタンになってしまったと。」

三:「うん、うん。」

ス:「そして、家の者に昔、十字架と何かマリア様の御像か何か隠しておったらしかね。そして、これは絶対に世間に見せたらだめと言って、土の中に埋めて隠してしもうたしらしかね。結城神父様が歴史に書いてあったと。」

三:「なら、善長は、もと8家族あったとが、別れて残ったとたいね?」

ス:「善長は、信者って分かったらあれだから、菩提寺に籍を置いて、八幡って言う綺麗か水汲みの仕事をしていたと。それからの始まりだから、善長も相当苦労して来とっと。」

節:「そんなら、今、善長で何をしていたと?」

ス:「うーん、何をしていたと・・・」

三:「何をしていたと?」

ス:「ほら、籍を、菩提寺の籍やったとのを。」

節:「善長の墓所を。」

三:「あ?、あー。」

節:「だけれど、菩提寺の住職さんも優しかったとよね。そんがん自分たちの所に置いてやったのだから。」

ス:「うん、うん。」

三「あ?、もう分かっとったから?」

節:「うん、分かっとっただろうね。」

ス:「まー、分かっとってか、分からんか、知らんけども、こうして、ここに住むことになったって言う事は分かっていたのでは。」

三:「うん、分かっとったとだろう。」
ス「そいけん、菩提寺に頼みに行って、水を汲んで、ここまで運んで来る仕事を仰せ付かって、それをずっと守って来て、籍も墓所も菩提寺に置いて、しよったと。」

三:「はー・・・。」

ス:「そいでね、私たちの子供の頃は、未だ迫害の有りよったと。私たちを待ち構えて石を投げられよったと。私たちは、もうその石を、逃げるごとしながら善長さ走って登って行きよったと。毎日毎日待ち構えてね。そいけん、あんまり、伸び伸びとした生活の出来んかやったと。」

三:「そげん時代の未だあったとね!」

ス:「うん。クロッショ、クロッショって言われよったと。」

三:「善長の人たちは苦労しよったとたいね。」

ス:「うん。苦労しよったと。そして、ずーと、神父様も月に1回とか、中町の係りだったから、月に1回ミサを立てに来ていたと。私が20才やった時、結婚する前は聖歌の練習を神父様がさせよったと、そいけん、そん神父様の来れば炊いて食べさせよったと。」

節:「そして善長には馬で登りよったでしょう?」

ス:「うん。ずーと、前はね。」

節:「馬で行きよったって言うか、迎えに行きよったとだろう、馬で?」

ス:「うん。馬で行きよったと。結婚する前に私も迎えに行ったら、お父さんと結婚するのは血の近いって言うて、神父様に怒られたと。」

節:「昔は厳しかった。従兄妹同士はいかんとか、ふた従兄妹とか何とか。」
ス「結婚が出来なかった。そして、司教様まで上がって、やっと許可の出て、うーん!」

三:「うーん。」

ス:「そして、繕いをして、あげたりして。」

三:「ふーん、そしたら若い時から神父様のお世話をしていたとたいね。」

ス:「うん、父が、教会の役員を、会計をしていたからね。そして新年会や何かの時は肉の無かけん、鶏を、ほら家に飼っていた鶏をつぶしてね、それでスキヤキをして、宴会を私方でしていたと。うちはずっと神父様にまみれてね、若い時から育ってきたと。」

三:「今思えば幸せやったね。」

ス:「うん、今思えば幸せやった!父がやかましかったからね。ずっと会計をしていたとね。小学校1年生の写真のあったと。すると妹のシスターは、こう大きか服を着せられて、家族で写った写真のあったと。手繰り船に乗っとったから、あんまり貧乏しとらんと。家もここに建てて、そこに神父様もそこに入れ寄ったと。」

三:「でもさ、普通の人がここまで神父様に係るって珍しかよね。普通シスターとかがさ・・・。」

ス:「私の結婚式をしてくれた田川って神父様は、何も書か無くて良かと言うたと。私のお父さん何かは大阪から来とって、何にも分からんって全部書かされよったと。」
 

三:「昔は聖歌隊って居なかったけれど、ほら姉妹会って歌を歌いよったね、聖歌を。」

ス:「堅信式は山口司教様の前の神父様で、小学校6年生の時に受けたと。学校はせんでも良かけん、とにかく公教要理を勉強して、堅信式の時の試験を通らんばいけんけん、親からやかましゅう言われよった。あの、木の枝の長くなっていたのがあったと。そこに、全員乗ってから足をぶらぶらさせてから一生懸命稽古をしよったぁ。ようそげんとを覚えとるよ、とにかく、よう覚えよった。何とか何でありますか・・・」

三:「昔はね、学校の勉強よりも教会の勉強の方が大事だったからね。」

節:「ほら。とにかく教会に行けと、親から怒られよったと。」

三:「ねー、今は親に感謝しとるけど、朝ミサに行かんねって5時半に起こしきらんやかね。」
ス「やっぱ、自分が信仰の薄かけん、今の子供たちが育たんとさ。自分たちの所為じゃなかかって今の悔やまれる。昔の親たちは教育を受けて無いけどさ、人に良くするともイエス様のためって、それだけはホントに勉強しよらんでも、それだけは言いよった、忘れきれん。」

三:「私なんかも母から厳しゅうされていたから、カトリック的に教育すれば良か?って。そいしか頭になかったから朝ミサや何やらしよったたいね、部活もしたかって言うて泣かれたけれど教会が大事かけんって、やりよった。そいでも教会離れするので子供がさ。何やったとだろうかって、今はもうそれで悩むとたいね。」

ス:「やっぱ、一途に教会の教えに従って教育しとらんやったが、やっぱ悪かったとかなぁーって。」

節:「うちの母たちは学校に、子守りとか何とかで昔は学校に行かれんでしょ。四年か五年か行きよったとでしょうけど、一週間に1回くらい行ったって、何も分からんで、字も読めなかったけれど、教会だけは行ってたけんね。」

ス:「うん、字も読みきらん。」

三:「うん、でも昔の人たちは自分が食べんでも、教会には何でもするって言うような感じたい。でも今は、別にそがんしなさいと言われても、出来ないたい。やっぱ。」

ス:「自分の食べるのを食べんでも、神父様にあげるって大事にしよったと。」

三:「そう、そう。そして、神父様も気安く、前は、ほら、車とか無かったので、近くを通りよれば呼び捨て来ていたものね。」

ス・節:「そう、そう。」

三:「おかずは何をするとかーって。ほらゴボウとかしよったら、今日は何のおかずか食わせろ!と言うて、そんがん感じやったとね。」

節:「うーん、自分たちの小さかった時はさぁ、毎週教会に行ったらさ、神父様から飴玉や何やらもらいよったとね。」

三:「うん、そう、そう。平気で、司祭館の中を走り回りよったものね。」

節:「うん、そう、そう。司祭館で遊んでいたものね。」

三:「勝手に行くことが出来たね。」

節:「うん、そう、そう。そしたら神父様も喜んでね。」

三:「うーん。」

節:「あの頃は飴やら何やら無かったのにね、色々取っとって食べさしてくれたものね。」

ス:「私たちの時はそげんとは無かったから、やっぱ厳しかった。」

節:「平田神父さんなんか、大変優しかったよ。」

ス:「何か大変尊敬しとったね。先生より神父様を尊敬しとった。」

三:「上手かとね、人たちを使うのが。昔、朝ミサに行くでしょう。クリスマスの前何か、馬小屋に使うワラを、ミサに来る度1本ずつ持って来てイエス様に上げろって。そしたら多かほどイエス様は暖かくなるのだけんと言うて持って来させておいて、クリスマスの時にプレゼントを神父様がくれよったと。それが楽しみで、そういう風にしていたものね。昔の神父様たちは子供を上手に使こうて、何も来いと言わずに朝五時のミサに来させよったものね。」
 
 

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