想い出3
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深堀小教区設立25周年にあたって

旧経済評議員 大井 正
 
 
 

 古くから教会にお世話になっている信者の一人として、私なりに感じたことを申しのべてみたいと思います。「ひろがり」6月号にくわしく記載されていますが、教会及び幼稚園の土地は渋谷神父様の御英断のもとで寄贈されたものであり、私たちは深く感謝致さねばならないと思います。神父様は来られてすぐ現在ある幼稚園を造られ、深堀には1960年(昭和35年)より1972年(昭和47年)まで、12年間おられたことになっています。それで小教区設立25周年と言うのは神父様が帰天なされたときから始まっているようですので、幼稚園の創立は教会より古く今年は35周年位になっているのではないかと思います。

 古い教会は現在駐車場になっているところにあった山崎氏屋敷があてられ、そこに隣接してプレハブが司祭館になっており、“スミちゃん”とかいう女の方が賄いをしておられました。丁度その頃、私も現在地で医院を開業するはこびになっており、銀行から借金しなければならないことを神父様にお話しすると、神父様はすぐ保証人になってやるとの温かいお言葉を戴いたのでしたが、私は聖職者の方は金の保証などしてはいけないのではないですかとお断り致しました。

 神父様の御帰天後、西田神父様、浜口神父様、川口神父様となっており、古い教会のとき長女が川口神父様から結婚式をさずかり、そのあと今の教会が出来ましたがすぐ川口神父様は井持浦教会にいかれたのでした。その頃神父様はスポーツがお好きで私のところにも卓球をしに来られたことがありました。

 そのあと佐藤神父様、西田神父様と続いたのでしたが、西田神父様には新旧の教会に二度もお世話になったことになります。佐藤神父様のお招きで三和町川原にあった聖母の騎士修道会の修道士の方々と会食させて戴いたし、又山口スマさんの手料理で山口金一氏邸で度々御馳走にあづかりました。幼稚園におられて現在佐世保市三浦町聖心幼稚園におられ、昨年誓願宣立50周年のお祝いを戴かれたドロテア深堀富士子シスター方も一緒でした。西田神父様は、にしめが大変お好きのようでした。又シスター方と一緒に蚊焼の鯨浜に舟で磯遊びをしたことがありました。

 阿野神父様のときはよくクルシリヨ参加をすすめられ、用がなくなった翌年平成2年5月第43回男子クルシリヨに参加しました。私が大統領にさせられたマルコ組に、現在奄美大島で司牧に携わっておられる谷村達郎神父様も一緒でした。その時飽の浦教会におられた中村満神父様から講話をして戴いたような気が致します。

 1991年3月竹谷神父様が深堀に来られた年、17号、19号台風で大変な年でした。又司祭館2階の増築の時も一晩中台風なみの寒風が吹き込んだときがあり、神父様には大変ご苦労なさった思い出がおありと思います。亡くなられた浜口健一神父様を除いてはみんな御健康であられますので、今後とも大きな御活躍をなさいますよう私たち一同お祈り致します。
 

大きな家族を目指して 

長崎純心聖母会シスター
堀川ヒサヨ
 

「神の家に行こう」と言われてわたしの心はよろこびにはずんだ(詩122)

 小教区設立25周年を心よりお祝い申し上げます。歴代の主任神父様を始め信徒の皆様で築いてこられた今日の深堀教会の姿に思いを馳せ、神様の豊かな祝福をともに感謝致しております。特に初代の渋谷神父様には多大な困難と私財を投じて深堀教会の建立にご尽力下さったと伺っております。

 私がお世話になりました頃は、発展途上の教会、若い教会と期待され、子供たちも多く活気に溢れていました。阿野神父様のご指導のもとに年毎にクルシリヨの参加者も増え「一人一役」の意気込みで全信徒が自分に可能な奉仕部で力を出し合って、教会づくりに励んでおられました。社会奉仕部の地域のバス停清掃、老病人奉仕部や祈りの奉仕部の活動なども頼もしい教会共同体として記憶しています。

 教会と共に25年を歩んで来られた信徒の皆さんが、祈りと活動を通して信仰のよろこびと教会を愛する心を後世に伝えていただきたいと思います。大きな神の家族に成長した深堀教会から、たくさんの司祭、修道者への召し出しがありますよう期待し、25周年を契機に益々、神様の御旨に叶う小教区に発展しますようお祈りいたします。

サンプルグラフィック
深堀小教区設立25周年記念植樹
1997年10月 
献堂25周年記念写真集

 
献堂25周年記念想い出集
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