献堂25周年記念想い出集
ライン


出身シスター

「感謝と愛を込めて」

カリタス会 Sr.千田広美
 

 深堀教会25周年おめでとうございます。教会に至るまでの様々な時代、出来事を共に集い一つになって賛美と感謝を捧げて、ここまで来られた深堀教会の皆様の上に慈しみ深い神様の豊かな祝福がありますよう祈りつつ、お喜びを申し上げます。

 聖母マリア様が最も好まれたロザリオの月の半ば、母から記念誌に載せるための原稿を書くようにとの連絡がありました。文章を書くことを苦手としている私を一番知っている母なのに、しかも記念誌に載せると聞いて、何を書こうかと散々悩んだ末、今回の記念誌作成の意図からは多少逸れてしまうかも知れませんが、最近私が感じ、皆様とあまりお会いする機会が無いために申し上げることの出来なかった思いを、この機会をお借りして皆様に感謝の気持ちをお伝えしたいと思っています。

 現在、日本では司祭、修道者の召命の減少が問題になっていますが、この召命のきっかけとなるものは、ある時その人の人生で大きな出来事を通してこの道を歩み出したという方と、日常の生活の些細な事を通してという二つがあるようです。

 私の場合は後者で、幼稚園の園長先生(シスター)の何気ない笑顔が忘れられず“シスターになりたい”と思いました。小学校卒業後カリタス会の志願院に入会し、志願期、修練期、初誓願誓立、そして、世界中の教会がローマを中心に大聖年を祝った去年の12月8日、無原罪の聖マリアの祭日に終生誓願を誓立することが出来ました。

 皆さんの中には『あしあと』と言う詩を知っておられる方もいらっしゃると思います。海辺に二人分の足跡があり、それは彼と、彼と共にいる主の足跡でした。また、彼が人生の中で苦しい時、足跡は一人分しか無く、それは主が彼を背負っていたという内容の詩です。

 私の足跡も同じで、いつも神様と神様が遣わして下さった隣人に支えられ背負ってもらった歩みでした。学生志願者の時から今日まで、何度も壁にぶち当たっては召命に悩んで来ました。

 終生誓願の準備期間に気付かされた事ですが、私の召命を支えるために私の気付かない所で助けの手が差し伸べられていたのです。家族から離れ修道院の中で何不自由なく過ごしていた時、両親と弟は家族に与えられた十字架を担ってくれていました。また、身近で関わってくれた方たちも、遠く離れた所で祈りや日々の行いを捧げて下さった人々、その中には一度もお会いしたことが無い方もいたはずです。

 もし、私が他の親の元に生まれていたら、園長先生の笑顔に出会わなかったなら、宗教的な環境の中に育っていなかったなら、私を励まし、見守ってくれた両親や神父様方、シスター方、教会の人々に出会わなかったなら、私は途中で召命を失していたかもしれません。たとえ、その時には、苦しく困難な壁であっても後に、振り返ってみると喜びに変わることもあるものです。私にとって小神学校へお世話になっていた弟が家へ戻って来た事は、ショックでした。しかし、今、考えると、弟が家へ戻り両親の元にいてくれたからこそ、私は安心してこの道を歩んで来られたのです。

 神様のご計画、それは私という小さな者には理解することも出来ず、その愛も量ることは出来ません。終生誓願誓立を通して私が気付かされ、今、はっきりと確信出来ることは、私の召命は神様のご計画なくしては完成されることは無く、その計画には、当人が気付いていなくても、多くの人が関わってくれていたのです。

 この事に気付かされた時、不安はあるけれども、いつも共に神様がいて下さる、見えないところで多くの人が私を見守って下さる。だから、きっとこれからも、この道を歩いて行こうと誓願誓立の決意が出来ました。
今、私は以前仲間と共に学び、遊んで過ごした志願院で学生志願者の担当をしています。彼女たちにとって、私が神様のご計画に関わり遣わされた者になることが出来ることを願っています。

 こうして、今日の私があるのは、深堀教会の各神父様、シスター方、そして多くの信徒の皆様のお陰です。これまでのお祈りと励ましに心よりお礼申し上げます。

 また、私の代わりに両親や弟のこと、これからも、よろしくお願いします。本当にありがとうございました。
 

出身神学生

深堀1班出身 
大神学生 熊谷裕司

「トンネルの向こうには……」
 
 

 

 深堀教会25周年に際しまして「何か一言!」ということでしたが、一言では収まらない私の郷愁の念と、これからも歩み続けるであろう教会への思いを、あえて長々と述べていきたいと思います。

 皆さんがご存知のように、あるいはご存知でないように、私は1978年の11月3日にこの世に生を受けました。遡って言うと、母の胎の中では、いわゆる十月十日(とつきとおか)前から存在していたと思われます。それでも、深堀教会は今年25周年を迎えますから、「私が存在する」以前から存在したことになるわけです。ひょっとすると、共同体としての教会は25年よりも前から存在していたかもしれません。その頃のことを知りたければ、教会を守り育ててきた先輩方に聞くのが一番でしょう。それほどの歴史を持つ深堀教会と出会うことになる私は、狭く神秘に満ちた世界である母の胎と、多くの生命に満ちたこの世界とを結ぶ「トンネル」をくぐり抜け、教会の一員に加えられました。

 教会の一員として育てられた私は、自分でも意識していないうちに、つまり知らず知らずのうちに、司祭になるという途方もない道を選んでしまっていたようです。これは神の策略か、主任司祭の策略か、はたまた共同体の皆の策略か……。悪い意味ではありません。これこそ私の召命だったということを言いたいわけです。

 その召命を受けて私は、1991年の4月に長崎カトリック神学院に入学致しました。中学・高校時代をそこで過ごしましたが、学期が終わり長期休暇になると深堀に戻りました。これは1997年以降、福岡サン・スルピス大神学院に入学してからも同様なのですが、休暇に入って深堀に戻る際、一つ以上の「トンネル」を通ります。必ずしも通る必要があるとは言いませんが、帰省時間短縮のために「トンネル」のあるルートを通ります。この「トンネル」を意識する度に、知っている顔に会えるという安堵感や、自分が学習したことを教会で役立てられるだろうかという緊張感を持って深堀に戻ります。「トンネル」は、身体と心を深堀へと向かわせるパイプの役割を果たし、そして私は故郷である深堀へと帰ってきます。

 私が普段生活する神学校では、学問だけに限らず多くのことを学びます。しかし時として、というよりは度々自分が学んだはずのことを生かすことが出来なかったり、更には学んだことの内容を未消化のままやり過ごしたりして、そのために自信をなくしたり、限界を感じたりするのは疑いようのない事実です。あたかも先の見えない真っ暗な「トンネル」の中にいるかのように思い込んでしまいます。どうにかしてそれを乗り越えようともがいているそんな時、自分が司祭になることを応援し支え励ましてくれる、他でもない深堀教会の皆さんを思い起こします。そして、「人間としても、神学生としても頼りない自分だけど、皆に、そして神に受け入れられた自分らしく司祭を目指そう」と言い聞かせ、気持ちを奮い立たせて神学校での生活を充実したものにしようと日々励んでいます。

 タイトルに「トンネルの向こうには……」と掲げました。私がくぐってきた多くの「トンネル」の先には、深堀教会共同体の皆さんと、赤レンガと白い壁の聖堂がありました。私はこの環境で育ち、様々なことを学び、そして今では心の拠り所としています。歴史を重ね、見た目に様変わりして行く教会であったとしても、キリストを信じて集まった深堀教会の共同体として私達は、共にキリストに向かって歩んで行きたいと思います。

 深堀教会25周年にあたり、皆さんも教会と関わったこれまでの歩みを振り返る機会としてみてはいかがでしょうか?

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