善長谷
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献堂50周年記念式典関連写真集

 
 
善長谷教会献堂50周年記念

「想い出」

ショファイエの幼きイエズス修道会 西合志修道院 Sr.熊谷サツエ
 

 深堀教会25周年をお迎えし、感謝をこめてお祝い申し上げます。
先月、50周年をお祝いした善長谷教会での数々を思い出して見ました。長崎野母半島を素晴らしい眺めで見渡せる善長谷教会、先祖が迫害を逃れて落ち着いた山の中の小さな集落に信者が建てた教会がある。

 私はそこで生まれ、3日後、山道を降りて野母汽船で30分大波止から歩いて中町教会で当時の主任司祭だった山口大司教さまより受洗したと聞いています。熱心な両親に育てられ朝の祈りから1日が始まり何かにつけて神さまの話を聞かされ夕の祈りやロザリオで終える毎日でした。

 善長谷教会は、毎日曜日のミサもなく、木に吊るした鐘の音で信者全員教会に集ってロザリオやミサに代わる祈りを熱心に捧げていました。聖母月やロザリオの月にもほとんどの信者が教会でロザリオを唱え、四旬節にも十字架の道行の祈りがあり、小さい頃から参加していた性か聞き覚えで唱えていた祈りが今も残っていて各留に来ると、祈祷書の祈りが出て来て子供の頃、あの教会で祈ったことが思い出されます。

 司祭がいらして下さるのは月1回程度だった。信者全員待っていた喜びは大きく、総動員でお迎えしていた。その時告解やごミサに与り信者は心身共に晴々とした表情で喜び合ったのを思い出します。大祝日には前日から又当日朝早く市内の教会までごミサに与るため出かける家族も多かった。

 小さな貧しい集落でしたが信者全員心を合せて互いに助け合って素晴らしい信仰生活を送っていたことを誇りに思い感謝の日を過ごしています。
初聖体、堅信の公教要理の指導は、亡きソヨあんねにして頂きました。要理の本1冊丸暗記するため、ほとんどの子が競って木の上に登り、蝉の鳴き声にも負けまいと一生懸命覚えたものでした。堅信の秘跡は親兄弟の前で鶴田神父さまの厳しい質問を受け、中町教会の方と一緒に山口大司教さまより、堅信式を授けて頂きました。

 昭和16年第2次世界大戦が始まり、善長谷にも兵舎が出来たりした。8月9日原爆の日も朝早くから市内の学校に通学していたが、市内から疎開して来ていた前田元君と大波止までの途中で空襲になった。私は授業がないからと言って船で引き返したが元君は学徒動員で兵器工場に行くと言って別れたまま行方不明になり戦争の犠牲となられた。毎日の生活の中で全ては神さまのみ手の中にあることを思い知らされたようです。

 終戦と同時に、浦上で焼けた常清女学校の再建のため、幼きイエズス修道会のシスター方が募金と募集のため各教会を廻っていたようで、教会役員の方からシスターになりたい人が居ないかと言っていたのを聞き、昭和21年8月16日、信者の方々に送られて大浦の16番の修道院に志願者として入った。昭和29年に初誓願して50年近く、修道生活を送って来ました。これも多くの方々のお祈りに支えられていることを実感し感謝の日々を過ごしています。

 入会後、両親も善長谷教会での生活も困難になり深堀に住むようになった。昭和41年2月に、父が3月に母が召されて、その頃深堀教会はお城跡の教会で渋谷神父さまに葬儀をして頂きました。

 現在は教会も大きくなり、年々信者の数も多くなり発展が見られて本当に素晴らしいことだと思います。今後も25周年の喜びを生活の中で活かし、教会が神さまのご栄光の証しとなり豊かな祝福のもとに前途に光を頂けますように信者の皆々様のお祈りに合せたいと願っています。

善長谷経済評議員

善長谷 山口年行
 

「子供の頃の思い出」

 善長谷カトリック教会が在る私たちの住む長崎市大篭町は文政六年外海町地方東樫山からの隠れキリシタン六戸が移り住んだことに源を発すると言われています。

 現在の聖堂は明治28年(1895年)に建てられた木造造りの聖堂が老朽したために昭和27年(1952年)に再建されました。この教会は山の中腹に位置し、海に夕日が沈む時の教会からの眺めはとても格別です。

 それでは、子供の頃の思い出をたどってみたいと思います。小学四年生の頃だったと思います。戦争の渦中に呑み込まれて行きました。終戦と同時に平和な時代を迎えましたが誰も衣食住に困窮していました。そのような生活実態の中で学ぶ事より働く事を重んじる社会情勢の中で育ちました。先ず学校から帰ると水汲み、炊木取り、畑仕事の手伝いと余儀なくされていました。

 それでも、日曜日になると仲間と出会って現在教会の前に残っている太い木に登って、公教要理の勉強をしながら遊ぶのが楽しみでした。その当時の教え方さんはとても厳しい人で、何時も叱られてばかりいました。今振り返ってみると素晴らしい恩師だったと思います。

 時に神様は私たちに愛をもって試練を与えると言われます。その幾多の試練を乗り越えた時に初めて其の成熟が得られるのだと言う事を子供の頃を通して教わったような気がします。

 その間、50年の歩みの中で善長谷教会に携わって来ました。歴代の神父様方のご指導をいただき今日に至っています。そして、現在、2001年5月善長谷教会献堂50周年を迎え、神様のお恵みと皆様方のご協力をいただき感謝しています。

 同時に、この度、深堀教会献堂25周年を迎える事を善長谷信徒一同心よりお祝いお喜び申し上げます。これからも生活を通してがんばり続けたいと思います。

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