善長谷教会献堂50周年記念 善長谷教会対談
「善長谷教会献堂50周年にちなんで」
ツ:長谷川ツルさん、志:山口志也子さん、熊:熊谷マツエさん、森:森内カナエさん、ユ:長谷川ユリ子さん、谷:谷川タエさん、キ:山口キミエさん、川:川上喜美子(聞き手)
教会建設について
川:「善長谷教会献堂についてお聞かせ下さい。」
ツ:「現在の教会の前は雑木林だったので、そこを切り開いて建てました。当時は世帯数もかなり多く50世帯前後で、建設資金に信徒から1世帯あたり3万円の割り当てがありました。」
川:「当時の宿老さんのお名前は?」
志:「長谷川又助、熊谷幸三、谷川信太郎さんです。」
川:「建築はどのようにして進められて行きましたか?」
熊:「ほとんどが壁の材料だったので、赤土(深堀の地名)の浜から砂と砂利を袋に入れて、徒歩で一日に5、6回背中に担って登りました。」
森:「老人、大人、子供まで全員で奉仕作業に関わりました。」
ユ:「棟梁は川原さんで、何名か大工さんが私たち信徒と一緒に作業をしてい
ました。」川:「どのような苦労がありましたか?」
熊:「金銭的な苦労が一番でした。現金収入が無いものでしたから、何年も掛かって支払い、どうにかして最後まで頑張って支払って行きました。」
森:「最後に教会のシンボルである十字架の塔が屋根の上に上がらず、どうしたものかと思案顔でいたところ、誰かの声で、もう一度上げて見ようと言 ったので、声を出し合い全員で力を出し切ってロープを引くと、その時少し ずつ上がり遂に十字架を上げることが出来ました。屋根の上に上がった 時は、宿老さんの掛け声で万歳をして喜び合い、感謝のあまり涙が流れ ました。」
ツ:「落成式は5月3日で、主任神父様は中町小教区の古川重吉神父様で、 山口愛次郎司教様の司式で祝別されました。」
志:「その時はお祝いのための色々な出し物を練習していたのですが、大雨で余興が何も出来なくて困りました。」
生活について
川:「当時の生活について聞かせて下さい。」
キ:「昭和30年代くらいまでの生活は、漁師と農家が主で、現金収入が無く、日々の食費だけが精一杯でした。麦、芋、ジャガ芋などを作っていましたが、時々、配給制のお米があると麦に少しだけお米を入れてお米の味を味わって食べていました。
しかし、一番の苦労は水汲みの仕事です。山の中にある沢までニ、三十分掛かって、夜中の二時、三時に起き出してバケツの音を立てないようにと気を使いながら飲み水、生活水に汲みに行ったのです。これも、早く水汲みに行かないと、自分たちの汲む水は少なくなり濁ってくるので、それぞれが我先にと争っていました。
暗闇の中、懐中電灯を頼りに山道を歩いていると、遠くに招く格好をしている物体を見つけました。たぬきが出て化かされているのではと思いながら近づいて見ると、ススキの穂が風で揺れているではありませんか。ドキドキと「なあんだ」という安堵感が交錯しながら苦笑いして明け方まで水汲みをしたものでした。昭和40年代になると深堀の市会議員さんのご協力で、深堀五丁目の森保信平さんがトラックで生活水を運んで来て下さっていました。とても皆な感謝していました。
昭和40年代後半になるとルルドの近くに、市の水道課から、ボーリングをして頂きました。最初の頃は良く出ていたのですが、水脈が変動したのか、全く出なくなりました。その後、昭和62年から63年に掛けて長崎市の市水管が通るようになり、今は水の苦労も無くなって感謝しています。本当に、水の苦労は大変なものでした。洗たくから、お風呂、飲料水、そういう大事な物ですから大切に使っていたと思います。」
島本大司教様を迎えて |