歴代司祭
ライン

ペトロ・佐藤 哲夫師

深堀小教区設立25周年によせて   

黒崎教会主任  佐藤 哲夫

深堀教会で皆様と共に歩んだ三年半を有り難く思っています。感謝一杯です。


佐藤哲夫神父様との思い出

山口スマ
 
佐藤神父様は下五島の南松浦郡玉の浦郷井持浦教会から転任になり、深堀教会に1976年6月に着任になられました。

 着任の挨拶で「私は佐藤といいます。あの甘い砂糖の佐藤です」と話されみんなが爆笑し愉快な神父様だなぁと思いました。神父様の説教は笑わせたり、泣かせたり、楽しい話をなさったり、もっと聞きたいと思うときに終わるので、「神父様もう少し話されたらいいのに」というと「いや15分ぐらいが一番いい、長く話すとあかれるからね」とおっしゃっていました。

 神父様は子供と老人を大切にしないと教会は栄えんとよとも言っていました。神父様は教会の寄せ鐘を作るにあたり、教会を建設したばかりだったのでお金がなく、信徒である大浜工業の社長さんにお願いして丈夫な鉄骨を組み立て、鐘は神の島工業西田鋳物製作所に頼みました。大浜工業の社長自ら設計製作なされ、鉄骨と防護柵は寄贈していただき鐘楼が完成しました。

 祝別の前日信徒会の役員・婦人会で紅白の餅をつき昭和54年3月21日日曜日のミサ後西田神父様の司式により祝別され、香焼教会の故浜口健一神父様もお祝いにかけつけ、幼稚園児や信徒のみなさんと共に餅まきし賑やかな一日を過ごすことができました。

鐘楼建設・祝別
 
 
西田師、佐藤師  

 
 西田神父様は教区の会計をしながら深堀カトリック幼稚園の園長も兼任されていました。今の駐車場の整備や教会の周りの植木、司祭間の前の庭石など渋谷神父様の時代にあったヒイラギの庭木、燈篭などはこんで庭造りをしてくださいました。深堀教会のために私財を投じて業績を残されたのです。

 佐藤神父様はファチマのマリア様の御像を製作することになり、神父様のお知り合いの方に寄贈を頼み不足分は神父様とそのときの役員が出しあって完成しました。

 マリア様の前にマサゴ石を敷きたいという話が出て、車で三重の浜や藤田尾の浜などに取りに行きました。舟では伊王島の浜に行った帰りに人数オーバーで巡視船に捕まり罰金を取られるというハプニングもありました。

 マサゴ石を拾いに行くときはいつも日曜日のミサ後で昼食にはおにぎりや煮物を作っていったことをマサゴ石を見るたびにいろいろなドラマが隠されていることを懐かしく思い出します。

 神父様は北海道のトラピストで司祭叙階なされ働いていました。トラピストの院長様は伊王島の方で深堀教会司祭館にも何度か見えられました。神父様は原爆を浦上で受け原爆症のために長崎教区の司祭として働くことになりました。

 私は神父様に北海道のトラピストに一度行ってみたいと頼み、2年間の計画をして会員を募りお金を積み立てました。そのときは神父様は転任が決まっていたそうですが、私たちが楽しみにしていたので黙認していたそうです。

 1979年10月14日神父様の引率で23名が北海道へと出発することになりました。東京に着き上野駅から国鉄で青森まで行き、青函連絡船に乗り函館に着きました。そこでは院長様が出迎えにきてくださり2年間の念願がかなって、喜びいっぱいでトラピストに着くことができました。

 神父様は私たちのお世話や気遣いのために高熱を出し寝込んでしまいました。院長様みずから朝市に出かけ大きな紅鮭や明太子、イクラなどたくさんの海の幸を持ってきてくださいました。

 朝は5時の御ミサに与り聖堂もすばらしく、司祭、修道者の方々と共に秘蹟に与ることができ、お恵みに感謝しました。野菜や果物、トウモロコシ、パン、バターなど自給自足の生活で食事は自分たちで作り、お弁当持参でマイクロバスを借り、大沼公園、函館山、エサン、ユサンなど見物して帰り、夜の食事の後はトラピストの内山神父様のお話を拝聴し、とっても感動しました。

 いしゅうかんの普通の生活を離れて祈りや黙想にふれ、時には観光に出かけ、思いがけない充実した日々を過ごし、すばらしいこの世の天国を味あわせていただきましたことを佐藤神父様やトラピストの方々に心から感謝しております。

初聖体記念
 
 
山口氏宅での食事会   当時の役員方

司祭紹介へ戻る

inserted by FC2 system