歴代司祭
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ヨゼフ・渋谷 治師

渋谷神父様との出会い

元婦人会役員 
永山光子
 

 渋谷神父様は長崎教区の最初の赴任地として大阪から黒崎教会に来られました。私は終戦当時に疎開で名古屋から西彼外海の黒崎に来ました。

 神父様との出会いは今からさかのぼって48年前、同教会でした。神父様がおられた小学校5年生の時、堅信の秘跡を受けました。夏休みは毎朝5時30分のミサ後から昼まで、一冊の公教要理を覚えるために真剣に取り組んだものです。私の弟たち2人もミサ使いのため、神父様のご配慮で前の晩から毎日泊まり込みで教会へ行っておりました。

 特に記憶に残りますのは、とても優しくて、ユーモアがあって、親しみのある神父様でした。忙しい時間の合間に愛犬と遊んだり、又は魚釣りが大好きで、綺麗で赤い魚(イトヨリ)が釣れますと、「お姫様が釣れた」と大変喜んで帰っていらっしゃいました。その後、赴任先が変わって、最後に神父様は深堀教会にご自分で希望されて来られたと聞いております。

 それから月日が過ぎ、21年前の昭和51年春、私達は新築するための土地を見に家族で深堀の地に来ました。その時に私達が真先に気になったのは教会でした。幼稚園の門を入り、ずっと登って行き、ここが教会と教えられた時、私は思わず「まさか、うそ、これは普通の家だ」とつい言ってしまいました。今まで大きな様々な教会を見てきた私には、とても信じられませんでした。聖堂は狭くて、天井は低いし、真ん中を区切るエンジのカーテンがありました。

 「こんな教会に来んばとやろか」と息苦しく内心がっかりして、他に教会がないものかと上の方へ行きますと、広々とした所があり、高さ50cmくらいの草が一面に生えていました。その時骨組みだけで、棟上されたばかりの建物があり、何か他の会社だろうと重い、まさか今の教会だとは夢にも思わなかった事を覚えています。やがて家も新築され、昭和51年8月29日をもって転居して来ました。さっそく教会に行って見ますと、会社だと思い込んでいたのが実は新しい教会だったのだと分かって驚きました。

 次に私が気になっていましたのは、当時は旧聖堂の庭にあった灯篭です。口は聞けませんが、深堀の歴史を誰よりもよく知っている大切な遺産です。今では司祭館の前庭に移され保存されていますが、深堀教会に出入りする全ての人を見守り、また全ての人の成長を知っています。

 ただの石だと言ってしまえばそれまでですが、いろんな人の喜び悲しみを知っているこの灯篭に思いを馳せ、深堀教会の歴史について学んでみてはどうかと思っています。

 最後に申し遅れましたが、小教区での活動といたしましては、毎年の年間行事の他に、毎週水曜日に「学ぼう会」という勉強会を開いております。昭和60年12月4日から始まり、平成9年と早12年近く続いています。メンバーは今は小人数ですが、細々と楽しくいろんな事を学び、討議しあっております。

 これからも渋谷神父様を偲びながら先祖代々受け継がれてきた信仰と愛のお恵みに感謝しつつ、これから先、30年、50年と深堀教会に今より一層の発展と、信徒の皆様一人ひとりの上に、神様の祝福とお恵みが豊かに注がれますようお祈りいたしたいと思います。

 
 
初聖体記念(S.46.2.14)   堅信記念(S.46.12.28)
     
 
当時の役員方
 

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