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洗者ヨハネ・竹谷 音吉師

陣屋跡に立って   竹谷 音吉

 深堀との最初の出会いは意外でした。深堀遺跡、貝塚遺跡が示すように遠い夢のような時代、いわば書かれていない、顔のない、歴史との出会いでした。
日が経ち町を歩くうちに温かさ、身近さをだんだん感じるようになり、深堀の歴史の小道を歩いているとこの道こそ深堀教会のこれからの道ではないかと思うようになりました。

 武家屋敷跡、陣屋跡が何か語りかけています。静かにその石文を眺めていると、否応なしに昔の武家時代に引きずりこまれています。ところが其処で始めて深堀に出会うのです。その生いたちを知り、最も新鮮な深堀がそこにあったのです。戸八浦と呼ばれていた村が或日突然深堀と名づけられて新しい世界を生き始めたのです。不思議な感動を覚えるのですが、石文の語る事実を否定することは出来ません。「今あなたは深堀に立っている」という実感も石文から流れ出てきます。

 武士社会に誕生した深堀は各々のサムライが味わった悲哀も同じように嘗めています。十八代領主が鍋島の姓を賜ったとき、深堀姓はアッサリと切り棄てられてしまいました。しかしそのとき深堀名は真に地の名前となりました。悲痛としか言いようのない痛みの中で深堀は武家社会の空気を吸収しながらも鎖国日本の唯一の窓長崎と同じ目で海外を眺めはじめ、何時でも自立出来るよう貿易、漁業を基礎に産業社会を切り開いていくことになります。

 やがて明治維新を迎え日本が歩いた道そのままに、喜びも悲しみも共にしながら今日に至っています。長崎市に編入された四十年、埋め立て完成から二十六年、全くその姿を変えた深堀は自分の生きてきた道がいつも発展、刷新の道であったことを胸に秘めながらも今も陣屋を囲んで拡がっています。
陣屋跡にたつ教会の皆さん「深堀の教会」になっていきましょう。 


(1994年4月16日「ひろがり」11号より抜粋)
 
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