仲知小教区
キリシタン移住200年の略史
1797 外海のキリシタン、五島へ移住開始
1815〜30 西彼杵・神ノ浦の七右衛門・チエ夫婦他6組の夫婦によって江袋の開拓が始まる。
1820〜30 西彼杵黒崎村の島本与治衛門・ツヤ夫婦他2組の夫婦によって島ノ首の開拓が始まる。
真浦与助・ナツ夫婦と島本宇吉・トメ夫婦によって真浦の浜の開拓が始まる。
1830〜40 種蔵・エノ夫婦他2組の夫婦によって久志の開拓が始まる。
真浦栄作・トメ夫婦と真浦善吉・ミキ夫婦によって真浦の山手の開拓が始まる。
大水安五郎・マミ夫婦によって大水の開拓が始まる。
1860〜70 赤波江三吉・ソノ夫婦等によって赤波江の開拓が始まる。同じ頃、山添兵蔵・オモ夫婦によって一本松の開拓が始まる。
1865.3.17 大浦天主堂で信徒発見
1866.2.5 クザン師、上五島最初の巡回
1866.10.21 プチジャン師、司教に祝聖される
1867.5.2 野首と瀬戸脇のキリシタン10名が長崎で受洗し、信仰を表明する。
赤波江助作、長崎で受洗し、信仰を表明する。
1868(明元)9 五島崩れが始まる。竹谷一族離散、竹谷喜蔵・ミツ夫婦は竹谷の開拓者となる。
1869(明2)4.26 江袋の本島五郎八と谷口熊吉は長崎で受洗し、伝道士となる。
1869(明2)10 真浦栄作・栄吉親子等、仲知のキリシタンは長崎で受洗し、信仰を公表する。
野首、瀬戸脇、仲知のキリシタンは平戸で迫害を受ける。その後、仲知のキリシタン34名は久賀島へ避難する。
江袋の今野与八、長崎で受洗。
1870(明3)〜
75(明8)
米山の白浜忠兵衛・スエ夫婦、山田鉄平・サト夫婦、山田斧右衛門・トセ夫婦によって、米山の開拓が始まる。この頃、新開き(久志)の開拓も始まる。
地元の伝道士の活躍により、120人余のキリシタンが長崎で受洗し、信仰を表明する。
1872(明5)10.13 大水の大水直助と大水留吉は長崎で受洗し、信仰を公表する。
1873(明6)2.21 キリスト教禁制の高札の撤去。
1873(明6)6 江袋の信徒、楠本三吉、川端音吉、谷上米造等21人は曽根郷民より迫害を受ける。
1877(明10)7.11 パリ外国宣教会司祭マルマン師、上五島へ巡回。
1878(明11)2.26 フレノー師上五島巡回司祭となる
2月26日 江袋巡回
2月27日 仲知巡回
3月2日    野首巡回
1879(明12)7.26 フレノー師より、伝道士と伝道婦の養成が始まる
(伝道士の養成は江袋、伝道婦の養成は仲知)
1880(明13)4 五島は上五島と下五島の2地区に分けられ、上五島の司牧はブレル師、下五島はマルマン師が担当となる。
鯛ノ浦に養育院が創立される。
仲知をはじめ、上五島の各地で大洗礼式が行われる。
この年から1883(明16)年にかけて40余のキリシタン集落の洗礼簿が作成される。
1881(明14) 仲知教会、大水教会、瀬戸脇教会新築落成
1882(明15) 江袋教会、野首教会新築落成
1884(明17) 赤波江教会新築落成
 

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