仲知小教区
キリシタン移住200年の略史
1885(明18)4.16 ブレル師と12信徒の遭難。
クザン司教着座(長崎司教在位26年)
1885(明18)7 フレノー師再度上五島の司牧を委ねられる。
1886(明19) 江袋に小神学校が創立される
結婚障害の免除を受けた夫婦の結婚台帳の記録が始まる。この頃、江袋で『十字架の道行』の信心業が始まる。
1887(明20)3.17 江袋の島田喜蔵師、五島最初の邦人司祭として叙階される。
1887(明20)4 ブレル師らの墓碑建立。クザン司教司式による荘厳ミサ。(鯛ノ浦)
1887(明20)10.18 仲知をはじめ上五島の各地で荘厳な初聖体式が挙行される。
1888(明21)12 デュラン師、上五島地区の巡回司祭となる。
1889(明22)4 五島は上、中、下の3地区に分けられ、奈留島を除いて上五島の司牧は引き続きデュラン師に委ねられる。
江袋教会が主任座教会となる。
1890(明23)5 上五島小教区の死亡台帳の記録が始まる。
1891(明24)5 上五島小教区の堅信台帳の記録が始まる。
1892(明25)5 ベルトラン師、上五島地区巡回司祭となる。
1893(明26)5 ペルー師五島列島の主管者となる。
この年からペルー師の指導の下に五島全体で孤児の救済事業が活発に行われる。
デュラン師、救済した孤児17名に洗礼を授ける。
1894(明27)9 本田藤五郎師、上五島地区の担当司祭となる。
上五島小教区結婚台帳の記録が開始される。
1896(明29)9 クレンペーター師、上五島地区の担当司祭となる。
大瀬良の離れキリシタン18名が、教会へ集団帰依する。
1899(明32)2 デュラレー師、上五島地区の担当司祭となる。
1899(明32)9 青木兵助師、青砂ヶ浦小教区の初代主任司祭となり仲知地区はその巡回地区となる。
1901(明34)5 道田高吉師、仲知地区の担当司祭となる。
仲知地区の専用の洗礼台帳、死亡台帳、結婚台帳の記録が開始される。
1903(明36)9.6 米山教会新築落成祝別式、ペルー師司式によって行われる。
1905(明38)7 萩原浩師、仲知地区の担当司祭となる。
1906(明39)5 中田藤吉師、仲知小教区初代主任司祭として着任。
司祭と修道者の召命――1906(明39)−1914(大3)
トラピスト修道会入会・谷上末作、赤波江雪好。
鯛ノ浦養育院入会・楠本カナ、高尾キワ、滝下リス、白浜ユキ。
セシリア修女院入会・田中ハツ、赤波江トセ、竹谷リエ。
生活困窮のため信徒の移住が始まる。――1906(明39)−1914(大3)(上神崎への移住は5家族、田平への移住は10家族)
1908(明41) 野首教会新築落成。
1911(明44) 江袋と仲知の伝道学校廃校。
1913(大2) コンパス司教、長崎教区着座(在位14年)
1914(大3)5 永田徳市師、第2代主任司祭として着任。
 

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