使徒ヨハネ 入口 勝師

1961(昭和36)年〜1971(昭和46)年

 
思い出(3)

召命の恵みに感謝して
お告げのマリア修道院 浦上サンタマリアの家
米山教会出身
                    シスター 山田繁子
 
山田繁子シスター
本部修道院での誓願式祝賀会会場で奉仕する山田シスター

 五島キリシタン移住200年を記念し、その歴史の重みの足あとを辿りながら先輩たちの信仰の源泉にふれることを心からうれしく誇りに思います。

 明治11年パリ外国宣教会フレノー神父様が最初五島に派遣され、地元数名の乙女たちを集め伝道学校が創設されました。4年後、江袋に聖堂が完成し、先に要請された乙女たちが師の巡回指導の下に教え方として努め信者と共に歩み出したのです。この教会誕生後間もなく先輩姉妹たちの共同生活「セシリア修女院」も誕生したのです。

 明治36年仲知教会は小教区として独立し、初めて主任司祭が江袋に着任することになりました。(昭和7年頃、仲知が主任座となる)まだ交通の便も発達していなかった時代、司牧にあたられる神父様方のご苦労は想像を絶するものがあったと思います。

 遠隔地にある巡回教会への舟便は天候に左右され、長時間かけて道なき山道を徒歩で巡回されたご苦労を先輩姉妹たちが語ってくれました。しかし、その中にも人情味あふれる神父様と信者たち、そして修道姉妹の一つ一つのドラマが汗と苦難を共に捧げてしのいだ心の喜びが私たちにまで伝わってくるようでした。そのご苦労の上に今日のりっぱな教会共同体があると思います。

 私の幼少時代まだ教会を中心として生活が織り成され、大祝日が来ると晴れ着に色をそえたごちそうなど、ほのぼのとした外的な準備がなされ子供心に弾んで教会へ行ったものでした。

 つわの花の咲く頃、幼い弟、妹を背負ってロザリオの務めに出かけ老若男女でロザリオを唱え、眠って重くなった弟、妹を両手でしっかりと背負いなおし各々の家路につく。この家族的雰囲気がとても温かいものとして今も背中に残っています。諸聖人の祝日には、全免償と云って聖堂を何度も出入りし、定められたお祈りを唱えながらその恵みに与かろうと務め死者の月を迎えたものでした。
 
 

米山教会でのミサ風景
同上
同上

 私は先輩姉妹たちの教会奉仕、福祉活動を通してオルガンを弾きながら教えることにあこがれ「修道院に来んか」との呼びかけにためらいながらも応えたのでした。あれから30年余、このような教会共同体の中で育まれた信仰の実りが私の今の修道生活の霊性に深く関わり、教会暦と共に幼い日の身体にしみこんだふるさとの共同の祈りがよみがえり素朴なありのままの姿を父なる神様にそのままお献げできるような気がしています。仲知教会建立にあたっては、故永田神父様のご献身により信仰の生きたしるしとして、苦しい中にも労働と献金で立派な教会ができました。

 200年間の長い歴史の中で迫害に耐え自分たちの信仰を貫き通した先輩たち、その方々の鮮血の鼓動が今日の私たちに脈打っているものと思います。そして信徒の素朴な信仰生活が多くの司祭、修道者を生み出し各々の場で活躍しています。それは、かつて神学生志願者時代、主任神父様をはじめ地域の皆様の温かい励ましと声かけ、祈りによって育まれ、多くの実を結んだものと確信しています。

 修道生活24年、そのほとんどを地元仲知で過ごし、先輩たちが吹き鳴らしていたほら貝にかわる鐘楼の快い響きと共にマリア様のFiatの賛歌を捧げることができました。
 

本当に幸せに思います。そして現在、故郷を後にして更にそのよさが身に染みているこの頃です。澄んだ大空に広大な海、信徒の信仰と汗のにじんだ誇り高き教会、そして海辺の小高い丘に静かに眠る先祖たち、私の心にはいつも変わることのない純朴なふるさとがあります。
 
米山教会周辺

 今、自分の召命をふり返る時、私の生涯はすべて神の計画のうちに導かれているように思います。予期しない時、予期しない方向に奉献生活が展開していきます。ナザレのマリア様のように……。恵みに逆らうよりもむしろ望まれるままにそれを受け入れ胸さわぎを静め、おだやかに受け入れさせて頂いて神様の色に変えられていくように思います。この信仰の恵みもみんな教会共同体から頂いたものです。

 ナザレの聖家族にいつもかえり、素直な心でこれからの修道生活を皆様への感謝をこめて、日々新たに召された者としての喜びと誇りをもって歩み続けたいと思います。大聖年に向けての歩みの中で旧約時代、ノアが人々に笑い者にされながらこつこつ箱舟を準備したように私たちも聖霊の特別な照らしを受けながら意識を高めたいものです。

 21世紀の扉が開かれようとする大切なこの時期、神様が望まれる教会の姿に成長するため、まず祈ることからその第一歩が始まります。朝夕の祈りの中に、日々くり返すロザリオの祈りの中にみ言葉と愛のみ業の中にキリストはあるべき姿を示して下さいます。

 仲知小教区、長崎教区そして全世界が地球家族として心の精神的価値観を高めるよう努力しながら、祈りの宣教者として共に歩むことを願っています。移住200年の節目に一人一人聖霊の息吹に動かされて御父のもとに立ち返る恵みが与えられますように心からの祈りをささげます。これまでに頂いたすべてのお恵みに感謝して。

思い出(4)、 幼い日の思い出
    お告げのマリア修道会シスター 真浦茅乃
 
真浦茅乃シスター

 気分が落ち込んでいる時、神様は突然と仲知の海を見る時を与えて下さる。仲知の海を見ると何故かほっとする。「故郷だからさ。」と言われればそれまでだが、やはり私の血潮が海を求めているのかも知れない。幼い頃、遊び場は海が多かった。夏はもちろん水泳で、首瀬からの飛び込みをしない日はなかった。ごろべも海岸沿いが多かったのでよく取っていた。みな取りや貝堀もした。けいこや祈りの鐘が鳴るまでよく遊んでいた。

 教会は今の修道院の所にあり、けいこ部屋は階段を20段程下がった所にあった。一枚板で下はスッポンポンのため寒かった。鐘が鳴ると浜から走って行って教会の左門の前に水道があったのだが、水道の奪いあいであった。

 5月と10月は、マリア様の月で先唱者は、2階にあがってしていた。2階に上がるのは、魅力的であった。ちょっといい気分になっていた。歌の先あげも先唱者がしていた。今思えば、舌足らずのものがよくしていたなと思う。その頃は、あまり意識していなかったのかもしれない。

 教会には毎日、母から起こされてミサに行っていた。どうして真浦に教会があるのだろう。もっと遠くにあればいいのにと思ったものだ。母は、ミサに行かせるように作ったのではないと思うが、着物を縫ってくれた。私はその着物が気に入り、それを着て冬ミサに行っていた。

 冬といえば、小学校時代、クリスマスのミサは、夜の12時であった。クリスマスとお盆の時は、新しい洋服を着て教会に行っていた。クリスマスの夜、新しい白いオーバーを着て、松明みたいなものを持って行った記憶がある。あちこちから松明の火が行列となって教会に集まってくる。ミサは、仲知教会だけなのですごい人出であった。12時から始まるので、ミサ中は眠かった。聖体拝領も多かったので、うつ伏せになって寝たこともある。

 私の小学校の頃は、黙想も仲知であってたので子供たちがいっぱいだった。教会の右側は、米山方面の人が陣取っていた。教会の外堀のセメントの上に立ったり、座ったりしていた。同じように左側は、大水、小瀬良の人達がいて右前のあこうの木には、一本松、左側の木の方には、江袋、赤波江と大体決まっていた。

 白い教会に二本の木は溶け込んでいた。あこうの木には、男の子達がよく登っていた。そこで公教要理を覚えていたようだ。
 
旧仲知教会

公教要理を覚えるのがけいこの日課だった。成績は忘れてしまったが、五年生の頃、長崎で教会別要理大会があった。マリア学園の校庭に並んだのを記憶している。10人くらい行ったのだろうか。

 仲知、だれが考えた名なのだろう。カトリック信者のみが暮らす所、今、道が舗装され車が通るが私たちの幼少の頃は、すべて徒歩(かち)であった。以前は、狭い道のでこぼこ道で私たちの徒歩(かち)よりもっと大変なへんぴなところだったと思う。信仰を守るために住みついた所。

 小学校の頃、先生方がまず赴任して驚くことは、全校生徒がカトリック信者であることだった。その頃は、祝日が日曜日ではなかったので普通の日になることがあった。普通の日にあたると守るべき祝日なので学校も休みであった。教会が中心で堅信のテストなども大人数なので学校を借りてした事もあった。今では、とうてい考えられないことである。

 仲知に帰ると仲知時間と言ったらいいのか、なぜかゆったりできる。言葉でも行動でも気持ちが通じるというのか、まさしく仲知なのである。お互い手をさしのべ、いつしか皆、助け合っている。外海地方からキリシタンがこの地に住みついて、その信仰の遺産は、この仲知という言葉に凝集していると思う。

 家から見下ろす仲知の景色はいい。昔の修道院とその鐘楼は、夏休みの絵の題材だった。一度銅賞ぐらいになったことがある。夕日にアンジェラスの鐘が鳴り響く。私の召命もこの鐘の鳴り響きが心にいつしか育っていったのかもしれない。母がよく宴会の時に歌う歌がある。

 五島なあ
 五島 仲知は 天国に響くよ
 サンタマリアの サンタマリアの天主堂
 さーさ 来んのよ 語らんの
 祈るこの手で 祈るこの手で 天国だ
 パウロも私たちの国籍は天国であるとっている。仲知のアンジェラスの鐘がいつまでも人々の魂に響くことを祈りたい。
  

「仲知小教区史」より
 
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