メルキオール・岩永 静雄師

1936(昭11)年〜1940(昭15)年
 
6、この時代の堅信式について
 この時代の堅信式は尋常小学校6年から高等科に在学中の児童、生徒で要理の準備を修めた者が授かった。(今日の長崎教区では里脇枢機卿の時代から中学生だけが授かるようになっている。)

 この儀式は信仰面での大人になる儀式である。その時代の状況を反映して「キリストの軍人さんになる」とか、「キリストの兵士」になるとかの表現に現れているように、堅信とは長期にわたり信仰教育を受けた子供たちが聖霊のお恵みを受け、その信仰を言葉と良い行いで世の人々に伝え、神の愛の証人となることである。

 このために、堅信志願者の年齢に達した児童は約3年間、学校が済んだ後、息つく暇なく毎日近くの教会付属施設の信徒集会所等に通い続けて暑い夏も、寒い冬も教え方から厳しい稽古を習った。

 この稽古でどの子供たちも公教要理一冊どこから質問されてもすぐに答えることができるように徹底的に記憶させられた。

 稽古の時間に不真面目な態度をとったり、隣の友達とおしゃべりをしたりして注意されても言うことを聞かなかった場合は容赦なく叱られていた。青竹でお尻を殴られることもよくあった。事前に教え方の鞭を隠すいたずらをしてそれが発覚したときなどは逆に鞭でこっぴどくたたかれていた。 

 堅信が近づくと司祭が定住する仲知教会でも巡回教会でも教え方は定期的に模擬テストを行い、その結果はその都度主任司祭に報告された。報告を受けた司祭は司祭で日曜のミサの後など、あるいはそのためにわざわざ子供を教会に集めて教え方や親の前でテストを行うことは珍しいことでなかった。

 堅信のためのこのテストに合格するか、しないかは子供にとってもその親にっても大きな関心事であり、真剣だった。

 公教要理の稽古では箇条書きにされていたキリストと教会の主な教えを字義とおりに記憶することに主眼が置かれていたので記憶力の弱い子供や努力が少しだけ足りなくて司祭のテストに不合格になる受堅者もいた。
 
 しかし、不合格になると次の堅信式まで後3年間待たなければならなかったし、高等科1、 2年生で不合格になった子供は学校卒業すると県内県外に就職していて堅信を受ける機会を失ってしま うことになりかねない。

このような場合は、その親と教会の責任者であった宿老とが仲知の司祭館まで出向いて堅信式を受けさせて下さるようにお願いしていた。
 
 このような雰囲気であったので、子供たちは堅信が近づくと、家でも野外でも要理の本を手にして暗記するのに一生懸命であった。

 堅信の直前になると、この地区では堅信の準備のために3日間の黙想会があった。

 このときはすべての子供たちが仲知教会に集められ、主任司祭の指導によって祈り、堅信ミサの聖歌の練習、赦しの秘跡、ミサ、説教、ロザリオ信心などの盛り沢山のスケジュールで鍛え上げられた。

 巡回教会であった野首、瀬戸脇、米山、赤波江、江袋、大水、小瀬良教会の受堅者はこの黙想会と堅信式に与るために仲知教会近くの信徒の家に4泊も5泊もして教会に通っていた。
 一本松地区と竹谷地区の受堅者も同じであった。詳細については後で記すことにする。

お祝いの言葉
 昭和13年 伝道女学生
 私どもの愛し奉る岩永神父様
今日は神父様の霊名日、心からおめでとう申し上げます。
私どもはあまりの嬉しさに何かいい物をご祝儀として差し上げたい気持ちでいっぱいです。

 しかし、神父様は常日頃「私は何もいらない、あなたがたが申し分のない伝道女になること、唯一それだけだ」 そのお言葉を思い出して、神父様のお望みとおりの生徒として今日から心をあらたにして頑張ることをお誓い申し上げます。

 これまで私どもは校則を破り、勉強も怠けたことなど神父様や先生を悲しませましたが、卒業を間近に控え、いっそう気持ちを引き締めて神父様がお望みの立派な伝道女になるよう、今日めでたきよき日を記念して努力邁進いたします。

 そして、つまらないながらも、ごミサのなかで神父様がいつまでもご壮健にて司牧されますようお祈り申し上げます。
 
 
仲知教会の守護の聖人聖ヨハネ五島(日本
26聖人殉教者の一人で五島出身、19歳の
殉教)この写真は二年前に撮影し現在仲知
教会の内玄関に飾っている。
同上、
教会学校のために教会前の広場で遊んでいた小学1、2年生
将来の夢はシスターになること。平日の早朝ミサに熱心に与っていた。

光世さんのコーヒーブレイク
1、
 岩永師についてのページを作成中(平成13年1月10日)に1月8日の成人の日が荒れに荒れた、ということがマスコミで取り上げられていました。

 堅信式はキリスト信徒のいわば成人式であることから、この社会問題とは少しかかわりがありますので、この問題についてほんの少しだけ私の考えを述べてみたいと思います。

 マスコミの報道によれば、高松市で日本酒の一升瓶を回し飲みしていた新成人が騒ぎ、挨拶する市長にクラッカーをぶつけたなど、けんかや暴力沙汰が全国各地で起きた、という。

 学校や家庭だけでなく、成人式が荒れ始めたのは昨日今日ではなく、数年も前から問題視されていたからそれほどの驚きではないけれども、それにしても分別ある大人になったことを祝ってもらう公式の会場で荒れるとはなんともみっともないことである。

 どうしてこうなってしまったのだろうか。

 これもまた、簡単に解決できるようなものではなく、問題を起こしている成人の家庭のしつけとか、学校教育とか、豊かになった日本の社会構造にまで問題解決の根を探さなければならないのだろうから、私にはわからない。

一つだけ言わせていただくなら、次の通りである。

  戦後、日本の公立校では宗教教育は一切教えられない。
 だからでしょうか。現代の日本人の多くは宗教に対して無関心であり、神にたより、祈ろうとはしない傾向がある。そればかりか、社会はますますカネやものを追求し、物質主義的になっていき、お金や物があって豊かな生活ができればよいのであって、祈りとか神とか別に必要とはしない社会へとなりつつある。

 このような無神論的な社会的雰囲気と構造のなかにこそ問題があるのではないでしょうか。

 もちろん、日本人も初詣など祈りの習慣があり、神を求める宗教心はあるのでしょうけど、問題はそれが一時的な現象に終わって生活の価値観や生き方にまで十分浸透していないような気がしてならない。
 こう思っている日本人は私一人だけなのでしょうか。

 私が小学校時代に習った「公教要理」のなかで一番最初の質問に「宗教とは何ですか」という問いがあり、「宗教とは神に対する人の道であります」とありました。

 キリスト教によると、人間は神によって創られた存在です。
神を信じようと信じまいと、神の計り知れない救いの計画によって存在するようになった。
 だから、ひとはみんな神のため、神に仕えるために神とともに生きることが人生の目的である。

 私はこのように教えられて幼少時を過ごしまして育ちました。
 勿論小生はこのようなキリスト教の価値観を人に押し付けようとは少しも思っていません。

 宗教のことや信仰のことに触れること事態が拒絶反応やアレルギーを感じさせるような状況のなかで、こうして宗教の問題についてちょっとした発言ができることをむしろ感謝しているくらいである。

 また、岩永師時代の初聖体、堅信式の状況を調査していくうちになぜか、このようなことをわれにもなく発言をしてみたい衝動に駆られました。

 昔のこの地区の宗教的な雰囲気は私たち自身が今失っていてそれをとり戻したいという思いを持ちながら発言させていただきました。片田舎の中年神父がこのような発言ができるのもインターネットのおかげでなんでしょうけど・・・

 
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