ペトロ 永田 静一師

1975(昭和50)年〜1979(昭和54)年

 
 
 


 
―永田師倒れ、山田夫妻永田師を見舞う

 永田師は新築した米山教会内陣の2階に司祭が巡回した時などに休憩するための部屋を造っていたが、これからの話はそれと関連のある話である。

 師は普段米山に巡回した時にはミサが済むと直ぐ仲知に戻り、この2階の休憩所は余り利用していなかった。しかし、昭和54年9月頃は体調を崩していたので、日曜日の早朝ミサを米山で行う時には前の晩から米山に宿泊する予定を組んでいた。同年9月末のこと、この計画に基づいて前の日の土曜日の夕方、米山へ自家用車で向かった。
 

ところが、車の運転中に具合が悪くなったので、病院に行って点滴でも打って貰おうと思い、立串診療所へ向かったが、その途中、診療所の直ぐ下の溝に脳卒中で倒れ、近所の人に発見されたのは翌日の早朝のことであった。

 師が病気で倒れたという悲しいニュースは、たちまちその日の早朝にミサが予定されていた米山の信徒だけでなく、仲知小教区内のすべての信徒に知らされ、病状を心配した信徒を代表して各教会の宿老、賄をしていた中村さんなどが緊急に入院することになった立串診療所に駆けつけた。

 午後には丸尾小教区に堅信式で見えていた松永久次郎司教もお見舞いに見えられたが、病状が落ち着いた段階で熊本のイエスのみ心病院で治療とリハビリをすることになった。その後は、長崎の三ツ山原爆老人ホームで療養するようになったが、このときに山田夫妻は師を見舞っている。

 このとき師は脳卒中から来る後遺症で半身不随の状態であったが、懸命なリハビリのおかげで杖をついてホーム内を歩いて、普段ミサを捧げている部屋、施設内の各部屋の案内、それに、米山の信徒が入所している部屋も案内してくれた。

 その後、永田師は1時間ばかり自分の部屋で、病気で倒れた時の心境などを夫妻に語っている。

― 「運転中に体がきつくなって来たので、車をいったん止めた後、道端にしばらく休憩しているつもりであったが、その後のことは分からない。」

― 米山教会信徒会館など米山教会でもまだやり遂げたいことがあったのに、このようになりいかにも無念である。

 最後に山田氏の永田師についての気持ちを聞いた。

― 米山教会、仲知教会、司祭館を造った直後に休まる暇もなく倒れたのが残念なか。新築した司祭館に3ヵ月ほど住まって貰ったことがせめてもの慰めであるが、もちろん、それだけでは十分でない。ご冥福を祈る。

感謝

 編者は平成6年4月15日から平成13年4月26日までの7年間、まさに永田師が命をかけて愛した仲知小教区で司牧させてもらった。その際、永田師の形見である米山教会、仲知教会では毎日のようにミサを捧げる名誉を受けた。特に仲知の殿様屋敷とも言うべき立派な鉄筋コンクリート造りの司祭館に住まわせてもらってとても幸せものであった。永田師と仲知の信徒の皆さんには深く感謝を表したい。
 
 

米山教会新築工事の写真集を特集

仲知教会新築工事、仲知司祭館新築工事

仲知教会新築工事
所在地 南松浦郡新魚目町津和崎郷986番地
設計  青山建築設計事務所
施行  株式会社辻組
工期 着手 昭和53年5月10日
    完成 昭和54年12月10日
請負代金 8千3百50万円
構造  鉄筋コンクリート
敷地面積 2、443.295平方メートル
軒高 13.100m
外壁の高さ 15.100m
 
 
新築落成した仲知教会(昭和54年12月)

仲知司祭館新築工事

所在地 南松浦郡新魚目町津和崎郷986番地
設計  青山設計事務所
施行  株式会社辻組
工期  昭和53年9月〜昭和54年2月
請負代金 2、440万円
構造  鉄筋コンクリート
 
 
仲知教会司祭館

仲知教会新築工事の必要性

 真浦浜の直ぐ近くにあった旧仲知教会は、米山の教会が新築された昭和53年ごろには老朽化し、シロアリの被害が教会の隅々にまで及び立替の時期を迎えていた。丁度その頃に墓地拡張工事が行われたさいに信徒の間で仲知教会新築工事の話が持ち上がった。
当時建設委員の一人であった山添愛次郎氏(72)は建設の経緯について次のように語った。
 

 「現在仲知修道院が建っている場所にあった旧教会は何度もシロアリの被害を受け、そのたびに修理を施していた。ところが、修理の甲斐もなくシロアリの被害は細部にまで及び、もはやその被害を食い止めることが出来ない状態になった。このような状況であったため、昭和51年9月から一戸当たり5,000円の積み立てを開始し、翌年4月には10,000円に改定し少しづつであるが、信徒一同教会建設に向けて準備をしていた。

 ところが、昭和52年の6月末の集中豪雨で旧墓地の石垣が蛇行し崩壊の危険が発生した。そこで、昭和52年7月、総会を開催し墓地改修工事について熱心な討議を行った。その結果、旧墓地は手狭になっていたこともあって満場一致で墓地拡張工事が決まった。建設委員長は久志半助氏、副委員長は久志伝氏に決まり、設計施工は丸尾の野中組と1 300万円で契約、昭和52年7月着工し昭和53年3月に完成。一戸当たりの信徒の負担額は12万円で寄付金は85万円あった。
 

写真の写り状態は極めて悪いが、拡張工事直後撮影した写真としては価値がある。
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 この墓地拡張工事中に信徒の間で誰彼となく教会建設の話が持ち上がり一気に建設することが決まった。」

仲知教会の特徴

1、教会の屋根が全体的に高い。
 低い所でも13メートル、高いところは15メートルもある。
このために教会内に入ると実際の床面積よりも大きな教会に見える。それは外観も同じであり、大屋根の上にそびえる十字架までの高さは18.6メートルある。
2、煉瓦色の外壁とスペイン製の色ガラスがマッチしていて落ち着いた色合いを見せている。
3、建物は仲知の信徒の職業が漁業であることを考慮し遠洋巻き網船の本船の形をしている。
 

 

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