ガブリエル 西田 忠師

1947(昭22)年〜1953(昭28)年


思い出(4)
 
 神様からのプレゼント

 宮崎カリタス会シスター 濱口ルシア

  「うたのはじめはドレミ」と歌うように、「今日のはじめはミサおがみ」!朝まだき、大人も小人も教会に向かって歩き、顔を合わせ、心を合わせ、手を合わせて、神様に礼拝、賛美、感謝を捧げ、神様からの祝福をいただいて一日がスタートする。
日曜祝祭日は、あの大きいと思ってた教会も入口の外まであふれて、野外ミサのよう。育児中のお母様方は赤ちゃんをおんぶに抱っこで、そーっとあやしながら、神父様のお説教に耳を傾けようと、一生懸命の姿が浮かびます。平日のミサにも、竹谷、江袋方面からの学友たちも毎日一緒だったので、教会は友達いっぱいで楽しく、各家族のメンバーも知り、いつの間にか、よく「知」り合った「仲」、まさに「仲知」でした、ナーンテ。
 
上・下 昭和52年11月25日、米山教会献堂式ミサ風景
大曾教会へ巡礼 2000年6月

 それなのに、私は、ある冬の寒い朝、「すぐ起きるから」と言って、そのままミサに参加している夢をみて、気がついたらフトンの中だった。親兄妹が帰って来たら何と言われるか覚悟してたら、その通り母に「こん子がまぁ、行ってると思ってたら(なんとかかんとか・・・わすれた)」と叱られた。父は「神様から祝福がもらえなかったね、今後気をつけんばねー」と、寂しそうなまなざし(いつも寛容な愛で包んでくれる父が大好きだった)。これからは2度としないようにしようと思った。それに一日中きまり悪かったし。以後ミサが終わると神様から祝福をいただけたのだと、子供ながら心が洗われたような気持ちだった。

・あんな事もあった
 
米山の信徒仲知教会へ巡礼 2000年6月

 その日、柱時計が止まっていた。(当時貧しい我家には目覚し時計なんてなかった)「そろそろ起きてミサに行くよ」と、兄から起こされ、(いつもは父母の声だけど)「ミサに行くってしおっとか、まだ早いと思うけどムニャムニャ」っていうことを言いながら親も起きたけど、兄は当時島本神学生(現島本大司教様)から、侍者の務めを学んでいるということが何よりの楽しみのようで、我々妹3名は起こされ、兄のパワーに乗って、親より先に教会に行った。ところが、教会の時計は、たしかAM4:00か4:30(はっきり覚えてないが)「もぅ!」と思ったけど、「やっぱり早過ぎたな、どうしようか、寝て待つか」と責任を感じている兄、6才の妹がかわいそうだけど、2階上がり口のところにうずくまって、兄は2階にミシミシ上がって行った。

 しかし私は教会に最初に入って来る人に見つかったら早過ぎたことが恥ずかしいから、タイミングよく席に座らなければという心配でうとうとしてた。そのうちミシミシと音をしのばせながら兄が降りてきて、「起きたとか」と言って、すぐ誰かとしゃべりながら香部屋に行き、そのあと次々と誰かが入ってきて祭壇の方ばかり向いてサッサと座るので、私もホッとすまして座った。別に何も心配する必要はなかったのです。その後の夏休み中も、兄から急いで起こされ、ミサ前に学校のグランドの一角に集まって(久志の生徒も一緒に)、電池で組み立てたというミニラジオ(兄作)で、ラジオ体操をしてから、大走りでミサに行ってた小学生時代も懐しい。

・こんな事もあった

 ある夏のミサの帰りのことです。教会ルルド側の石階段を上りながら、ふと目の前の木の枝で、なんと!セミの脱皮の瞬間に出会ったのです。みんなに知らせようと思った時は、もう足早なみんなは学校があるので後ろ姿のみ。大声を出すとセミに気づかれる。サナギの背中から、柔らかそうな黄緑色のヨレヨレの羽が出てくる、しばらくするとパチッとひらいて、とてもきれいな羽!セミに変身したのです!そして静止したまま。ここまで息をのんで観てた。きれいな黄緑色の羽が黒くなるまで静止かな?と思いながら学校があるので帰り、その日の夕方稽古の時、現場に行ったらぬけがらの足が枝にしっかりとくいこんでいた。
新しい生命の誕生のために一生懸命だったのでしょうか?

 その後2度と見る事が出来なかったけど、その日ミサに行った事がとても幸せな気持だった。それに黄緑色の薄い羽がきれいだった事「きっとこんな私に憐れみ深い神様からのプレゼントだった
かも・・・神様ありがとう!」と、心の奥深いところで言ってた事を今でも鮮明に覚えている。
 

 仲知には緑の山があり、青い海がある。神様の傑作の大自然を肌で感じ、心の奥深い所で感じることが出来る。そんな仲知で伸び伸びと育てられ、皆と一緒に楽しかった保育園時代の西田神父様から初告解や初聖体を、それまでの過程はお告げのマリア会のシスターに学び、小中学生時代の毎夕の稽古は、おもいっきり遊びの続きのスリルで、要理の暗唱は1日にたしか5問でしたがその時間内に暗記してしまおうと頑張って、一冊を2〜3回終了した気分で良く遊び、みんな仲良しだった。これも、歴代の主任神父様をはじめ、お告げのマリア会のシスターズ、教え方さん、お互いに支え合う信徒の皆々様のお祈り、犠牲のおかげです。
 
上・下 昭和53年12月、仲知教会落成ミサ風景

 それに貧しく暮らした親自身の素朴な、ありのままの心の姿勢、何を見つめて生きているのか、言葉に出さなくても、いつの間にかその後ろ姿で子供達にも理解出来、しっかりと伝わる宣教の証となっていると思います。そして、天国への道となっていくことも。

 今日も又、昨日の疲れをいやし、神様の祝福の新たなエネルギーをいただいて、その恵みを隣人とすべての人と乾杯出来ますように・・・。

思い出(5)

先祖の信仰に生かされて

  聖パウロ女子修道会シスター 峯下ハエ子
 

 「えっ?まこての」と驚きに目を輝かせて聞いたのは、私が中学生のころだったと思う。一人のおじさんが何かのついでに「私たちの先祖は長崎の黒崎方面からきたとっちよ」と話してくれた。

 そのことがきっかけになったのか、『五島キリシタン史』を興味深く読んだ。雨の日、父が庭仕事をしているそばで、上五島の迫害の箇所を読んで聞かせたこともある。初めて知る先祖の信仰に感動してのことだった。

 でも、いつしかそのことは心の奥にしまい込まれた。自分の故郷を何と辺鄙な所だろうと思うようになり、私もまた若者の憧れである都会への就職を夢見ていた。ところがその矢先、伝道学校へ行くようにとの話があり仕方なく従うしかなかった。
 

 
江袋から眺めた大水集落
 しかし、しぶしぶ受けたにもかかわらず、神様のお計らいは私の価値観を変え、教会に奉仕している間に修道召命を芽生えさせてくれることとなった。そこで「教え方」の期間終了後、聖パウロ女子修道会に入会した。

 そこでは、聖パウロを保護の聖人とし、教会の外に向かって福音宣教をすることを第一の使命としていた。志願者もその精神で教育を受け、初めから宣教活動に従事した。片田舎から出た私にとって初めて見る東京は目を見張るばかりで、大先輩についていくとはいえ勇気のいる宣教の働きであった。それは、自分たちの手で出版した雑誌を人々に届けるという仕事である。

 訪問先は大都会のビル街や大邸宅、一般庶民のアパートや商店街、人々の住む所はどこでも。当時私たちは快く迎えられ会社や家庭を軒並みに歩き、たくさんの人に出会った。

 20代の私がこの出会いの中で学んだ第一のことは、多くの人が苦しみを一人で背負い孤独の中に生きているという事実だった。社会的地位に満足しているように見えても、人がうらやむような大邸宅の中で何不自由なく生きているように見えても、心は病んでいた。共に涙することもあった。そんな時私は、この人たちが信仰を持っていたら、天国を信じていたら、苦しみの受け方が変わっただろうと強く思った。

 こうした出会いの中で私は今さらのように気づかされたことがあった。それは自分が受けていた信仰の恵み、信仰に生かされていた自分、信仰は宝だということである。

 それから数年後、久しぶりに見る故郷を、新たな感動をもって眺めたことを今でも思い出す。村のたたずまいから、先祖の信仰が伝わってくる思いがした。すり鉢になった山の中腹は人目を避けるには格好の場所である。あのかけがえのない宝のために、禁教令の弾圧を潜り、ここを安住の地としたのだろう。

 中央のひときわ目立つ教会を取り巻くように耕された段々畑に、その生きざまが偲ばれる。一途に神の教えに生き、貧しさに甘んじ、あらゆる不便を忍んでも神に命をかけた生きざまが。大水はこうした信仰ゆえに生まれた村だった。
 

 今から2年前、西彼杵郡の樫山に行ったことがある。そこのお年寄りに、先祖のルーツを訊ねようとの目的であった。もちろん過ぎた歴史の事実を知ることは容易ではない。しかし、不思議なことに人影まれなひなびた海辺に立った時、ここが先祖の地だと実感した。だれもが沖合いにあるはずの五島列島の方を無言で見つめていた。そこは、遠い祖先が渡って行った土地である。

 200年前、五島藩の要請により開拓のために移住していったとはいえ、そこには信仰の自由があると望みを抱いていたのであろう。また迫害のさなか小舟に身を託して、ここ樫山から漕ぎ出した者もあるという。当時は「五島はやさしや土地までも」と歌われた。その見知らぬ地に希望をつないでのことだ。しかし言うまでもないが迫害の手はそこにも及んだ。

 修道生活35年の歩みの中で、先祖から遺産として受けた信仰を、私は誇りに思ってきた。しかも生まれながらに、村こぞって育んでくれた信仰は、自分だけのものとは思わない。命あるかぎり神の恵みである信仰を伝えていくことが、私の使命だと思っている。
 

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