イグナチオ・浜田 朝松師


お別れ会 4月19日

 平成13年4月19日木曜日午後6時より、仲知公民館で深堀教会に転任する下口師のお別れ会があった。お別れ会では仲知小教区を代表して米山教会の山田常喜氏がお別れの丁重な言葉があったのでそれを紹介する。

 仲知小教区の信徒を代表し一言神父様にお別れの言葉を述べさせていただきます。
 この度神父様とお別れしなければならなくなったことは、私ども仲知小教区信徒一同まことに惜別の思いでいっぱいでございます。
 

お別れの言葉を読みあげる山田常喜氏
仲知郷公民館で行なわれたお別れ会

 顧みますれば丁度7年前この仲知小教区の主任司祭として着任されると、いち早く主任座教会である仲知教会の窓の改修工事を行って、イエス・キリストのご生涯を物語っている美しいステンド・グラスを導入されたことを皮切りに巡回教会である米山教会、江袋教会、赤波江教会の補修・改修工事を次々と精力的に着手、完成されました。
現在はどの教会も立派な教会となって私たち信徒も信仰心が湧き出て来ました。
 
 そして、信仰教育にも力を注いで下さりごミサの説教なども信徒の心に染み入るような良い説教をして下さって本当にありがとうございました。どこかのお葬式のごミサの説教では「親が亡くなった後、子供達がどんな生活環境に住んでいようとも親から受け継いだ信仰の遺産をしっかりと胸の中に刻み付け染み込ませて、信仰の価値観に従って生きるように励むことが何よりも亡くなった親に対する供養であり、最大の親孝行であるとおっしゃられました。」この言葉なども忘れられない言葉の一つになっていますが、このように私ども信徒の心に刻まれた神父様のお言葉の数々は永久に消えることなく私たちの今後の信仰生活の杖となり鞭となって信仰に励む力となることでしょう。
 
 神父様とお別れすることは私たち仲知小教区信徒一同実に断腸の思いです。
神父様から沢山の経済的、霊的な恩恵をいただきながら何ら報いることが出来ません。しかし、そのご恩に報いるためには一心に神父様からいただいた霊的なお言葉を忘れることなく現代の社会に開かれた信仰を実践して良い信者になることだと思います。

 神父様のこの度の転任は長崎市深掘小教区だと承っておりますが、当地では信徒の司牧を大変だと思いますが、仲知の信徒同様に真心と熱意を持ってその教育と司牧に励んでください。

 私ども信徒一同神父様とお別れすることはとても悲しいことでありますが、神父様の前途のためと神の国の発展のために喜びをもってお送りしたいと思います。

 転任地の深堀教会へ赴任されてからは何とぞおからだに充分気をつけられて聖職にお励みください。7年間の聖務大変お世話になりました。

 簡単ではございますが、信徒に代わってお別れの言葉と致します。
本当にありがとうございました。

米山教会信徒 山田常喜
 
 
 
 

マスコミ情報・長崎新聞

 長崎新聞社の上五島支局長中村修二氏のご厚意により、野首教会で執行した復活祭ミサのことが4月26日の朝刊に載せていただきましたので感謝を込めてその全文を紹介します。ちなみにその日は丁度編者が深堀教会へ旅立った当日で中村記者は有川から仲知までその記事を持ってきて下さったそうですが、間に合わなかった。しかし、彼のご好意に深く感謝申し上げます。
 
 

 
新聞記事切り抜き

 

30年ぶりに復活祭ミサ
祈りささげ 高らかに聖歌

 五島新魚目町の仲知教会の下口勳神父(56)や信徒ら約百二十人がこのほど、北松小値賀野崎島にある野首教会を訪れ、復活祭ミサを行った。同教会は1971年に閉鎖されており、ミサが開かれるのは約三十年ぶりという。

 赤レンガ造りの野首教会は1908年に完成。当時は仲知小教区の巡回教会で、野首集落には17戸の信者たちがいた。47年には野首小教区に独立し、信仰の拠点となっていたが、その後、過疎化が進んで信徒が集団移住したため閉鎖。現在、島では住民4人が暮らすだけとなっている。

 下口神父は、転任で今月末に島を離れることになり「最後の(教会)行事として近くて遠い島となっている野首教会で、かつて島民がしていたようにミサをしたい」と呼び掛けた仲知小教区の仲知、江袋、赤波江の子供から大人までの信徒らと高速船をチャーターして訪れた。

 教会では厳かに復活祭ミサが行われ、ベール姿の信徒らは祈りを捧げ、高らかに聖歌を響かせた。家族4人で参加した山添和美さん(42)は「初めて訪れた。赤いステンドグラスが美しくて目に焼きつき、当時の深い信仰がしのばれた」などと話していた。

平成13年4月26日 「長崎新聞」記事より引用
 
野首教会室内のステンドグラス 上・中・下

 ―感謝―
野首出身白濱清太郎さんからの手紙
 
 
20年ぶりに帰郷した野首出身者達
後列中央が白濱清太郎氏

 

 主の平和
前略
仲知小教区の皆さん、お元気にてご復活祭をお迎えになったことと心よりお慶び申し上げます。

 さて、下口神父様より近いうちに転任されるようなお話でしたが、本日(5月24日)わたし方に長崎市深堀教会からとのことでお電話があり、私にとって大変嬉しいお話を聞くことが出来ました。

 仲知小教区の皆さんには村人去って30年の野首天主堂のことをいつも心にかけて頂いていますが、その建物は文化財として復元してはいるものの堂内は清掃されることなく隙間より吹き込んだ砂埃だらけの所をわざわざ清掃に出向いて頂いた由、信者の皆さんのご好意にただただ感謝するばかりです。
その上、4月15日のご復活祭には野首天主堂でごミサを上げて頂いた由、お掃除から人員の掌握、船の手配などさぞ大変だったことでしょう。

 125人もの多くの信者さんが来堂され堂内に久しぶりに聖歌が流れ、さぞかし荘厳な雰囲気をかもしたことでしょう。
少年時代は巡回教会でしたので野首でお祝日の時は米山、一本松、竹谷、赤波江、江袋、仲知(ノリコシ、久志、真浦、島ノ首)の皆さんが和船を仕立てて西海岸にミサ拝みに来たものです。

 家々には、その日に備えて山からツワをエーで束にして持ち帰り、大鍋で煮しめ半麦飯の混ぜご飯で接待したものです。また、仲知などでご復活の折は重箱を重ねて山グミを一杯詰め込みお土産に持っていたものです。

 まさか野首天主堂でご復活のごミサが上げられるなど夢にも思っていませんでした。何時になっても忘れずにお掃除どころかご復活のミサまでしていただき皆さんのご好意に心から頭が下がるばかりです。野首天主堂もあと7年で築100年を迎えようとしています。どうぞ、仲知小教区の皆さんの上に神の豊かなお恵みがありますよう心よりお祈りいたします。

2001円5月24日
白濱清太郎
 
感謝 仲知小教区各位

 主の平和

 青葉若葉が目に染みる季節を迎えていますが、仲知の信徒の皆様いかがお過ごしでしょうか。さて、私こと4月26日深堀小教区に無事着任しました。仲知小教区在任中には7年間公私ともに大変お世話になりました。心より御礼申し上げます。また、出発に際しては荷物の梱包と搬出、多額のお餞別、励ましのお言葉、お見送りをしていただきまして厚く御礼申し上げます。

 「井戸の中の蛙」という言葉があるように仲知の在任中にはどっぷりと仲知という井戸の中にはまり込んで仲知の人間になりきっていたために鈍感になり、仲知の生活環境の良さも信徒の皆様の素朴な信仰心の素晴らしさも分からずじまいでしたが、さすがに仲知から離れますと、漢方薬が少しずつその効果を表してくるようにその良さがやっと身にしみて分かり始めています。

 今まだ正月から始めている「仲知小教区史姉妹編」の編集作業をしていますので、まだまだ心は仲知の人間であります。家庭訪問も遊びも犠牲にしてこの仕事に関っている以上、何としてもこの仕事を完了させないうちは、ここ深堀の司牧も教区から与えられている福祉の仕事もできないという気持ちです。幸いにも私の情熱をかけた「仲知小教区史姉妹編」の編集作業も何とか区切りがつきそうです。出版して反響が良ければ皆さんに読んで頂くことを考えていますが??? 今の段階では何ともいえません。

 7年間の仲知滞在時には平日のミサにもかかわらず、いつも大勢のミサ参加者、霊的面だけでなく、物質面での援助、特に新鮮な高級魚を江袋と一本松の大敷網、壷網漁をしている山添さんから頂いたこと、仲知修道院の姉妹たちから賄い、典礼の奉仕をしていただいたこと、評議員や婦人会などの教会役員の奉仕を受けたこと、仲知、江袋、米山の可愛い子供たちがいつも行儀よく元気に早朝ミサや午後のミサに参加してくれたことなどなど感謝はつきません。

 ここ深堀は市内にしては自然の景観は海も山も素晴らしい所となっていますが、車の量が多いことによる排気ガスの影響で仲知みたいに美味しい空気をたっぷりと吸い込みながらゆっくり散歩出来ませんし、海の方も結構汚れていて釣りを楽しむことが出来るような環境でもありません。

 信徒も長崎市中央部から転出して来た第3世代、第4世代の若い夫婦が多く日曜日のミサ参加者もいまいちというところであります。だから、司祭は仲知みたいに司祭館に黙っているだけでは許されませんが、私なりに頑張るつもりですので今後ともお祈りと力添えをお願い申し上げます。近くにお出かけの節にはどうぞお立ち寄りください。                                                          

平成13年5月20日
深堀教会 下口勳
 

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