イグナチオ・浜田 朝松師


野首教会巡礼紀行
 
左より山田常喜氏、楠本キヨ子さん、楠本スミ子さん
写り状態が悪いのは天候のせいではない。

 平成13年3月23日(金)午前9時、私たち4人のグループは高速船「津和崎丸」をチャーターして野首教会巡礼を決行した。
 案内役は野首教会出身の楠本キヨ子さんにお願いした。当日はカメラを持参したが、3日前から続いていた黄砂現象で極端に視界が悪く写真撮影は不向きな天候であった。

 しかし、私たちにとっては案内役のキヨ子さんの話に耳を傾けながら楽しい巡礼であった。それは案内役のキヨ子さんのお陰であり彼女には深く感謝している。

 ところで、案内役のキヨ子さんにとっては実に22年ぶりの帰郷であった。近くに住んでいても交通不便な場所であるので帰郷する機会がなかなかなかったのである。
22年ぶりに帰郷した印象をキヨ子さんはこう語った。

 「帰郷できてとてもよかった。もと住んでいた実家の跡や畑の跡を見ると、昔ここで22年間貧しくも幸せに過ごした思い出が心によぎり大変幸せな気分になった。それにしても大規模なダム建設工事で西側の集落と、その集落の真中を突き抜けて西海岸へと降りる道とがすべて変わり果ててしまい、何かしら他の集落に来ている感じがしてとても寂しい。」
 
かつての野首教会は集落の中央に位置し、何処からでも集落郡と畑とが見えていた。

ここでは巡礼紀行でキヨ子さんからお聞きしたことを簡単に私なりにまとめてみた。

―野首の畑

 現在もそうであるが、かつての野首集落は集落のほぼ真中辺に煉瓦造りの教会があった。だから、野首集落の説明も教会を境にして左側と右側に分けて説明したい。

 教会より左側の集落と畑はみなダム建設でつぶされていてかつての面影はないが、これに対して右側の集落と畑は現在公園みたいに立派に保存された状態で残っている。繁殖している野生鹿が畑に生える下草の芽を全部食べてしまうので、そのことが雑草の茂ることを許さないからである。だから、瀬戸脇の畑にしてもそうであるが、野首の畑もみな土が露出していて人間の手できれいに管理されているように見える。キヨ子さんの家族の住んでいた屋敷跡もその所有地であった畑跡も丸ごと残っていた。

先ず、野首の畑は瀬戸脇や江袋や仲知の狭くて小さい段々畑とは違って、みな大きくて広々としているのが第1の印象である。それは彼女の説明を受けなくても現地を訪れるならば良く分かることである。

 しかも、野首の畑の土は肥沃で主要な作物であった麦や芋やジャガイモの収穫も、さらには瓜、西瓜、野菜の収穫も良かったそうである。だから、野首の人は、ジャガイモなどは村船で当時市場であった小値賀まで運んで出荷して貴重な現金収入としていた。

 
上下 野首の畑。他の集落の畑に比較すれば、野首の畑は大きいことが写真でも伺える。

 野首は百姓所で隣の瀬戸脇は漁業所であった。百姓所の野首の子供たちは小さい頃から大人になる迄主食の芋やジャガイモや麦作りの手伝いをさせられていた。キヨ子さんもその思い出をいくつも持っている。

 「野首の畑は広いから耕作はすべて牛でする。たとえば芋の収穫もチョノガは一切使わず牛に鋤を引っ張らせて掘り起こし、その後人間が芋を拾っていた。結婚して江袋に来て見ると、江袋での芋掘り作業はすべて手作業であった。最初の内は慣れなかったのでいつも手に大きな豆が出来ていた。しかし、芋を牛で掘り起こす前に人間の手で芋蔓を払う仕事はとてもきつく嫌であった。また、野首では天然の肥料であった藻を西海岸に拾いに行って海岸で乾燥させて後、畑に運んでいたが、この作業も子供たちにはきつい仕事で嫌であった。

 教え方になってからは昼間は母の畑仕事を手伝っていたが、芋をカンコロにして1俵50斤のカンコロ俵を西海岸まで運んでいた。この作業も生活のためとはいえ決して楽な仕事でなかった。力のある男の人はいっぺんに2俵も3俵も運んでいたが、彼女は1俵が精一杯であった。」

―野首の磯

 西海岸

 西海岸は当時の経済と商業で栄えていた小値賀に近いということで郷の村船の船着場であった。この海岸からジャガイモは村船で小値賀に出荷し、カンコロと西と東の海岸で採取したオゴやヒジキなどの磯物は小値賀から問屋が貨物船で買い付けに来ていた。

 また、この西海岸はオゴ、ヒジキ、ウニ、サザエなどの磯物の産地であったので、その採取時期になると、高値で売れていたオゴとヒジキは郷民が総出で採取し、海岸で干してから海岸にあった郷の小屋に保管していた。その管理を任されていた郷長は責任を持って業者に売りその資金は郷費としていた。

 サザエ、ミナ類は個人で自由に採取することが許されていたので、子供たちもそのシーズンになれば入れ物であるメカゴを持って西と東の海岸へ出かけ磯遊びをしていた。

 さらに、この西海岸はクサビやアラカブが良く釣れる漁場であったので、そのシーズンになると、特製の竹竿で魚釣りをすることが楽しみであった。(今日でも米山の信徒の方は船外機でここまで釣りに来ている。)キヨ子さんは女の子であったが、磯物の採取も魚釣りも大好きであったのでよくこの海岸に来ていた。それだけに西海岸への愛着は身体に深く沁み込んでいるからダム建設による自然破壊は悔しい。
 

 ―東海岸の砂浜

 野首集落全体の約3分の2に当たる野首の西側の集落群と畑とは、ダム建設により物の見事に破壊されていて昔の野首を偲ばせるものは何も残っていないが、砂浜だけはほぼ昔のまま保存されている。
ここは目の前がイカ、ブリ、イッサキ、クロ鯛などの豊かな漁場であった。

 信徒は農業だけでなく、漁業もして自給生活の資金源としていたので、どこの家庭でも伝馬船を持ちイカ釣りやカシアミ漁をしていた。しかし、野首は港としての立地条件に恵まれていなかったので、野首の漁師は必ず漁が済むと船を砂浜の中央部付近まで引き揚げなければならなかった。舟は2丁櫓程度の伝馬船であったので簡単に引き上げることが出来た。
 

 この砂浜は戦時中から戦後にかけてしばらくの間地引網漁のかっこうの漁場であった。キヨ子さんの話によると、最初未信徒の方が地引網漁を経営していたようであるが、昭和25年頃からは野首郷の経営となっていた。10月頃の芋掘りの時期が丁度キビナの地引網漁の最盛期であり、毎年この時期にキビナの地引網漁が始まると大人だけでなく、子供たちもみな浜に集まって大きな網ツナを引っ張り地引網漁に参加することを何よりも楽しみにしていた。キヨ子さんもその一人であった。彼女は言う。「芋の収穫時期はどこの家庭も忙しく子供たちもその手伝いをさせられていたが、夕暮れ時になりキビナの地引網漁が始まると、心も弾み急いで海岸に行ってその漁に参加していた。

 漁が済むと各家庭に一皿いっぱいのキビナの配給があった。捕れたキビナは浜で直ぐ湯がいた後、天日で乾燥させて「いりこ」として出荷していた。この砂浜は夏になると、子供たちの海水浴場にもなっていたが、広々としていたので大勢の友達と一緒に泳いだり、砂浜を走り回ったりしていたことがとても懐かしい。小学校の時分であると思うが一度はこの砂浜にイルカの群がうちあげられていた時もあった。」
 

―野首の自然公園であった野原で遊ぶ

 この辺のカトリック集落ではどの集落でもその中心部に教会が建っており、この教会を中心にして各郷民の郷民としての共同体意識が高められていったが、野首には他のキリシタン集落とは別に、郷民の共同体意識を高揚し、その交流を深めるための天然の野原があった。この野原は小高いところにある教会から東の砂浜に降りていく途中にある。現在は残念ながら鹿も寄り付かない刺のある小さい木が茂っていて遊ぶのには適しなくなっているが、キヨ子さんが子供であった昭和20年代から30年代にはここは子供たちだけでなく、処女会や青年たちの格好の遊び場であった。
 

砂浜のすぐ上の野原が遊び場になっていた。現在は刺のある潅木が茂っていてかつての草はない。

 野首の信徒は農業で忙しかったが、日曜日だけが一息つく休暇であった。といってもせっかくの日曜日もミサとか夕べのロザリオ信心業があったので、遊ぶための時間がたっぷりあったわけではない。それでも、日曜日の昼下がりの時間になると、どこからともなく子供たちが三々五々野原に集まり、鬼ごっこやかくれんぼや陣取り合戦などをして遊ぶことが何よりの楽しみであった。
このように野首の子供たちは、神様からただで与えられた砂浜とか磯とか野原などの大自然の恵みに支えられはぐくまれて伸び伸びと健全に成長していった。しかし、大自然の恵みはそれだけでない。

―大自然の恵みではつらつと育つ

 キヨ子さんは大自然の恵みそのものであるサクランボ、クロンジュウ、キノコ、シイの実、イチゴなどの恩恵を受けて育っている。

 彼女が少女時代には彼女の家の近くの白濱清太郎さんと白浜チマさんの家の庭にかなり大きな桜の木があった。それらの木には毎年美味しいサクランボがなっていて、それを男の子も女の子も木によじ登って足を震わせながら採って食べることが楽しみであった。野イチゴやクロンジュウの木も家の周りに何本もあったので、その果実を採って食べることも楽しみであった。

 また、東側の集落の山の上は防風林のための松林となっていたが、そこに生息するシイタケを採取して食卓を賑わせていた。しかし、残念ながら、現在は松の木は涸れてしまっている。
 

写真の上部は現在禿山になってしまっているが、かつては松林で
シイタケなどのいろんな食糧源となるものが生息していた。

 かつての瀬戸脇への道の入口付近はシイの木林となっていた。シイの実の収穫時分になると、メカゴをもってシイの木によじ登りシイの実を採取していた。
 

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