フレノー師

1885(明治18)年〜1888(明治21)年



司教荘厳ミサとブレル師記念碑建立 1887(明治20)年

 明治20年、フレノー師と上五島地区の信徒は宣教会から援助を得て、特に地区の信者たちの熱意に助けられて、遭難したブレル師とその同伴者12名の記念碑を鯛ノ浦に建立し、冥福を祈った。
 
 

 山を背に美しい石の十字架が3本立っているのが遠くから見える。中央の一番の大きな十字架の台座にはラテン語と日本語の文字が刻まれていて、この2国語によって宣教の義務を果たしながら殉死したブレル師の想い出がよみがえってくる。他の2本の十字架には彼と一緒に遭難した奈摩内、丸尾、大曽の若い信者12名の名前も書かれている。

 記念碑の祝別式の後、五島の地で初めての荘厳な司教ミサが捧げられた。司式はクザン司教だった。オルガンが奏され、フレノー師の指導でこの日のため練習に励んできた聖歌隊によって美しく聖歌が歌われた。

 最前列にその日初聖体を受ける子供達200人がぎっしりと何列にも並んでいて、見るからに素晴らしい光景でこのミサに参加した信者にも、見物のために集まっていた大勢の未信者にも深い感動を与えた。この式典に集まった人は約5,000人で、そのうち半分近くは未信者であった。
 

初聖体 1887(明治20)年

 明治20年という年は上五島地区の信徒にとって喜ばしい恵みの年で、4月の司教ミサの他に、各地の教会でフレノー師の司式により荘厳な初聖体が執行された。

 この頃の上五島小教区の洗礼簿を見ると、フレノー師司式による初聖体は、鯛ノ浦は6月5日、大水は6月8日、曽根は6月10日、白草、大根河原(曽根)は6月14日、瀬戸脇は6月15日、江袋は10月17日、仲知は10月18日となっている。

 この内仲知地区内の各集落で初聖体のお恵みを受けた児童数を調査してみると、大水は17名、瀬戸脇は35名、野首は31名、江袋は17名、仲知は58名で全部で158名である。

 次に、初聖体の恵みを受けた児童の年齢を調べると8才から15才までの児童が一番多い。しかし、20才以上の成人もかなりいる。これは何を意味しているのだろうか。

 今日では、初聖体は物心のつく7才頃の児童で、基礎的な要理と祈りを修めている者に授けられるのが一般的である。しかし、明治20年頃の五島のキリシタンは宣教師と伝道士が不足していたこともあって十分な教育を受けていなかった。当時、初聖体を授かる年齢の高さはこのような事情によるものである。

 次に、初聖体を受けた児童名とその保護者名とを3名ずつ任意に選んで下記の表で紹介することにする。
 
 
教会
姓名
生年
両親
大水教会 大水福右衛門 1873年 直助・キミ
大水 助作 1877年 光造・セキ
大水 藤平 1870年 留吉・エキ
瀬戸脇教会 エリザベト
瀬戸 フイ
1878年 平吉・トメ
ドミニコ
瀬戸 常三
1871年 留吉・サナ
ドミニコ
瀬戸 久造
1872年 清吉・キヨ
江袋教会 ボナベントゥラ
山中 藤造
1880年 宇助・テシ
トマス
谷口 好松
1874年 初五郎・セオ
マリア
本島 トキ
1874年 熊造・セキ
仲知教会 ドミニコ
山添 忠五郎
1876年 初五郎・キト
ミカエル
真浦 鯛造
1875年 才吉・トセ
カタリナ
竹谷 タセ
1877年 時造・カオ

 

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