9、江袋

 
 
 新魚目町江袋は細長く北へとのびている上五島北部の西側に位置し、この地域は、人が住むのに比較的恵まれた自然環境にある。このため西彼杵・外海地方からの移住キリシタンも早い時期から自給自足ができるよい場所と認め、一家をあげて移住し早くからキリシタンの集落を形成していた。

 ところが、1883(明治16)年にブレル師が作成した江袋教会の洗礼簿は本人と両親の名と生年月日と霊名とが記されているのみで祖父母の名が欠落している。

 このため江袋の洗礼簿は、三代調としてはあまり価値がない。この理由によって、江袋教会の場合は、他のキリシタン集落のように、先祖と現在江袋に居住している信徒とのつながりを見つけることは非常に難しい。

 しかし、編者は仲知教会と青砂ヶ浦教会にある21のキリシタン集落の洗礼簿の調査により、1815年から1831年頃までの約16年間に少なくとも西彼杵・外海地方から直接江袋へ移住したキリシタンの夫婦は6組存在していたことを突き止めることができたので、6組の夫婦の移住経路を下記に表し、その上で簡単な説明を試みたいと思う。

 第1世代の市造・ソメ夫婦は西彼杵・牧野から江袋へ移住、その息子称八は江袋で1815年に生まれている。

 この家族は瀬戸脇へ移住し称八は1870年代に瀬戸脇の水方として活躍した。

 第2世代の松之助は1822年江袋生まれであるが長女キミは1870(明治3)年頃、大水直助と結婚し大水へ移住し、次女ハツも1872(明治5)年頃、島本鉄五郎と結婚し島ノ首へ移住している。

 第2世代の熊八・ミチ夫婦の娘タオは1823年江袋で生まれている。1838年頃大瀬良の末五郎と結婚し、その長女ミツは仲知の久志越五郎と結婚し、長男茂助は久志(仲知)の開拓者となっている。
 

 第1世代の一右衛門・イサ夫婦の娘キサは西彼杵・神ノ浦出身の留吉と結婚し、その長女エモは1827年に、次女ナミは1830年に江袋で生まれている。

 第2世代の竹松は仲知の佐吉・ナツの子、スエと結婚。その長女フジは1829年に、次女カシは1833年に江袋で生まれ、次女カシは1852年頃、島本久次郎と結婚して島ノ首へ(仲知)移住している。


 

 第2世代の種蔵・エノ夫婦は長男吉蔵が1831年に江袋で生まれた後、仲知へ移住し久志の開拓夫婦となる。

 こうしてみると、1815年から1831年の16年間に江袋に居住していた6組の夫婦から9人の子供が出生し少なくとも6家族が存在していたことが確認できる。

 「五島キリシタン史」で江袋の開拓をしたのは西彼杵・神ノ浦の七右衛門・チエ夫婦であると書かれてあるが、この夫婦とほぼ同じ頃に同じ外海地方からのキリシタンの移住者が6家族江袋の土を踏み、そこを安住の地としていた。

 次に、江袋教会の編集委員尾上勇さん(68)が江袋教会の先祖の墓地改葬と墓碑建立についての原稿を寄せて下さったので、原文のままここに紹介しておきたいと思う。

江袋教会先祖の墓地改葬


 

1985(昭和60)年8月14日
 江袋の元祖、開拓の偉大なる父上与助、信仰の道標となる母上チエ他1名の遺骨をおよそ200年ぶりに由縁の地に迎えに行く。集落男子32名で発掘、遺骨の確認が出来て大変感激する。そうして今まで置き去りにしてきたことを申し訳なくお詫びする。先祖との初の対面の瞬間を今でも思い出し懐かしさと嬉しさが忘れられない。

 遺骨と古い石碑の一部を丁重に持ち帰る。その夜は教会下の倶楽部に安置する。

 翌8月15日の祝日の夕の祈りは子孫一同出席して久方に帰って来られた尊敬する3名の方を偲び通夜の祈りを捧げる。翌16日佐藤哲夫神父様の追悼のミサに続き子孫等が眠る墓地に改葬してご冥福をお祈りする。
 
 

 先祖のお墓の改葬が遅くなった理由として信徒は改葬を希望して歴代の主任神父様に改葬をお願い申し出たそうですが、確かに洗礼を授かっていたかの確認がなければ清められた墓地に移すことは出来ないとのことで延び延びになっていたが、佐藤神父様の肝いり、つまり迫害を逃れて信仰を守り通し、また、子孫へも守り継がせるためにこの辺ぴな江袋に住み着き、第2の故郷を築きながら教えを全うした偉大なる人たちであるならば洗礼は授かっていたと認められるとの判断をして下さり、信徒が希望しているなら早く実現した方が良いとのお言葉を頂いて実行した。

 私の父が生存中、遺言のような言葉で先代が成し遂げ得なかった墓の事を勇達が出来る時代が来たら必ず(爺どんの墓)を古里の墓で、子孫と共に眠ってもらう様努力せよと申されていた。

 そうして間違いなく私たちの先祖だから尊敬しお祈りも忘れぬようにと云われてきた。このような言葉励ましに従って実行したことを今では嬉しく思っているし、江袋の歴史にとっても、大変意義があったと思っている。

 この難しい仕事の実現に理解をして頂き、お世話をしてくださった佐藤神父様に対しまして信徒一同深く感謝致して居ります。

改葬の時は墓地にて紅白の餅配りまでして皆で祝った。
 
 

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