9、江袋
江袋教会先祖の墓碑建立
1985(昭和60)年12月25日
 江袋の元祖3名の墓に古里の石を使用して石碑を建立。

碑文

先祖の墓の由来

 迫害を逃れ外海地方から江袋へ移住したキリシタンたちは死者を密かに山奥の隠し墓に埋葬した。
 その隠し墓の中から発掘された遺骨をここに改葬し、先祖の魂の永遠の安息を記念するためにこの碑を建てる。

江袋子孫一同建立
白い十字架の建立  1990(平成2)年8月18日

 本島五郎八氏が埋葬されていた折り下りの山の中の同じ場所には未だに8名の名も知らぬ人たちが淋しく取り残されている。この事について大変申し訳なく、恥ずかしく感じている次第です。

 高峯トンネルの下方に(平成2年8月18日)白い十字架を建て、墓標のある所の目印にとした事も自分なりに先祖を慕い、そして孝行の一つなりと思って幾許かの心の安らぎを感じている。

 当時の主任原塚神父様にお伺いをして建立させてもらう。朝夕、又漁場への出入港時には白い十字架を仰ぎながら8名の方々の安息を祈っている。毎年1回は自分1人で墓参りをしているし、これからも続けたいと思っている。
 

旧墓地移転改葬工事(江袋教会)

1998(平成10)年12月27日
 既に改葬された3基をはじめ、この度改葬された8基の墓碑は旧青方村の望月文吉と申す方が昭和15年5月に建立して下さる。

 この方は江袋沿岸で定置網漁業を営んでいた網主だった。宗教は異なっていたが先祖の墓を大切にし死者を佛として敬い慕い、大漁を祈願して毎年盆、正月には上等の魚、果物、浜の石を運んで供えていたと聞かされる。

 これらの事を果たす事によって漁場を使用し、お世話になるための恩返しの意味もあったのでしょう。私達もこの心優しい恩人の御好意に心より感謝の誠を捧げ望月文吉氏に敬意を表し、彼の安息をお祈り申し上げる次第です。

 先祖与助・チエ他1名の遺骨発掘改葬より17年。以来未だに置き去りにされ忘れ去られようとしている8名の事を常に案じ、遅ればせながらせめて墳墓の在る処の目印にと平成2年原塚神父様当事に白い十字架を建てる。この十字架を建てた事によって、先輩に対し幾何かの孝行が出来たと内心ほっとしていた。
 

 平成10年9月6日かねて噂にしていた同胞の墓の事について下口神父様より尋ねられる。早速師を案内して山間の墓地に参る。撮影をし暫しお祈りを捧げる。

 平成10年も暮れの12月12日のミサ後、下口神父様より8名の遺骨発掘・古里への改葬の勧めを賜り、皆同様に感じ入る事多くある。私達の先輩同なればとても恥ずかしく申し訳なさを痛感させられる。下口神父様の言葉に目覚めさせられ励まされ12月27日信徒をあげて発掘に参加、親しさつのる方々と対面、清められし故郷の墓地に改葬する。

 「長い間、ごめんなさい。只今迎えに来たばい、一緒に帰ろね、淋しかったでしょう」と胸の中で唱えながら海岸を墓へと向かう一同の意向によりミサを捧げる。久々にごミサの恵みに与った8名の方々の感謝やひとしおなるものがあったろうと察する。お待ちかねの方々と親しく語らいながら、どうぞ安らかに眠って下さい。

 遺骨発掘改葬墓碑建立にあたり、全面的な御配慮御支援を賜りました下口主任神父様への感謝は尽きる事なし。

江袋教会 尾上 勇
碑文

 信仰故に迫害を逃れし者の子孫として辺鄙窮まる江袋に生を受け不運にして伝染病に罹り医療技術の乏しき世に看病、秘跡、教会への立ち寄りや葬式参加も儘ならず密かに葬られる。この名も知れぬ八方のみ魂を偲び幾星霜を経て改葬しこの碑を建てる。

建立者 主任司祭 下口 勲
江袋教会 信徒一同
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