1、島ノ首
島の首集落 第2次開拓夫婦
島ノ首の第2次開拓をした3組の夫婦のうちここでは島本岩蔵・スエ夫婦と島本亀蔵・ツヨ夫婦について紹介しておくことにしたい。
島本岩蔵・スエ夫婦は、1830年代の後半に立串から島ノ首に移住、長男島本与蔵(1840年生まれ)は明治2年仲知の井出渕持茂助、真浦才吉と大浦天主堂でローカニュ師より受洗。1880(明治13)年頃、曽根の大水トメ(1855年生まれ)と結婚、男の子4人と女の子2人に恵まれた。結婚の時妻トメには久松という連れ子がいたが、与蔵はその子を島本家に入籍し自分の子供として愛情を持って育てた。尚、「五島キリシタン史」では、島本与蔵の先祖は島本与治右衛門・ツヤ夫婦と紹介されているが、洗礼簿では上記の家系譜略となっているので訂正して紹介することにした。
次男島本貞吉(1843年生まれ)も長崎へ出向き洗礼を受け信仰を公表した。このため役人から捕らえられ、平戸では仲知キリシタンの頭とみなされ最も残酷な迫害を受けた。
1869(明治2)年頃、江袋のエリザベト・フデ(ハル???上記と矛盾)と結婚、3人の男の子と2人の女の子に恵まれる。1887(明治20)年頃、未信者の子供を里子として育て人助けをした。現在島ノ首に在住している島本等の曾祖父にあたる。
この夫婦も1830年代に立串から島ノ首へ移住、第3世代の島本鉄五郎は1872(明治7)年、江袋のマリア・ハツ(1854年生まれ)と結婚し3人の男の子と3人の女の子に恵まれている。つづきのページ