4、一本松

 
 仲知には山添姓を名のる家系が主に3組ある。
 立串から移住し新開きの開拓をした山添藤エ門・キク夫婦の家系と渕の元(三井楽)から仲知へ移住した山添久次郎・ジヨ夫婦の家系と、立串から一本松に移住した山添兵蔵・オモ夫婦の家系である。

 ここではこれら3組の家族のうち、一本松を開拓した山添兵蔵・オモ夫婦の家族を紹介し、後の2組の夫婦の家族については家系譜略のみの紹介にとどめておきたい。
 

 
 第2世代の山添兵蔵・オモ夫婦は、長男山添忠太郎・セオの家族と一本松に移住、そこの開拓者となる。初孫の山添初五郎は1854年に立串で生まれているが、次の孫マキ(1862年生まれ)から仲知生まれとなっているので、この家族の一本松への移住は1860年代の初め頃だったといえる。

 1881(明治14)年にブレル師によって作成された仲知教会洗礼簿は、長男夫婦(忠太郎・セオ)と孫夫婦(初五郎・キト)からその記録が開始されていて、兵蔵・オモ夫婦の名は記されていない。おそらくこの夫婦はそれ以前に物故されたのではないかとみられる。

 洗礼簿を調査・分析し、この家族の家系譜略を作成してみてわかったことは、村内婚によって真浦の山手の開拓家族と血縁関係で強く結ばれていることである。即ち山添兵蔵・オモの家族が長男夫婦と一本松に移住した時、次女(ユリ)と三女(トセ)は未婚の女性であったので、次女のユリは真浦栄作と三女のトセは真浦才吉と結婚することになった。
 

  
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