かくれキリシタン


 かくれキリシタンたちは、表面は神棚や仏壇を祭って仏教信者を装っていたが、納戸神といわれた聖母像や聖絵を納戸にかくして朝な夕な祈りを捧げて信仰を強めていた。彼らには彼ら独特の洗礼や葬式の儀式があり、宣教師達から授かった教えを忠実に守り続けていた。

 司祭の代役として帳方、水方、聞き役などその役割分担をして教会(エックレジエ)としての組織を親から子へ、子から孫へと継承して何時かは必ず迎えに来てくれる、と信じていたローマのパーデルを待っていたのである。

 帳方はお帳と呼ばれる教会暦やオラショ、コンチリサン「天地始之事」を記したいわば教義の書物でこれに基づいて教え諭す役柄で三役の中で最も重要な役である。

 水方もまた洗礼を授ける大切な役柄で、聞き役はその助手といった所であったらしい。そのほかにも所によっては授かり役、取り次ぎ役などがあった。

洗礼の祭儀

 子供が生まれると母親の不浄がすむ10日が過ぎてから、母親代わりの抱き親はその子を抱いて水方の元に行って洗礼を受ける。途中人に会うものなら、ひとまず戻って再度出直さなければならない。

 祭儀を執行する役人は、その日前後3日間は女性とも交わらず、肥料など汚れたものは扱ってはならない。もし役人がそれに反することがあると、免職になり洗礼も無効となって再度やり直さなければならない。

 抱き親は男の子なら男親、女の子ならば女親。その親は他人でもさしつかえない。その場合、男の抱き親は役人に準じて身を潔斎し、女の抱き親は月経の時はあらかじめ水方に断っておかなければならない。

 お授けになる取り次ぎ役は、水を入れた茶碗1つと空茶碗1つを膳にのせ、又別の膳には刺身、小皿4、カン瓶、杯、醤油、新しい箸6人分をのせ、別に酒とご飯2杯を用意する。
水は川の流れに向かって汲みあげられたものでなければならない。

取り次ぎ役 水の入った茶碗を右手に持って、空いた茶碗に適度に水を移してから、
「これでようござる」と尋ねる。
水方 「ようござる」と答えると、それを膳の上において3人で祈りの「ケレンド」を唱える。そして抱き親が子を抱くと取り次ぎ役は膳を捧げて水方に渡す。
水方はその水に十字を切り、男の子ならサントウ、女の子ならサンタマルと言ってとりあげる。
そこで生児に向かって、
「抱き親の名をもらってキリシタンになりたいか」と問う。
取り次ぎ役 「はい」と答える。
水方 「身に差し支えないで御座ろうか」と尋ねる。
取り次ぎ役 「身に差し支えないということなれば、よろしゅう御座らんか」と言う。
水方 「又吉ミギリ(水方の名)と申す支配内、岩吉アレンショと申しまするもの、家内うちに、只今、男1人生まれ来まして御座いまする」
と、言って親指二本で十字形を形づくり、それを生児の額に当てて、
「ヨコテバウチスモ、エッヒーリョウ、エンスベリツウスサンテ」
と誦え、3回に分けて水を頭に注ぐ。そして「あなた様の品物」という殉教者の聖遺物(代用品でもよい)の端切れで頭を3回ふいて、それを納めて終了する。

これらの人々の半数は幕末のキリシタン復活の時カトリックとなり、半数は依然としてかくれつづけてきたのである。

そこで一度は絶えた五島のキリシタン史が、この人たちによって書き改められたのである。五島最初の移住が1797年であった。それから半世紀過ぎた1865年、浦上四番崩れの余波は五島へもろに押し寄せ、迫害の嵐が吹き荒れた。

(『五島史と民俗』 平山徳一 著)
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