サンプラワー基金(イロイロ市)

フィリッピン支援地訪問を終えて

毎年フィリッピンの4カ所で実施してきた教育支援訪問。通算8回目の今年の支援地訪問は712日から23日まで、ケソン市、イロイロ市、バコロド市であった。今回訪れた子供の数は合計34人。訪問活動報告の1回目は、イロイロ市でどのような教育支援をしているかを報告することにしたい。イロイロ市は日本人の観光客の人気スポットとなっているセブ島の隣のパナイ島で、ピサヤ諸島の最西端に位置する首都。この島の経済、産業の中心となる最も近代的な町で、人口約30万人、全住民の約8,5割がカトリック信徒。土地の人々の言語はピサヤ語であるが英語も通じる。スペイン統治時代の歴史的教会がそのまま教会として使われている魅力溢れる市でもある。

716日、私はマニラ国際空港から、3年前に日本の援助でイロイロ市郊外に新設されたイロイロ国際空港に約1時間10分で到着。日頃子供の生活指導をしてもらっているエド氏から歓迎された。わたしたちが教育支援をしている子供の居住地の小教区は、飛行場から車で約50分、イロイロ市郊外に位置するリガネス小教区である。この小教区は約2万人の信徒を二人の現地の司祭が司牧している。わたしたちは小教区域内にあるリガネス小学校(生徒1,500人)とギンタス小学校(生徒350人)の貧しい家庭の子供20人を3年前から教育支援している。

支援のきっかけ

教育支援のきっかけは4年前に遡る。8年前から長崎教区福祉委員会の担当司祭として毎年のように現地を訪問し、学力、才能に恵まれながら、経済的貧困ゆえに、教育の機会を閉ざされている大学生の進学のお手伝いをしていた長崎の信徒の支援団体「一粒の麦の会」(代表者林田健二氏)の奨学生(大学生)のサポートをしていた。しかし現地で奨学生の実家の訪問を重ねる中で、制服や鉛筆などの学用品を購入できないだけの理由で小学校さえも通えない子供たちが大勢いることに気づき、心を痛めた。そして一人の大学生の支援金で小学生ならば10名の子供たちの希望を満たし、通学させることができることを知った。そこでコーディネイターのエド氏とセデイ氏と協議して教育支援をすることに決め、3年前から「サンフラワー基金」と名付けて支援を始めた。

支援の目的

私の支援活動では、すでに通学している近所の子供たちと肩を並べて学べる環境を整え、学びたいという願望を満たしてあげること、そして最低限、読み書きができ、将来社会生活を円滑に行えるように育てることを理想としている。もちろん、日本に住んでいる私にできることは子供たちの人間的な成長を見守ることくらいに過ぎない。具体的に実施していることは、学費を提供することと1年に1度だけ現地訪問していることである。このわたしの援助の足りない所を現地の二人のスタッフ、学校の先生方、教会の司祭と信徒のボランチィアが補って下さっている。特に感謝しなければならないのは二人のコーディネイターのエド氏とセディ氏である。お二人の協力がなければ実現できない支援活動であるからである。

3つの支援活動

わたしが34日の滞在で行っている活動には主に3つある。まず教会を借りて、ミサをすること。子供たちと再会できたことを神に感謝しながら、同じ信仰で結ばれていることの絆を深め、子供の成長を神に祈願する。しかし、子供たちは久しぶりの再会であるためか緊張している。そこで、最近の訪問ではミサ後に手品をしてみせて、子供たちの緊張をほぐすように工夫している。今回はリガネス教会の司祭館に泊めてもらい、二人の司祭と共に会食し、さらに1200人以上の信徒がすし詰めになって参加している主日の主要ミサで、共同司式と挨拶が許され、小教区の信徒との交流も行うことができましたことはありがたいことであった。二番目の主な活動は、二つの小学校を訪問して、子供たちと子供たちの生活指導をしていただいている先生と交流をもっていることです。今回の訪問でも全校生と保護者から温かい歓迎を受けました。歓迎会では、洗練された司会で、最初に校長先生の歓迎の挨拶、その後に私とコーディネイターの挨拶、次に奨学生(子供)と保護者の感謝の挨拶、その後に子供たちと在校生による歓迎のダンスと歌、さらにその後、会場を移して歓迎の食事があり、今年も身分不相応の歓迎に圧倒されました。最後に、主な活動として欠かせないのが家庭訪問です。家庭訪問では、本人とだけでなく、ご両親や兄弟姉妹、隣近所の方との交流も心がけている。

リゾートビーチで交流会

今回の訪問で特に印象に残った出来事は訪問の2日目の718日(土)、スタッフと先生方の協力により、リゾートビーチで子供たちと交流が実現できたことです。この催しは事前に準備されたものでしたが、当日は幸運にも天候に恵まれ、フィリッピンでの一般的な乗り物であるジプニーをチャーターし、市内から約1時間のリゾートビーチにでかけ、一緒に泳ぎ、一緒に会食して相互理解をはかり、心のつながりを持て、楽しい一日を過ごすことができました。計画した通りに実現できたことは長年の夢が叶えられたようでとても幸運なことでした。

一粒の麦の会支援地イロイロ市

奨学生訪問の感想

私のフィリピン・パナイ島イロイロ市での支援訪問は、平成19年8月19日か21日までの短い日程で実施しました。  今回の支援地訪問は、駆け足の訪問となりましたが、一粒の麦の会会員の支援と祈りのお陰で実り豊かな訪問となりました。今回も去年同様、フィリッピン沖に発生した台風の影響で予定が変更になるのでないかと気がかりなことでしたが、幸いなことに台風は、ビサヤ諸島をそれて通過したので、何の支障もなく予定通りの訪問となりました。これまでのイロイロ市訪問はマニラ国際航空から飛行機で出かけるのが常でしたが、今回はシナピス会15周年記念の支援地訪問のため、ニグロス島バコロド市に立ち寄ったため、隣りのパナイ島イロイロ市までは、所要時間わずか1時間の船旅で到着しました。港には奨学生の生活指導をしているコーディネイターのエドさんに迎えていただきました。当日(8月19日)夜は、幸運にもエドさんの奥さんと三男の誕生パーティーと重なり、わたしもわたしに同行していた深堀教会の信徒長浦ヒロ子さんも招待も受けました。彼の自宅で開催されたパーティーには、彼と日頃から親交の深い方々が招待を受けていました。客間にはフィリッピン産の魚料理、肉料理など奥様自身が前日から家政婦の手伝いを受けて腕を振るったフィリッピン風の自慢の料理が、10種類以上、所狭しとばかりに飾られ、会場の端の方には南国に豊かにある各種のフルーツや招待客から誕生祝いにいただいた特性のケーキがいくつも山のように高く重ねてあり、目も舌も楽しませてもらいました。

わたしが特性ケーキの飾りの美しさに驚き、デジタル写真に撮っていると、エドさん自身が私に近寄り、この誕生ケーキの一つは去年一粒の麦の会の支援で医師になったジャスミン・シモーラからのプレゼントしてもらったのだと、得意げに教えてくれました。実は、私にとってファリッピンで誕生パーティーに出席するのは始めての経験でしたが、何よりも嬉しかったのは、ドクタージャスミン・シモーラさんと再会できたことでした。

現在の彼女は仕事が大変忙しいために体調を崩し、2週間の休暇を病院の上司からもらって休養している最中でした。もちろん、休暇後は職場に復帰して働くつもりだということでした。現在務めている国立病院は、忙しい割には待遇が悪いそうですが、それでも家族思いの彼女は少々給料が安くても今の仕事を続け、3人の妹の学費と両親の生活費を稼ぎたいと言っていました。私は無理しないようにと繰り返し励ましたが、去年、勤め先の病院を訪問して初めて対面した時とは違って顔色があまり良くなかったことが少し気になりました。しかし、利口で若い彼女のことです。きっと家族の分も元気で働いていてくれるだろうと楽観しています。

翌日(8月20日)早朝は、エドさんの自宅の近くにあるリガネス教会の小聖堂で英語ミサをしました。そのミサには、去年6月から私が設立した奨学基金(サンフラワー基金)で小学校に入学することになった子供たちとその家族、それに一粒の麦の会の奨学生とその家族の方々に大勢参加していただきました。医師のジャスミン・シモーラも、前夜のパーティーで約束していた通りミサに参加してくれていました。彼女の他には今年卒業したギナロンとその父、去年卒業のファンガとその母、去年から一粒の麦の会の支援を受けることになったジノーとその母、ルッチェルとその母などの顔も見えていました。(写真左上参照)翌日(8月21日)も、早朝からパナイ教区の神学校で働いているデニス師を訪問。まず神学校に隣接している高齢司祭のための住居の小聖堂で一緒にミサをささげました。司式はデニス師。ミサの福音の後で、わたしにも少しは理解できる丁寧な英語で挨拶がありました。初めに、一粒の麦の会を代表して神学校を訪問してくれたことへの感謝、一粒の麦の会会員のみなさんが長年にわたり奨学金を続けてくださっていることに対しての感謝、このたびのわたしの支援地訪問が実り豊かなものであるように祈るとのことばでした。

 

ミサ後には引退司祭の各お部屋の案内をしてもらい、引退司祭のための食堂で朝食をご馳走になりました。引退司祭の家には、イロイロ教区内の司祭5名が余生を送っているそうですが、まだ比較的健康な司祭は、日曜日や祝祭日になると、近くの小教区で司牧の手伝いをしているとのことでありました。確認まではしていませんが、日本の長崎教区の神学校の組織に基づいて考えると、デニス師の出身国のフィリッピンの教会では、神学校はどこの教区でも、小神学校とコレジオ神学院を一緒にしたような組織になっているようでした。まず、高校を卒業してから試験を受けて小・中神学校に入学する。試験に合格すると、6年間、哲学、語学、宗教学を学び、それからしばらく司牧実習をしてから司祭に向けて最終準備となる大神学院で4年間神学を学び、それが終了できると司祭になれる。

 

デニス師が務める歴史を刻んでいる神学校の隣には、サッカーやバスケットが出来る芝生付きの大きなグランドがありました。この恵まれた生活環境で、現在100人を越える神学生が司祭職への準備として、高校を終えてから哲学の課程を終えるまでの6年間を勉学と信心に励んでいるという。神学校におけるデニス師の仕事は、神学生の生活指導と霊的指導の他に、1ヵ月に1度ラテン語を教えることである。そのため本人も夏休みになると、毎年マニラの大学でラテン語の勉強をしているという。また、彼は、若手の教区司祭30名位の責任者としての仕事も兼ねている。この務めを果たすため、若手司祭には1ヶ月に1度定期的に神学校に集まってもらい、彼の指導のもとで司牧の分かち合いや研修会をしているそうである。 

こう語る若いデニス師と対面していると、将来が有望な司祭の一人として教区司教や先輩司祭から高く評価されているだけではなく、優秀な司祭に成長しているようで頼もしく感じました。最後に、近年のフィリッピンの経済成長の影響を受けてか、外国為替レートは急速にドル安、ペソ高傾向となり、このため一粒の麦の会では奨学生の人数を減らさざるを得ない厳しい会計状況になっていることはとても残念なことです。私が今年8月下旬にフィリッピンを訪問した時の為替相場は、円に対してペソは2,56で、少し円高傾向になっていて、日本円の1万円をペソに替えると、だいたい4、000ペソとなっていました。イロイロ市内には毎年のように大型のモール(ショッピングセンター)が進出し、物に溢れ、庶民の暮らし向きは改善されているように思える。実際の庶民の生活は依然と変わらず、むしろ物価高の影響を受け、ますます生活は厳しくなっているのではないかというのが実感でありました。

平成19年9月29日

 
 

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一粒の麦の会支援地イロイロ市

奨学生訪問の感想

私のフィリピン・パナイ島イロイロ市での一粒の麦の会支援の奨学生訪問は平成19年8月19日から21日までの2泊3日の日程で実施しました。今回の支援地訪問は駆け足の訪問となりましたが、一粒の麦の会会員の支援と祈りのお陰で実り豊かな訪問となりました。今回も去年同様フィリッピン沖に発生した台風の影響で予定が変更になるのでないかと気がかりなことでしたが、幸いなことに台風はビサヤ諸島をそれて通過したので、何の支障もなく予定通りの訪問となりました。これまでのイロイロ市訪問はマニラ国際航空から飛行機で出かけるのが常でしたが、今回はシナピス会15周年記念の支援地訪問のために二グロス島のバコロド市に滞在していた関係で、所要時間がわずか1時間の高速船での船旅で目的地のイロイロ市の港に到着しました。港には奨学生の生活指導をしているコーディネイターのエドさんに迎えていただきました。当日(8月19日)の夜は幸運にもエドさんの奥さんと三男の誕生パーティーと重なりましたので、わたしもわたしに同行していた深堀教会の信徒長浦ヒロ子さんも招待も受けました。彼の自宅で開催されたパーティーには彼と日頃から親交の深い方々が招待を受けていました。客間にはフィリッピン産の魚料理、肉料理など奥様自身が前日から家政婦の手伝いを受けて腕を振るったフィリッピン風の自慢の料理が10種類以上所狭しとばかりに飾られ、端の方には南国に豊かにある各種のフルーツや招待客から誕生祝いにいただいた特性のケーキがいくつも山のように高く重ねてあり、目も舌も楽しませてもらいました。わたしが特性のケーキの飾りの美しさに驚き、デジタル写真にその様子を撮っていると、エドさん自身が私に近寄り、この特性の誕生ケーキの一つは去年一粒の麦の会の支援で医師になったジャスミン・シモーラからのプレゼントしてもらったのだと得意げに教えてくれました。

私にとってファリッピンで誕生パーティーに出席するのは始めての経験でしたが、何よりも嬉しかったのは、ドクタージャスミン・シモーラさんと再会できたことでした。現在の彼女は仕事が大変忙しいために体調を崩し、2週間の休暇を病院の上司からもらって休養している最中でした。もちろん、休暇後は職場に復帰して働くつもりだということでした。現在務めている国立病院は忙しい割には待遇が悪いそうですが、それでも家族思いの彼女は少々給料が安くても今の仕事を続け、三人の妹たちに勉強させるための学費と両親の生活費を稼ぎたいと言っていました。私は無理しないようにと繰り返し励ましたが、去年勤め先の病院を訪問して初めて対面した時とは違って顔色があまり良くなかったことが少し気になりました。しかし、利口で若い彼女のことです。きっと家族の分も元気で働いていてくれるだろうと楽観しています。

翌日(8月20日)早朝はエドさんの自宅の近くにあるリガネス教会の小聖堂で英語ミサをしました。そのミサには去年6月から私が設立した奨学基金(サンフラワー基金)で小学校に入学することになった子供たちとその家族、それに一粒の麦の会の奨学生とその家族の方々に大勢参加していただきました。医師のジャスミン・シモーラは前夜のパーティーで約束していた通りミサに参加してくれていました。彼女の他には今年卒業したギナロンとその父、去年卒業のファンガとその母、去年から一粒の麦の会の支援を受けることになったジノーとその母、ルッチェルとその母などの顔も見えていました。(写真参照)

翌日(8月20日)は早朝からパナイ教区の神学校で働いているデニス師を訪問。まず神学校に隣接している高齢司祭のための住居の小聖堂で一緒にミサをささげました。司式はデニス師。ミサの福音の後でわたしにも少しは理解できる丁寧な英語での挨拶がありました。初めに一粒の麦の会を代表して神学校を訪問してくれたことへの感謝、一粒の麦の会会員のみなさんが長年にわたり奨学金を続けてくださっていることに対しての感謝、このたびのわたしの支援地訪問が実り豊かなものであるように祈るとのことばでした。ミサ後には引退司祭の各お部屋の案内をしてもらい、引退司祭のための食堂で朝食をご馳走になりました。引退司祭の家にはイロイロ教区内の司祭5名が余生を送っているそうですが、まだ比較的健康な司祭は、日曜日や祝祭日になると近くの小教区で司牧の手伝いをしているとのことでありました。

確認まではしていませんが、デニス師の出身国のフィリッピンの教会では、神学校はどこの教区でも、日本の長崎で言えば小神学校とコレジオ神学院を一緒にしたような組織になっているようでした。まず、高校を卒業してから試験を受けて小・中神学校に入学する。試験に合格すると、6年間、哲学、語学、宗教学を学び、それからしばらく司牧実習をしてから司祭に向けての最終準備となる大神学院で4年間神学を学び、それが終了できると司祭になれる。デニス師が務める歴史を刻んでいる神学校の隣にはサッカーやバスケットが出来る芝生付きの大きなグランドがありました。この恵まれた生活環境で現在100人を越える神学生が司祭職への準備として、高校を終えてから哲学の課程を終えるまでの6年間を勉学と信心に励んでいるという。神学校におけるデニス師の仕事は神学生の生活指導と霊的指導の他に、1ヵ月に1度ラテン語を教えることである。そのため自身も夏休みになると毎年マニラの大学でラテン語の勉強をしているという。また、彼は若手の教区司祭30名位の責任者としての仕事も兼ねている。この務めを果たすため、若手の司祭には1ヶ月に1度定期的に神学校に集まってもらい、彼の指導のもとで司牧の分かち合いや研修会をしているそうである。こう語る若いデニス師と対面していると、将来が有望な司祭の一人として教区司教や先輩司祭から高く評価されているだけではなく、優秀な司祭に成長しているようで頼もしく感じました。

最後に、近年のフィリッピンの経済成長の影響を受けてか、外国為替レートは急速にドル安、ペソ高傾向となり、このため一粒の麦の会では奨学生の人数を減らさざるを得ない厳しい会計状況になっていることは残念なことで、そのことは前回の一粒の麦の会の機関誌「麦の風」でリポートされていた通りです。私が今年8月下旬にフィリッピンを訪問した時の為替相場は円に対してペソは2,56で、少し円高傾向になっていて、日本円の1万円をペソに替えるとだいたい4、000ペソとなっていました。イロイロ市内には毎年のように大型のモール(ショッピングセンター)が進出し、物に溢れ、庶民の暮らし向きは改善されているように思える。実際の庶民の生活は依然と変わらず、むしろ物価高の影響を受け、ますます生活は厳しくなっているのではないかというのが実感でありました。平成19年9月29日

 

 



  
   
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