「明魂」中島神父の心
主任司祭 平野 勇 神の家族2007年5月6日
長崎教区司祭の白寿は恐らく教区始まって以来のことかと思われます
今度、中島万利神父様の白寿は私たち司祭にとっても、浦上小教区信徒にとってもこの上ない喜びでございます。
4月15日感謝のミサの後、信徒会館にてお祝いの宴が持たれました。本人は朝から期待と喜びで少々緊張気味でした。この日のため、何カ月も前から体調を整えてお待ちの様でした。ここ2,3カ月の間に足の衰えが多少ひどくなり歩行は勿論のこと、立ち振る舞いにも困難をしている様子でした。お祝いの前日訪ねて、改めて招待し、お祝いしましょうと申し上げると、派手過ぎるのではと申すものの、でも嬉かよと微笑みながらおっしゃいましたので、嬉しい思いでこの日をお待ちのことだと分かり、本当に盛大にお祝い申し上げねばと思いを募らせました。
お祝いには約300人が参加して、入場される中島神父様を皆さんが拍手でお迎えすると、少々緊張しながらも微笑んで皆さんの祝福を受けられました。鏡を抜き、神父様の挨拶を頂きますと幼い頃を思い実母のことを懐かしく語られました。白寿の方から母親のことを聴くとはと思いつつも、すごく微笑ましさを感じました。
「明魂」
「月歪むにあらず波騒ぐなり。止水に映える月を見よ。波立つ心にうつる万象は真の姿を表わさず。日暗むにあらず、雲かかるなり。雲去ればまた輝く、暗き魂をとおしてに大切‥‥‥
世界は暗黒なり、静かなる心には一木一草も神の姿をあらわし、明るき魂には行雲流水も神の巧妙を示すなり。悟れるものの心には恨らみもなく、つぶやきもなく、すべてを感謝し、常に喜び絶えず祈る。花は心はなくひらけども、月は心なく照らせども、涙で仰げば月も泣き、笑いて見れば花もほほえむ。迷えるものよ、父を恨むな、兄を呪うな、妻を責めるな、子をののしるな。人を裁く眼を転じて己が魂をみつめよ。一切の恨み一切のつぶやきは己が暗き魂の中にぞ芽生える。朝に祈りて罪を悔い、夕べに祈りてけがれを清めよ。かくて本性にかえりて明魂をあらわし、愛と誠の行者となりて光の中を歩むとき、明るき世界はその脚下より展開せられむ」
これが白寿を迎えられた中島神父様の私たちに語りたかったメッセ−ジです。神父様の思い出と共に大切‥‥‥
白寿を祝って 主任司祭 平野 勇
神の家族2007年5月6日
知恵は老いた者と共にあり 分別は長く生きたものと共にあり
上と共に知恵と力があり 神と共に思慮分別もある
(ヨブ記12−12)
私たちは4月15日、中島万利神父様の白寿を共にしました。
26年の長きにわたり浦上小教区の司牧者として、大変ご苦労なさったことを思い、心より感謝し、神を賛美しつつ共にお祝いできましたことを心から嬉しく思っています。「白寿」の言葉の重さを考えた時、このことは神の大きな賜物であることに気づかされ、どうしても、この喜びを共に分かち合いお祝いし、併せて私たちにも、今を生きる人生の歩みをもっともっと真摯に受け止め、与えられた人の道をしっかり生きるための恵みとパワ−を、神から頂きたくて企画いたしました。
4月15日朝の空模様は少々曇でしたが、栄光式典社の西村勇夫様の肝入りで、辻町・壮年会・婦人会・エリザベット会の協力を頂き、賑やかに笑いの渦の中、紅白の杵つき餅をつき、愛情で丸め込み、祝賀の参加者、一般参列者にまで配られ、白寿の味の深みをじっくり噛み締め、本当に嬉しく味わうことが出来ました。白寿の餅は始めてであり、意義があって味にも年輪があって格別で、忘れられない白寿のひとこまでした。白寿を迎え、白髪の仙人の面影を漂わせる中島万利神父を囲んで捧げられたミサは、極めて爽やかで、清楚・霊感を感じさせ、聖堂内は神の霊と司祭の心が調和し、清々しいハーモニーに包まれ、魂は浄化され、信仰の喜びを心身ともに味わうことが出来たごミサでした。
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