ペトロ 平野 勇師

平野  新しい出会い 主任司祭 平野 勇

神の家族 200255日 

ハレルヤ 新しい歌を主に向かって歌え、主の慈しみに生きる人の集いで賛美の歌をうたえ。 詩編149-1若葉かおる4月、自然は活気に満ち、神を讃えているこの時皆さんと共に信仰の恵みを分かち合うため、浦上小教区に着任いたしました。心をこめてご挨拶を申し上げます。大きな戸惑いと新鮮な期待を全身に受けとめて浦上小教区に参りました。境内の坂を上り教会の前に佇んだ時、何とも言えない大きなパワ−を感じました。たくさんの方々のお迎えをいただき、一歩ふみ入れた時、すごい力強い風を感じました。ここで自分に与えられた使命を果たすのだと改めて意識した時、新しい力が湧き出てきました。厳しい現実をしっかり見つめ、発想の転換をしなければとの強いものを五体に感じました。数は力であり、伝統はパワ−を生み、大きな可能性を秘めていることを実感した。何がそうなのか今ははっきり悟ることが出来なくとも確かにすごいものを実感いたしております。

無理に背伸びせず、分かち合いながら共に司牧活動が出来ることを期待しております。

着任にあたって、

一、浦上の土地に生きている信仰を尊敬し、共に信仰の喜びを分かち合いたい。

一、祈りを大切に、祈りする小教区共同体。

一、日曜日を主の日として、家族そろってごミサをささげる信仰共同体。

一、同じ目線で現実を見つめ、共に支え合い、奉仕し、共生する信仰共同体をめざす。

一、イエズス様が望まれる信仰共同体を求めて、可能な限りその共同体に近づけるよう最大の努力をする。

ごく当たり前のことであり、今まで浦上小教区が大切にしてきた姿勢であろう。だからこそ改めて司牧の中心をにこの方針を定めて共に努力したいのです。何んと申しても小教区の「和」こそ大切です。この「和」を大切にして、お互い手を取り合いながら誰でもが大切にされる温もりのある信仰共同体を共に成長させたい。浦上小教区には素晴らしい信仰の歴史があり、積み重ねられ、伝えられている遺産が未だに生き続けている。この遺産を大切に生かしつつ、時代にニ−ズに応えたい。価値観の変化、信仰への意識の希薄さ、現実主義、個人主義、精神的ものがないがしろにされている昨今、人生を大切に、より高いもの、本当のものを見つめて生きる。そのような係わり合いを求めて出会いたいと考えていますので、すべてによろしくお願いします。

小さなペンライと輝く 主任司祭 平野勇

神の家族200397

 『被爆から58年…今………』をテ−マに今年の平和祈願祭は行われた。今年はじめて教会外で平和祈願ミサが捧げられた。三千人の信徒が集まった。一つの心に結ばれた大きな力となって天に昇って行った。平和公園で行うこの日この場所は、平和を祈る人々の集う所、信徒でない方も前日から、この朝早くから、この場所に来て平和を考え、平和を祈る。善意の人々の集まるところだ。だから、この日のこの場所は特別の場所だ。私たちが、この場所で原爆の犠牲となり尊い生命を捧げて、日本に終戦をもたらした多くの魂を追悼し、平和を祈ることは、今、この地に住む者の果たすべき使命ではないでしょうか。

 この朝、浦上教会では追悼のミサが捧げられた。多くの方々が参加して捧げられた。祈る姿を取材しようとマスコミがたくさん入った。日本中に流れた。一人の大手新聞記者が紅潮して、ミサ後、荘厳な雰囲気、聖歌の心にしみる新鮮な調べ、静寂さの中に深みがあり、何とも言えない雰囲気の中に心が洗われるような空気に吸い込まれて、取材することも忘れてしまった。こんな素晴らしい体験をしたのははじめてです、と涙を流しつつ語りました。どうぞそのことを記事にしてくださいとお願いしましたら「はい」と力強く答えてくれました。

平和公園に今年は三千人の信徒が集まった。昨年は千二百人ほどだった。昭和22年最初のタイマツ行列が行われた。三千人の信徒が手に手にタイマツを掲げて浦上の焼け野原を行列したと記されている。58年目、ようやく三千名がタイマツではないがペンライトを掲げて平和のミサを輝く星の下でささげた。原爆死された方も天から私たち一人一人の小さなペンライトのともしびにほほえんで共に心を一つにして天の父に祈ってくれたであろう。来年はこの輪をもう一回り大きな輪を描いて天のみ魂と共に平和を祈りたい。

みことばが聴こえて来た 主任司祭 平野勇

神の家族2003127

 昔の世界、さまざまの音が聞こえてくる。その一つに浦上教会のパイプオルガンの音は特別の音の風景を持っている。先日、トム・コ−プマンの素晴らしいパイプオルガンの演奏があった。言葉に表せないほど素晴らしい感動を受けた。喜びと満足感は今でも余韻を残している。音のない世界、音が伝わらない。言葉が伝わってこない。こんな世界を想像することすらできない。思うだけでも大変なことだ。辛い思いをされている方もたくさんいる。浦上教会本堂の音響があまりにもよくない、聴きにくい、もっとはっきり「みことば」を聞きたい、神父様の説教を聴きたいとの声が強く、今度、音響設備が改修された。綺麗な音色、はっきりした言葉が堂内に響いている。みんな喜んでいる、本当にありがとう。

特に今回耳の不自由な方のためイヤホンが設置されています。設備場所は椅子のB、Cの8番と9番です。イヤホンは、1個百円で司祭館受付にございますのでいつでも手に入れることが出来ます。今何名かの方がお使い下さっています。「今まで何年もの間聴こえなかった『みことば』『説教』が、はっきり聴こえます、ありがとうございます」と涙を流して、感謝のお礼を申されました。「これは信徒の皆様からの素晴らしい贈り物です。信徒の皆さんに感謝致してください」と申しますと、頭を深々と下げられまして、またお礼を申されました。本当にうれしいことです。
 

十字架山に昇る 主任司祭 平野勇

神の家族200444

こんな急な坂道をのぼることはめったにない。息急き切ってのぼり上ると視界が広がり夜景の素晴らしさは格別である。辻町の十字架山の頂上、下界を見渡す一本の大きな十字架、14本の十字架の道行き、十字架にほっと心が安らぐ、十字架への想が湧き出る。四旬節の金曜日、夜、730分、この十字架山で道行きが行われる。一度でもよい、この十字架山の頂上に佇み、十字架の道行きをしては! 本当に心の芯に強く暖かいものが湧き出てくる。ちなみに、十字架山と呼ばれるこの山は1881年流配から帰った信者が設立した。それには二つの理由がある。

1、禁教時代の絵踏みの償い。 2、二迫害を終わったことを感謝して信仰を公にする。

明治六年「旅」から帰った浦上のキリシタンたちの心には、信仰を全うし得た喜びの中に、一つの哀しみがあった「踏み絵」の思い出の哀しみである。心ならずも行い続けてきた『絵踏み』の罪の重さを知った時、父祖の苦悩は深かった。「償わねばならない」と真剣に考えていた。「この丘に十字架を建て、償いと感謝の聖地にしよう」。(神の家族400年)

浦上の迫害の信仰の原点がここにある。浦上の信仰の歴史がここに深く、重く、耐え抜いた十字架の大きな輝きが生きている霊を感じる。1950年教皇ピオ12世は十字架山を公式巡礼地に指定された。浦上の信者は父祖たちが語りかけるこの場所に、少なくとも四旬節に参り、十字架の道行きを共に行うことは価値がある。今週も金曜日、ここで十字架の道行きが祈られる。あなたも一緒に

 
 

神の家族200543

2005313日、浦上街道を歩きながら、百四十年昔浦上の信者達はどのような心で、この道を歩いたのかと思いを昔にはせる。先祖が踏みしめた石畳の道、風景は原爆で変わり果てても、この大地を踏みしめて歩かれた先祖の姿を想像しつつであった。昔を偲ぶには余りにも変わってしまった環境、昔を描くことは難しかった。でも、怖々しながら人の目を気にして、素知らぬふりして歩いたに違いない。しかし先祖の魂は希望に満ち、パ−パ様のお遣いの神父様にお逢いできるのではと大きな希望、期待に胸弾ませて、小走りで大浦へと向かったであろう。

百四十年後のこの日、私たちはロザリオを手に持ち、声をひそめることもなく大きな声で唱えた。むしろ道行く者が奇異に感じてか、振り向く。人の視線を気にすることもなく、真昼に堂々と祈りながら歩くことが出来たのも、先人たちのおかげと感謝しつつ、喜びに満たされて2時間ほどで大浦天主堂にたどり着いた先祖たちが250年待ちに待ったロ−マのパ−パ様の遣い神父様との出会い「サンタマリアの御像はどこ」と訪れた場所にたどり着いた。感動に満たされ身の引き締まるものを強く感じた。

感謝のごミサが捧げられる。先祖がどんなにこのミサを待っていたであろうか。昔を偲び、入堂の発見感謝の讃歌が堂内一杯に響き渡る。身も魂もふるえるばかりの感動に満たされ先祖の魂が今ここにいるのではと感じるような交わりの幸せが漂っているようだ。奉献に入り、浦上の信者が拷問に掛けられた柿の木で作られた十字架、被爆マリア像が奉献された。250年の間拷問、うしろ手に縛られ、この柿の木に吊るされ、信仰を捨てろと責められたこの柿の木は、浦上の信者の信仰の強さを知っている。長い間待ち続けたサンタ・マリアの御像との対面。なお、原爆のよって完全に破壊された旧天主堂の中央祭壇に安置されていた聖母像、奇しくも顔部分だけが  遺っている被爆マリア像とサンタ・マリア像との対面、この三つの対面は浦上の信仰の歴史を物語る意義深く価値ある信仰の遺産の出会いである。

誰がこのような出会いを想像したであろうか、神様のみ摂理としか言いようがない。

正に、ごミサは先祖の魂と生きている今の者たちの魂が奏でる素晴らしい天上のメロディ―に満たされた魂の奥深く、歓喜と喜悦に満たされた素晴らしい恵みの時でした。神さまに感謝。

 
 

萩・津和野にて  

主任司祭 平野勇 

年(平成 年) 月 日 神の家族

私たち浦上小教区巡礼団は、去る523日萩・津和野巡礼を行いました。

2日朝、浦上教会を出発、萩教会に着き、信徒の宮本忠雄さんの案内を頂き、浦上留配の先祖が、ここ萩でどのような拷問を受けた事を聞かされた。その拷問は残酷苛烈を極め、言葉に記せないほど残忍で、歴史的記録として到底残すことが出来ないほど惨い拷問だった。この土地での拷問が一番酷かったのではないかと宮本さんは語った。今回、この土地の殉教地を巡り、浦上の先祖の信仰のすごさを改めて痛感させられました。

3日『乙女峠まつり聖母行列』が教会から出発し、盛大に町内を巡りました。全国から参集した巡礼者の熱き心を現わす感動的な聖母行列でした。

光林寺(日夜、残酷苛烈な拷問にかけられた処)跡地に設営された祭壇で、浦上の殉教者を讃え、その取り次ぎを願う野外ミサが捧げられた。このミサの中で、津和野殉教者の列福を求めて次の祈りを全員で唱えるのです。【全能の神、聖なる父よ、御子イエズスを証しするため 乙女峠で命を捧げる恵みを、和三郎、安太郎、裕次郎、モリちゃんと、その仲間に下さったことを感謝いたします。どうかこの国にイエズスのみ名が、いっそう広まるように、これら殉教者を教会の福者としてくださるように、殉教者の母である聖マリアのおん取り次ぎによって、お願い致します】参加する度に、浦上の先祖を殉教者として讃える動きがあることに感動して、現代に生きる浦上の皆さんと共に、この事を大事にしたいと思い、ここに記しました。
 

バザーってよかね 

主任司祭 平野 勇

神の家族2006115

1015日、浦上小教区の恒例のバザーが秋晴れのすがすがしい日に恵まれ、一日、多くの方々の暖か御協力を頂き、盛会に何の事故もなく無事に終えることが出来ました。

 バザーを開催するには何日も前から準備を重ね、手落ちのないよう整えられ当日を迎える。

バザー日、早い人は朝3時に起き、準備にかかる。私も5時前に教会に入ろうとすると「お早うございます」と威勢の良い声を掛けられた。もう餅つきの準備が始まって火は赤々と燃え、お湯はたぎっている。さあ!バザーの餅つき、手ぐすねして待ち構え、威勢よく取り組もうとしている。その姿に感動し、バザーの成功を祈る祈りにも真心がこもる。聖堂では、6時・7時半・9時半とミサが捧げられ、片や境内ではバザーの準備が明るく行われ、両者があいまって祈りとなり天に向かって昇っている。ここに、素晴らしい浦上小教区の姿が写し出されている。お互いが笑顔で語らい、活気に溢れ、丘は祈りと活動が一緒になって神を讃え賛美し、お互いの協力の輪が美しいハ−モニーとなって花咲いている。天上から見れば、正しく美しい花園のように恵みに満たされた浦上の丘が映えている。

養成と活動の調和の取れた素晴らしいハ−モニーに仕上がって天に奏でているように私には思えた。

お買い求めている方にも笑顔が一杯。これは美味しか! もうなかとね! なかとばい! がっかりする笑顔、その人も、この方も、お互いがバザーの主役、参加する誰も彼も、この輪の中にいる。みんなが主役、自分は気付かなくても全員が主役、本当に素晴らしい。一つひとつがとっても美味しい味がある。これが浦上教会のバザーの味たい。微笑みながら堪能した。

皆さん、ありがとう。お疲れ様でした。来年もまたこの日を楽しみに、この一年支え合い、挨拶し合って過ごしましょう。浦上共同体ばんざい!

 

新しい決意 主任司祭 平野 勇

神の家族200717

2007年、平成19年、明けましておめでとうございます。昨年中に頂きました善意のご協力に心より感謝申し上げ、新しい年もお一人お一人とご家族、更に浦上小教区共同体の上に、神様の豊かな祝福がありますように、心を一つにして願っております。

浦上小教区も年を重ねるごとに少しずつ成長し、新しい時代の要請に応えつつあるように実感しております。これも皆さんお一人お一人のお助け、支え合う心があるからと強く受け止めています。ところで、昨年の年頭に当たって、

1、祈る浦上小教区。

2、日曜日を大切に、共にごミサを捧げ、聖体に活かされた浦上信仰共同体を育てる。 

と年頭の決意として申し上げました。それぞれ受け止め方はありましょうが、それなりの効果があったと思っています。毎朝のミサ参加者が増えたように思うし、日曜日もその通りであす。今年もこの目標を目指して、共に充実して歩くことが出来ればと願っています。

今年は、小教区の長年の念願である司祭館建設の機運が高まり、建設委員会を立ち上げることが出来ました。どのような司祭館、多目的教会学校が完成するのか、大変楽しみにしています。

季節の建物は多年の風雪にさらされ老朽化が進み、設備不足による時代の養成にもこたえられなくなり、時代のニ−ズに対応できる設備wp備えた建物が必要と判断し決定した次第です。そのために役員の皆様の懸命な調査と判断を仰ぎました。信徒の皆さんにも、それぞれお考えがあるかと存じますが。今こそ、最善の判断ではないかと一同受け止めています。

でも、この建設には何と言っても信徒の皆さんに過大の犠牲を掛けざるを得ません。大変申し訳なく、心苦しい思いで出一杯です。それぞれご家庭は大変苦労しながら毎日生活している最中、信仰のこととは申せ、更に負担を掛けることに忍びない思いです。まことに申し訳ありませんが、皆様のご協力が無ければ完成する事が出来ません。一人一人の理解あるご協力を願いの身です。私どもも皆さんの暖かいご協力と支援に対して、仕える心を持って神様のみ国と信徒の救霊のため、なお一層精進することを決意しております。

皆様の限りないご協力とご支援をお願いし、浦上小教区共同体に神様の限りない愛の眼差しを祈り願いつつこの一年を共に力強く 
 

8月9日を考えて

 主任司祭 平野 勇 神の家族200693

200689日。原爆慰霊の地は鎮魂と平和祈願の日である。暑い夏日、朝6時追悼のミサが捧げられ、多数の報道関係者も集まり、テレビ・新聞のカメラのフラッシュをたいた。追悼ミサを捧げ祈る顔はカメラの対象となった。老いた顔には原爆死者への特別の哀悼の祈りの心が現われている。原爆の悲惨を心に思い浮かべ、深い悲しみの中、二度と繰り返してはいけない原爆への思い、平和への願いは魂の奥底からほとばしる神への篤き祈りである。八百名程の皆さんが共に追悼のミサを捧げた。

112分、原爆の炸裂の時間、長崎市民全員が黙祷した。浦上の天主堂内で爆死した二名の司祭と信徒の魂を弔うミサが四百名ほどの信者と共に捧げられた。私が大変残念に思うことは、この日ばかりは浦上天主堂が一杯の信徒で埋め尽くされ原爆死者を弔い、平和祈願が捧げられる事が一番ではないかとの願いとは裏腹に、参列者が少なかったことです。夜のタイマツ行列もしかり、浦上こそが、もっともっと大切にされ、一人ひとりの参列者の弔いと祈りこそ全世界に問いかけることではないかと強く思います。原爆に対する捉え方が急速に風化しているように思えてなりません。

参列する1本のタイマツが輪となって、世界に問いかける大きな平和への証しとなり、そこの被爆体験した者にしかできない尊い使命があると確信してます。後世に伝えるためにも、もう一度立ち止まって、89日を真剣に見つめて欲しいものです。 

 
 

「明魂」中島神父の心 

主任司祭 平野 勇       神の家族200756

 

長崎教区司祭の白寿は恐らく教区始まって以来のことかと思われます

今度、中島万利神父様の白寿は私たち司祭にとっても、浦上小教区信徒にとってもこの上ない喜びでございます。

4月15日感謝のミサの後、信徒会館にてお祝いの宴が持たれました。本人は朝から期待と喜びで少々緊張気味でした。この日のため、何カ月も前から体調を整えてお待ちの様でした。ここ2,3カ月の間に足の衰えが多少ひどくなり歩行は勿論のこと、立ち振る舞いにも困難をしている様子でした。お祝いの前日訪ねて、改めて招待し、お祝いしましょうと申し上げると、派手過ぎるのではと申すものの、でも嬉かよと微笑みながらおっしゃいましたので、嬉しい思いでこの日をお待ちのことだと分かり、本当に盛大にお祝い申し上げねばと思いを募らせました。

お祝いには約300人が参加して、入場される中島神父様を皆さんが拍手でお迎えすると、少々緊張しながらも微笑んで皆さんの祝福を受けられました。鏡を抜き、神父様の挨拶を頂きますと幼い頃を思い実母のことを懐かしく語られました。白寿の方から母親のことを聴くとはと思いつつも、すごく微笑ましさを感じました。

「明魂」

「月歪むにあらず波騒ぐなり。止水に映える月を見よ。波立つ心にうつる万象は真の姿を表わさず。日暗むにあらず、雲かかるなり。雲去ればまた輝く、暗き魂をとおしてに大切‥‥‥

世界は暗黒なり、静かなる心には一木一草も神の姿をあらわし、明るき魂には行雲流水も神の巧妙を示すなり。悟れるものの心には恨らみもなく、つぶやきもなく、すべてを感謝し、常に喜び絶えず祈る。花は心はなくひらけども、月は心なく照らせども、涙で仰げば月も泣き、笑いて見れば花もほほえむ。迷えるものよ、父を恨むな、兄を呪うな、妻を責めるな、子をののしるな。人を裁く眼を転じて己が魂をみつめよ。一切の恨み一切のつぶやきは己が暗き魂の中にぞ芽生える。朝に祈りて罪を悔い、夕べに祈りてけがれを清めよ。かくて本性にかえりて明魂をあらわし、愛と誠の行者となりて光の中を歩むとき、明るき世界はその脚下より展開せられむ」

これが白寿を迎えられた中島神父様の私たちに語りたかったメッセ−ジです。神父様の思い出と共に大切‥‥‥

 

白寿を祝って 主任司祭 平野 勇

神の家族200756日  

 

知恵は老いた者と共にあり 分別は長く生きたものと共にあり

上と共に知恵と力があり  神と共に思慮分別もある 

(ヨブ記1212

私たちは415日、中島万利神父様の白寿を共にしました。

26年の長きにわたり浦上小教区の司牧者として、大変ご苦労なさったことを思い、心より感謝し、神を賛美しつつ共にお祝いできましたことを心から嬉しく思っています。「白寿」の言葉の重さを考えた時、このことは神の大きな賜物であることに気づかされ、どうしても、この喜びを共に分かち合いお祝いし、併せて私たちにも、今を生きる人生の歩みをもっともっと真摯に受け止め、与えられた人の道をしっかり生きるための恵みとパワ−を、神から頂きたくて企画いたしました。

415日朝の空模様は少々曇でしたが、栄光式典社の西村勇夫様の肝入りで、辻町・壮年会・婦人会・エリザベット会の協力を頂き、賑やかに笑いの渦の中、紅白の杵つき餅をつき、愛情で丸め込み、祝賀の参加者、一般参列者にまで配られ、白寿の味の深みをじっくり噛み締め、本当に嬉しく味わうことが出来ました。白寿の餅は始めてであり、意義があって味にも年輪があって格別で、忘れられない白寿のひとこまでした。白寿を迎え、白髪の仙人の面影を漂わせる中島万利神父を囲んで捧げられたミサは、極めて爽やかで、清楚・霊感を感じさせ、聖堂内は神の霊と司祭の心が調和し、清々しいハーモニーに包まれ、魂は浄化され、信仰の喜びを心身ともに味わうことが出来たごミサでした。



  
   
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