ガブリエル 西田 忠師

1947(昭22)年〜1953(昭28)年

 
4、教育熱心な西田師

 伝道学校の日課

 伝道学校では朝5時起床、生活指導の久志キクさんが鈴を鳴らして起床を知らせると伝道生の代表が西田師より習ったラテン語で「Benedicamusu domino (神を賛美しましょう)」と元気良く呼びかけて起床を促すと、生徒は、「Deo gratias(神に感謝)」と答えて起床し、床に跪いて1回「天使祝詞」を唱えてから一日を始めていた。その後、5時半から仲知教会でのミサにシスターや信者と一緒に与かっていた。
 午前8時ごろより始まっていた授業は大抵久志キクさんが教えてくださったが、西田師も1週間に1回必ず教壇にたって指導された。西田師の授業は伝道生が卒業後、教え方になってから直ぐに自信を持って教えることが出来るようにとの思いやりで実践的な授業であった。
 
 
久志キクシスター
可愛い志願者と記念写真

仲知伝道学校
久志キク先生は後列中央

 このため師は「昔話」の本をテキストとして持って来て、それを参照しながら伝道生の一人一人に「わらしべ長者」を暗記せよ。」とか「鶴の恩返しについて暗記せよ」とか「塩の製造法について暗記せよ」とか具体的な課題を与え、その発表を教壇に立ってさせていた。生徒はこの課題発表をするのが大変でこの準備に昼間の時間だけでは足りず、夜就寝していても、また、朝目覚めても暗唱の時間に充てていた。だから、就寝時に校則を破って友達とおしゃべりなどする余裕のない日課であった。

 いつも怒られる事ばかりであったが、この課題発表の時には西田師もみんなが頑張って努力していることを高く評価して誉めてくださっていた。また、師はラテン語とローマ字の授業も教えてくださった。
 

西田師から厳しい指導を受けた伝道生。前列左が赤波江(尾上)フサさん
 このような努力と頑張りは西田師も同じであった。
師はいつも外の仕事に大忙しであったが、ご自分の担当の授業は怠ることなく、几帳面にしかも愛情を持ってなさって下さった。しかも、卒業後、教え方になっても仕事の合間を縫って、不足分の授業を補ってくださることがあった。

 たとえば、米山とか江袋に日曜日のミサの巡回をする時に、隙間の時間をつくってこう言われることがあった。「今度の土曜日は米山に巡回した時に教えるから、仲知小教区の教え方は小瀬良の教え方も大水の教え方も全員米山の司祭館に集まれ。」教え方は言われる通りにしていたが、その時には教える司祭は苦労があったが、教え方のほうは楽しみであった。というのは、教えを受けた後は、行った先の教え方の家で泊まりこみ夜遅くまで話が弾み楽しいひと時となっていたからである。

 このようにしてまで教え方の指導に熱心であった西田師の方は、両手の爪に黒い油汚れがこびり付いていたほどにお忙しい毎日であった。すなわち、信徒の生活向上をひたすら願いながら油まみれの肉体労働だけでなく、信徒の霊的な向上のために昼も夜も力を注がれた。ここに、今回の尾上フサさんとの対話による収穫があった。

5、油まみれの西田師

 ついでに大水出身の大水ミエさんから聞いた話を紹介しておく。
 西田師が大水教会を巡回された時の話である。師が大水を巡回され司祭館に備えているお風呂に入浴されていた時、大水ミエさんは大水教会の少し上にあった共同の井戸に水汲みに行った帰り道、司祭館の側を通りかかった。すると、入浴している西田師より声をかけられた。「おばさん、すまんが、ざらざらした小石を拾って来てくれませんか」と。 その時とっさに思ったのが神父様の油で汚れた両手のことであった。毎日のエンジンの手入れとか修理のための肉体的な労働で相当に両手は汚れており石鹸程度ではきれいにならなかったであろう。そこで、通りかかりの彼女にに小石を所望されたのであろうと。

6、仲知特産山羊肉の接待

 司牧においては信徒との触れ合いをつくるために家庭訪問が大切である。西田師は大忙しの毎日で一本松や江袋の大敷き網納屋で漁夫と一緒に捕れたばかりの鮮度の良い刺身を食しながら信徒との交わりをなさっていたことが良く知られている。しかし、時には時間をつくって個人の家を訪問され親睦を深める様に務めていた。ここでは尾上フサさんから聞いた話を一つだけ紹介しておくことにしたい。

 尾上フサさんは赤波江教会出身で伝道学校卒業後は赤波江の教え方を3年間(昭和24年から昭和26年)勤め上げた。その期間に父・赤波江要次郎氏も赤波江教会の宿老として西田師に仕えていた。
 

 ある年の真冬のことである。西田師が仲知の司祭館からひょっこり赤波江の要次郎宅に来られた。娘のフサは歓迎したものの「せっかく遊びに来てもろうたばって(いただいたが)、接待するためのなんのご馳走もない。」と心の中で困っていた。すると、父が「フサ、縁に山羊の肉を吊るしてあるだろう。それをすき焼きにして食べさせんね」

その頃、山羊の肉は貴重な蛋白源でお客を接待するのにはもってこいの食材であったが、保存のための冷蔵庫はなかったからよく縁に吊るして保存していた。「すき焼きを作れ」と言われても肉以外の食材がなかったから仕方なく肉を大根とねぎで炒めてから食べさせたら、「うんまか、うんまか(美味しい、美味しい)」と言いながら気持ちよく食べていただいた。

 接待にはお酒が欠かせない。父は赤波江でも1、2位を争う酒豪家でときには深酒していたが、主任司祭の西田師はいくらでも飲めるのにこの時にはお酒は一滴も飲まなかった。自制して禁酒していたのに多くの信徒はそれを知らず神父様はお酒は飲めないものと思っていた。

仲知小教区顧問会
 
 昭和23年山口司教は、小教区の運営と信徒使徒職活動が効率よく行われるためには、主任司祭と信徒の代表者である顧問とが一体となって取り組むことが必要だと望まれ、顧問会議が地区においても、小教区においても、本来の姿にかえることを促し、教会の使命に参加するように呼びかけた。

 西田師も上五島地区の司祭団も司教の呼びかけにしたがって、それぞれ小教区と地区で顧問会を開催している。この顧問会の議題と決議事項を調査すると、当時の上五島の教会が教会の発展に向けてどのような活動を行い、どのような司牧上の問題点を抱えていたのかわかる。
 
 
 


 
 

第1回 仲知小教区顧問会

1.江袋教会司祭館で昭和23年3月2日、下記の出席者のもとに開催された。

2.出席者
  主任司祭  西田忠
  山添重右衛門(仲知西) 真倉国光(米山)
  真倉茂吉(竹谷) 谷口清(江袋) 大瀬良要次郎(赤波江)
  小瀬良由蔵(小瀬良) 大水勇次郎(大水)

3.決議事項
(1)主任司祭西田忠より教区本部からの通達事項、新規則により各小教区に顧問会設置の必要あり。よって現在の宿老も改選期にあるので至急改選し、新しく選出された人員により顧問会を設けることを申し合わせる。
但し、仲知3集落は聖堂改築中につき、旧宿老のまま留任とする。
(2)仲知伝道学校の卒業式は3月20日と定め、
そのため、各戸より米2合、焼酎各集落より二升ずつ集めること。
(3)伝道学校の志願者(中卒の女子)を選出すること。
 以上の決議の中(2)の卒業生は、
 白浜増雄(米山)山添幸男(一本松)浜口友吉(江袋)
 白浜清美(野首)真浦繁(真浦)大水安幸(大水)
 瀬戸政己(瀬戸脇)赤波江武士(赤波江)
 小瀬良明(小瀬良) 教師は真浦シオ、
 修業年限2年、義務年限10年

第2回 仲知小教区顧問会

1.赤波江教会司祭館で昭和23年3月25日(聖木曜日)開催。

2.出席者
  主任司祭
  山添重右衛門(仲知西)真倉茂吉(竹谷)
  赤波江福市(赤波江)
  小瀬良由蔵(小瀬良)大水喜蔵(大水)

3.決議事項
(1)会計、書記の選挙のために集合したが、米山と江袋教会の顧問が欠席のため延期し、次の集会を3月28日と決める。
(2)出席者に上五島地区顧問会規則を渡す。

第3回 仲知小教区顧問会

1.江袋司祭館で昭和23年3月28日(主の復活)開催。

2.出席者
  主任司祭
  山添重右衛門 真倉茂吉 大瀬良福市 小瀬良由蔵
  大水喜蔵 竹谷末吉 楠本房吉

3.決議事項
(1)仲知教会の顧問辞令については、
   聖堂完成まで見合わせてもらうよう司教に願う。
(2)本顧問会の会計は仲知教会顧問が決定されるまでの臨時とする。
   この条件で会計の選挙をする。
   山添重右衛門 5票
   楠本房吉   2票
   以上の結果、会計は山添重右衛門
(3)書記は会長(主任司祭)の兼任とする。
   会長・書記 主任司祭
   会   計 山添重右衛門
   顧   問 山添忠五郎 真倉茂吉 楠本房吉
         竹谷末吉 小瀬良由蔵 大瀬良福市
(4)仲知伝道学校の入学は4月25日とする。
   このため各戸より米1合、各集落より
   焼酎1升を持参する。
   集金は宿老と生徒の父兄。
(5)生徒の食糧、その他の割り当ては後で決める。
(6)先生と賄いの謝礼は毎月各戸より5円集金のこと。

 以上の決議の中(3)顧問の内、野首と瀬戸脇の顧問がいないのは、昭和22年12月より野首、瀬戸脇、小値賀は仲知小教区より分離され、野首小教区となり、浜田朝松師が紐差より初代の主任司祭として着任していることによる。

 決議事項(4)の仲知伝道学校の生徒は、
白浜ウキ(米山)真倉セイ子(竹谷)水元ケイ子(仲知)
大瀬良フサ(赤波江)尾上ユキ(江袋)小瀬良スミ(小瀬良)大水ユリ子(大水)の計7名
教師は真浦キクとなっている。

 
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