前田万葉師

 

カトリック教報、昭和50年4月1日

新司祭の抱負を聞く

前田万葉

「おことばですから、網をおろしてみましょう」

聖年という恵の年に、しかも4人の同志といっしょに司祭叙階のお恵みを受けることを、このうえもなく光栄に思っています。「あなたたちが私を選んだのではなくて、私があなたたちを選んだ」とおっしゃるキリストさまに感謝すると同時に、かげにひなたにお力添えくださった神父さま方、信徒のみなさま方にも心から感謝申し上げます。子供のころ、海と畑で働くことしか知らなかった私を神   ?   る神さまのおん計らいを思う時、おそらく漁をすることしか知らなかったであろう最初の弟子たちの召し出しが、今あらためて私の前途に一つの希望の光、いましめともいうべき司祭生活の目標を与えてくれます。「おことばですから、網をおろしてみましょう」というシモン・ペトロのキリスト様への信頼にみちたことばと行いこそが、あの奇跡の大漁をもたらしたものであり、ペトロのこの精神、態度がそのまま彼の使徒職を支え、人々の魂の大漁にもつながったことを肝に銘じて、私もこの偉大な使徒ペトロにみならいたいと思います。

若輩の私には、これからが本当に神様と人々に対し、責任の重い大変な生活になるということを思う時、たしかに大きな不安もあります。もう網をおろしても無駄なことだと自信をなくし、キリストさまを拒む時さえあるかもしれません。しかしこんな時にも、偉大な先輩ペトロの態度をみならいたいものです。それに、長崎教区には心強い諸先輩の神父さま方がいらっしゃいますので、素直にそのご指導を仰ぎたいと思います。

最後に、私たち新司祭が永遠の司祭職を忠実に全うすることができるように、みなさまのお祈りとご指導をお願いいたします。

カトリック教法、昭和54年5月1日

浜脇教会(五島・久賀島)に信徒の献身で

司祭館-信徒会館-ルルド

五島久賀島の浜脇教会(主任・前田万葉師)にこのほど、司祭館・信徒会館、ルルドが完成し、去る4月3日祝別落成式が行われた。

当日午前10時、里脇大司教他下五島地区司祭団らを島内の船団総出の会場パレードで迎え、午前11時、里脇大司教の司式で祝別式が行われた。続いて、祝賀式・祝宴が島内全信者あげての歓迎と喜びの中にすすめられ、大司教、司祭たちの歌まで飛び出すしまつであった。

本建設事業の計画は、信徒会館の必要性と旧司祭館の老朽化を理由に、23年前からもち上がり、昨年4月急速に具体化され、同6月建設委員会が結成された。

建設面積は、司祭館が木造2階建て40坪信徒会館が旧司祭館を増改築して木造平屋建て41坪で宿泊施設完備、ルルドの聖母像12メートル。総工費は1500万円。40余戸の島内信徒一丸となってとり組み、離郷信徒らを中心に各方面からのはば広い多大な援助にささえられて、完成にこぎつけた。

この付属施設の完成によって、久賀島教会(浜脇小教区)の司牧、宣教活動がますます盛んになるものと期待される。

巻頭言「要理教師の友」

「聖なる者」前田万葉(俵町教会主任司祭)

『人間はもともと聖なる者として造られたのだから、みんな聖なる者であるのがあたりまえであり、私も聖なる者であるよう努力しているだけです』

これは、『マザーテレサ』という映画の中で、「マザーは現代の生きた聖女と言われているが?」との質問に答えた、彼女の言葉である。この映画は、マザーテレサが36歳の時(すべてを捧げて貧しいい人の中の一番貧しい人の間でキリストに仕えなさい)という神の言葉を聞いて以来、今日までひたすらに来る日も来る日も孤独と貧困と病気に苦しむ人々を、徹底した自己犠牲と無限の愛をもって微笑みながら励まし続ける精力的な活動を、5年間にわたり10ケ国で記録したものである。

この映画に触れると改めてマザーテレサとその姉妹たちの生き方に敬服し、その働きの凄さに目をみはらせられる。中でも圧巻は、戦火の飛びかうベイルートでの働きである。爆撃下の難民や障害児たちの救出に躊躇する要人たちに対して、キリストと聖母に信頼して祈り、御ミサでキリストに強められ、命がけで渡り合うマザーテレサ。愛のこもった手厚い看病を受けて次第に心が開けて、あたかも神をみるような眼差しで彼女らを見つめ微笑みを取り戻す病人。「マザーありがとう」、「シスターありがとう」、「神様ありがとう」と語りかけているかのようだ。彼らの憎しみ不信は、感謝と信頼に変わって、まさに「肉体は滅びても魂は救われた」という実感を伝えてくれる。

マザーテレサを一番尊敬している人たちは、マザーの協力者なる姉妹たちであろう。彼女らの微笑みは本物である。マザーは、「いつも笑いなさい、笑いたくないときにも笑いなさい」、「仕事を人を笑顔で受け入れなさい」と姉妹たちに教えている。マザーを中心とした彼女たちの笑顔、仕事・語りの中での笑顔、貧しく苦しんでいる人たちに対しての笑顔がそれを証明している。嫌なことがあればすぐに顔をしかめてしまう私たちにとっては大変反省させられ、うらやましくも神々しくも見えた。『笑顔があれば自分が変わる、相手が変わる、運命が変わる。笑顔が万国共通の地球語で、勇気・活気・行動の源。外面だけでなく内面から笑顔を作り出すためには、身近なことに対する感謝の気持ちが大切である。笑顔はぞうきんがけと同じ、毎日心がけると必ずきれいになる』という言葉を思い出した。

『人間にとって一番悲しむべきことは、病気でも貧乏でもなく、世間からも家族からも見捨てられて心を閉ざしてしまうことだ。そして現代の最大の悪は、そういった人たちに対する愛が足りないことだ』とマザーテレサは確信している。彼女たちの言葉、行いの一つ一つが重みを持って力強い説得力を与えてくれる。このマザーテレサの姉妹たちこそ、わたしたちの要理教師であり、友であると思った。

わたしたちは、彼女たちのように出来ないとあきらめるのではなく、少しでも『聖なる者』であることが出来るよう日々身近なことから実行していく努力をしたいものである。教会に電話をしてくれる人、訪ねて来る人、典礼や要理教育にあずかる人など、すべての人を『聖なる者』として受け入れる努力をする人こそ真の要理教育者、福音宣教者となれるのではないだろうか。『どこにでもカルカッタを、キリストを見つけることが出来る』。これもマザーのことばである。

カトリック教法、1991(平成3)8

ほしかげ

今夏も、カトリック平和旬間に合わせて、長崎、佐世保、平戸それぞれの地で大規模な記念行事が挙行された。また98日には教区主催の大村殉教祭が盛大に行われた。2月の西坂の日本26聖人殉教祭、5月の雲仙殉教祭、10月は今年で2年目を迎える田平焼罪のカミロ・コンスタンツォ神父殉教記念ミサと、教区あるいは地区レベルでの殉教祭が、華やかさを増してきた▼ところが、人知れず何十年と続けられている小さな殉教祭がある。ご存じだろうか。それは815日の久賀島・牢屋の窄殉教記念祭である。明治政府のキリシタン弾圧により久賀島の信徒らが捕らえられ、わずか6坪の牢屋に、老幼男女2百余人が監禁され、激しい火責め、水責め、算木責めの拷問を受け、さらには、牢内の人間密集地獄に力尽き、ずり落ちて死し、42人の殉教者が出た▼この地は、島の信徒らにとってはゴルゴダの丘であり、信仰生活の永遠の泉であり頂点なのだろう。それを象徴するかのように信仰の碑や記念聖堂までの坂道には、十字架の道行きが設置されている。教会の子供会、青年会、婦人会、そして信徒総会も、それぞれの年間活動計画の中に、牢屋の窄の清掃活動を組み入れる。島外からの巡礼者が来る時には、決まって誰かが、清掃奉仕するらしい▼7月に、佐世保からの巡礼団に同行したが、相変わらずきれいに清掃されていた。今年も、猛暑の中、全信徒総出の清掃活動と殉教者称賛野外ミサが、敬虔に挙行されたと聞いた。「6坪牢いまも窄には汗の列」「殉教者の子孫たるより生きざまを受け継がせてよ家庭の中に」

カトリック教法、1991(平成3)年10月

ほしかげ

湾岸戦争を契機に、PKO(国連平和維持活動)協力をめぐる動きが慌ただしさを増し、自衛隊をめぐる動きとともに、日本国憲法が大きくクローズアップされてきた。憲法の前文や憲法九条は「戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認」をうたっている。この平和憲法ができたころ、大きな釜の中に戦車や戦闘機が投げ込まれ、ダムやモーターとなって再生される絵が印象的だったという▲ある憲法学者によれば、「平和憲法は“十字架の誓い”ともいうべきもの。平和、非武装の規定は決して連合国の押しつけばかりじゃない。侵略と戦争による数え切れない犠牲と惨禍を生んだ日本の歴史に対する反省の中から生まれた」という。日本国民がこの立憲の精神、初心を忘れて、また、戦争の放棄によってもたらされた経済繁栄に溺れて、目先の物的豊かさや国際世論にだけ気を取られていると、肝心の一番大切な平和を失ってしまう恐れがある。▲「平和では飯は食えない」という人もいるが、やはり「平和なくして食べることはおろか生きることさえできなくなる」ということを忘れてはならない。国際社会に本当に貢献できることは平和日本を自信を持ってアピールすることだ。国際世論に振り回されて、PKOに自衛隊を参加させることではない。ペルシャ湾の海上自衛隊派遣部隊が、戦争巻き添え必至というニュースも流れ出した。悲惨な歴史を繰り返してはならない。

カトリック教法、1991(平成3)年11月

ほしかげ

神父たるもの、年季が入れば入るほど、死者との関わりにおいて、不思議かつ感動的な体験を積むものであろうか。ある時、家族の依頼を受けて病者の塗油の秘蹟を授けにいった。秘蹟の呼びかけには全く反応がなく、私も家族の方々も不安の中に祈りを始めた▲ところが、十字架の印による塗油を額と両手の平に力強く印された時、おそらくその瞬間、触覚が蘇ったのだろう。秘蹟を感じ取ったらしく、彼は右手を大きく動かして確かに十字架を切ったのです。それが一度だけでなく、二度三度と十字架を切り始めたのです。まさに神のお恵みでありましょう▲それにしても、臨終に際して、瀕死の最中に、しかも意識もうろうとした中で、確実に十字架を切れる人は何と幸いなことでしょう。私には出来るだろうかと羨ましくもあり、また、家族の方々と共に、私たちの信仰の素晴らしさを喜びたたえ、彼の魂の救いを確信することが出来ました。▲臨終の時に頼れるものは十字架以外に何もない。十字架こそ、天と地を、神と人とを結ぶ架け橋であり、天国への確かな道なのだ。この十字架に対する信仰さえあれば、私たちは今も臨終の時も、どんな苦しみや悪にも打ち勝てるのです。罪から清められ、死の恐怖と悲しみにも打ち勝って、キリストと共に復活の栄光に与れるという希望が湧いてくるのです▲信じる者にとって、十字架は正に神通力であり、神秘なのです。十字架さえあれば怖いものはない。主イエスの声が聞こえてくるようです、「あなたの信仰があなたを救った行きなさい平和の中に」。神に感謝。「十字切る人の末期に時雨れけり」

カトリック教法、199(平成5)

ほしかげ

「プロテスタントは、カトリックにプロテスト(反抗)して生まれたのであり伝統的にカトリック的なものを取り除こうとしてきた。今でも祈りの前後などの時胸に十字架を切らないのはその典型的な面です」。佐世保の牧羊会(神父、牧師の会)における、日本キリスト教団佐世保教会前牧師山崎英穂先生の言葉である▲話しを総合すると、プロテスタント教会は外には目印のため十字架を掲げているが、内部には十字架、聖像聖画など置いていない。家庭にも家庭祭壇はもちろん十字架も御像も御絵もローソクもない。これはシンボリカルな面を取り除くプロテスタントの伝統である▲お守り的なこともしない。メダイとか十字架を胸にかけたり車に立てたりしない。大切なのは聖書である。教会にも家庭にも聖書だけ。それも印とか宝としてではなく、聞くため。目で見るより耳で聞くことを大切にしている。聖書を通して神が語り、神の声を聞くことができるため。そのため教会の礼拝、家庭の祈りなどは大部分が聖書を聞き説教を聞き代表者が祈るのを聞くことである▲結論的に言ってくれた。「実はこれがプロテスタントの欠点である。上五島のある教会で、キリストの受難のすばらしいステンドグラスを見て、やはり目で見ることによって信仰を奮い立たせるカトリックの伝統のすばらしを素直に認めてしまった」と▲やはり和解と一致は素直に自分の不足、欠点、過ちを認め合い、反省して赦し合い、すばらしい点を取り入れ合っていくところから生まれてくるような気がする。一月は会員7人で島原半島を訪れた。「火山灰降るや神父牧師の外套に」

  
   
inserted by FC2 system